第二十九話:兄と弟、姉と妹

[前回までのあらすじ]


鎌倉の世より、謎の女性トモミクによって戦国時代へと誘(いざな)われた源頼朝。

当初は、源氏の血筋である同盟国・武田家を守ることが軍団の目的と聞かされ、織田・徳川両軍と激しく戦っていた。

しかし、軍団に秘められた多くの謎、そして自らの存在意義について少しずつ理解し始めた頼朝は、織田信長を死なせず、多くの武家を滅ぼすことなく安寧の世を目指すという、困難な道を選択。その実現のため、京に上り「惣無事令」を発することを決意した。

手始めに近江へと出兵し、織田信長の必死の抵抗や大和の筒井家の援軍にも苦戦を強いられながらも、近江の要衝・長浜城、佐和山城、音羽城、そして織田家の本拠地たる安土城の攻略に、ついに成功。さらに伊賀上野城をも攻略し、上洛への道筋が、ようやく見えてきたのであった。

織田軍の弱体化を確信した頼朝は、次なる一手として、伊勢平定を麾下の諸将に命じた。


[主な登場人物]


源頼朝: 鎌倉幕府を開く直前に戦国時代にタイムスリップした。価値観が揺らぎながら戦国時代を必死に駆け抜ける。

源義経: 平泉にて殺害される直前に戦国時代にタイムスリップした。この時代では兄に献身的に尽くす。

武田梓: 武田勝頼の娘。武田家と頼朝軍友好の証として義経に嫁ぐ。義経軍の参謀として活躍し、現在は一軍を率いる部隊長。

源頼光: 平安時代に藤原道長に仕えていた摂津源氏中興の祖。騎馬隊を率いて活躍する。

トモミク: 頼朝をこの時代に連れてきた不思議な女性。

出雲阿国: 事情に詳しく、悩む頼朝に示唆を与える。砲術にも優れ、義経隊で鉄砲隊の指揮を行う。

北条早雲: 晩年にタイムスリップして頼朝軍団に合流。ご意見番、外交担当、部隊長として力を発揮する。

羽柴秀長: 織田軍家臣羽柴秀吉の弟。信長から主君を変え、頼朝軍団の参謀として活躍する。

羽柴篠: 羽柴秀長の娘で頼朝に嫁いだ。槍使い、軍略は秀長仕込み。

赤井輝子: 狙撃隊を率いる猛将。

源桜:源頼朝の娘で北条早雲に師事を仰ぐ。安土城城代となる。

源里: 武芸に秀でた頼朝の娘。義経隊の副将。


[第二十九話 兄と弟、姉と妹]


源頼光とトモミクが率いる頼朝軍別働隊は、先の戦いで伊賀上野城を見事に攻略した。

しかし、なおも伊勢方面、そして大和方面からは、織田軍の残存部隊が、伊賀上野城奪還の機を窺(うかが)うかのように、城下近くまで迫っていたのである。


「…トモミク殿」

頼光は、城壁から眼下の敵陣を見下ろしながら、傍らのトモミクに語りかけた。

「ご覧の通り、織田の残党どもは、我らを挟撃せんと、城外で待ち構えておる。数はこちらが上じゃ。負けることは無いとは思うが……撃って出るとなれば、相応の覚悟は必要となろう。よろしいかな?」


「はい、頼光様! 貴方様とご一緒であれば、わたくしは大丈夫です!」

トモミクは、力強く頷いた。


「よし! そうと決まれば、ぐずぐずしておれぬ。急ごうぞ!」

頼光は、全軍に号令を下した。

「皆の者、聞け! このまま、城外へ撃って出る!」


だが、頼朝軍が城門を開き、織田軍へと攻撃を仕掛けたとたん、予期せぬ動きが起こった。大和方面から迫っていた織田軍も、そして伊勢方面に布陣していた織田軍も、一斉に反転し、まるで示し合わせたかのように、退却を開始したのである。

いや、それは完全な退却ではなかった。彼らは、頼朝軍に捕捉されぬ、絶妙な距離まで兵を引くと、再び足を止め、引き続き、南東と西の両方面から、伊賀上野城を窺う態勢を取っていた。


「ふむ……。思いの外、我らの兵数が多かったと見て、一旦、兵を退いたのか。それとも……我らを、この城に釘付けにしておくための、陽動か、」

頼光は、腕を組んで思案する。


「しかし、敵は、互いに離れ過ぎたわ。挟撃とは、ある程度の距離を保ち、連携せねば意味をなさぬ。下手をすれば、かえって各個撃破されるのが、戦の常よ。……よし、そのことを、奴らに教えてやろうぞ」

頼光は、副将の世良田元信を呼び寄せた。

「世良田殿。わしが見るに、大和方面の織田軍が、再びこちらへたどり着く前に、まずは、伊勢方面から来ておる部隊を、十分に打ち払えると見ておるが……そなたは、いかが思うかな」


「はっ! 頼光様のお見立て通りかと存じます」

世良田は、即座に答えた。

「我らが精鋭の騎馬隊を、ただちに走らせれば、伊勢方面の織田軍ごとき、早々に蹴散らすことができましょう。

万が一、その隙に、この伊賀上野城を、大和方面の敵に一時的に奪われたとしても、城門無き、もぬけの殻の城など、何の役にも立ちませぬ」


「うむ、決まりじゃな。トモミク殿にも、伝令を! まずは、伊勢方面の部隊を、一挙に打ち破る!」


「かしこまりました!」


頼光隊とトモミク隊は、ただちに城外へ出撃。伊勢方面に布陣していた、堀秀政隊、そして田上(たなかみ)隊と思われる部隊へと、猛然と襲いかかった。


今の織田軍の兵力規模は、もし挟撃されていれば、確かに面倒な事態となったであろうが、こうして個別の戦闘となれば、頼朝軍の敵ではなかった。各個撃破するには、十分すぎるほどの戦力差であった。


予想通り、頼朝軍が伊勢方面の織田軍へ向け、進軍を開始すると、それまで様子を窺っていた大和方面の織田軍(細川藤孝隊、および壇直政(だん なおまさ)隊)が、すぐさま反転し、手薄となった伊賀上野城を目指して、再び兵を進めてきた。


「ふん、案ずるな! 気にせずとも良い!」

頼光は、後方の動きを、全く意に介さなかった。

「奴らの相手は、後ほど、たっぷりと、つかまつってやろうぞ。今はただ、前面の敵を打ち倒すことのみ考えよ! 全軍、突撃!」


トモミク隊が、本格的な鉄砲斉射を浴びせるまでもなく、頼光隊の、圧倒的な騎馬突撃の前に、伊勢方面の堀隊、田上隊は、なす術もなく潰走していった。


「トモミク殿! 敵は逃げた! ただちに、伊賀上野城へと引き返すぞ! あの、うるさい大和からの部隊を、今度こそ一掃してくれようぞ!」


「はい、頼光様!」


* * *


伊賀上野城へと引き返してきた、大和方面からの織田軍。その主力は、細川藤孝、そして壇直政の二将が率いる部隊であった。

頼光隊とトモミク隊が城下へ戻ると、先行していた細川隊と、激しい戦闘状態となった。


「我が騎馬隊は、これより細川隊の側面を突き崩す!」

頼光は、自ら騎馬隊を率い、細川隊の側面へと回り込み、攻撃を開始した。


だが、まさにその時。後方に控えていた、壇直政の部隊が、頼光隊の、その動きを待っていたかのように、今度は、頼光隊の背後から、攻撃を仕掛けてきたのである。


「はっはっは! 姑息にも、隠れておったか! しかし、今さら、これで挟撃のつもりか!」

頼光は、嘲笑した。


「頼光様!」

副将の世良田が、進言する。

「前面の細川隊は、すでにトモミク隊からの猛烈な攻撃を受け、みるみるうちに、その数を減らしております!

我が隊は、確かに後方から攻撃を受けてはおりますが、細川隊には、もはや、我が隊を挟撃するほどの余力はありますまい!

細川隊のことは、もはや気にせず、全軍反転し、背後の壇直政隊を、先に叩きましょうぞ!」


「うむ、世良田殿の申す通りじゃな。よし、細川隊の始末は、トモミク隊に任せようぞ!

だが、背後を突かれたままでは、それなりに、我が隊にも被害が出る。全軍、急速反転! 壇直政隊に、攻撃を集中せよ!」


間もなく、細川隊は、トモミク隊の、雨霰(あめあられ)と降り注ぐ鉄砲斉射の前に、完全に壊滅した。


一方、頼光殿は、迅速に部隊を反転させ、壇直政隊へと攻撃を開始。

そこへ、細川隊を殲滅したトモミク隊も合流し、壇直政隊は、前面からの鉄砲斉射と、側面からの騎馬突撃という、挟撃を受けることとなった。


壇直政の部隊も、よく持ちこたえたが、壊滅するのは、もはや時間の問題であった。


* * *


こうして、源頼光隊とトモミク隊は、伊勢、そして大和の両方面から、伊賀上野城奪還を目指し進軍してきた、織田の軍勢を、ことごとく追い払うことに成功し、一旦、伊賀上野城下へと布陣した。


トモミクは、すぐさま忍びを放ち、周辺のあらゆる情報を集めさせると、足早に、頼光殿の本陣へと走った。

「頼光様! ただ今、新たな報せが入りました!


早雲様と輝子様が、音羽城へ戻られました。

聞けば、先の戦いで、織田信長様を、安土城から追撃しておられたようですが、結局、取り逃がしてしまわれたとか……


また、もう一つ! 義経様と梓様は、北近江にて、織田方の重要拠点であった、清水山城を、見事、攻め落とされた、とのことにございます!」


「ほう! あの義経殿は、ついに清水山城をも、落とされたか!」

頼光は、感嘆の声を上げた。

「これで、織田が、越前方面から、あるいは大和方面から、まとまった軍勢をもって、我らが領内へと侵攻してくることは、いよいよ難しくなったわい。頼朝殿が目指される、京への上洛も、もはや、目の前まで見えてきたと言えようぞ!」


「はい! この伊賀上野城と、そして清水山城、この二つを、我らが抑えたことの意味は、本当に大きいですね!」

トモミクも、心から嬉しそうに、頼光に返答した。


「それと、頼光様」

トモミクは続けた。

「頼朝様より、我らに対し、新たな作戦指示も、届いております。


『音羽城へ戻られた、早雲様、輝子様と協力し、ただちに、伊勢国を平定せよ』、とのご命令にございます!」


「なんと! 頼朝殿も、いよいよ本格的に、天下へ向けて動き出されたか!」

頼光の顔が、ぱっと明るくなる。

「今の織田軍には、もはや、我らに対し、まとまった兵力で、正面から戦いを挑んでくる力は残されておるまい。よし! 我らと、そして早雲殿、赤井殿の部隊とで、この機を逃さず、一気に伊勢国を平定してしまおうぞ!」


まさにその時。一騎の騎馬武者が、砂塵を巻き上げ、頼光殿の本陣へと駆けつけてきた。

見れば、安土城代である、源桜であった。


「おお! これは、桜殿ではないか! よくぞ参られた!」

頼光が、驚いて声をかける。


「頼光様! トモミク様! 皆様、まずはご無事にて、何よりにございます!」

桜は、馬上から、礼儀正しく挨拶した。


「すでにお聞き及びかと存じますが、此度、父上より、伊勢平定の大役を申し付かりました。

つきましては、今後の進軍について、頼光様、トモミク様のお考えを伺いたく、参上いたしました。


先の、我らとの戦いによって、伊勢方面の織田勢力は、著しく弱体化しております。であるならば、もはや、我ら四つの部隊が、一箇所にまとまって進軍する必要はなく、それぞれ、別方面に分かれ、同時に伊勢国内の諸城を攻略し、速やかに平定することが可能かと、わたくしは愚考いたしますが……」


「うむ! まさに、桜殿の仰せの通りよ!」

頼光は、大きく頷いた。

「今しがた、我らが戦った織田の部隊も、兵の数そのものは、以前に比べ、ずいぶんと少なくなっておった。

それに、織田軍全体の戦いぶりも、以前のような、我らへ真っ向から挑んでくる勢いはなく、どこか及び腰になっておるように見受けられた。


かつては、我らの一つの拠点に対し、全軍をぶつけてくるような、力押しの戦法を得意としていた織田軍じゃが、今の我らは、近江、美濃、尾張、伊勢と、多方面へ、同時に軍勢を展開することができる。

もはや、織田も、かつてのように、我らを一つの場所に、釘付けにすることはできまい。今こそ、一気呵成に攻め立てる、またとない好機じゃ。


早雲殿と輝子殿、そして、我が隊とトモミク殿とで、それぞれ、手分けをして、伊勢の諸城を、次々と落としていくのが、最も効率的であろうな!」


「はい!」

桜は、嬉しそうに頷いた。

「実は、すでに早雲様のお考えも、伺っております。

頼光様、トモミク様のお考えも、是非お聞きしたい、と、早雲様も仰せでした。


早雲様は、伊勢湾沿いの、亀山城(かめやまじょう)から、海岸線沿いの地域を平定するのは、早雲様ご自身と、赤井様。


そして、内陸部の、長野城(ながのじょう)、霧山御所(きりやまごしょ)といった拠点の攻略は、頼光様とトモミク様に、それぞれお願いしたい、と、そのようにお考えのようでしたが……いかがでしょうか」


「ふむ。桜殿、わしは、その策で良いと考えるが……」

頼光は、トモミクへと視線を向けた。

「トモミク殿、そなたに異存はござらぬか」


「はい、頼光様! わたくしも、早雲様のお考えで、よろしいかと存じます!」

トモミクも、直ちに返答した。


「ありがとうございます! では、早雲様にも、そのように、お伝えいたします!」

源桜は、満面の笑みを浮かべて答えた。


「では、桜殿、ご武運を」

「はい! 頼光様、トモミク様も、どうか、お気をつけて!」

桜は、話が終わるや否や、早々に馬に鞭を打ち、音羽城方面へと、駆け戻っていった。


その、頼もしく駆けていく後ろ姿を見送りながら、頼光は、傍らのトモミクに、しみじみと語りかけた。

「…トモミク殿。桜様も、まことに、ご立派になられたものよのう。

これならば、先代の頼朝殿も、きっと、草葉の陰で、喜んでおられよう」


その、頼光の、何気ない一言を聞いて、トモミクは、突然、はらはらと、大粒の涙を流し始めたのであった。


「な、なに!? いかがした、トモミク殿!」

頼光殿は、驚いて声をかけた。


「い、いえ……。申し訳ございません……」

トモミクは、涙を拭いながら、声を詰まらせた。

「ただ……今、頼光様が仰せられた通り、今の、あのようにご立派になられた桜様のお姿を、もし、先代の頼朝様が、ご覧になることができたなら……どれほど、お喜びになられたであろうか、と……そう、思ってしまいまして……つい……」


「……そうじゃのう。…いや、すまぬ。わしが、余計なことを申した」

頼光は、自らの失言を悔いた。

「我らは、ただ、今の頼朝様に対し、全身全霊をもって、お仕えせねばならぬ。そうでなくては、それこそ、先代の頼朝様に、泉下(せんか)にて、お叱りを受けよう」


「……はいっ!」

トモミクは、力強く頷いた。


* * *


一方、北近江。

清水山城を攻略した後、義経隊と武田梓隊は、そのまま、この城に布陣していた。

そこへ、斥候からの早馬が駆け込んできた。

「申し上げます! 織田信長の本隊と思われる軍勢、こちら清水山城へ向け、接近中!」


「ほう、信長めが、自ら来たか」

義経は、落ち着き払っている。

「聞けば、信長は、先の戦いで輝子殿に追撃され、一旦、領内深くへと引き上げたはずであったがな。

まあ、良い。

いずれにせよ、織田軍が、この清水山城へ進軍してくる経路は、大津から北上してくる、湖岸沿いの街道のみ」

義経は、妻であり、副将格でもある梓へと、指示を出した。


「梓。鉄砲隊を、街道沿いに、縦列深く配備せよ。そして、あの、懲りない織田軍を、今度こそ、丁重に待ち構えてやるとしようではないか」


「はい、承知いたしました、義経様」

梓殿も、動じていない。

「もはや、背後から挟撃される心配もございませんし、織田軍も、先の戦いで、相当な兵力を失っているはず。

おそらく、その規模も、大したことはありますまい」


義経隊と梓隊が、街道沿いに鉄砲隊を配備し、待ち構えているところへ、織田軍の先鋒である遠山隊が現れた。

義経隊が一斉射撃を加えた、まさにその瞬間。後方に控えていたはずの、織田信長率いる複数の部隊は、まるで蜘蛛の子を散らすように、一斉に反転し、驚くべき速さで、南へと引き上げて行ったのである。


「……ふむ。我らの攻撃を受けるや否や、あれほどまでに慌てて引き返していくとは……。まるで、狐につままれたようじゃな」

義経は、首を傾げた。

「あるいは……我らが、すでにこの清水山城を抑えた、という事実が、まだ、織田の本軍には、正確に伝わってはいなかったのかもしれぬな。

清水山城が、まだ味方の手にあると思い込み、進軍してきたところに、我らの迎撃を受け、初めて落城を知り、慌てて退却した、と……」


「義経様、それは、十分に考えられることかと存じます」

梓が、同意する。

「我らが、先の戦いで織田軍を撃破してより後は、大津から北へ抜ける道は、完全に我らが塞いでおります。であるならば、北近江と、南の織田本軍との間で、まともな情報伝達すら、行われていなかった可能性もございます」


「なるほどな……。であれば、もはや、織田軍が、越前の部隊と連携し、再び、この近江へ、まとまった規模での軍事行動を起こすことは、当面、難しかろう」

義経は、安堵の表情を浮かべた。

「これで、兄上が目指される上洛も、もはや、遠き先の話では無くなった、ということじゃな」


「では、義経様。我らも、これにて、一旦、長浜城まで兵を引き上げ、本国からの赤井輝子様のご帰還を待った上で、美濃へ帰参いたしましょうか」

梓が提案した。


「うむ、それが良かろう。幸い、兄上と、秀長殿とで、我らが帰還するまでに、これから進むべき、京への道筋、その具体的な戦略を、練り上げてくださるであろうからな」


* * *


その後、義経隊、そして梓隊は、長浜城へと布陣を移し、清州城代である赤井輝子隊の帰還を待っていた。

その間にも、南で起こっている戦況――伊賀上野城攻略の戦果や、伊勢平定を目指す頼朝の新たな命令など――に関する詳細な情報が、断続的に早馬によって、義経たちのもとへ届けられていた。


義経は、長浜城内にて、自らに従う筆頭家臣たちを招集した。

そこには、義経本人、そして武田梓に加え、副将である出雲阿国、源里。梓隊の副将である弥助(やすけ)。そして、今回の梓殿隊の近江出兵に際し、清州城より臨時の副将として同行していた、前田利家といった面々が集まっていた。


その席で、頼朝軍の伊勢平定の作戦を聞いた前田利家が、おもむろに口火を切った。

「…いやはや。頼朝軍も、この短期間のうちに、まことに、相当に強くなられ申したな」

利家は、感慨深げに語る。


「伊賀上野城、そして清水山城という、織田にとっての重要拠点を、こうも立て続けに落とし、さらには伊勢平定にまで乗り出されるとは……。

もはや、織田軍が、かつてのように、美濃・尾張へ、本格的な侵攻を仕掛けることは、極めて難しくなり申したと言えよう。


今頃、織田の家臣団も、さぞかし動揺しておること、想像に難くない。次々と拠点を奪われ、軍勢は分断され、お市様をはじめ、柴田勝家殿、加藤清正殿、福島正則殿といった、多くの織田家の重臣たちまでもが、頼朝軍へと帰属されたのだ。分断された織田軍の兵数は減る一方、逆に、頼朝軍は、新たな領民を得て、兵数を増やし、武装もますます充実させ、もはや、以前とは比較にならぬほどの、精強な軍団となりつつある」

利家は、声を潜めた。

「それに……まことしやかに、『源頼朝、あるいは義経の亡霊と戦っているのだ』などという、奇妙な噂までもが、織田軍内に広がり、戦意そのものを喪失しておる者たちも、少なくないと、わしは聞いておる。


おそらく、今の織田軍の中で、本気で、頼朝軍に勝てると考えておる者は、もはや皆無であろう。それでも……それでも、頼朝様が、本気で上洛を目指す、と耳にすれば、彼らは、たとえ戦には勝てずとも、必死になって、何らかの手を打ってくるに違いない」

利家は、義経へと向き直った。

「であるならば、念には念を入れ、頼朝様が、安全に上洛を果たされるためには、今、この機を逃さず、伊勢を完全に平定しておく、というのは、まことに良きお考えかと存ずる」


「…ですが、義経殿」

利家は、さらに続けた。

「ここ長浜城の城代である、赤井輝子殿は、今、その伊勢平定のために、出陣中であるとか。であるならば、我らも、ただ、ここで、越前の織田軍に備える、と称し、長浜城に駐留し続けるだけ、というのも、いささか手持ち無沙汰ではありませぬかな」

利家は、大胆な提案をした。

「…いっそのこと、我らが、このまま北上し、越前を平定してしまう、というのも、一つの案かと存ずるが、いかがか。

もし、伊勢に加え、越前をも完全に平定することができれば、もはや、頼朝様の上洛を、直接邪魔立てできる者は、誰もいなくなる」


「……ふむ。利家殿の申されること、まことに理がある」

義経は頷いた。

「しかし、兄上と、わしが、亡霊、とはのう。

…我ながら、面白き噂よ。もっとも、あながち、間違いでもないのかもしれぬな。だが……清正殿とも話をしたがな、もし、本当の亡霊であったならば、もう少し、神通力でも使った、ましな戦いができたであろうものを」

義経は、自嘲気味に笑った。

「…さて。此度の近江出兵については、兄上から、一切の差配を任されておる。であるならば、皆に異存なければ、わしは、このまま越前を平定し、兄上の、安全なる上洛に、貢献したいと思うが……みなの考えは、いかに」


そこで、武田梓が、静かに口を開いた。

「義経様。実は、つい先ほど、越後の上杉軍もまた、再び越前へ向け、出陣された、との報告が、入ったばかりにございます。

これは、まさに好機かと存じます」


「なに、上杉軍も動いたと! そうか!」

義経の顔が、ぱっと明るくなる。

「それは、我らも、ここで躊躇しておるわけには参らぬな! よし、決めた!」

義経は、立ち上がった。

「出陣の準備が整い次第、ただちに、まずは若狭の後瀬山城(のちせやまじょう)へ向け、進軍を開始する! その後、順次、越前の諸城を落とし、最終的には、朝倉氏の旧都、一乗谷城(いちじょうだにじょう)を目指す!」

義経の、その決断に、反対する者は、誰もいなかった。越前への出兵は、満場一致で決定された。


* * *


しかし、時は、すでに天文十四年(1585年)も暮れようとしており、長浜城周辺は、すでに本格的な冬を迎え、深い雪に覆われ始めていた。

義経は、雪の中、懸命に出撃準備を進める、自軍の兵士たちの様子を、城壁の上から、じっと眺めていた。

(この、雪深き季節に、しかも山深い越前への攻略、行軍……兵たちに、多大な負担をかけることになるは、必定……)

鉄砲隊も、雪や湿気によって、その威力が低下せぬよう、特別な対応に追われている。

それでも、兵士たちの士気は、驚くほどに高く、皆、黙々と、しかし、確かな熱意をもって、出陣の準備を急いでいた。


そこへ、出雲阿国が、そっと義経の傍らへ近づき、声をかけてきた。

「義経様。そのような寒いところに、いつまでもおられては、お風邪でも召されまするぞ。それでは、一大事にございます。どうぞ、城の中へお戻りになり、暖かくしてお休みくださいませ」


「…おお、阿国殿か」

義経は、振り返り、穏やかに微笑んだ。

「いや、貴殿こそ、このような寒き折に、わざわざ、このような場所まで。かたじけない。

だが、阿国殿。兵たちは皆、この厳しい寒さの中で、文句一つ言わず、良くやってくれておる。皆が、雪の中、こうして懸命に励んでおるというのに、この総大将たる拙者だけが、暖かい城の中で、安穏と火にあたっておるわけにもいくまい。それでは、あまりにも、心が痛む」


「ふふ。そのようなお優しい義経様でいらっしゃるからこそ、ああやって、皆様、義経様のために、と、力の限りを尽くしておられるのでしょうね」

阿国は、微笑んだ。

「義経様を、心から慕っておられる、まことに勇猛なる、良き兵団でございます。そういえば、先ほど、里様が、兵の皆様のために、と、自ら、たくさんの薪(まき)の調達に、奔走しておられましたよ」


「ほう、里が、そのようなことを。そうか……」

義経は、目を細めた。

「兵を思いやり、そして、戦場では、誰よりも勇敢に戦う……。里は、間違いなく、将来、大器となるであろう。わしは、そう思うておる」

姉である桜は、北条早雲殿の下で、着実に、そして立派に育っている。妹の里もまた、類まれなる気概と才能を持ち合わせている。優れた武将となることは、義経の目から見ても、明らかであった。


(だが……)

義経の心に、一抹の不安がよぎる。

(兄弟、あるいは姉妹であるからこそ、生じる、難しきこともある……)

かつて、鎌倉の時分。兄である頼朝のために、ただ、その一心で、命を懸けて平家を滅ぼした。だが、その結果として、かえって、その兄から猜疑の目を向けられ、憎まれ、ついには、命までも狙われることとなった。

(今の兄上は、もちろん、昔の兄上とは、違う。そして、此度の越前攻めもまた、ただただ、兄上の、安全なる上洛のため……)


「……何か、ご心配事でも、おありですか、義経様?」

己の心の内を、見透かされているかのように、出雲阿国が、そっと言葉をかけてきた。


「…いや。阿国殿。もしや、わしを気遣って、わざわざ、このような寒きところまで、来てくれたのか?」

「ふふ。義経様。わたくしが、いったい何年、貴方様のお側にお仕えしていると、お考えですか?」

「…そうであったな」

義経は、苦笑した。

「拙者が、この時代へ呼ばれ、当初、誰も信じることができず、ただ心乱れていた、あの頃から……思えば、阿国殿には、常に、辛抱強く、寄り添うていただいておったな」


「いいえ。本当の義経様の、そのお心の奥底にあるものは、皆、初めから、よく分かっておりましたとも。あの頃、義経様のお心が、あれほどまでに乱れてしまわれたのも、それは、仕方のなきこと、でございましたから」


「…まことに、お恥ずかしい限りじゃ」

義経は、自嘲気味に言った。


「今の、この拙者の、頼りなき心情も……おそらくは、阿国殿のご想像の通りであろうな。

此度、拙者の一存で、兄上の上洛のため、と称し、この越前平定を決めた。兄上からも、越前の仕置きは、全て任せる、とのお言葉もいただいた。だが……」

義経は、言葉を続けた。

「以前も、わしは、兄上のために、と信じ、木曽義仲を討ち、そして平家を滅ぼした。その時もまた、兄上の、熱き思い、そのお言葉を、確かに受け取り、ただ、それを果たさんものと、必死であった。

…だが、今思えば、当時の拙者には、どこか、慢心があったのかもしれぬ。兄上のために、と為したことが、結果として、かえって兄上の不興を買い、恨まれる、そのきっかけにも、なってしまったのだからな……


今の兄上は、確かに、以前の兄上とは、違う。それは、分かっておる。そして、兄上のために、この命を落とすのであれば、今も、何ら惜しくはない。それは、昔も今も、変わらぬ、この義経の、偽らざる本心じゃ。しかし……」

義経の声が、翳った。

「もし、再び、兄上に恨まれ、そして、疎まれ、消されるだけの命であるならば……それは、あまりにも……耐えられぬ。

同じ過ちを、二度と繰り返さぬように。決して、驕り高ぶり、慢心を起こさぬように。そう、常に心掛けねばならぬ、と、頭では分かってはおるのだが……。ただ、それでも、一抹の不安がない、と申せば、それは、嘘になる……」


出雲阿国様は、義経の、その痛切な言葉を、静かに聞き終えると、さらに、そっと義経の傍らに寄り、優しく語りかけてきた。

その阿国様の眼差しは、まるで、己の心の、その奥底までも、全てを見通しているかのようである、と、義経は思った。

(わしには、母の記憶がない。だが……もし、母上がご存命であったなら、あるいは、この阿国殿のような、温かく、そして全てを受け入れてくれるような、そんな存在であったのかもしれぬな……)


「義経様」

阿国は、静かに語り始めた。

「ここまで、まことに、良く、頼朝様にお尽くしになられて参りました。


そして、頼朝様ご自身もまた、二度と、義経様に対し、かつてのような、非情な仕打ちを繰り返したくはない、と……事あるごとに、そう、深く、お考えのご様子ですよ。

何よりも、この時代で、義経様が、こうしてご存命でいらっしゃった、という事実を、頼朝様は、心の底から、喜んでおられます。もう私の耳にタコが出来る程に、何度もその頼朝様のお言葉を耳にしております。」

阿国は優しく義経に微笑んだ。


「…わたくしが、僭越ながら、お見受けするに……おそらく、以前の頼朝様にとっての、義経様という存在は、『大義』を成し遂げるための、一つの『手段』に過ぎなかったのかもしれませぬ。


ですが、今の頼朝様にとっては、違います。

今の頼朝様にとっては、義経様ご自身の存在こそが、もはや、ご自身の『拠り所』であり、この異世界で『生きる目的』そのものであると、そう申し上げても、決して過言ではないほどに……頼朝様は、かつての『大義』よりも、今の義経様ご自身のことを、何よりも、大切に思われております。


わたくしは、そのような頼朝様のお姿を、これまで、度々、すぐお傍らで拝見し、そして、そのお言葉も、直接、お耳にしております。


確かに、以前の頼朝様も、今の頼朝様も、同じ頼朝様には、違いありませぬ。ですが……かつて、こちらへいらした当初、あれほどまでにお心を乱されていた義経様も、今の義経様も、同じ義経様であられるように。そして、義経様ご自身が、この数年で見事に変わられたように……頼朝様もまた、確かに、変わられたのでございますよ」


「……阿国殿の、その慧眼には、いつもながら、恐れ入る」

義経は、心が洗われるような思いだった。

「阿国殿の、その言葉を耳にすると、不思議と心が安らぐと同時に、これまでの己の、小さき疑念を、恥じずにはおれぬ。

そのお心遣い、痛み入る。…この寒き中、わしの、このような戯言(たわごと)にまで、付き合わせてしまったな。重ねて、お詫びいたす」


「いいえ、とんでもございません」

阿国は、微笑んだ。

「かつて、あれほどまでに、お心を取り乱されておられた、若かりし頃(?)の義経様のお姿を、今となっては、むしろ懐かしく思い出しまする。


申し上げた通り、変わられたのは、頼朝様だけではございませぬ。義経様ご自身もまた、大きく、そして見事に、変わられたのでございますよ。


頼朝様が目指される、京への上洛、そして、その先の惣無事令の発布。それは、義経様、貴方様の力がなくしては、決して成し遂げることはできませぬ。どうぞ、自信をお持ちください。わたくしも、どこまでも、ご一緒に参りますゆえ」


「……阿国殿がいてくれることは、まことに、心強い限りじゃ」


「…そして、義経様」

阿国様の声の調子が、ふと、悲しげに翳った。

「…先代の頼朝様が、あのような、非業の最期を遂げられることとなった、その遠因は……この、わたくしにありました……


ですから、わたくしの、これからの生涯は、そのことへの、ささやかなる『償い』……いいえ、あるいは、ただの『罪滅ぼし』なのかもしれませぬ。どのようなことをしても、わたくしの罪が、許されることは、決してございませんでしょう。ですが……せめて、今、目の前におられる、今の頼朝様と、そして義経様を、この身命を賭して、お守りしたい……。ただ、そう願っておるのでございます」


「……そうか……。あるいは、ここまで、一番つらき思いを、抱え続けてこられたのは、他ならぬ、阿国殿であったのかもしれぬな……」


義経は、阿国様の、その秘められた過去と、深い苦悩を思い、かけるべき言葉も見つからなかった。

「…そのような阿国殿に、拙者も、そして今の兄上も、どれほど大きな力を、日々、いただいておることか。…阿国殿。改めて、心より、感謝申し上げる」


義経は、琵琶湖の、その先に広がるであろう、山城国の方向を、じっと見つめながら、決意を込めて、口を開いた。

「上洛は、何としても、成し遂げる。だが……本当の勝負は、そこからじゃな。まだまだ、兄上を、しっかりとお支えせねばなるまい」


「はい」

阿国様も、頷いた。

「我らが目指しておる、『滅ぼさず、守る』天下静謐とは、極めて難しき舵取りが、求められましょう。特に……あの、京の朝廷は、かつて、義経様と頼朝様とを、巧みに引き裂いたがごとく、決して、一筋縄では参りませぬゆえ……」


「うむ。その際には、阿国殿の、その知恵と、お力添えが、必ずや必要となろう」

義経は言った。

「兄上の上洛がかない、京の政(まつりごと)が始まったならば……あるいは、拙者のような、ただの武辺者の世話などよりも、京にて、直接、兄上をお支えすることの方が、阿国殿の、真の役割となるのかもしれぬな。

拙者は、むしろ、那加城に残り、太田道灌殿や、妻の梓と共に、東国に、常に目を光らせておく。それが、最も良い形なのかもしれぬ。…ただし、そうなると、我が隊からは、梓が離れたばかりか、阿国殿までも、手放さねばならぬことになる。正直、それは、少々、心細いがのう」


「まあ!」

阿国様は、悪戯っぽく笑った。

「今日は、義経様らしくない、弱気なお言葉を、たくさんお耳にいたしますこと!

世間では、『軍神』として、奉(たてまつ)られておられる、あの源義経様とは、とても思えませぬね!」


「はは! 違いない!」

義経も、つられて笑った。

「後世の伝説とは、まことに、面白きものよな。

じゃが、もし、この時代の多くの者たちが、本当の、この頼りない義経の姿を知れば、さぞかし失望させることであろうよ。

…阿国殿。今日は、そなたと、こうして話が出来て、まことに嬉しく思うた。


それにしても、ますます冷え込んできた。そなたも、もう、城へ戻り、休まれよ」


「はい、ありがとうございます。義経様も、どうぞ、あまりご無理はなさらず、ほどほどに、お休みくださいませね」

出雲阿国は、いつもの、あの優雅な振る舞いで一礼すると、静かに城内へと引き上げていった。


阿国が去った後、義経は、再び城壁の上から、雪の降りしきる陣地を見渡した。

出雲阿国が、先ほど言っていた通り、里が、兵站を管理する部隊の者たちと共に、雪にまみれながら、懸命に、大量の薪を、各陣所の兵たちへと配って回っている姿が、義経の目に入ってきた。

(あるいは、前回の戦での、自らの過ちへの、罪滅ぼしの気持ちもあるのかもしれぬな……)

義経は、思った。

(だが、いずれにせよ、あの、健気な里のことも、これからは、わしが、兄上に代わり、しっかりと守り、育てていかねばならぬ……)


義経は、これから始まるであろう越前平定の戦いへと思いを馳せると同時に、この異世界で得た、新たな「家族」としての、その責任の重さを、改めて胸に刻み込みながら、雪の中で黙々と働く兵たちの姿を、いつまでも見つめていた。

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