第三十七話:神の意思
[前回までのあらすじ]
鎌倉の世より、謎の女性トモミクによって戦国時代へと誘(いざな)われた源頼朝。
当初は、源氏の血筋である同盟国・武田家を守ることが軍団の目的と聞かされ、織田・徳川両軍と激しく戦っていた。
しかし、軍団に秘められた多くの謎、そして自らの存在意義について少しずつ理解し始めた頼朝は、織田信長を死なせず、多くの武家を滅ぼすことなく安寧の世を目指すという、困難な道を選択。その実現のため、京に上り「惣無事令」を発することを決意した。
近江、伊勢、越前を平定し、ついに京都の二条城をも攻略、上洛を果たした。だが、その直後、京の朝廷から、頼朝を中納言に叙任するという、その力を牽制するかのような使者が訪れる。
さらに、筆頭家老である羽柴秀長から、今の頼朝はこの時代における「二人目の頼朝」であり、「先代の頼朝」は秀長自身が誤って殺害してしまったこと、そして頼朝をこの時代に連れてきた出雲阿国の正体が、古代の巫女・卑弥呼であり、時を超える力を持つのは彼女自身であったことなど、衝撃的な事実を聞かされ、頼朝はその場で意識を失ってしまう。
多くの謎が解けたものの、頼朝は自らが進むべき道を変えることなく、決意を新たに京の二条城へと入るのであった。
[主な登場人物]
源頼朝: 鎌倉幕府を開く直前にタイムスリップ。価値観の変化に悩みつつ、頼朝軍団を率い「惣無事令」を目指す。二条城に入る。
源義経: 平泉で最期を遂げる直前にタイムスリップ。兄・頼朝に献身的に仕える軍略の天才。那加城にて東国の守りを固める。
武田梓: 武田勝頼の娘。義経の妻。武田流軍学に通じ、現在は狙撃部隊の部隊長。清州城代。
源頼光: 平安時代の武将。摂津源氏中興の祖。騎馬隊を率いる。大垣城代。
トモミク: 頼朝を導いた謎の女性。立花宗茂のはるか先の未来の子孫によって生み出された存在。
出雲阿国: 正体は卑弥呼。時を旅する巫女。頼朝の側近として上洛に同行。
北条早雲: 戦国初期の大名。晩年にタイムスリップ。軍団のご意見番、外交役。安土城にて桜の後見役。
羽柴秀長: 織田家臣・羽柴秀吉の弟。信長を見限り頼朝へ。軍団の筆頭家老、優れた参謀。頼朝(先代)を死なせたことに苦悩する。
羽柴篠: 秀長の娘で頼朝の正室。父譲りの才覚を持つ。頼朝隊の副将。頼朝の上洛に同行。
赤井輝子: 狙撃隊を率いる猛将。譜代衆。長浜城代。
源桜: 頼朝の娘。北条早雲に師事。安土城代。
源里: 頼朝の娘。武芸に秀で、義経隊の副将。
太田牛一: 少し未来の徳川の世からタイムスリップ。二条城代であり、頼朝の側近・参謀。
[第三十七話 神の意思]
天文十六年(1587年)三月。京の二条城は、頼朝の上洛以降、新たな主を迎えた喧騒と、大規模な改修工事の槌音(つちおと)に包まれていた。
そんな中、筆頭家老の羽柴秀長が、やや険しい表情で、頼朝の元を訪れた。
「…いかがした、秀長。何か、良からぬ報せでもあったか」
頼朝が尋ねる。
「はっ、頼朝様。実は……」
秀長は、声を潜めて報告を始めた。
「先日、当家に臣従された、摂津の荒木村重殿が、病にて、急逝されたとの報せが……」
「なに、あの荒木殿が? それは、まことか……」
荒木村重は、もとは織田家の有力な軍団長であったが、頼朝軍の説得に応じ、味方となったばかりであった。彼の帰順は、頼朝軍にとって単に摂津一国を手に入れたというだけでなく、織田軍の勢力を、丹波と河内と大きく分断するという、戦略的にも極めて大きな意味を持っていた。その荒木村重が、この大事な時期に、病で亡くなったとは……。
「…荒木殿が、我らに味方してくれたことは、先の二条城攻略においても、まことに大きな助けとなった。惜しい男を亡くしたものよな……。して、その後、荒木軍団は、どうなっておる」
「はっ。荒木村重殿亡き後は、その甥にあたる、荒木村次という者が、跡を継ぎ、軍団を率いておりまする。ですが……」
秀長は、言い淀んだ。
「実は、その荒木軍団の家臣筋から、わたくしの方へ、密告がございまして……。どうやら、その、跡を継いだ荒木村次が、我が頼朝軍に対し、公然と、不満を口にしておる、とのことにございます」
「ほう……。して、どのような不満を、と?」
「はっ。『この頼朝軍団においては、自分のような、何の能もない者は、いずれ、必ずや追放されるに違いない』と……。そのようなことを、日頃より口にしながら、酒に溺れ、配下の家臣たちにも、悪言を吐き、家中でも、多くの側近たちが、ほとほと困り果てておる、とのこと……
…ただ、頼朝様。荒木軍団は、我が軍団に帰順したばかり。下手にこちらが介入すれば、かえって家中の混乱を招きかねませぬ。この件、まことに慎重に扱う必要があろうかと存じまする」
「…ふむ。軍団が大きくなれば、それに伴い、家臣の数も増える。そうなれば、このような問題が、今後も、必ずや出てくるであろうな」
頼朝は、静かに頷いた。
「『火の無きところに煙は立たぬ』とは申すが、一方で、佞臣(ねいしん)の讒言(ざんげん)によって、何の罪もなき忠臣が、誅殺されてきたという歴史もまた、繰り返されてきておる。
その村次という男を、今すぐ処罰したり、追放したり、あるいは降格させたりといった対応が、本当に必要なのかどうか。また、仮にそうしたとして、それが、果たして荒木軍団の家臣たちに歓迎されるのか、あるいは、かえって新たな反発を招くことになるのか……。
それらが、はっきりと見えぬうちは、我らも、軽々しくは動けぬ。
秀長よ。今しばらくの間、荒木軍団の動向について、さらに詳しく情報を集めてはくれぬか。
それに、あの荒木軍団は、この京の都から見て、西で何か異変があった際に、我らが真っ先に、その対応をお願いせねばならぬ、重要な存在でもあるのだ。
…今更ながら、こうして考えてみると、この二条城は、完全に、その荒木軍団の城々に、取り囲まれておるようなものじゃしのう」
「はっ! 頼朝様の仰せの通りにございます。某も、全く同感にございまする」
秀長は、深く頷いた。
「万が一にも、荒木軍団が頼朝様に牙を剥き、本格的な軍事行動を起こした場合には、安土の早雲殿、長浜の輝子殿、そして伊賀上野の世良田元信殿が、いち早く駆けつけ、大きな問題とはなりますまい。
ですが……もし、荒木村次が、頼朝様を、己が居城へ、言葉巧みに呼び寄せたり、あるいは逆に、彼自身がこの二条城へ赴いてくる、などという際には、くれぐれも、ご注意が必要かと存じまする」
「うむ。念には、念を入れておくとしよう」
頼朝は、頷いた。
(…かつて、鎌倉にいた時分のわしであれば、このような懸念が生じた、まさにその瞬間に、おそらくは、真偽を確かめることすら、ろくにせず、ただちに誅殺してしまっていたであろうな……)
そのような、かつての己との決別を目指していたはずの頼朝であった。だが、軍団が、こうして日増しに大きくなるにつれ、またしても、同様の、猜疑心や権力闘争といった問題が、散見されるようになってきている。
(結局は、わしも、この戦国の世においては、かつての、あの己へと、再び戻ってしまうのであろうか……)
頼朝は、深くため息をつきながら、自問自答していた。その時、傍らの秀長が、決然とした表情で口を開いた。
「頼朝様に、もし万が一にも、危害が及ぶようなこと、この羽柴秀長が、この命に代えましても、決してさせはいたしませぬ!」
「…頼りにしておるぞ、秀長」
頼朝は、静かに頷いた。
「だが、秀長よ。『前の頼朝』のことは、もう、良いのだ。わしが申すのも、おかしなことではあるが……。
あまり、大袈裟に、『わしのために命をかける』などと、そう申さずとも良い。何事においても、そなたが、常に最善を尽くしてくれておることは、この頼朝が、誰よりも、一番良く知っておるのだからな」
「はっ!……いや、拙者は……その……」
秀長の目から、再び涙が溢れそうになる。
「『前の頼朝』への、その罪滅ぼしとして、ではなく、今の、この頼朝のために、これからもそなたのその類まれなる力を貸してほしいのだ。今の、このわしの心は、かつての『闇』の扉からそれほど遠いところにおらぬのかもしれぬ。
であるからこそ、そなたの支えなくしては、わしは、また道を誤るやもしれぬのだ」
「……もったいのうございまする!」
秀長は、ただ、深く、深く頭を下げるしかなかった。
「荒木軍団の件、引き続き、注視しておいてほしい。…して、他の領国の様子は、どうじゃ。伊勢、そして越前は、いかがか」
「はっ!」
秀長は、気を取り直して、報告を続けた。
「猫殿にお任せした伊勢国は、予想通り、驚くべき速さで、その復興と発展が進んでおりまする。おそらくは、このままいけば、たとえ、我らが今後、全国平定の軍を起こしたとしても、その長期にわたる戦いを支えきれるだけの、莫大な金銭、そして兵糧を、かの伊勢一国から、十分にまかなうことができるようになるやもしれませぬ。
また、越前の前田利家殿も、見事な手腕を発揮されております。領国の経営のみならず、軍備の増強、そして領民たちの人心掌握においても、まことに、たいしたものでございまする」
「ふむ。やはり、任せられる御仁には、全てを任せてしまうのが、一番よのう」
頼朝は、満足げに頷いた。
「そなたには、軍団全体の、そして、ますます広がっていくこれらの領国の管理、その全てを任せることとなり、これからも苦労が絶えぬと思うが……。すまぬが、引き続き、頼りにしておるぞ」
「はっ! どうぞ、お任せください!」
* * *
天文十六年(1587年)五月。
二条城の、大規模な修繕工事も、着々と進んでいた。かつて、足利将軍家の、あるいは織田信長の、権威の象徴であったこの城は、今や、頼朝軍の手によって、さらに巨大な、そして堅牢な城郭へと、生まれ変わろうとしていた。広がった敷地には、新たに深い堀が穿(うが)たれ、巨大な出城がいくつも築かれ、そして、本丸を取り囲む、三の丸の建設も始まっていた。
その威容は、すでに、京の街の、どこからでも目にすることができるほどの、巨大なものとなっていた。
城下町の復興もまた、目覚ましく進んでいた。戦乱で荒れ果てていた街並みは、次々と整備、修繕され、この数ヶ月がまるで嘘であったかのように、多くの民、そして商人たちが、京の都へと戻り始め、街全体が賑わいを急速に取り戻しつつあった。
頼朝軍は、荒廃していた御所の修繕にも積極的に着手。傷んだ塀や屋根を修復するのみならず、内裏(だいり)そのものの造営、そして、帝(みかど)の、新たなる住まいとなる御常御殿(おつねごてん)の建設にも、すでに取り掛かっていた。
また、経済的に困窮していたであろう、多くの公家たちの屋敷の修繕にも、頼朝軍はその家格の高い者から順に、惜しみなく援助の手を差し伸べていったのである。
そのような折であった。朝廷との交渉役である大村由己が、有力な公家の一人である、吉田兼見(よしだかねみ)を伴い、二条城の頼朝のもとを訪れた。
事前に、太田牛一や大村由己と、今後の朝廷への働きかけについて、協議を重ねる中で、現在の複雑な朝廷内の情報収集や、あるいは政治的な助言を受けるには、当代きっての知識人であり、政治情勢にも深く関与し、朝廷内においても隠然たる影響力を持つという、この吉田兼見こそが、最も適切な人物であろう、との助言があったのだ。
二条城内に、新たに設けられた、広く、そして豪華な設(しつら)えの評定の間。軍事施設こそ、まだ建設途中であったが、政務や外交、あるいは評定を行うための設備は、すでに完成していたのである。
その一室にて、頼朝、そして側近である太田牛一、大村由己、さらには出雲阿国が、吉田兼見を出迎えた。
「これはこれは、吉田様。ようこそおいでくださいました。わざわざ、このような場所までお運びいただき、まことに光栄に存じまする」
頼朝は、深々と頭を下げ、丁重に出迎えた。
「いやいや、頼朝様には、日頃より、何かとお世話になっておりますれば」
兼見は、独特の、抑揚のない口調で応じた。
「帝も、頼朝様のこの度のご上洛、そして数々のお力添えに対し、大変お喜びのご様子でございましたぞ」
「それは、まことに光栄の至り。帝へのお言葉、ありがたく賜り申した」
頼朝に続き、大村由己が、本題へと切り込んでいった。
「ところで吉田様。すでにご存知のこととは存じますが、我が軍団には、天下を武力で統一しようなどという野心は、毛頭ございませぬ。
それよりもむしろ、朝廷のその尊きお力をお借りし、未だに武家間の無益な争いが絶えぬ、この日ノ本の世に、真の静謐(せいひつ)をもたらしたい、と、そう切に願うものでございます。
そのためにも、我らは、帝による『惣無事令』のご発布を、ただただ、お願い申し上げておる次第。
我が軍は、帝より中納言の官位を賜った、頼朝様の軍団。すなわち、朝廷のため、帝のためにお仕えする、武力でござりますれば。我らは、帝が望まれる、この世の静謐のため、今後、いかに動くべきか。是非とも、吉田様より、ご助言を賜りたく存じまする」
大村由己は、率直に、しかし、言葉を選びながら、問いかけた。
「いやはや……」
吉田兼見は、扇子で、ぱちり、と自らの膝を打った。
「まさか、このわたくしが、あの伝説の英雄、源頼朝様ご本人と、こうして直接お会いし、お話ができる日が参ろうとは。夢にも思いませなんだ。
しかし、頼朝様。失礼ながら、お尋ねいたしまする。頼朝様は、かつての鎌倉の世においてそうであられたように、この戦国の世においても、再び、征夷大将軍となられる、と、そのようなおつもりで、あられますのかな?」
「吉田様」
頼朝は、静かに答えた。
「もし、この日ノ本に真の天下静謐が叶うのであれば、もはや征夷大将軍の位など欲しくはござらぬ。むしろこの時代においてまで、わしの名などが後世に残らぬ方が、かえって良い、とすら考えておる。
ただし……。相応の役職、そして、何よりも、帝、朝廷からの、正式なお声が無くしては、ただ武力のみをもってこの乱れた天下の静謐など、到底望むべくもない。それもまた、事実であるとは存ずるが」
「ほう、何ともはや、ご無欲なことでございますな、頼朝様は」
兼見は、薄い笑みを浮かべた。
「しかし……そのような、一見、無欲に聞こえる言葉こそ、我ら公家というものが、最も信じぬ類の言葉でもある、おそらくは頼朝様ご自身が、誰よりもようご存知のはずではございませんか?」
「申される通りじゃ」
頼朝は、苦笑した。
「京の朝廷に、綺麗ごとなど、通じぬ。それは、わし自身が、身をもって知っておる。
思えば、かつての鎌倉の世においても、朝廷のその不可解な力添えによって、実の弟である義経を亡き者にすることができ申した。
結局のところ、我ら武家ができることは、ただ日ノ本において、誰もが逆らうことのできぬ圧倒的な武力を持つこと。ただそれのみじゃ。
ただし、その『武力』という、あまりにも強き『毒』を、天下を治めるための『薬』へと、変えることができるのは、朝廷という存在だけなのかもしれぬがのう。
…天下静謐が成った、まさにその後に、今度は武家と朝廷との間で新たな争いが起こるかも知れぬ。しかしそれは、日ノ本を一統した武家の中で、必然的に起こるであろう権力闘争と同じく、この世の逃れられぬ必然なのかもしれぬぞ。
それでも……。永きにわたり、この、血で血を洗うような、争いの世を続けるよりは、たとえ一時的であったとしても日ノ本の静謐を目指す方が、はるかに良かろう。…いかがかな、吉田様」
「…いやはや。美しき理想の言葉から、一転して、まことに手厳しき、現実のお話を申されることよな、頼朝様は」
兼見は、扇子を弄(もてあそ)びながら、続けた。
「確かに、我ら公家というものは、常に、帝の、そして朝廷の権威を何よりも第一に考えまする。帝のためであれば、時には、武家と手を組むことも厭(いと)わぬ。
だが、一方で、もし力を持つ武家と安易に手を組むことが、かえって朝廷そのものの権威を失墜させるだけである、と判断すれば、躊躇(ためら)いなく、これを切り捨てる。
…朝廷とは、いつの世もそのことばかりで右往左往している、という日々が延々と続いておるだけなのでございます。
先の、頼朝様ご上洛の際の、あの、都を揺るがすほどの鉄砲の一斉射撃は、まことに多くの公家たちを恐怖のどん底へと陥れましたぞ。おそらくは、頼朝様がまさに望まれたであろう、その効果は、十分にございました。
そして、その後に行われた、驚くべきほどに大規模な御所の修繕、そして莫大な額の寄進により、今や多くの公家たちは、頼朝様に対し好意的にならざるを得ない、という状況へと大きく傾きつつあることも、また、確かでございます。
ですが、であるからこそ、逆に、これに警鐘を鳴らす公家たちも、また、少なからずおりまする。
例えば、かの二条晴良(にじょうはるよし)なぞは、『これこそが、朝廷を、内側から骨抜きにする、頼朝の策略である』と、帝に対し厳しく警告を発しておりますぞ。
反対に、先の使者であった、近衛前久(このえさきひさ)などは、むしろ、朝廷と頼朝様との繋がりを、さらに深めようと、様々に画策をしておりまするが……。
残念ながら、帝ご自身は、清廉潔白で純粋に帝をお支えしようとする、あの二条晴良の方により深い信を置いておられ、野心家である近衛前久のことは、むしろ警戒をしておられる、というご様子。
帝から、深い信のある者は、頼朝様を警戒し、逆に、帝から警戒されておる者は、頼朝様との結びつきを、必死に目指しておる……。
いやはや、まことに、皮肉なことでございますな、頼朝様」
「……いずれにせよ、吉田様。そなたの話を伺う限りでは、今の朝廷が、そう直ちに、わしが望む『惣無事令』を発してくれるような、そのような状況にはない、と。そういうことですな」
「ふふ。まことに、簡単に申し上げてしまえば、頼朝様のご理解が、おそらくは最も正しいかと存じまする」
兼見は、薄笑いを浮かべた。
「であるならば……いっそのこと、このまま、御所へ攻め上がり、朝廷も、帝も、全て亡き者とし、征夷大将軍などというちっぽけな位にこだわることなく、頼朝様ご自身が帝に成り代わり、この日ノ本の新たなる『神』である、と、そう名乗られてしまうのが最も手っ取り早い解決策なのかもしれませぬぞ?
今の、頼朝様であれば、おそらくは、日ノ本の民も諸手を挙げて、それを納得なされまするぞ」
「……吉田様。それは、このわしを、愚弄されておるのか」
頼朝の声に、わずかに怒りの色が滲む。
「おっと、これはこれは、頼朝様。まことに失礼いたしました」
兼見は、慌てて扇子を閉じ、頭を下げた。
「いやはや、どうにも、少しばかり、戯言(ざれごと)が過ぎましたようで。もし、ご不快になられたのであれば、平にご容赦をいただきたい。」
「ですが、頼朝様」
兼見は、再び顔を上げ、真剣な眼差しで言った。
「朝廷を、本気で動かす、ということは……それだけの、覚悟が必要な儀である、ということでございますぞ。
頼朝様は、かつての、鎌倉時代の朝廷を見てこられました。昔と今とでは、確かに、変わらぬところも多くございますが、しかし、同時に、今の朝廷であるからこそ、新たに生じておる難しきところも、また、ございましょう。
例えば……残念ながら、今の朝廷におる全ての公家たちが、頼朝様こそが、日ノ本で一番お強い、などとは考えてはおりませぬ。
頼朝様は、ご存知かな? 今、西国にて、あれほどまでに強大な勢力を誇るあの毛利家は、元をただせば、かつて頼朝様の最も信頼厚き直臣であったあの大江広元殿の、その血筋を引く家柄であるということを。そして、頼朝様が、誰よりもようご存知のように、その大江広元殿は、本来武士ではなく、京の貴族であられた。今の、京の公家たちが同じ平安貴族の末裔である毛利家に対し、より強い親近感を抱くのも、また、理(ことわり)なのではござりませぬか」
「……なんと……。これはまた、実におかしき話を、聞かせていただいたものよ」
頼朝は、苦笑いをしながら言葉を返した。
「今の、このわしと、将来争うことになるやもしれぬ相手が、あの大江広元の末裔である、とはのう……」
「さて、頼朝様」
兼見は、立ち上がりながら言った。
「本日の、わたくしの話、少しは、頼朝様のお役に、立てましたでしょうか」
「うむ。吉田様。期待しておった以上に、まことに、ためになる話を、多く聞かせていただいた。心より、感謝申し上げる」
「いえいえ。わたくしのような者で、お役に立てることがございましたら、いつでも、また馳せ参じまするゆえ。今後とも、どうぞ、よしなにお願い申し上げまする」
兼見は、部屋を出ようとして、ふと足を止め、振り返った。
「おっと、最後に、もう一つだけ。これは、耳寄りな情報でございますぞ。
今、かの近衛前久が、頼朝様を、中納言から、さらに『大納言(だいなごん)』へと、昇進させようと、内裏(だいり)にて、東奔西走しておる、とのこと。
まあ、中納言よりは、よろしいかと存ずるが……。それが、果たして、頼朝様が、本当にお望みのものかどうかは、このわたくしには、判断がつきかねますがな」
吉田兼見は、その言葉を最後に、またしても、慇懃無礼(いんぎんぶれい)とも取れるような、丁寧な礼を一つすると、案内に来た大村由己に連れられ、評定の間を退出していった。
* * *
しばらくして、大村由己が、大慌てで評定の間へと戻ってきた。
「頼朝様! 先ほどの、吉田様の数々のご無礼、まことに、申し訳ございませんでした! この由己の不明、平にお許しを!」
「大村殿。あの吉田兼見という男、好かぬ」
頼朝は、苦笑した。
「しかし、その態度や言葉とは全く裏腹に、有益な情報を実に多く提供してくれたことよ。朝廷内の、あの、複雑怪奇な事情を、あれほどまでに、詳しく、かつ率直に伝えてくれたことは、我らにとって、大変な収穫であったわい」
「はっ……。恐れ入りまする。…ですが、拙者は、あの、あまりにも挑発的な、頼朝様への物言いに、終始、肝を冷やしておりました……」
由己は、安堵の息をついた。
「ただし、吉田兼見が申しておった通り、かの二条晴良という人物には、今後、注意が必要でございます。しばらくの間は、我らは、近衛前久を、味方につけるしか、道はないかと存じまする。
ですが、その近衛前久は、同時に、西の毛利家にも、良い顔をしております。毛利家が、我らの対抗勢力として朝廷に認識されておる限り、近衛前久とて、我らに一方的に特権を与えるようなことも、おそらくはいたしますまい」
「ふむ……。あの、二条晴良という男は、他の、俗な公家たちとは異なり、こちらが寄進をすればするほど、かえって我らを警戒する……。ある意味では、清廉(せいれん)な、帝への忠臣、ということなのかもしれぬな。…であれば、むしろ、その者こそ、本当は味方につけたいものじゃがな……」
頼朝は、不敵に笑いながら悪言を吐いた。
「…いずれにせよ! 今の我らが取りうる選択肢は、もはや二つに一つしかない!
さらに領土を広げ、毛利をも圧倒するほどの絶対的な力を手に入れるか! あるいは、あの吉田兼見が、戯言(ざれごと)のように申しておった通り、いっそのことあの朝廷そのものを、滅ぼしてしまうか!
それが、残された道じゃ!」
頼朝は、先の吉田兼見との会話で、心の奥底に生まれた、言いようのない不快感を、未だに払拭することができずにいた。突破口が見つからないことへの、いら立ちもあった。そのせいか、己の心情から発せられる言葉もまた、どこか、普段の冷静さを欠いた、捨て鉢な響きを帯びていた。
それは、単に、吉田兼見から投げかけられた、挑発的な言葉に対する不快感なのか。あるいは、この、一筋縄ではいかぬ、世の中というものに対してなのか。いや、あるいは、何よりも、そのような状況に対し、有効な手立てを見いだせぬ、己自身に対しての、怒りなのであろうか。
頼朝は、自らの心を、持て余していた。
太田牛一が、静かに口を開いた。
「頼朝様。まずは、近衛前久を我らの側へと引き入れるための調略を進めましょう。もし、彼が完全に毛利家の方へと抱き込まれてしまえば、事態は、ますます難しくなりましょうゆえ。
かの二条晴良は、伝え聞くところによりますと、我らからの、屋敷修繕の申し出も、きっぱりと断ってきた、とのこと。しかも晴良自ら、こちらへ足を運んでくることも、ございますまい。
まずは、頼朝様には、近衛前久が推し進めておる、大納言の官位をお受けいただき、そしてその地位をもって、堂々と内裏へ参内いただく。そこから、全てを始めてみては、いかがでしょう」
「…ふむ。忠臣であり、理(り)に聡(さと)い、あの二条晴良を敵に回し、一方で、抜け目なく、野心高き、あの近衛前久を、味方にせねばならぬ、か……。まことに、皮肉なことよな」
頼朝は、ため息をついた。
「…太田殿。その近衛前久には、彼の望むままに屋敷の修繕でも、あるいは必要なだけの寄進でも、何でも全て与えるが良い。
それを見て、我らに味方することの『利』を、他の公家どもにもはっきりと示し、我らの肩を持つ公家を、一人でも多く増やしていくしかあるまい。
…残念ながら、そうして我らに味方する公家というものは、帝への忠心よりも、己自身の野心を優先するような俗物たちばかりなのであろうがな……
二条晴良に対しては、わしが、大納言に就任した後、改めて直接参内し、丁重にご挨拶申し上げることにしよう。
また、帝への謁見(えっけん)も、引き続き模索をお願いしたい。内裏の造営と御常御殿の完成を、可及的速やかに急がせよ。それが完成した暁にはそれを口実として、帝に、直接わしの方から、ご報告、そしてご挨拶に伺う、という形を取ろうぞ」
「はっ! かしこまりましてございます!」
牛一は、力強く応えた。
「それから……」
頼朝は、付け加えた。
「あの、吉田兼見にも、何か、豪勢な礼の品を届けておけ。奴には我らのその魂胆など、全てお見通しであろうがな。であるからこそ、あえてこちらから、豪勢な品を届けることが、奴に対する、『我らへの協力』への無言の圧力ともなろう。
あの男からの、忌憚(きたん)なき助言は、今後も我らにとって必要となるはずじゃ。…極力、顔を合わせたくはない相手ではあるがのう」
「頼朝様。委細、承知いたしました」
大村由己、太田牛一は、頼朝に深々と一礼をすると、足早に、それぞれの任務へと戻っていった。
* * *
誰もいなくなった茶室で、頼朝は、一人、物思いに耽っていた。
そこへ、出雲阿国が、すっと、音もなく現れ、頼朝の前に新しい茶を静かに差し出した。
「…頼朝様。いったい、何に対し、お怒りでございますか」
阿国が、静かに問いかける。
やはり、この女(ひと)の目には、己の心のどんな些細な動きさえも、全てが映し出されてしまうのであろうか。
「わしが、怒っておるように、見えるか、阿国殿」
「お心の内では、様々なお気持ちが、渦巻いておられるご様子、お見受けいたします」
阿国は、頼朝の隣に、静かに座した。
「このお茶は、京の都でも、特に名高い、格別な茶葉だそうでございます。まずは、この茶の、かぐわしき香りと、深き味わいにて、しばしお身体を内から包まれては、いかがでしょう」
頼朝は、差し出された茶碗を手に取り、その深い緑色と、立ち上る芳香をしばし味わった後、ゆっくりと一口、口にした。確かに、これまで味わったことのないような、独特の、そして深い風味が、口の中に広がっていく。
阿国の言葉の通り、頼朝は、しばし、その茶の風味を心ゆくまで味わった。
「…己の心ですら……」
やがて、頼朝は、静かに呟いた。
「己自身の力をもって、律し、そして一つにすることすら、何と、これほどまでに難しきことか。
…だが、
一方で、ひとたび命の危機を、直接目の当たりにした時などは、あれほどまでに乱れていたはずのその心も、揺らぎなく一つとなる……
国もまた、同じなのかもしれぬな。
ひとたび、『大義名分』を持った、圧倒的な『武力』をもって脅かせば、一時的には、まとまることもある。
だが……帝や公家という存在が、未来永劫、決して無くならぬもの、と、心の底から信じきっておるあの朝廷というものを、一つにまとめることは……おそらくは、至難の業じゃろうな。
あの吉田兼見が申す通り、朝廷内の複雑怪奇な意向が一つにまとまるその時まで、我らが待つことしかできぬのであれば……いっそのこと、朝廷そのものを、力で滅ぼしてしまう方がはるかに早いのかもしれぬ。
それにしても……あの、腹立たしい、食わせ者の吉田兼見が申すことは、いちいちもっともであったわい」
頼朝は、苦笑をしながら言った。
「武力や威勢だけをもって、朝廷をこちらの思うがままに動かすことの難しさを、あの男は何を恐れることもなく、ただ淡々とわしに説いていたのであろうな。
……今日のところは、どうやら我らよりもあの吉田兼見の方が、一枚も二枚も、上手(うわて)であった」
「だが、阿国殿」
頼朝の声に、再び怒りの色が滲む。
「わしが、本当に腹が立つのは、あの吉田兼見に対してではない。
この、ままならぬ世の中に対してであり、そして、何よりも、そのような状況に対し、有効な手立てを見いだせぬ、この己自身に対して、なのじゃ。
己が犯した過ちを、この時代で、二度と繰り返さぬこと。そう、固く決めた。そこまでは、良かったのだ。だが……」
頼朝は、拳を握りしめた。
「己がその過ちを繰り返さぬ、と決めたことで、無意識のうちに今の己自身にも、そして、この乱れた世の中にも、過大な期待を、寄せてしまっておったのかもしれぬ。
現実はどうじゃ。結局、己も、そして世も、何も、何一つとして、変わってはおらぬではないか!
己が変わったとて、何が出来る!
その、どうにもならぬ、変えようのない現実に対し腹を立てている、そのような己の愚かさに、わしはさらに腹が立つ!」
出雲阿国様は、頼朝の話を、ただ静かに聞きながら、先ほど頼朝が口にした分の茶を、再び、そっと注いだ。
「頼朝様」
阿国は、静かに語り始めた。
「たとえ、どれほどの英傑であっても、一人の人間の力など、まことに限られておりまする。そして最も『力』なき者が、わたくしのような巫女であり、だからこそ、ただひたすらに大いなる神におすがりし、その御心(みこころ)のままに、この身を捧げるのでございます。
神は、わたくしたち巫女には冷酷でございます。巫女自身の、個人的な意思や、ささやかなる願いなどは、聞き届けられることはございません。ただ、その行いが、大いなる神のご意思にたまたま沿うた時のみ、巫女は、自らの足で、現(うつつ)の世を歩むことを、お許しいただけるのでございます。
巫女が、生涯、男(おのこ)と交わることが固く禁じられておるのは、ただ、大いなる神のみに、その身を捧げる必要があるからでございます。もし、その掟(おきて)を破った時から、巫女は、神に見放されてしまいましょう」
「…それでも」
阿国は、頼朝の目を、じっと見つめた。
「それでも、先日わたくしが巫女としての身分を捨ててでも頼朝様にお仕えしたい、と、そう強く思いましたのは……。頼朝様が、この世を大きく動かすだけの、類まれなるお力を持ちながらも、同時に、そのお心の奥底には、常に民を慈しみ、正しき道を求めようとされる、清きお心をお持ちの御方である、と、そう確信したからでございます。
わたくし個人が、ただ巫女として神に祈り続け、わたくしにできる、ほんの限られたことを、細々と為(な)し続ける以上に……。この頼朝様という、類まれなる御方にこの身を捧げ、お仕えすることの方が、結果として、どれほど多くの人々を救うことができるであろうか……。わたくしは、そう思ったからでございます」
「…阿国殿に、そこまで申していただけるとはな。それは、この上なく、嬉しいことぞ」
頼朝は、照れたように言った。
「しかし、それは、やはり、皆と同じく、そなたもまたこのわしを、買い被っておる、ということじゃろう」
「いいえ。決して、そうではございません」
阿国は、きっぱりと言った。
「頼朝様は、どこまでも、正しき道を、歩まれようとしておられる御方。
ご自身の、心の弱さ、あるいはその奥底に潜む『闇』の存在を、誰よりもご存知であるからこそ、常に悩み、苦しまれるのでございます。
世に『覇者』と呼ばれる者たちの、その多くは、自らの心の中に潜む、その危うさの存在に、気づくことすら、ございません。
逆に、覇者となり得なかった、か弱き者たちは、常に、その弱さ、『闇』に怯え、結局は、何も為すことができぬまま、朽ち果ててゆくものです。
頼朝様は、その両方を、その御身の内にお持ちでございます。
人の心の、その深き淵を知り、なおかつ、天下をも動かす、覇者たるお力をも、同時にお持ちなのです。
世は、そう簡単には変わりませぬ。
人もまた、そう簡単には変わりませぬ。
己すら変える事は難しき事。
そして、大いなる神は、直接救いの手を差し伸べてはくれませぬ。
ですが……頼朝様のような御方を、きっと、大いなる神は、祝福してくださるはずでございます。
悩み、苦しみ、そして進まれた、その道が、果たして本当に正しかったのかどうかは、おそらくは、その最後まで、誰にも分かりませぬ。それでも、ただ、ご自身が信じる道を進み続け、そして、その先に、のような世界が見えるのか……。それは、まさに、神のみぞ知る、ということでございましょう。
ですが、頼朝様であるからこそ、そして、頼朝様がそのお心で信じ、お進みになる道であるからこそ、それは、他の誰よりもきっと正しき道であり、また、頼朝様にしか進むことのできぬ、唯一の道であるはず……。
この阿国は、それを、心の底から信じております。
その、あまりにも、長く、そして険しき道の、その途上において、この阿国に、できることがございますれば、わたくしは、何でも、いたしたく存じます。
たとえ、この巫女としての身など、捨て去ることになったといたしましても……。この阿国は、ただ、ひたすらに、頼朝様をお支えしとうございます……」
(……)
初めて、この出雲阿国という、謎多き女性の、その心の奥底に、触れたような気がした。
常に、どこか距離を置き、全てを見透かすかのように、超然と、己のことを見ていた、と考えていた、その存在が……。実は、誰よりも、すぐ近くで、己のことを、深く理解し、そして見守ってくれていたとは……。
頼朝は、思わず、目の前にいる、この、か弱くも、しかしあまりにも気高き巫女、出雲阿国を、己の腕の中へと思わず抱きしめてしまっていた。
出雲阿国もまた、それに一切の抵抗を示すことはなかった。
「……阿国殿」
頼朝は、声を詰まらせた。
「今日ほど、己自身の、その愚かさを思い知った日は、これまでになかった。…許せ」
多くを吐き出し、安堵したかのように、出雲阿国は、その身を、頼朝へと委ねるように、彼の胸に顔をうずめていた。
頼朝の腕の中に、かすかな、出雲阿国の体の震えが伝わってきた。
頼朝は、その震えを抑えるかのように、さらに腕に力を込めた。
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