第三十三話:秀長の罪と二人目の頼朝

[前回までのあらすじ]


鎌倉の世より、謎の女性トモミクによって戦国時代へと誘(いざな)われた源頼朝。

当初は、源氏の血筋である同盟国・武田家を守ることが軍団の目的と聞かされ、織田・徳川両軍と激しく戦っていた。

しかし、軍団に秘められた多くの謎、そして自らの存在意義について少しずつ理解し始めた頼朝は、織田信長を死なせず、多くの武家を滅ぼすことなく安寧の世を目指すという、困難な道を選択。その実現のため、京に上り「惣無事令」を発することを決意した。

近江へ出兵し、織田信長の必死の抵抗や大和の筒井家の援軍にも苦戦を強いられながらも、近江の要衝・長浜城、佐和山城、音羽城、そして織田家の本拠地たる安土城の攻略に、ついに成功。さらに伊勢、越前をも平定し、上洛への道筋が、ようやく見えてきたのであった。だが、その矢先、京の朝廷から、頼朝を中納言に叙任するとの使者が訪れ、その真意を測りかねる頼朝軍に、新たな不穏の影が差し始めていた。


[主な登場人物]


源頼朝: 鎌倉幕府を開く直前にタイムスリップ。価値観の変化に悩みつつ、頼朝軍団を率い「惣無事令」を目指す。

源義経: 平泉で最期を遂げる直前にタイムスリップ。兄・頼朝に献身的に仕える軍略の天才。

武田梓: 武田勝頼の娘。義経の妻。武田流軍学に通じ、現在は狙撃部隊の部隊長。清州城代。

源頼光: 平安時代の武将。摂津源氏中興の祖。騎馬隊を率いる。大垣城代。

トモミク: 頼朝を導いた謎の女性。時を超える能力を持つ。立花宗茂のはるか先の未来の子孫によって生み出された存在。

出雲阿国: 諸国の事情に通じ、頼朝に助言を与える巫女。砲術に優れ、義経隊の副将。

北条早雲: 戦国初期の大名。晩年にタイムスリップ。軍団のご意見番、外交役。安土城にて桜の後見役。

羽柴秀長: 織田家臣・羽柴秀吉の弟。信長を見限り頼朝へ。軍団の筆頭家老、優れた参謀。

羽柴篠: 秀長の娘で頼朝の正室。父譲りの才覚を持つ。頼朝隊の副将。

赤井輝子: 狙撃隊を率いる猛将。譜代衆。長浜城代。

源桜、源里: 頼朝の娘たち。桜は安土城代、里は義経隊副将。


[第三十三話 秀長の罪と二人目の頼朝]


羽柴秀長が、那加城の頼朝の私室を、神妙な面持ちで訪れた。

「…いかがした、秀長。改まって」

頼朝が、訝しげに尋ねる。


「はっ、頼朝様」

秀長は、深く頭を下げた。

「我が軍は、皆様の奮戦により、順調に伊勢、越前を攻略し、今や、京都の手前、槇嶋城まで、兵を進めておりまする」


「うむ。それは、まことに良き知らせではないか」

頼朝は頷いた。

「なぜ、そなたは、そのような、思い詰めた顔をしておるのだ」


「はっ! まことに、申し訳ございません!」

秀長の声が、震えている。

「いよいよ、頼朝様が目指される上洛が、間近というところまで、参りました。これもひとえに、諸将をはじめとする、家臣の皆様の、命懸けの働きがあってのこと。そのことには、この秀長、ただただ、頭が下がるばかりでございます」


「ただ……」

秀長は、言葉を詰まらせた。

「ただ……先日、槇嶋城に布陣する我が軍のもとへ、京の朝廷より、使者が参った、との報せが……」


「ほう。朝廷が、わざわざ戦地の陣所まで、使者を遣わすとはな。それは、ただならぬことよ。…して、その使者は、何と申してきたのだ。…そなたの、その顔を見る限りでは、あまり良い話では、なさそうじゃがな」


「……はっ!」

秀長は、意を決したように、顔を上げた。

「端的に、申し上げまする! 朝廷は……頼朝様を、『中納言』に叙任する、と……! そのように、伝えてまいりました!」

秀長は、そう言い終えると、頼朝の反応を恐れるかのように、再び、深く、深く平伏し、顔をしばらく上げることができずにいた。


頼朝は、秀長の報告を聞いても、しばらくの間、何の反応も見せなかった。ただ、静かに茶を一口啜ると、ゆっくりと目を閉じ、何かを深く考えているかのようであった。

やがて、頼朝は、静かに目を開けた。その表情には、秀長が予想していたような、失望や、怒りの色は、どこにも見られない。ただ、深い、諦観にも似た、穏やかな光が宿っているだけであった。

頼朝は、静かに、秀長に声をかけた。


「…秀長よ,


…かの、トモミクの『主』とやらが託したという、その願いを、この世で果たすというのは、どうやら、わしが思うておった以上に、難しきことのようよのう。

わしは、この時代に来て、覇権を握ることの難しさ、そして、その厳しさを知った。いや……あるいは、その『虚しさ』とでも言うべきものを、骨身にしみて、感じておるのかもしれぬ。


今の、我が軍団が持つ力をもってすれば、もはや、これ以上、無理に領国を広げずとも、今、我らと共に生きてくれておる、民、家臣、そして、この家族たちは、当分の間、十分に幸せに暮らしていくことができたであろう。


わしは、最近、心のどこかで、それで良いのではないか、と、そう思い始めておったのだ。


覇権などという、血腥(ちなまぐさ)いものとは、全く無縁に、ただ、静かに生きていく世界……。もし、そのような生き方ができるのであれば、それは、どれほど心地良きものであったろうか」


「だが……」

頼朝は、言葉を切った。

「このわしが、この時代へ来た、その本当の目的が、そして、トモミクの『主』が申す通り、この軍団に課せられた使命が、遠い『未来のため』であるとするならば……もはや、わしは、もう一度、己に鞭を打たねばなるまい。


今の我が軍団の強さは、おそらくは、この時代の、いかなる勢力と比べても、群を抜いておるであろう。領土が限定されていたとしても、この軍団の、その圧倒的な『力』を見聞きすれば、京の朝廷とて、もう少しは、我らの意向に、なびいてくれるのではないか、と、そう期待もしておったのだがな……。いやはや、残念なことよ」


頼朝は、自嘲気味に笑った。

「結局のところ、わしは、『覇権』こそが敵である、と訴えながら、皮肉にも、このわし自身が、誰よりも強大な『覇権』を、この手に握らねばならぬ、ということなのか。…まことに、困ったことよ」


「頼朝様……」

秀長は、かけるべき言葉を見つけられずにいた。


「だが、秀長よ。もはや、後には引けぬな。…そうであろう?」

頼朝は、静かに、しかし、強い意志を込めて言った。

「京の都は、必ず、我らが手で、おさえる。たとえ、それが、かつての鎌倉の世であっても、今の、この戦国の世であっても、あの朝廷のみが、この日ノ本を、名目上、統べる『名分』を持つ者であることに、変わりはないのじゃからな。…であれば、我らにできることを、ただ、精一杯、為(な)すまでのことよ」


秀長は、それでも、まだ何か、言い淀んでいるかのように、言葉を見つけられずにいる。


「秀長よ」

頼朝は、続けた。

「そなたが、それほどまでに、思い悩んだ顔をしておらずとも、よい。それよりも、秀長。そなたに、お願いしたき儀が、一つある」

「はっ! 何なりと、お申し付けください!」

秀長は、顔を上げた。


「わしが、なぜ、これほどまでに、天下や覇権というものを、目指したくなかったのか……。それには、実は、もう一つ、大きな理由がある。


そなたも、知っての通り、わしは、多くの罪なき家臣たちを、そして、あろうことか、実の弟である義経までも、亡き者にした。ただひたすらに、『大義』のため、と信じ、そのためには、何でもした……」


「頼朝様……。そのお辛さ、お察しいたします……」


「だがな、秀長よ。その『大義』というものこそが、この世で、最も恐ろしきものなのかもしれぬぞ。」

頼朝の声には、深い苦悩の色が滲んでいた。

「『大義』の前では、いかなる犠牲も、全てが正当化されてしまう。特に、一度、大きな力を持ってしまった者が掲げる『大義』とは……まことに、恐ろしいものなのじゃ。

再び義経と再会することができ、そして、会ったこともなかった、桜や里といった、愛(いと)しき娘たちにも、出会うことができた。それによって、わしは、ようやく、目が覚めたような思いであったのだ。


…二度と、わしの心が、かつてのような、冷酷な闇に、落ちてしまいたくはない。決して……


もし、この先、我らが目指す『惣無事令』という、新たなる『大義』のために……例えば、今、我らが守るべき同盟国であるはずの、武田、北条、上杉といった者たちを、滅ぼさねばならぬ、という事態になったとしたら……。その時、そなたは、いったい、いかがいたす?


この三家の犠牲によって、もし、本当に、日ノ本全体が、平和となるのだ、としたら……。三家を滅ぼすべきか?


かつて、わしにとっての義経は、まさに、それであったのだ。日ノ本全体の静謐のためには、やむを得ぬ、いわば『生贄(いけにえ)』であった。義経一人の命と引き換えに、日ノ本の、数えきれぬほどの多くの命が救われるのだ、と……。そう、己に言い聞かせておった。


それは、あまりにも簡単な、ただの『数合わせ』に過ぎぬというのに……


…領土の広さや、兵の多さこそが、『力』の証である。京の朝廷が、もし、そのようにしか物事を考えられぬ、というのであれば……我らが進むべき道は、二つに一つしかあるまい。


一つは、天下静謐などという、大それた望みを、きっぱりと諦めるか。


あるいは……

かつての、鎌倉時代のわしや、今の信長のように、ただ『天下静謐』という大義のためだけに、『数合わせ』をしていくか……」


「…頼朝様ご自身が、直接、京へ赴かれましたなら、あるいは、朝廷の考えも、変わるところがあるやもしれませぬ。この秀長は、そう思うておりまする」

秀長は、必死に言葉を返した。


「はっはっは! 我が、この愛しき家臣団は、どうやら、まことに、このわしを、買い被っておるようじゃな!」

頼朝は、自嘲気味に笑った。

「…ところで、秀長。わしが、そなたにお願いしたき儀とはな……」

頼朝は、真剣な表情で、秀長を見据えた。

「もし、このわしが、この戦国の世においても、再び、かつてのような『闇』に侵されてしまったならば……その時は、他ならぬ、そなたの手で、この頼朝を、亡き者にしてほしいのだ」


「な……!?」

秀長は、息を呑んだ。


「確かに、わしは、鎌倉にいた頃のわしとは、大きく変わった、と、そう信じたい。だが……あの頼朝も、そして、今の頼朝も、所詮は、同じ一人の頼朝に過ぎぬのじゃからな。


この先に待ち受けるであろう、朝廷との、おそらくは陰湿な闘争のため、あるいは、天下静謐という、あまりにも重き『大義』のため……もしかしたら、再び、我が心が、あの冷酷な『闇』に侵される日が、来るやもしれぬ。


もし、万が一にも、再びそうなってしまったならば……もはや、わしは、永遠に罪人じゃ。そして、そのわしの罪の報いは、おそらくは、今の、この時代の、わしの大切な家族たちが、受けることになるであろう……かつて、わしの息子たち、頼家や実朝が、そうなったやもしれぬようにな。


…今の、この軍団の中で、わしが、心の底から、最も信を置く者は、そなたをおいて、他にはない。…頼む、秀長。どうか、今の、このわしの言葉を、肝に銘じておいてほしい」


頼朝の、その、あまりにも重い言葉を聞き、秀長は、もはや、己を抑えることができなかった。まるで、何かに堰(せき)を切られたかのように、彼は、突然、その場に崩れ落ち、激しく嗚咽し始めたのである。


「頼朝様ぁぁっ! そ、それだけは……! それだけは、どうか、お許しくだされませぇぇっ!!


そ、そのようなこと……! この秀長に、できるはずがございません……!

こ、この秀長こそが……! この秀長こそが、まこと、許されざる、大罪人なのでございますれば……!


拙者は……! 拙者は、ただ、生涯をかけ、頼朝様を、お守りせねばならぬ……! そう、誓ったのでございますれば……!」


「…大罪人、とは……。また、おかしきことを申すものよな、秀長」

頼朝は、目の前で、赤子のように泣きじゃくる、この老獪なはずの家老の姿に、ただただ、困惑するしかなかった。


「頼朝様……! まことに、まことに、申し訳ございませぬ……!」

秀長は、涙ながらに、ついに、長年、その胸の内に秘め続けてきた、恐るべき秘密を、打ち明け始めた。


「…おそらくは、他の家臣たちも、皆、必死になって隠してはおりまするが……! もはや、この拙者には、これ以上、隠し通しておくことなど、できませぬ!


拙者は……! 拙者は、かつて、生涯、決して許されることのない、大罪を犯したのでございます……!


頼朝様! どうか、この罪深き、わたくしめを、お許しくだされませ……!


…今、ここにいらっしゃる頼朝様は……実は、『お二人目』の、頼朝様なのでございます……!


…そして、その、『お一人目』に、ここへいらっしゃった、頼朝様は……他ならぬ、この、わたくしが……! この、わたくしが、殺(あや)めてしまったのでございますれば……!!


秀長は、床に頭を、何度も、何度も、激しくこすりつけながら、ただひたすらに、平伏し続けていた。


「……これは……。また、一段と、おかしなことを、申すものじゃな……」

頼朝は、呟いた。もはや、並大抵のことでは驚かなくなった、と自負していたが、秀長の、この告白だけは、さすがに、すぐには、その意味を理解することができなかった。


「頼朝様が、この時代へいらっしゃる、その前に……。実は、すでにもう御一方、『別の』頼朝様が、この時代へお越しになり、そして、この軍団を、お創りになられたのでございます……!」


秀長は、嗚咽を漏らしながら、続けた。

「その頃、この岐阜城は、織田信長様の嫡男、信忠様が城主を務めておられ、わたくしと、そして、今や我らが仲間となった前田玄以殿は、その信忠様にお仕えし、お守りしておりました。


そこへ、突如として、謎の軍団――すなわち、『初代』の頼朝様が率いる軍勢が、攻めて参ったのでございます。


城が、落城する、まさに間際……。出雲阿国殿と、そしてトモミク殿が、城内にて、わたくしを説得し、頼朝様のもとへ降(くだ)るよう、働きかけてこられました。


ですが、当時、信長様と信忠様を、心から信奉しておりました、このわたくしは、そのような戯言(たわごと)によって、他の織田家家臣たちが、たぶらかされても困る、と、そう思い……あろうことか、出雲阿国殿に向け、矢を放ってしまったのでございます……!」


「…ですが、その矢を、まさに、その身を挺して、庇われたのが……『初代』の、頼朝様であった……。わたくしの放った矢は……あろうことか、頼朝様ご自身の胸を射抜き……そして、頼朝様は、そのまま、絶命されてしまわれたのでございます……!


…わたくしが、殺めてしまった御方が、あの源頼朝様であったと、後になって聞かされ……そして、その頼朝様が、いったい何を志し、この時代へ来られたのか……信長様をもお救いすることを含めた、この軍団が、本来、目指しておられた、その真の世界について、詳しくお聞きした時には……わたくしは、ただ、愕然とするばかりでございました……!」


さすがの頼朝も、秀長の、この、あまりにも衝撃的な告白に、言葉を失っていた。


「頼朝様は、常々、疑問に思っておいででございました。

『なぜ、これほどまでに、出自も時代も異なる家臣たちが、この自分に対し、これほどまでの忠節を尽くしてくれるのか』、と。


……それは、今、ここにいる家臣団に、最初に声をかけ、彼らをこの時代へと導いたのが、トモミク殿ではなく、彼らが心から敬愛し、そして、その非業の死を嘆き悲しんだ、『以前の』頼朝様であったからなのでございます。


そして、その、敬愛する主君を、不慮の事故とはいえ、失ってしまった家臣たちは……今、こうして、再び、『同じ』頼朝様が、目の前にお現れになり、そのことに、どれほど複雑な気持ちを抱えながらも、同時に、再び頼朝様にお会いできたこと、そして、再び共に戦えること、そのことを、心の底から、嬉しく、そして、ありがたく思っておるのでございます……!


それこそが、今の頼朝様が、ずっと不思議に思われていた、我が家臣団の、揺るぎなき忠誠心の、その正体なのでございます……!」


「……別々の、わしが……。同じ、この時代に、存在しておった、と……そういうことか……」

頼朝は、ようやく、事態を飲み込み始めた。


「はい……。『以前の』頼朝様が、ああしてお亡くなりになり、トモミク殿の悲しみは、まことに尋常ではございませんでした。

おそらくは、時間を大きく歪めてしまうような介入を、固く禁じられていたであろう、『主』の意向に背いてでも、彼女は、過去へと遡り、ほんの少しだけ、若かりし頃の頼朝様……すなわち、今、こうして、拙者の目の前におられる、頼朝様を、この時代へと、お連れしたのでございます。


それまで、トモミク殿は、ただ『ミク』と、自らをそう呼んでおりましたが……頼朝様をお連れしてからは、そのお名前に、頼朝様の『朝(トモ)』の字を取り入れ、『トモミク』と、そう名乗られるようにもなりました。それは、おそらくは、トモミク殿なりの、強い覚悟の表れであったのかと……


…いずれにせよ、わたくしは、取り返しのつかぬ、大変な罪を犯しました。本来であれば、即刻、首を刎ねられても、おかしくない身の上。それを、早雲殿や頼光殿、道灌殿といった、重鎮の方々のお計らいによって、こうして生かされ、『新たなる頼朝様を、今度こそ、命懸けで、しっかりとお支えすることで、その罪を償うように』と、そう仰せつかったのでございます。


「ですから、わたくしは……! この秀長は、この先、何があろうとも! たとえ、頼朝様ご自身が、再び闇に支配されようとも! ただひたすらに、頼朝様のためだけに、この命を捧げる! そう、固く、誓った者なのでございます!いえ、そうしなくてはならないのです!」


幾多の修羅場をくぐり抜けてきたはずの、老練な武将が、今、頼朝の目の前で、子供のように、激しく嗚咽し、泣きじゃくっていた。


「……秀長よ」

頼朝は、静かに語りかけた。

「そなたの話を聞く限り、そこに、そなた自身の落ち度は、何一つない。そなたは、ただ、己の主君を守るため、その忠義を尽くさんとして、敵であるはずの者に、矢を放った。それだけのことじゃ。我ら武士とて、それは、全く同じこと。


そなたが、まこと、忠義に厚き、優れた士(さむらい)であることが、むしろ、わしには、さらに確信となったわい。


であるから……」

頼朝は、秀長の肩に、そっと手を置いた。

「『前のわし』を亡き者にしてしまった、その罪を償う、などという、後ろ向きな理由からではなく……ただ、今の、この頼朝を、これからも、一門として、そして、かけがえのない家族として、引き続き、支えてはくれまいか。この頼朝軍団は、今や、そなたなくしては、到底、立ち行かぬのだからな」


「……! もったいなき……! もったいなき、お言葉にございます……!」

秀長は、ただ、嗚咽し続けるしかなかった。


「しかし……」

頼朝は、続けた。

「そなたの話を聞き、ようやく、色々なことの、合点がいったわい。


トモミクが、時折見せる、あの、深い悲しみを湛(たた)えた眼差し。

事情を、おそらくは全て知っていながら、どこか核心をはぐらかす、阿国殿の態度。

そして、初対面であるはずなのに、まるで、旧知の間柄であるかのように、わしに絶対の信頼を寄せてくれる、多くの家臣たち……


おそらく、この軍団の中で、一番つらかったのは、全てを知りながら、それを頼朝であるわしに、ひた隠しにせねばならなかった、阿国殿であり、そなた秀長であり、そして、何よりも、あのトモミクであったのだろうな……


何も知らぬわしに対し、常に言葉を選びながらも、それでも、この軍団を、ここまで導いてこねばならなかったのだからな……。秀長よ。そなたが、今日、話してくれたこと、わしは、むしろ、感謝しておるぞ」


「しかし……本日は……まことに……」

頼朝は、呟いた。

「中々に、考えさせられることの、あまりにも多き、一日であったわい……。わしも、今日は、これで、もう下がる。秀長……。もう、良い。顔を上げよ」


頼朝が、そう話し終えた、まさにその時であった。

突然、頼朝の視界がぐにゃりと歪み、立っていられないほどの、激しい眩暈(めまい)に襲われた。立ち上がろうとした、まさにその瞬間、大きな音を立て、頼朝は、そのまま前のめりに、床へと倒れ込んだのである。


「頼朝様! 頼朝様! しっかりなされませ!」

秀長が、尋常ならざる声で叫ぶのを、頼朝は、遠のいていく意識の片隅で、聞いていた。


その秀長の声に驚き、妻の篠が、部屋へと駆け込んできた。

「まあ! いったい、何事でございますか、父上!」

「篠……! すまぬ……! わしが悪いのじゃ……! わしが……!」

「これは、いったい……! 父上! 殿が! いかがなされましたか!」

「…すまぬ……。すまぬ……」

「しっかりしてくださいませ、父上! 誰かある! 誰かあるか! 殿を、早く寝所まで! そして、すぐに薬師を! 祈祷師も呼んでまいれ! 急げ!」


侍女や側近たちが、慌ただしく駆けつけ、意識を失った頼朝を、寝所へと運んでいく。

その、朦朧(もうろう)とした意識の中で、頼朝は、以前見た、あの奇妙な夢を、再び思い出していた。

(…そうか……あれは、夢では、なかったのか……)

あの夢の光景。岐阜城の一室。卑弥呼(阿国)に、秀長が矢を放ち、そして、それを、自らが庇って倒れた。そして、その傍らで、己の名を呼びながら、慟哭していた、トモミクの姿……。

(…あれは……『以前のわし』が、死んだ、まさにその瞬間の、光景であった、というわけか……)


* * *


その頃―――。

槇嶋城を落とした頼朝軍の主力部隊は、ついに京の都へと入り、最後の目標である、二条城を目指して、進軍を開始していた。天文十五年(1586年)八月のことであった。


北条早雲隊、赤井輝子隊は、槙嶋城からそのまま北上。一方、源頼光隊、トモミク隊は、大津を経由して、西から迂回。それぞれが、二条城へと迫る。


今や、織田軍は、その残存兵力の全てを、この二条城に結集させ、最後の抵抗を試みようとしていた。城を守る、およそ八千あまりの兵に加え、信長直属の近衛兵部隊をも引き連れ、織田信長自らが、槙嶋城からの頼朝軍の北上を防ぐため、城外へと打って出て、布陣していたのである。


しかし、織田信長は、大津を経由し、迂回して二条城へと進軍してくる、頼光隊、トモミク隊の動きを目にすると、自軍が挟撃されることを恐れ、すぐさま二条城下まで兵を引き上げた。

さらに、二条城に残る全ての兵力を総動員し、明智光秀をも、城外へ出撃させてきた。


だが、それこそが、頼朝軍が狙っていたことであった。もとより、頼朝軍は、二条城下に、織田軍主力を釘付けにし、そこを、東と南の二手から挟撃し、殲滅することを目指していたのである。

もはや、あと一押しで、二条城を落とせる。その確信が、頼朝軍の各隊の将兵たちの士気を、極限まで高めていた。


「織田信長様、いざ尋常に、勝負です!」

トモミクが叫ぶ。

「者ども! ここが勝負所だ! 撃てるだけの弾を、一気に撃ち尽くせ!」

赤井輝子が吠える。

「ここで、一気に決着(けり)をつける!」

北条早雲が、軍配を振り下ろす。

「この勝負、我らのものぞ! 持てる力の全てを、この最後の突撃に懸けよ! かかれぇぇーーっ!!」

源頼光が、鬨(とき)の声を上げる。


織田信長、明智光秀共に、必死の反撃を試みる。だが、頼光隊による、凄まじき騎馬突撃の前に、まず明智隊が壊滅。続いて、信長本隊もまた、四方からの集中攻撃を受け、壊滅した。



「…世良田殿。どうやら、今度こそ、本当に、大垣で、美味い勝利の美酒に、ありつけそうじゃのう」

頼光は、副将の世良田元信に、安堵の表情で語りかけた。


「戦勝のみならず、頼朝様の、京への上洛の道までも、我らが手で、ご用意することができました。さぞかし、美味しいお酒となりましょうな」

世良田も、笑顔で応えた。


長きに渡った近江出兵。出陣してから、実に一年近くぶりとなる、各部隊の、本拠地への帰投が、ようやく現実のものとなろうとしていた。


しかし、その時であった。

まさに、二条城に、頼朝軍の源氏の旗が翻ろうとしていた、その瞬間。那加城からの早馬が、二条城下に布陣する、頼朝軍本陣へと、駆け込んできたのである。

「申し上げます! 頼朝様、御本城にて、お倒れになられました!」


その報せに、真っ先に反応したのは、トモミクであった。

「まことですか!? いったい、頼朝様に、何があったのですか!」

普段の、あの冷静沈着なトモミクからは、想像もできないほどの、狼狽ぶりであった。


「そ、それが、詳しくは、わたくしどもにも、皆目、分かりませぬ! ただ……お倒れになられてより、すでに十日以上もの間、全く、目をお開けになられてはおいででない、とのことにございます!」


「ど、どういうことなのですか! それは!」

使者に、今にも食って掛かりそうな勢いのトモミクを、傍らにいた源桜と赤井輝子が、必死に抑えた。

「おい! 空から来た姫! 少し落ち着きな!」

赤井輝子が、羽交い絞めにしなければ、抑えきれないほどの、トモミクの、尋常ならざる勢いであった。


表にこそ出さなかったが、その場にいた、歴戦の猛者たち、その全員が、内心、激しく動揺していた。

かつて、『以前の』頼朝が、非業の死を遂げた。そして、今、その後を継ぎ、ようやく、この軍団を、ここまで導いてくれた、『より若い』頼朝と共に、これからの新しい世を築いていこうと、誰もが、悲痛な決意を、その胸の内に、新たに秘めていた、まさにその矢先であったのだ。


その頼朝が、昏睡状態に陥っている。その報を聞き、心穏やかでいられる者は、誰一人としていなかった。


那加城からの使者は、その重苦しい空気の中、さらに、秀長からの伝言を口にした。

「…もう一つ、秀長様からの、ご伝言にございます。『二条城の守りは、一旦、太田牛一殿が、城代として、これを務めるように』と、仰せつかっております。

順次、京の都、そして二条城の整備のために、必要な家臣が、こちらへ配属される手筈となっておる、とも、申し伝えよ、とのことにございました」


その言葉を聞いて、太田牛一は、はっとしたように、傍らにいた赤井輝子の顔を見た。


「…牛一殿」

輝子は、努めて、穏やかな声で言った。

「きっと、頼朝様は、大丈夫。必ずや、ご回復なされるはずじゃ。

そなたは、頼朝様がお元気になられ、再び、この京へお越しになる、その日まで、この都を、しっかりと守るが良い。

…牛一殿には、先の安土で、まことに世話になった。この輝子、そなたには、命を救われたようなものじゃからのう。…わしの方は、もう大丈夫じゃ」

そう言った赤井輝子の瞳には、しかし、抑えきれぬ涙が、光っていた。輝子は、思わず、太田牛一の腕を掴み、まるで、幼子がじゃれつくかのように、その胸に顔をうずめてしまった。


「輝子殿……」

牛一は、優しく、輝子の肩を抱いた。

「…こちらこそ、あなた様には、大変お世話になりました。どうか……どうか、これからは、あまりご無理はなさらぬように、お願い申し上げますぞ」


動揺する家臣団を代表し、北条早雲が、力強い声で、皆に呼びかけた。

「まずは、落ち着こうではないか! そして、ただちに軍勢を引き上げ、それぞれの持ち場へと戻り、兵たちを十分に休ませよ! しかる後、急ぎ、頼朝殿のもとへと、参じようではないか!

この二条城に、もし何か異変があれば、安土城におる、この早雲が、ただちに駆けつける! 心配は無用じゃ!

皆は、今はただ、一刻も早く、頼朝様のもとへと、参上するのじゃ!」


二条城を攻略したその喜びも束の間、彼らの主君・頼朝に、異変が起こった。

諸将は、頼朝に、この勝利の報を、一刻も早く伝えたい、という思いと、そして、主君の身を案じる、深い不安とを胸に抱きながら、急ぎ、部隊を撤収させ、それぞれの居城へと、帰還の途についたのであった。

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