第二十八話:伊賀上野城

【前回までのあらすじ】


鎌倉の世より、謎多き女性トモミクの手によって戦国時代へと誘われた源頼朝。

彼は自らが率いることになった軍団に秘められた多くの謎を解き明かしつつ、天下静謐のため「惣無事令」を発するべく、上洛を決意する。

長浜城、佐和山城、音羽城、そして安土城を次々と攻略。音羽城に迫った織田軍本隊も撃退した。

一方、源義経と武田梓の率いる別動隊は北近江の清水山城を攻略し、越前の織田勢力を分断することに成功する。

物語は、義経と梓が清水山城へ進軍していた頃、音羽城に布陣していた源頼光隊とトモミク隊の動きへと移る――。


【主な登場人物】


源頼朝: 鎌倉幕府を開く寸前、戦国時代へ。価値観の変容に戸惑いながらも、この乱世を駆ける。

源義経: 平泉で最期を遂げる直前、戦国時代へ。この時代では兄・頼朝に献身的に仕える。

武田梓: 武田勝頼の娘。武田家と頼朝軍の友好の証として義経に嫁ぐ。優れた軍才を持ち、現在は一軍の将。

源頼光: 平安時代の武将。藤原道長に仕えた摂津源氏中興の祖。強力な騎馬隊を率いる。

トモミク: 頼朝をこの時代に導いた、素性の知れぬ女性。特殊な技術や知識を持つ。

出雲阿国: 事情に通じ、頼朝に助言を与える巫女。砲術にも長け、義経軍の鉄砲隊を指揮。

北条早雲: 戦国時代初期の大名。晩年にタイムスリップし頼朝軍に合流。軍のご意見番、外交役、部隊長を兼任。

羽柴秀長: 織田家臣・羽柴秀吉の弟。信長を見限り、頼朝軍の参謀として活躍。

羽柴篠: 秀長の娘で頼朝の妻。父譲りの槍術と軍略の心得を持つ。

赤井輝子: 狙撃隊を率いる女武者。勇猛果敢。

源桜: 頼朝の娘。北条早雲に師事し、安土城城代を務める。

源里: 頼朝の娘。武芸に秀で、義経軍の副将を務める。


[第二十八話 伊賀上野城]


音羽城に迫る織田軍を退けた後、頼朝軍は二部隊ずつ三方面に分かれ、それぞれ異なる任務についていた。


義経隊と武田梓隊は、琵琶湖を挟んで北近江の清水山城攻略へ。

赤井輝子隊と北条早雲隊は、退却した織田信長の本隊を追撃。

そして源頼光隊とトモミク隊は、戦略的要衝である音羽城に留まっていた。


赤井隊が独断に近い形で信長の追撃を開始したため、結果的に頼光隊とトモミク隊は音羽城に残されることになった。


そんな折、頼光とトモミクは、音羽城の南方、織田信長が現在の居城としている伊賀上野城について軍議を開いていた。


「頼光様」

トモミクが静かに口火を切る。

「赤井様が信長本隊を追っている今こそ、伊賀上野城を攻略する好機かと存じます」


「これ以上領土を広げても、統治する人材が不足しているのは承知しております。しかし、伊賀上野城を抑えれば、大和方面からの織田軍の侵入経路を遮断できます。頼朝様の上洛にとっても、大きな安心材料となるでしょう」


やや間を置いて、トモミクは頼光の目を見据えた。

「頼朝様からの直接のご指示はございませんが……頼光様、伊賀上野城、攻めませんか?」


「ほう」

頼光は髭を撫でながら、面白そうに目を細める。

「トモミク殿がそう申されるのであれば、異存はない。それにしても、以前は他国への侵攻に慎重であった貴殿が、近頃は随分と積極策を具申されるようになったものよな」


頼光は愉快そうに笑うと、力強く頷いた。

「いずれにせよ、頼朝殿が安心して都へ上れるよう、我らも一肌脱ぐとしようではないか!」


「はい! ありがとうございます!」

トモミクの声に、確かな決意がこもっていた。


* * *


決断は早かった。頼光隊とトモミク隊は、直ちに音羽城を出立、南下して伊賀上野城へと迫った。


伊賀上野城を守るのは、平塚為広、富田信高が率いる兵、およそ八千。

城壁に翻る旗指物の数は、予想を上回っていた。頼朝軍の進軍を警戒していた証左であろう。


さらに悪いことに、頼光たちの動きを察知した織田方の援軍が、早くも伊勢、大和の両方面から伊賀上野城目指して進発しているとの報せも入る。


「トモミク殿、これは……」

頼光が眉を寄せる。

「勝てぬ数ではないが、時間をかけすぎれば背後を突かれる。少々面倒なことになりそうじゃな」


「ご心配には及びません、頼光様」

トモミクは冷静に答える。

「我が隊の『土竜隊(もぐらたい)』に、急ぎ坑道を掘らせます。それを用いて城内へ侵入いたします」


「おお、それは妙案!」

頼光の顔がぱっと明るくなる。

「では、我が隊は陽動のため、正面から大手門に猛攻を加える。その間に、城内への侵入、頼んだぞ!」


「承知いたしました。頼光様も、どうかご無理はなされませぬよう」

トモミクは静かに頭を下げた。


* * *


鬨の声とともに、頼光隊は伊賀上野城の三の丸大手門へ猛然と攻撃を開始した。城内では富田信高隊が必死の防戦を展開している。

破城槌が轟音を立てて門扉を打ち据え、矢や鉄砲玉が雨霰と飛び交う。


城門の破壊は時間の問題と思われたが、伊勢、大和から迫る織田の援軍の存在が頼光の焦りを誘う。

(時がない……トモミク殿、頼む!)

頼光は心の中で叫んだ。


その頃、トモミク隊は城の周囲を巡り、土竜隊が坑道を掘るのに最適な地点を探していた。

「本丸直下は難しいようですね……やむを得ません。ここからならば二の丸へ通じましょう」

トモミクは地図と城壁を素早く見比べ、最適と判断した地点を指し示す。

「土竜隊、これより掘削を開始! 頼光様が時を稼いでくださっている。迅速に!」

特殊部隊『土竜隊』に、鋭い指示が飛んだ。


* * *


三の丸大手門では、頼光隊と城内の富田隊との間で、門を挟んだ熾烈な攻防が続いていた。


「世良田(せらた)殿」

頼光は傍らの副将、世良田元信に声をかける。

「間もなくトモミク隊が城内深くに侵入するはず。それまでは飛び道具による攻撃に徹し、味方の損害を極力抑えよ。門の向こうの富田隊を無理に殲滅する必要はない」


「はっ、かしこまりました。騎馬隊は後方に控えさせ、鉄砲・弓兵にて敵の攻撃の間合いを外しつつ、城門を攻撃しております」


「うむ、さすがは世良田殿。大垣城攻略の後、貴殿が我が副将となってくれて心強い限りよ。本来ならば一軍を率いるべき器量人、わしの副将では勿体ないことじゃ」


「滅相もございません! 太田道灌様や頼光様のような名将の元で副将を務めさせていただき、日々学ぶことばかり。望外の光栄に存じます!」

世良田は恐縮して頭を下げる。


「謙遜はよい。いずれそなたにも将としての働きを期待しておる。今はもう少し、わしの下で辛抱してくれ」

頼光は世良田の肩を軽く叩いた。


その時だった。城門を守っていた富田隊の抵抗が、ふいに止んだ。兵たちが慌ただしく城内奥へと引いていく気配が伝わってくる。


「来たか! トモミク隊の侵入が成功したようじゃ!」

頼光の声が弾む。

「守る兵のいなくなった城門など、もはやただの板切れぞ! 一気に打ち破れ!」

頼光が檄を飛ばすと、兵たちは鬨の声を上げ、破壊されかかっていた城門の残骸へと殺到した。

轟音とともに、三の丸の城門は完全に破壊された。


* * *


三の丸を突破された富田信高は、残存兵力を率いて本丸へと急いでいた。

(おのれ、側面を突かれたか!)

数千の兵で、城外にいる数万の頼光隊とまともにぶつかれば、ひとたまりもない。一刻も早く本丸で平塚隊と合流し、籠城して援軍を待つ。それしか道はなかった。


しかし、本丸へ続く二の丸に差し掛かったところで、富田隊の行く手を阻む大きな影があった。

土煙の中から現れたのは、鉄砲を構えたトモミク隊であった。


「お待ちしておりました」

トモミクの冷徹な声が響く。

「皆様、放て!」

号令一下、ずらりと並んだ鉄砲が一斉に火を噴いた。

待ち伏せを受けた富田隊は、雨霰と降り注ぐ鉛玉の前に成す術もなく、瞬く間にその数を減らし、壊滅状態に陥った。


そこへ、三の丸を突破した頼光隊が駆けつけ、トモミク隊と合流した。


「見事なり、トモミク殿!」

頼光は馬上から称賛の声を送る。

「富田隊は……おお、すでに掃討が終わっておったか。いやはや、恐れ入ったわ。これで残るは本丸のみじゃな」


「はい。ですが、平塚隊は別方向から本丸に入り、守りを固めている模様です」

トモミクが報告した、その時。


斥候が血相を変えて駆け込んできた。

「申し上げます! 織田方援軍、筒井順慶の軍勢が三の丸より侵入! こちらへ向かっております! 先鋒は、島左近(しまさこん)の手勢と見られます!」


「ほう、島左近! あの赤井輝子殿を手玉に取ったという猛将か!」

頼光の目に興味の色が浮かぶ。

「渡辺(綱)の部隊がおれば、渡辺隊と島左近隊の柳生一族同士の因縁の対決が見られたものを、残念じゃ。まあよい、敵にとっては残念ついでじゃ。此度は、出番を待ってうずうずしておる我が騎馬隊が相手をしてやろう。少数の切り込み隊など、我が精鋭騎馬隊の前には無力であることを、とくと教えてくれるわ!」


「頼光様、我が隊は援護いたします!」

トモミクが即座に応じる。


「うむ、頼んだぞ、トモミク殿。我が隊の数少ない鉄砲隊も、そなたの指揮下に入れよう。わしは騎馬隊のみを率いて、かの豪傑にご挨拶申し上げてくる!」


頼光の言葉が終わるか終わらないかのうちに、島左近率いる筒井軍の先鋒隊が、砂塵を巻き上げて二の丸の城門跡から雪崩れ込んできた。

かつて赤井隊を翻弄した時と同様、彼らは死兵と化し、凄まじい気迫で突撃してくる。頼朝軍との間合いを詰め、得意の柳生新陰流の使い手たちによる白兵戦に持ち込む算段であろう。


「間断なく撃ち続けてください! 敵に間合いを詰めさせてはなりません!」

トモミクの鋭い指示が飛ぶ。

幾重にも布陣したトモミク隊の鉄砲から、波状的に斉射が行われる。鉛玉の弾幕は、島左近隊の前進を阻み、突撃してきた兵士たちが次々と斃れていく。


敵の勢いが鈍った、まさにその瞬間。

「突撃!」

頼光の号令一下、待機していた騎馬隊が一塊となって突撃を開始した。

鉄砲の援護射撃で混乱した島左近隊は、地響きを立てて迫る騎馬の突撃に抗しきれず、たちまち蹴散らされる。

島左近、そして柳生宗章(むねあき)ら主だった者たちは、早々に戦線離脱し、大和方面へと退却していった。


「ふん、何ほどのことも……と言いたいところじゃが」

頼光は退散していく敵影を見送りながら呟く。

「あれで兵の数が我らと同程度であったなら、恐るべき軍団よのう。できれば味方に引き入れたいものじゃ。筒井順慶ごときのために、あれほどの働きをするとは、見上げた忠義ぶりでもあるが」


「そうですね。織田家と筒井家は、古くから深い結びつきがあります。多くの大名が織田に滅ぼされる中、筒井家は巧みに取り入って領国を保ってきましたから」

トモミクが補足する。


「ほう、そのような生き残り方もあるのか。しかし、織田の力が衰えた時、筒井家はどう動くかのう」

頼光は遠い目をして思案した。


* * *


島左近隊を撃退した頼光隊とトモミク隊は、急ぎ隊列を整え、本丸へと向かった。

残る敵は、本丸に籠もる平塚為広隊、およそ四千。


「頼光様、他の織田援軍の到着までには、まだ時間的余裕がありそうです。一気に攻め落としましょう!」

トモミクが進言する。


「よし、総攻撃じゃ!」


号令とともに、頼朝軍が保有する大量の鉄砲が一斉に火を噴いた。轟音と硝煙が本丸を包む。

後方でその様子を見ていた頼光は、隣の世良田元信に静かに語りかけた。


「我らの時代には存在しなかったが……鉄砲とは、まこと恐ろしき武器よ。しかも、トモミク殿からもたらされた技術は、この時代の列強にも引けを取らぬ」


「はっ、仰せの通りにございます。徳川や織田も早くから鉄砲を取り入れておりましたが、これほどの運用技術と物量は持ち合わせておりませんでした。しかし……」

世良田は少し声を潜める。

「西国の大友や島津は、南蛮との交易を通じて、より進んだ技術を積極的に取り入れていると聞きます。いずれ、我らにとっても恐るべき敵となるやもしれません。トモミク様の砲術や兵法の一部は、かの大友家の家臣、立花宗茂(たちばなむねしげ)が考案したものだとも……」


「そうであったな。トモミク殿の『主』は、その立花家の末裔であったか。彼らが本格的に我らの敵となる前に、頼朝殿が目指しておられる惣無事令を、なんとしても発布させねばならぬな」


「はっ! 拙者もそのために、力の限りを尽くす所存にございます!」

世良田は力強く応えた。


語り合っている間にも、本丸の城門は、集中砲火によって見る見るうちに破壊されていく。


「門が開いたぞ! 突入せよ!」

門が崩れ落ちると同時に、頼光隊の騎馬隊が本丸内へと雪崩れ込んだ。

盾となる城門を失った平塚隊は、精強な騎馬武者たちの突撃の前に抗う術もなく、掃討されるのに時間はかからなかった。


「皆の者、勝鬨(かちどき)を上げよ!」

源頼光の張りのある声が響き渡る。

「「「おおおおおーーーっ!!!」」」

数万の兵たちの勝利の咆哮が、伊賀の空にこだました。


* * *


伊賀上野城落城の報は、早馬によって那加城の頼朝と秀長のもとへも届けられた。

同時に、他の戦線からの断続的な報告も集まりつつあった。


「頼朝様! やりましたな! 頼光様とトモミク殿が、音羽城の織田軍を撃退したのみならず、その勢いで信長の居城、伊賀上野城をも攻略いたしました!」

秀長が興奮した様子で報告する。


「うむ、大義であった!」

頼朝は満足げに頷く。

「こちらから細かな指示を出さずとも、彼らは自ら考え、状況に応じて最善の行動を取り、我が軍を勝利に導いてくれる。実に頼もしい限りじゃ」


「はっ、誠に。しかしながら、現状は未だ予断を許しませぬ」

秀長は表情を引き締める。

「伊賀上野城を落としたとはいえ、織田軍の援軍が伊勢、大和の両方面から迫っております。もっとも、今の織田軍はかつてほどの動員力はないようですが……。一方、義経様と梓様は清水山城へ向かっておりましたが、北岸を進む義経様が、手前で敵の挟撃を受けている模様です」


「なに? 義経が挟撃だと? いったいどういうことじゃ。いくらなんでも、あの義経がそのような初歩的な失策を……琵琶湖北岸から無防備に清水城に進軍すれば、越前からの増援に背後を脅かされる危険があることくらい、分からぬはずもあるまい」

頼朝は眉根を寄せ、訝しんだ。


「は、はい。拙者も少々解せぬのですが……。ただ、南からは梓様も清水山城へ向かっております故、おそらく大事には至らぬかと存じます」

秀長も首を傾げながら答える。


「それから、赤井輝子隊と北条早雲隊は、依然として織田信長を追撃中です。こちらも、信長を追ううちに、逆に複数の織田軍部隊によって挟撃される危険が生じております。どうやら、桜様と早雲殿も、やむを得ず赤井隊と行動を共にされている様子……」


「うむ……輝子殿は、やや猪突猛進が過ぎるきらいがあるからのう。だが、彼女が信長を執拗に追い回してくれたおかげで、信長は居城に戻れず、結果として伊賀上野城を落とす好機が生まれたとも言えるか」

頼朝は腕を組んで思案する。

「いずれにせよ、これ以上各個に分散していては危険じゃ。軍を集結させる必要がある。越前の織田勢は、いずれ義経が片を付けてくれよう。問題は畿内、大和、伊勢の織田軍じゃ。奴らはまだ戦意を失っておらぬ。頼光隊、トモミク隊、輝子隊、早雲隊の連携が不可欠となる」


「頼朝様、そこでご提案がございます」

秀長が地図を指し示す。

「今回の音羽城への織田軍の侵攻は、頼朝様の見立て通り、敵にとって相当な無理があったようです。特に伊勢方面の城々は、軒並み守備兵が数千程度と手薄になっております。もし、頼光様たちが伊賀上野城に迫る敵援軍を無事撃退できたならば、その勢いで伊勢を平定するのは、さほど難しくはないかと存じます。

義経様と梓様が清水山城を落とし、さらに我らが伊勢を平定できれば、京への道は開かれます。そうなれば朝廷も、もはや頼朝様を無視することはできなくなるでしょう」


「なるほど……広大な伊勢を平定した後の統治は頭が痛いが、伊賀上野城を抑えた今、伊勢からの侵攻の脅威は減る。腰を据えて領国経営に取り組めばよいか。秀長の具申、もっともじゃ」

頼朝は頷いた。

「よし、急ぎ輝子殿と早雲殿に早馬を立てよ。信長追撃を中止し、音羽城へ帰還、頼光殿、トモミク殿と合流し、伊勢攻略にあたるように、と伝えよ。具体的な作戦はこちらから指示せずとも、あの者たちならば、状況に応じた最善手を見つけ出すであろう」


「御意! 直ちに!」

秀長は深く頭を下げ、すぐさま伝令を手配した。


* * *


赤井輝子は、なおも織田信長の本隊を猛追していた。

しかし、信長隊の逃げ足は驚くほど速く、琵琶湖西岸を駆け抜け、山城国へと逃げ込み、姿を消した。


「赤井様」

副将の大祝鶴(おおほうりつる)が進言する。

「敵は完全に領内へ逃げ込みました。これ以上の深追いは危険です。腰兵糧も心もとなくなってきております。一旦、音羽城へ引き返し、補給と再編成を行うべきかと存じます」


「……わかった、鶴姫」

輝子は唇を噛み、悔しさを滲ませながらも頷いた。

「敵の領内で孤立するのは避けねばならぬ。無念だが……一旦、戻るとしよう」


一方、輝子隊に付き従っていた北条早雲隊も、安堵の表情を浮かべていた。早雲はもとより、深追いには反対だったのだ。


「ふぅ、どうやら輝子殿も、ようやく追撃を諦められたようじゃな」

早雲は隣を馬で並走する源桜に語りかける。

「それにしても、織田を追っていたはずが、気がつけば我らの方が挟撃されかねん状況となっておる。よし、我らもこれ以上単独で動くのは危険じゃ。赤井隊と共に音羽城へ向かうとしよう。安土城へ戻るよりも、頼光殿たちの動向を確かめるのが先決じゃ」


「輝子様がご無事で……深追いされなくて、本当によかったです」

源桜は心から安堵したように息をついた。


「うむ。安土での手痛い敗戦が、あの猛将にも少しは薬になったのかもしれぬな」

早雲は苦笑した。


まさにその時、土煙を上げて一騎の伝令が駆けつけ、頼朝からの指示を告げた。


「早雲様、父上からの伝令にございます! 伊勢を平定せよ、と!」

桜が書状を受け取り、声を弾ませる。

「輝子様と共に、一旦音羽城に布陣するよう、とのご命令です!」


「ほう! いよいよ頼朝殿も本格的に動かれるか!」

早雲の顔が輝く。

「これは良い! 輝子殿にもすぐに伝えよ。追撃を中止する、良い大義名分にもなろう」


「はい、早雲様! 父上の上洛も、いよいよ間近ですね!」

桜の瞳が期待にきらめく。

「伊勢を平定し、義経様が越前の織田勢を封じ込めてくだされば、このまま一気に二条城まで……!」


「がははは! さすがは桜殿、大局がよう見えておるわ!」

早雲は快活に笑う。

「そうじゃ、桜殿の申される通り! 伊勢さえ平定できれば、織田にはもはや組織的な抵抗力は残っておるまい。勝負は、いかに味方の損耗を少なく、伊勢を平定できるかじゃ。もしそれが成れば、その勢いで山城平定まで進言してくれるわ!」


「はいっ! 早雲様! では、急ぎ輝子様にこの命令を伝えてまいります!」

源桜は弾むような声で応えると、自ら馬を駆り、前方を行く赤井輝子隊へと向かっていった。


駆けていく桜の凛々しい後ろ姿を見送りながら、北条早雲はふと空を見上げた。

(先代の頼朝殿……桜殿は、もう立派な将にござりますぞ。若くして多くの苦労を乗り越え、見事に成長なされた。これならば……先代の頼朝殿も、きっとお喜びでしょうな……)

頼朝本人がまだ知らない秘密を知る老将は、誰に聞かせるともなく、一人静かに呟いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る