第三十六話:二条城への行軍
《前回までのあらすじ》
鎌倉の世より、謎の女性トモミクによって戦国時代へと誘(いざな)われた源頼朝。
当初は、源氏の血筋である同盟国・武田家を守ることが軍団の目的と聞かされ、織田・徳川両軍と激しく戦っていた。
しかし、軍団に秘められた多くの謎、そして自らの存在意義について少しずつ理解し始めた頼朝は、織田信長を死なせず、多くの武家を滅ぼすことなく安寧の世を目指すという、困難な道を選択。その実現のため、京に上り「惣無事令」を発することを決意した。
近江、伊勢、越前を着実に平定し、ついに京都の二条城をも攻略。上洛への道筋は、完全に開かれた。
だがその矢先、筆頭家老である羽柴秀長から、今の頼朝はこの時代における「二人目の頼朝」であり、「先代の頼朝」は秀長自身が誤って殺害してしまったこと、そして頼朝をこの時代に連れてきた出雲阿国の正体が、古代の巫女・卑弥呼であることなど、衝撃的な事実を聞かされる。
数々の謎は解けたものの、頼朝は自らが進むべき道を変えることなく、決意を新たに、京の二条城へと向かうのであった。
[主な登場人物]
源頼朝: 鎌倉幕府を開く直前にタイムスリップ。価値観の変化に悩みつつ、頼朝軍団を率い「惣無事令」を目指す。
源義経: 平泉で最期を遂げる直前にタイムスリップ。兄・頼朝に献身的に仕える軍略の天才。那加城にて東国の守りを固める。
武田梓: 武田勝頼の娘。義経の妻。武田流軍学に通じ、現在は狙撃部隊の部隊長。清州城代。
源頼光: 平安時代の武将。摂津源氏中興の祖。騎馬隊を率いる。大垣城代。
トモミク: 頼朝を導いた謎の女性。立花宗茂のはるか先の未来の子孫によって生み出された存在。
出雲阿国: 正体は卑弥呼。時を旅する巫女。砲術に優れ、義経隊の副将。頼朝の上洛に同行。
北条早雲: 戦国初期の大名。晩年にタイムスリップ。軍団のご意見番、外交役。安土城にて桜の後見役。
羽柴秀長: 織田家臣・羽柴秀吉の弟。信長を見限り頼朝へ。軍団の筆頭家老、優れた参謀。頼朝(先代)を死なせたことに苦悩する。
羽柴篠: 秀長の娘で頼朝の正室。父譲りの才覚を持つ。頼朝隊の副将。頼朝の上洛に同行。
赤井輝子: 狙撃隊を率いる猛将。譜代衆。長浜城代。
源桜: 頼朝の娘。北条早雲に師事し、安土城代を務める。
源里: 頼朝の娘。武芸に秀で、義経隊の副将。
太田牛一: 少し未来の徳川の世からタイムスリップ。二条城代であり、頼朝の側近・参謀を務める。
[第三十六話 二条城への行軍]
天文十六年(1587年)一月。
源頼朝率いる一行は、ついに京の都、二条城へ向け、滞在していた安土城を出立した。
安土城の北条早雲隊、そして長浜城の赤井輝子隊からも、選りすぐりの部隊が警護として派遣され、総勢、騎馬二万、鉄砲二万という、まさに物々しい限りの大行列での行軍であった。
鉄砲二万という数は、当時、いかに強大な戦国大名であっても、その保有総数を超えるほどの規模である。しかも、頼朝軍の場合、それがわずか一部隊に配備されている兵力に過ぎないのだ。
この上洛の行軍、その威容だけでも、天下の諸大名に対し、頼朝軍の圧倒的な軍事力を見せつけるには、十分すぎるものであった。
京の都には、先行していた太田牛一の指揮のもと、およそ五千ほどの歩兵が、すでに配属されていた。
頼朝一行が京へ入ると、南の羅城門(らじょうもん)から、北の二条城へと続く朱雀大路(すざくおおじ)沿いを、その歩兵隊が、寸分の乱れもなく整然と隊列を成し、頼朝率いる本隊が、荘厳に行軍するための道筋を、示している。
先頭を行くのは、安土城代である娘の源桜。その後ろに、頼朝の本隊、そして、長大な騎馬隊と鉄砲隊の隊列が続く。その大軍勢は、京の街の外で待機することなく、そのまま二条城へ向け、堂々と京都市街へと入り、ゆっくりと、しかし威圧的に、進軍を続けた。
やがて、鉄砲隊の主力が、都の南、八条あたりに差し掛かったところで、頼朝軍は、ぴたりと進軍を止めた。
次の瞬間。まるで、今まさに戦が始まらんとするかのような、けたたましい法螺貝(ほらがい)の音と、腹の底に響く陣太鼓(じんだいこ)の轟きが、京の都全体に鳴り響いた。
そして、何段にも分かれて隊列を組んでいた鉄砲隊が、その陣太鼓\に合わせ、天に向かって、断続的に、しかし、一斉に、空砲(からほう)を放ち始めたのである。
天を衝く轟音、地を揺るがす振動。京の都に住まう全ての民、そして、当然、内裏(だいり)の奥深く、御所の中にいる公家たちに至るまで、その耳に届かぬ者は、一人としていなかったであろうほどの、凄まじい轟音が、しばし、都の上空を支配した。
正直なところ、頼朝自身は、この、京の街中での鉄砲による示威行為には、あまり乗り気ではなかった。
しかし、太田牛一や北条早雲、そして朝廷との交渉役である大村由己も含め、京の事情を熟知する家臣たちが、此度の上洛に際し、その段取りを、極めて念入りに準備していたのだ。
京の街中への、あえての、この仰々しいまでの大軍での進軍、そして、この度肝を抜くような鉄砲の発砲もまた、彼らが練り上げた、対朝廷戦略の一環なのであった。
頼朝は、安土城にて、出立前に北条早雲から受けた進言を、改めて思い出していた。
『…頼朝殿。おそらくは、京都の街中で、このように大量の鉄砲を放てば、きっと、多くの公家たちは、我らのことを、礼儀知らずの、野蛮な田舎武者よ、と、御所の内にて、口汚く罵(ののし)るに違いありますまい』
『だが、それで良いのでございます。今の我らが、もはや、いかなる大名も、手も足も出せぬほどの、突出した軍事力を持っている、という厳然たる事実を、おそらくは、かの公家たちは、未だ、実感としては持っておるまい。ましてや、これほど大量の鉄砲が、一斉に斉射された際の、あの、腹の底から震え上がるような、恐ろしき音など、おそらくは、想像すらできぬことでございましょう』
『であれば、まずは、彼らが、これまで味わったことのない恐怖を、その身をもって、思い知らせてやること。それもまた、今後の交渉を考えれば、大きな意味があるのでございますぞ。…まあ、何、表向きは、我ら家臣一同から、頼朝殿への、ささやかなる『上洛祝い』の祝砲、ということでござるよ。がははは!』
『そして、上洛の際には、まず、このように、派手な振る舞いをお見せする一方で、その後は、時を移さず、今度は、我らが持つ、圧倒的な財力を、朝廷に対し、これ見よがしに示すのが、よろしいかと存じます。荒れ果てた御所や、京都の街並みの修繕に、惜しみなく資金を投じ、さらには、多額の献金を朝廷へ行い、朝廷の、我が軍への経済的な依存度を、一気に高めてしまうのでございます』
『そして、頼朝殿の、京での新たな居城となる、あの二条城もまた、かの公家や、京都の民たちが、これまで、ただの一度も目にしたことがないような、壮大で、そして堅牢極まりない、巨大な城へと、速やかに改修してしまうのが、良かろうと存じますな』
そこまで、頼朝が心から信を置く家臣たちが、考え抜き、準備をしてくれていたのであれば、頼朝としても、もはや反対する理由は、どこにもなかった。
彼らが描く、対朝廷との交渉戦略。それは、頼朝軍が持つ、圧倒的な軍事力を、時には、半ば脅しのように、ちらつかせながらも、一方で、財政的には、これ以上ないほどに甘やかし、援助する。いわば、『厳しさ』と『甘さ』、その両方を巧みに使い分けながら、朝廷を、徐々に、しかし確実に、頼朝軍の影響下に置いていく、というものであった。
(それにしても……)
頼朝自身、この静かなはずの古都の街中で、突如として放たれる、大量の鉄砲による、凄まじいまでの轟音には、思わず耳を塞ぎたくなっていた。
鉄砲による、派手な「儀式」が終わり、頼朝率いる一行は、ようやく、新たな居城となる、二条城へと到着した。
二条城は、北条早雲が安土城で話していた通り、すでに、大規模な改修工事が開始されており、その姿を変えつつあった。
かつては、比較的簡素な平城であったはずの二条城。それが、今、目の前には、改修中の巨大な城郭が、まるで天を衝くかのように、不気味に、しかし堂々とそびえ立ち、その敷地もまた、以前とは比較にならぬほど、大きく広げられていた。
二条城の城門では、いち早く京に入り、この改修と、頼朝一行の受け入れ準備の指揮を執っていた、城代の太田牛一、そして、彼を補佐するために派遣されていたのであろう、お市、大村由己といった面々が、頼朝たち一行を、丁重に出迎えていた。
新たに建造されたのであろう、城内の、広大な一室へと通される。そこでは、太田牛一をはじめとする、先に京へ配属されていた家臣団が、ずらりと並び、到着した頼朝一行に対し、深々と頭を下げていた。
「ようこそおいでくださいました、頼朝様、そして皆様方。長旅、さぞかしお疲れのことと存じまする」
太田牛一が、代表して口上を述べる。
「御覧の通り、まだ改修中の城郭ではございますが、頼朝様、そして家臣の皆様方へ、ご不便をおかけするようなことは、決してございませぬゆえ、どうぞ、ご安心くださいませ」
「うむ。太田殿、まことにご苦労であった」
頼朝は、労いの言葉をかけた。
「此度の、我が軍の上洛に際し、その準備は、さぞかし大変であったろう。それに、この二条城の改修も、驚くべき速さじゃな。この短期間で、これほどまでに、力が注がれておるとは」
頼朝は、苦笑した。
「本来であれば、戦(いくさ)のための軍備であるべきものが、今は、もっぱら、あの朝廷の公家どもに見せつけるための、『見栄』のための軍備となっておるようじゃな.
敵の脅威が去った後の、我が軍の財政は、できうる限り、民のためにこそ使いたい、と、わしは思うておるところではあるが……。まあ、これも、致し方あるまい。もし、これが、少しでも、かの『惣無事令』の発出へと繋がるのであれば、太田殿、引き続き、よしなに、対応をお願いいたしたい」
「はっ。本日、都大路にて、少々、派手な頼朝様のご登場と相成りましたが、なにとぞ、ご容赦を」
牛一は、悪戯っぽく笑った。
「ご安心ください。明日以降は、軍の影は、完全に消し去りまする。すでに配属されている歩兵隊を、ただちに、荒れた都の街並みの整備や、あるいは御所の修繕などに、回す手はずとなっておりまするゆえ」
「ほう。あの、屈強な兵たちが、そのような、町づくりの真似事など、できるのか?」
頼朝が、訝しげに尋ねる。
「はっ! 実は、トモミク殿の直属部隊である、あの『築城部隊』が、この一月ほどの間、ここ京に滞在し、派遣されてきた兵たちに対し、みっちりと、その技術の手ほどきを行っておりました。今や、京に配属された兵たちは、もはや戦働きよりも、むしろ、築城や、町・御所の修繕の方が、よほど得意な、専門部隊となっておりまする」
「なに、トモミクの、あの築城部隊が、直々に、とな!? はっはっは! それであれば、安心じゃな!」
頼朝は、声を上げて笑った。
「しかし、太田殿。改めて、こうして見ると、この時代の京の街は、まことに、随分と寂(さび)れてしまっておるものよな。わしが知る、鎌倉の時分の、あの活気あふれる京の都の方が、よほど賑わっておったわい。…いや、それどころか、今の我らが治める、美濃の城下町の方が、この京の都よりも、よほど発展しておるのではあるまいか」
「はい、頼朝様。まことに、仰せの通りかと存じます」
牛一は、頷いた。
「わたくしがおりました世においても、かの信長様が、随分と力を入れて、この京都の街を、復興、発展させておりました。ですが……おそらくは、我が軍が登場した、この“今”の世においては、信長様は、我らとの軍事行動にその資源の大半を投入せねばならず、また、臨時の徴兵なども断続的に行われた結果、京都の街の整備までは手が回らず、後回しにせざるを得なかったのでございましょう」
「なるほどな……。太田殿が申されること、合点が参った」
頼朝は、頷いた。
「だが、我が軍が誇る、あの優秀な内政官たちの手腕をもってすれば、この荒れた京の都も、やがては、美濃や尾張、近江の城下町のような、豊かで、活気あふれる街へと、必ずや、生まれ変わらせることができようぞ」
「はっ! おそらくは、一年と経たぬうちに、この京都の民たちも、豊かで賑わいのある街並みを、目にすることができるものと、確信しておりまする!」
牛一は、力強く応えた。
「うむ。諸々、ご苦労であった。…して、肝心の、朝廷の動きは、その後、いかがか」
頼朝は、本題へと入った。
今度は、大村由己が、前に進み出て、報告を始めた。
「頼朝様への中納言叙任の内意が伝えられて以降、朝廷には、特に目立った動きはございませぬ。これが、我らに対し、これ以上の協力をせぬ、という意思表示なのか、あるいは、逆に、我らの方からの、次なる動きを、ただ待っておるのか……。今のところ、その真意は、測りかねまする。
ただ……一点だけ、頼朝様のお耳に入れておくべきことが」
由己は、声を潜めた。
「西国方面へ放っておりまする、間者からの報告によりますと、どうやら、朝廷内の一部の公家と、西国の雄である毛利家との間で、このところ、頻繁に、何らかのやり取りが行われておるとのことにございます。
確かに、国力や、純粋な軍事力という点では、もはや我が軍は、毛利家を圧倒しておりまする。ですが、見かけ上の、その支配する国土の広さ、あるいは支配下に置く国の数、という点におきましては、未だ、それほど我が軍と毛利家との間に、決定的な差がついている、というわけではございませぬ。
あるいは……軍事(いくさ)の何たるかを、全く解せぬ、かの朝廷の公家たちの目には、今の我が軍と、毛利家とは、ほぼ同格の勢力として、映っておるのかもしれませぬ。もし、朝廷が、我らの、これ以上の勢力拡大を抑え込むための『抑止力』として、かの毛利家を、本格的に担ぎ出すようなことになれば……それは、我らにとっても、少々、面倒なことになるやも、しれませぬな」
「朝廷というところは、いつの時代も、全く変わらぬものか」
頼朝は、吐き捨てるように言った。
「常に、自らの権威を脅かす可能性のある強大な勢力に対し、それと対抗できるだけの、別の勢力を見つけ出し、両者を巧みに争わせることで、自らは、その上に君臨し続けようとする……」
「はっ。ですが、頼朝様が、こうして正式に、この二条城へお入りになられた後であれば、公家たちへの働きかけも、これまで以上に、強めていくことが可能かと存じます。必ずや、活路は見出せましょう」
大村由己が、一通りの報告を終えた後、今度は、太田牛一が、改めて、長旅の一行に対し、労(ねぎら)いの言葉をかけた。
「何はともあれ、皆様、本日は、長旅、まことにお疲れ様でございました。ゆるりと、お休みくださいませ。ささやかながら、今宵は、歓迎の宴も準備させておりまする。
桜様、早雲殿、頼光殿、悠殿、輝子殿も、どうぞ、今宵は、この二条城にて、ごゆっくりとお過ごしいただきたく存じまする」
「わしは、端(はな)から、そのつもりであったわい、太田殿!」
と、真っ先に口を開いたのは、やはり北条早雲であった。
* * *
頼朝が、こうして上洛を果たす、その前後の時期において、日ノ本各地の外交状況にも、いくつかの大きな動きがあった。
まず、備前(びぜん)の宇喜多(うきた)家。一代で戦国大名へと成り上がった、謀将・宇喜多直家は、すでにこの世を去っており、その後は、まだ若い嫡子・秀家が、家督を継いで、当主となっていた。
しかし、その若き当主が治める備前国に対しては、東からは、織田家と同盟を結び、勢力を拡大しつつあった播磨の別所(べっしょ)家、そして西からは、中国地方の覇者である毛利家が、互いに結託し、宇喜多家の領土に対し、激しい圧力をかけていた。
もはや、家の存続自体が危ぶまれる、という状況の中で、丹後の一色家、丹波の山名家と同様に、宇喜多秀家もまた、頼朝軍団へその庇護(ひご)を求め、愛娘である宇喜多星(うきたほし)を頼朝の養女として差し出すことで、正式に帰順を申し出ていた。
しかしながら、頼朝軍が、直接的な援軍を送ることができぬ間に、天文十六年(1587年)の春には、宇喜多家は、ついに毛利家によって滅ぼされてしまったのである。
たとえ、形式上とはいえ、自らに従属している大名を滅ぼす、という毛利家の行為は、頼朝軍に対する、明確な敵対行為とも見なされかねないものであった。だが、それでも、頼朝軍は、今、この段階で、西国の雄・毛利家に対し、あえて宣戦布告をする、という選択肢を、ぎりぎりのところで、ためらっていた。
一方、四国の長宗我部(ちょうそかべ)家は、当主・長宗我部元親(もとちか)の下、土佐国統一を皮切りに、破竹の勢いで、四国全土を、ほぼ平定しつつあった。
もはや、織田家の弱体化に伴い、かつての「信長包囲網」は、形骸化(けいがいか)してはいた。だが、頼朝軍の外交僧・前田玄以の、粘り強い尽力によって、この度、長宗我部家もまた、新たなる「対織田包囲網」の一角へと、正式に参加。これにより、頼朝軍団と長宗我部家とは、晴れて同盟関係となることができたのである。
さらに、その同盟関係を、より強固なものとするため、長宗我部家は、頼朝軍団との間で、婚姻関係を結ぶことも、快諾した。
羽柴秀次は、筆頭家老・秀長の甥にあたる。そして、その秀長は、頼朝の義理の父である。つまり、羽柴秀次もまた、立場上は、源氏の一門衆に連なる、親族であった。
その羽柴秀次と、長宗我部元親の愛娘・輝(てる)との間での、婚姻であった。
これらの結果、現状、頼朝軍と、正式な同盟関係にあるのは、
関東の北条家、越後の上杉家、甲斐・信濃の武田家、そして畿内・北陸の本願寺家、紀州の鈴木家、四国の長宗我部家。
また、頼朝軍に、正式に従属しているのは、丹後の一色家、丹波の山名家。
一方で、明確に頼朝軍団と敵対しておるのは、もはや、かつての勢いを失った織田家、そして、その同盟国である三河・遠江の徳川家、大和の筒井家の、三家のみとなっていた。これらの勢力も、すでに、頼朝軍の、直接的な脅威とは、もはやなり得ない状況であった。
唯一、気になるとすれば、依然として、その去就が不透明な、西国の雄・毛利家の動きであったが、これについても、前田玄以が、毛利家との間に、何とか誼(よしみ)を結ぶべく、今まさに、東奔西走、水面下での交渉を続けている最中であった。
頼朝軍は、未だ、朝廷へ働きかけ、正式な「惣無事令」を発布させる、という、当初の目標を、この段階では、まだ諦めてはいなかった。
そのためにも、今は、西国の毛利家と、事を構えるような事態だけは、極力、避けたいと考えていたのである。
* * *
頼朝は、新たに居城となった、二条城内に設けられた茶室にて、出雲阿国様に茶を点ててもらいながら、側近であり、参謀役ともなった、太田牛一と、今後のことについて、話をしていた。
太田牛一が、阿国に対し、深々と頭を下げた。
「いやはや、阿国殿。まことに、見事なお手前でござった。感服いたしましたぞ」
「まあ、牛一様。そのようなお褒めの言葉を賜りますのは、かえって光栄でございます」
阿国は、優雅に微笑んだ。
「わたくしども、美濃におりました頃にも、京からの茶葉は、商人を通じて、入手はしておりました。ですが、やはり、こうして、京の街中で、直接入手いたしまする茶は、その香りも、味わいも、格別でございますね」
「いや、まことに、阿国殿の申される通りでござるな」
牛一も頷いた。
「茶に限らず、この、長い歴史を持つ、京の都の文化や、古くからの伝統によって育まれた、本物の『雅(みやび)』というものは、やはり、他国で、そう簡単に真似のできるものではありますまい」
牛一は、茶碗を手に取り、その深い緑色を、しばし味わうように見つめた。
「しかし、茶というものは、それ以上に、それを点てる者の『心』が、如実に現れるもの。今日の、この阿国殿の一服には、何か、特別な思いが、込められておるように、お見受けいたしましたが……」
頼朝もまた、阿国が点てた、その格別な茶を、一口、口にし、その深い味わいを、じっくりと堪能した。
頼朝は、改めて、太田牛一に向き直り、問いかけた。
「さて、太田殿。此度は、そなたに、是非とも教えて欲しいことがあってな。
わしは、先だって、秀長から、そして阿国殿から、諸々の事情を聞くこととなり、改めて、深く考えるに至った。わしは、『未来のため』と称し、知らず知らずのうちに、すでに、この時代の、本来の流れを、大きく変えてしまっておるようじゃ。
もし、我が軍団が、この時代に存在しなければ、おそらくは、今頃は、織田信長も、すでにこの世にはなく、秀長の兄である、羽柴秀吉の世と、なっていたことであろう、と。
…我が軍団が、これまで為してきたことが、果たして、本当に『良きこと』であったのかどうか……。わしは、今も、そう信じたいと願っておる。
捕虜とした者たちを、決して殺めず、可能な限り、その命を尊重しながら、戦を進めて参ったつもりじゃ。結果として、おそらくは、秀吉が治めたであろう世よりも、今、こうして命永らえておる武家や家臣の数は、遥かに多いはずであると、それもまた、信じたい。
だが……。
それでもなお、この戦(いくさ)によって、多くの、何の罪もない、兵たちの命を、この手で散らせてしまっておる、という、その『罪』の重さから、逃れることはできぬ。それは、紛れもない事実じゃ。
だからこそ、わしは、一刻も早く、この乱世を終わらせ、真の世の静謐(せいひつ)を、模索したいのだ。
「しかし……」
頼朝の声に、深い苦悩の色が滲む。
「しかし、過去の人間である、このわしが、いつまでも、この時代の世を、動かし続けることに対し、やはり、拭い去ることのできぬ、ためらいがある。
もし、できることならば……元の、本来あるべき時の流れに、戻せるところは、戻してやりたい。あるいは、それこそが、本当の意味での『未来のため』になるのではないか、と……。そう、思うこともある。
我が、最大の願いである、惣無事令をもし発することができた、そののちは……。この軍団の未来は、できれば、今の、この時代を、懸命に生きておる者たちに、預けたい。わしは、そう考え始めた。」
「……頼朝様のお気持ち、お察しいたします」
牛一は、静かに頷いた。
「確かに、我が軍団の家臣団のその多くは、頼朝様と同様に、別の時代からこの世界へと、呼ばれてきた者たちにございます。であるからこそ、彼らもまた、多かれ少なかれ、頼朝様と同じような、割り切れぬ思い、そして将来への不安を、その胸の内に、抱えておることでしょう。
そして、この拙者自身は、その中でも、特に、ほんの少しばかり『未来』から、参った者であるがゆえに、あるいは、他の誰よりも、この『時の流れの変化』というものを、日々、強く感じ取っておるのかもしれませぬ。」
「その、太田殿であるからこそ、わしは、話を伺いたかったのじゃ」
頼朝は、牛一の目を、じっと見据えた。
「上杉の景勝殿も、関東の北条氏政殿も、確かに、それぞれ、優れた武家の棟梁ではあろう。だが、この日ノ本全体を、これから先、永きにわたり、統(す)べることを、安心して任せられるか、と問われれば……正直、わしには、まだ分からぬ。
同盟国である、武田の勝頼殿については……もはや、申すまでもあるまい。少し、疑問に思うところが、多すぎる。
西国の勇、毛利もまた、どうにも、心の底からは、信を置けぬものを感じておる。
…そこで、太田牛一殿に、改めて伺いたい。他ならぬ、そなたが、この軍団に加わる前に仕えていたという……あの、徳川家康という男のことじゃ。
聞けば、秀吉亡き後、最終的に征夷大将軍となり、この日ノ本を治めたのは、その徳川家康であった、と。太田殿が、この時代へ来る、その直前までは、徳川家康のもとにおった、とも、聞き及んでおる。
太田殿、そなたが、その目で直接見てきた、まことの徳川家康とは、いったい、どのような人物であったのか。包み隠さず、教えてはもらえぬか」
「……頼朝様」
牛一は、少しの間、考え込んだ後、慎重に言葉を選びながら、答えた。
「正直に申しまして、今のこの我が軍団を、これから先他の誰かに任せるべきかどうか、という点につきましては、この拙者にも、まだ軽々しくは判断がつきかねまする。
ですが……もし、徳川家康様という御方、その人物についてのみ、問われるのであれば……。拙者が、これまでの生涯で見てきた、数多(あまた)の武人たちの中においては、この日ノ本を統べるに、最も相応(ふさわ)しい器量を持った、稀有な武人であったかと、そのようには、存じまする」
「ほう……。して、その理由は?」
「まず、家康様は、力を見せるべき時には、敵国に対し、まことに容赦なく、これを叩き潰されました。
ですが、一方で、利を示すべき時には、たとえ味方となった旧敵であっても、あるいは、ただ頭(こうべ)を垂れてきただけの、弱小な大名であっても、決して無下に扱うことはなく、その家名を残すことをお許しになりました。その上で、彼らが、再び増長することができぬよう、巧みな仕組みを取り入れました。
また、古参の譜代大名や、あるいは親族大名たちに特権を与えすぎることもなく、配置にも常に気を配り、その勢力均衡を、絶妙に保っておられました。
人の、その性(さが)というものを、誰よりも深く理解した上で、練り上げられた、その巧みな統治の手法と、それを支える、緻密な統治の仕組み。それらを、見事に形とし、この日ノ本を、良く治められた……。
拙者は、そのような点から、家康様という御方を、他の誰とも違う、まことに特別な御方であると、そう見ておりました」
「…そして」
牛一は、付け加えた。
「家康様は、拙者が生きた世においては、最終的に滅ぼされてしまった、かの北条家の、その過去からの優れた統治手法――すなわち、この軍団におられる北条早雲殿から、代々受け継がれてきた北条家の、あの民を第一に考える、優れた民政の手腕をも実は深く学ばれ、積極的にご自身の政策へと取り入れておいででございました」
「まことに、興味深き話じゃな」
頼朝は、深く頷いた。
「して、家康という男は、太田殿から見て、いったい、どのような御仁であったのかな?」
「はっ……。幾たびも、幾たびも、まさに薄氷(うすらい)を踏むが如き、絶体絶命の命の危機を、その都度、乗り越えられ、そして、その経験を糧とし、最後には、ついに日ノ本一の実力者へと、成り上がられた……。
それが、家康様という御方でございます。
古今東西、あらゆる書物に精通され、特に、かの、帝王学の書『貞観政要(じょうがんせいよう)』には、繰り返し、繰り返し、目を通され、常に、君主と、そして臣下のあるべき姿について、深く考えておられました。
また、鎌倉幕府の歴史を記したという、かの『吾妻鏡(あづまかがみ)』、そして、古き兵法書である『六韜(りくとう)』『三略(さんりゃく)』などは、自ら費用を出して、出版まで行い、歴史や兵法書からの学びを、ご自身のみならず、広く家臣たちにも、奨励しておられました。
危機に際しては、どこまでも忍耐強く、機を待ち、そして、ひとたび『機至る』と見るや、一気呵成(いっきかせい)に攻め立てる。そうして、着実に力をつけ、領土を広げていかれました。
一方で、己よりも強き者に対する、入念なまでの気遣い、そして、家臣や同盟国に対する、物腰柔らかな人当たりや、細やかな心配り……。さらには、その、底知れぬほどの懐(ふところ)の深さからくる、ある種の『恐ろしさ』……。これらを、実に巧みに使い分けられた、その人心掌握術もまた、まことに、優れたものでございました」
「…聞けば聞くほどに、益々、興味深きものよのう、徳川家康とは」
頼朝は、感嘆した。
「己の力を、常に冷静に見極め、そして、その足りなきところを、歴史や書物、あるいは人との出会いから、貪欲に学び続ける。そうして、多くの危機を乗り越えながらも、決して諦めることなく、最後には、己なりに、天下泰平という、大事業の集大成を、成し遂げた、と……。そういうことか」
「はっ! 少なくとも、拙者は、そのように見ておりました」
牛一は、頷いた。
「ただし……。繰り返しになりますが、”今の”世でおられる家康様は、その後のありようを大きく変えざるを得なかったであろう、大きな転機となったはずの危機をまだ経験してはおられませぬ。
拙者が知る、後の世の家康様ほどの、深みや、あるいは老獪さが、今の、この時代の家康様に、備わっておられるかどうか……。正直、そこが、何とも難しきところかと存じまする……」
「いや、太田殿。それは、良いのだ」
頼朝は、静かに言った。
「そなたも申す通り、もはや、この時代の、本来の流れは、我らの手によって、大きく変わってしまっておるのだからな。
大事なことは、己自身を常に客観的に知り、その時々の時勢を正確に読み、その上で、為すべき最も適切な方策を冷静に見極めることができるかどうか。その力こそが、おそらくは、これから先の世を治める者にとって、何よりも大切なのであろう、と、今のわしは思う」
頼朝は、牛一の目を見た。
「…太田殿。そういえば、そなたは、先ほど、『吾妻鏡』もまた、家康の愛読書の一つであった、と申したな。
であるならば、その書の中に描かれておる人物との対話には、家康は少しは興味を持つのではあるまいかのう」
「はっ! 歴史からの学びに対して、あれほどまでに情熱をお持ちの御仁でございますれば、それは、家康様にとりまして、まさに願ってもない儀かと、存じまする!」
牛一は、目を輝かせた。
「…実際には、あの『吾妻鏡』なる書物の記載には、このわし自身、どうにも納得の行かぬことも、あるいは、全く身に覚えのないことも、書かれておる。またわしがいなくなった後のことが多く書かれておるゆえ、語れることは少ないがの」
頼朝は、苦笑した。
「だが、まあ、良い。ただ、家康と話をするための、『きっかけ』としてならば、それでも、十分に役立つであろう」
頼朝は、決意した。
「太田殿、お陰で心が定まった。
かつて、今川家とも深い婚姻関係にあった、かの北条早雲殿、
そして、『吾妻鏡』にて、あれほどまでに華々しく、しかし、どこか悲しく描かれておるという、このわしの弟・義経、
この二人を、近々、徳川家康との、直接折衝の使者として、差し向けてみては、もらえぬだろうか。
ただ、徳川家と、形ばかりの同盟を結ぶだけでは、家康を、わしの後継とすることはできぬ。最終的には、我が頼朝軍団へと正式に臣従してもらわねばならぬのだ。
そして、その上で、我が養女の中でも、特に才気煥発(さいきかんぱつ)であると聞く、かの宇喜多秀家の娘・星(ほし)を、家康に嫁がせ、彼を、我が後継者の一人として、いずれ、この軍団を任せる……。まずは、それを、我らが取りうる、有力な選択肢の一つとして、これから模索してみようぞ」
「ははっ! かしこまりましてございます!」
牛一は、腹落ちした様子で力強く応えた。
「拙者も、まだ、それが、この先にとって、一番良き道筋であるかどうか、にわかには判断がつきかねまする。ですが、頼朝様が、今、申されまする通り、まずは、最も有力な選択肢の一つとして、これから全力で、模索してまいりましょう。ただちに、安土の早雲殿とも、連携を取り、事を進めてまいります!」
「うむ。太田殿、頼んだぞ」
「はっ!」
太田牛一は、足早に茶室を退出していった。
頼朝は、一人残った出雲阿国へと、向き直った。
「…さて。阿国殿。これで、良かったのかな」
「はい、頼朝様」
阿国は、静かに頷いた。
「もし、徳川様の治世が、再び、この時代においても、実現するのであれば、きっと、その世は、本来、流れるはずであった歴史よりも、さらに多くの武家も、そして多くの民も、生き残りながらの、太平の世となりましょう。
それは、きっと、さらに良き世となるはずでございます」
「…阿国殿の、そのような言葉を聞くと、わしも、心強く思うわい」
頼朝は、息をついた。
「あとは、朝廷を、うまく動かし、そして、家康からの賛同をも、得ることができ……。この世で、わしができる事を、全て成し遂げた、その暁(あかつき)には……。今度こそ、わしは、遠き故郷、鎌倉へと戻り、ただ、静かに、余生を暮らしたいものじゃ。
そして、その時には、かつての、『源頼朝』という、前世(まえぜ)のものの名は、もはや不要。徐々に、人々の記憶から、薄れさせていくが良い」
頼朝は、ふと、悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「…少し、気が早い話やもしれぬが……もし、その時が来たならば、阿国殿にも、一緒に、鎌倉へ来ては、もらえぬだろうか」
「まあ……!」
阿国は、驚きに目を見開いたが、すぐに、嬉しそうに頬を染めた。
「それは……! なんと、光栄な、お話でございましょう……! もし、本当に、そのような日が参りますることを、わたくし、心より、お待ち申し上げております」
阿国は、言葉を選びながら、しかし、はっきりと答えた。
「そして、もし、そのような事が、本当に叶いまするのであれば……その時には、わたくしは、もはや、古(いにしえ)の巫女としての『ヒミコ』ではなく、ただの、『出雲阿国』として、いつまでも、いつまでも、頼朝様のお傍にて、この、今の世にて、共に過ごしたく存じまする……」
「…それは、実に嬉しき話ではあるが……。それでは、わしが、そなたの仕えるという、大いなる神から、罰(ばち)を受けてしまいそうじゃな」
頼朝は、笑った。
想定していた以上の、出雲阿国からの、その、あまりにも率直な言葉を耳にし、頼朝は、それまで、己の心の奥底で、無意識に目をそらしていた、ある種の『揺らぎ』のようなものを、意識せずにはいられなかった。
しかしいつもながら、頼朝の、そんな心の内の微かな動きさえも全て見透かしているかのように、出雲阿国は、ただ、優しく微笑みながら、頼朝に返したのであった。
「頼朝様。今の、この、あまりにも難しき事、すなわち『天下静謐』を完全に成し遂げられる、その時までは、神への祈りを、止めるわけには参りませぬ。
ですから、今のお話は、あくまで、『仮定』のお話、ということでございます。ですが……」
阿国は、頼朝の目を、じっと見つめた。
「ですが、頼朝様には、どうか、その『仮定』のお話を、いつの日か、必ずや、『本当』のお話としていただきたく、この阿国、切に、切に、願っておりまする……」
「…そうじゃのう」
頼朝は、頷いた。
「まずは、目の前にある、この、あまりにも大きな、難問の数々を、一つずつ、乗り越えていかねば、のう……」
京の朝廷を動かし、惣無事令を発布させ、日ノ本に真の静謐をもたらす。それが実現せねば、徳川家康のことも、そして、遠い故郷・鎌倉にて、静かに過ごすという、自らのささやかな願いも、全ては、まだ、ただの夢物語に過ぎないのだから。
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