第十七話:過去と未来、そして今

頼朝は、出雲阿国と共に、トモミクと直接話をするため、岐阜城へと向かった。道中、馬上にて、頼朝は隣を進む阿国殿に語りかけた。


「阿国殿。思えば、わしがこの時代に来てからというもの、道に迷い、立ち止まるたびに、いつも、そなたからの導き、示唆を受けてきたように思う。


『守るための軍団』、『攻め滅ぼさぬ軍団』、そして『未来を知る者の難しさ』……。それらをわしに教え、気づかせてくれたのは、まさしく阿国殿であった。


正直に申せば、あのトモミクという、不可解な存在の苦しみの一端を、わしが理解できたのも、阿国殿の話があったからこそじゃ」


「まあ、頼朝様。そのように仰っていただけますと、この阿国、嬉しゅうございます」

阿国は、優雅に微笑んだ。

「わたくしは、もともと芸で身を立ててきた者。芸や舞というものは、まず人の心を知ることから始まり、そして自らの心と深く向き合い、その上で、観る者の心へと訴えかけるもの……わたくしは、そのように心得ておりまする。


ですから、頼朝様、そしてトモミク様の、そのお心の内、お苦しみを、誰よりも深く理解できなければ……たとえ、この先、太平の世が訪れたとしても、わたくしは、もはや、人々の心に響く舞を、舞うことはできなくなってしまうでしょう」


「……そのような阿国殿に、鉄砲を持たせ、戦場(いくさば)へと駆り立てておるのだからな。つくづく、わしは罪深いことよ」

頼朝は、自嘲気味に呟いた。


「いいえ、頼朝様」

阿国は、静かに首を振った。

「わたくしが、こうして戦場に身を置くのも、いつの日か、再び、多くの人々が心から楽しみ、笑い合えるような、そんな世の中で、心ゆくまで舞を舞いたい、と、そう強く望むからでございます。そして、頼朝様について行けば、きっと、そのような世が訪れると、信じているからでございまする」


「…ふん。幾度も口にしておるが、そなたも、他の家臣たちも、皆、このわしを買い被っておるわ」

頼朝は言った。

「わしは、この時代へ来て、初めて、己自身の、本当の姿を知ったのだ。この程度の器で、『太平の世』を築くなど、到底、及びもつかぬこと。ここまで来れたのも、ひとえに、そなたをはじめとする、あまりにも優れた家臣たちのおかげに過ぎぬ」


「いいえ、頼朝様」

阿国は、きっぱりと否定した。

「わたくしを含め、家臣の皆様が、これほどまでに力を尽くせるのは、我らが主君が、他ならぬ、頼朝様、あなた様であるからこそ、でございますよ」


「…我が軍団は、徐々にではあるが、領土を広げておる」

頼朝は、複雑な表情で続けた。

「それは、我らが家臣、そして領民たちの暮らしを守るため、また、武田のような友軍を守るためにも、必要である、と、わしが判断したゆえのこと。だが……たとえ『守るため』であったとしても、一度(ひとたび)、軍を動かせば、そこでは、必ずや多くの尊い命が失われる。…先日、上杉景勝殿から投げかけられた言葉、『日ノ本全体を守るための幕府』……。阿国殿、まこと、それは、あまりにも難しきことであると、思わぬか。


力なくば、ただ滅ぼされる。だが、力を持ち過ぎれば、今度は、他者を滅ぼす側に回ってしまう。…滅ぼされず、そして、滅ぼさず。そのような、都合の良い力を持つためにも、結局は、多くの犠牲を払わねばならぬのか……」

頼朝は、阿国の目を見つめた。

「阿国殿は、あの景勝殿の話から、何を思われ、そして、今日、トモミク殿と話をしよう、と、そう考えられたのか。聞かせてはくれまいか」


「……実は、頼朝様」

阿国は、少し間を置いてから、答えた。

「わたくしは、もう、そろそろ、頼朝様に、いくつかのことを、お話ししても良い時期なのではないか、と、そう考えております。これまで、話したくとも話せぬことがあったがゆえに、頼朝様ご自身も、さぞやお苦しみであったことでしょう。そして、それは、おそらく、トモミク様も、同じであったはずですから」


「……承知した。阿国殿は、やはり、この軍団の、多くの事情に、通じておられるようだな」

それに対し、出雲阿国は、ただ、いつものように、静かに微笑むだけであった。


* * *


間もなく、頼朝と阿国の一行は、岐阜城の麓、稲葉山の森の中にひっそりと佇む、あの納屋へと到着した。

頼朝が、この時代で目を覚まし、初めてトモミク様と義経に出会った場所。そして、つい先日、娘の桜と、涙ながらに語り合った場所。

この、何の変哲もない納屋は、常に静かにそこにあるだけだが、ここで起きた出来事は、いつも頼朝の心を、大きく揺さぶってきた。

(此度もまた、心、静かではおられぬかもしれぬな……)

頼朝は、かすかな予感を覚えながら、納屋の戸口をくぐった。


頼朝と阿国が到着した時には、すでに、トモミク様が、部屋の中央で、静かに座して待っていた。

「頼朝様、阿国様。ようこそおいでくださいました。お待ちしておりました」

トモミクは、いつもと変わらぬ、穏やかな微笑みを浮かべている。だが、頼朝には、その奥に、何か、特別な覚悟のようなものが感じられた。

「お二方、ご一緒にお見えになるとは……。何か、よほど、大事なお話でございますか?」


「はい、トモミク様」

阿国が、代表して口を開いた。

「先日、上杉の景勝様が、直々に那加城までお見えになり、頼朝様に対し、この時代においても、再び征夷大将軍となり、新たなる幕府を開くことを、強くお勧めになられました。『滅ぼさず、武家を守るための幕府』、それこそが、景勝様の望まれる、新しい世の姿であった、と.


そのお話を傍らで伺いまして、わたくし、いろいろと考えさせられました。そして……もう、頼朝様には、もう少し、我らが抱える事情について、お話を申し上げても、よろしい時期なのではないか、と思い至ったのです。


そこで、トモミク様と、直接お話をする機会をいただけないかと、頼朝様にお声をおかけし、本日、こうして参上いたしました次第にございます」


「……そうですか。あの景勝様が、そのようなお話を……」

トモミクは、しばし、目を伏せた。

「…阿国様。実を申しますと、わたくしも、そろそろ、頼朝様に、お話しなくてはならない、と……そう、考えておりました……」


「はい。もう、かの本能寺の変があった、天正十年(1582年)も過ぎ、時は、新たな流れへと、入り始めておりますから」

阿国の言葉に、トモミクは、ふと天井を見上げ、何かを深く考え込んでいる様子だったが、やがて、意を決したように、頼朝へと向き直った。


「…では、頼朝様」

トモミクは、静かに語り始めた。

「ここまで、何も真相をお話しできぬまま、頼朝様には、大変なご辛抱をおかけいたしました。それにも関わらず、常に、私どもを信じ、お導きくださいましたこと、本当に、心より感謝申し上げます。


これより、この時代の、本来の『時の流れ』、そして、我々が、本当は何をすべきなのか……いえ、何を『目指したい』と願っているのか……その一端を、お話しさせて頂きたく存じます。


ですが、頼朝様。どうか、まず、お心を、できる限り落ち着けて、お聞きくださいませね」

トモミクは、一呼吸置いた。

「…本当は……ただ、武田家をお守りする、というだけではなく……我々には、もう一つ、果たさねばならぬ、大事な目的がございます。


それは……今、我々が、これほどまでに激しく戦っている相手……織田信長様を……」

トモミクの声が、わずかに震えた。

「…彼を、死なせないこと、なのでございます」


「……!!」

頼朝は、絶句した。

(心を落ち着けて、か……)

トモミクは、そう言った。だが、今、平静でいろと言う方が、無理な話であろう。あまりにも、予想だにしなかった言葉だった。


「…待たれよ、トモミク」

頼朝は、かろうじて声を絞り出した。

「我らが軍団の、多くの将兵たちは、皆、あの信長との戦の中で、命を落としていったのだぞ。それは、信長も同じように考えていよう。ここまで至れば、我らと奴らは、互いに憎しみ合う、不倶戴天(ふぐたいてん)の仇(かたき)同士のはず。その、信長を『活かす』ために、我らは戦ってきたのだ、と……? それは、にわかには、合点がいかぬ話じゃ」


そこで、阿国が、静かに口を開いた。

「頼朝様。もちろん、信長様の、あの、あまりにも苛烈な侵攻を、ただちに食い止めなければ、それこそ、武田家をはじめ、多くの大名家が、跡形もなく滅ぼされておりました。ですから、そのために戦う必要があったことは、紛れもない事実にございます」

「ですが……もし、頼朝様が、この時代にいらっしゃらなかった、本来の歴史の流れにおいては……織田信長様は、武田家を滅ぼされた、まさにその直後……天正十年(1582年)の六月、京の本能寺にて、信頼していたはずの腹心、明智光秀の手によって、討たれてしまわれるのでございます」


「なんと……! あの、信長の腹心であるという、明智光秀が、主君を討つ、と申すか!」

頼朝は、再び驚愕した。

「…しかし、阿国殿。もし、それによって、あの、諸勢力を力でねじ伏せる信長が討たれ、多くの武家が、滅亡から救われるのであれば……むしろ、それで、良かったのではないのか?」


「確かに、織田信長様が、今、まさに為されようとしておられることは、先ほど上杉景勝様が仰せられたように、『全てを滅ぼして、新しき世を創る』という、あまりにも過酷な道でございます。それに対し、我々が抵抗していることも、事実にございます」

阿国は、しかし、続けた。

「ですが……もし、織田様が、あの本能寺で亡くなられた場合、その後、天下を統一されるのは、羽柴秀吉様なのでございます。そして、その秀吉様の下では、例えば、かの北条家も、結局は滅ぼされてしまい、また、今の織田家の重臣である、明智様、柴田様、丹羽様といった方々も、内紛の末に、次々と滅ぼされてゆきました。実に多くの犠牲の果てに、ようやく天下は、秀吉様のもとで惣無事令がだされ、一つとなりはいたしました。ですが……秀吉様は、国内の統一だけでは満足されず、あろうことか、海を越え、遠く異国へまで出兵され、結果、日ノ本の民だけでなく、異国の民をも含め、それこそ数えきれぬほどの、多くの命が失われることとなったのです。


そして、その秀吉様がお亡くなりになった後、この日ノ本の世は、再び、大きく乱れました。その、関ヶ原と呼ばれる天下分け目の大戦において、さらに多くの武家が、滅ぼされておりまする。


……私達が、本当に目指しているのは……」

阿国は、頼朝の目を、真っ直ぐに見据えた。

「武田も、北条も、滅ぼされることなく、そして、織田信長様ご自身もまた、その類まれなる才覚を持つ、有能な大名として、この世に存続させること。…それこそが、トモミク様の『主』が、心から願っておられることなのでございます」


「……そのようなことが、まことに、できると、そなたたちは思うておるのか……」

頼朝は、呻くように言った。

「信長を倒す、と。それを旗印として、ようやく、上杉、武田、北条といった、いがみ合っていた者たちを、一つに束ねることができたのだ。いや、待てよ……」

頼朝の脳裏に、閃きが走る。

「……まさか……そういうことか! まずは、『反信長』を旗印として諸大名を結束させ、それによって信長軍団の、これ以上の勢力拡大を抑え込む。その上で、最終的には、信長をも含めた、全ての勢力との『共栄』の道を探る、と……。信長に、力による天下統一を諦めさせ、そして、秀吉に天下を取らせない。……そなたたちは、そのような、途方もないことを、考えておったというのか……!」


トモミクが、力なく答える。

「……はい。ですが、頼朝様。当初の目論見とは、すでに、大きく状況が変わってしまいました。


頼朝様も、この数年で、痛いほどにお感じになられておられるはずです。この、限られた領国の中で、いかに城下を発展させ、武器を充実させ、強き兵を増やしたとしても、織田のような巨大な力の前には、及ばぬことが、いかに多いか……。わたくしも、それを、改めて思い知らされました。


確かに、私たちが、この美濃・尾張の地で踏みとどまったことで、織田軍が、本来の『時の流れ』のように、急速に勢力を伸ばすことはできなくなり、結果として、本能寺における明智光秀様の謀反は、回避することができました。ですが、その結果……滅ぼされるはずであった織田軍は、逆に、天下統一への野心を、さらに燃え上がらせ、その武力を、ますます強大なものとしております。


また、『武田、上杉、北条を守る』と申しましても……それもまた、実に難しいことでございました……。武田家をお守りすることはできましたが、当主である勝頼様ご自身には、覇権への、強いお気持ちがおありのようで、結果として、上杉景虎殿を、滅ぼしてしまう、という事態にも……。


「それでも……」

トモミクは、頼朝の顔を、じっと見上げた。

「それでも、頼朝様、貴方様の、数々のご英断、そして、頼朝様を心から慕う、家臣たちの固い団結、さらには、他国の大名たちが、頼朝様に対し寄せる、深い尊敬のお気持ち……。それらがあったからこそ、我々は、かろうじて、ここまで来ることができたのでございます……!」


「……そのために、過去の遺物であり、もはや実権も持たぬ、鎌倉幕府の初代征夷大将軍などという存在は、いわば、『飾り』として、まことに適切であった、というわけか」

心の内で渦巻く、やり場のない感情のままに、頼朝は、心にもない、棘のある言葉を投げてしまっていた。

だが、それは、この時代における、己自身の役割に対する、偽らざる印象でもあったのだ。


その言葉に、トモミクは、はっと息を呑み、そして、必死の形相で、頼朝の前に平伏した。

「頼朝様! …あるいは、そうなのかもしれませぬ……!」

トモミク様の声は、震えている。

「ですが! ですが、信じてくださいませ! この、あまりにも難しき大任を果たせる御方は、わたくしが知る、どこの、どの時代の歴史を見ても、頼朝様、貴方様をおいて、他には、ただの一人も、いらっしゃらなかったのでございます!」


(……)

頼朝は、かつて、織田信長を小牧山で撃退した際、トモミクが、どこか複雑な表情を浮かべながら、退却していく信長の姿を、じっと眺めていたことを、ふと思い出した。そして、いつの頃からか、彼女の笑顔が、以前よりも少なくなってきていたことにも、今更ながらに気が付いた。


「…トモミクには、感謝しておる」

頼朝は、静かに言った。

「他の理由は、どうであれ、何よりも、この場所で、義経と再び、こうして手を取り合うことができているのだからな。


そして、今の、この時代の家族や、家臣たちと、こうして共に過ごせることが、今のわしにとっては、何よりも代え難い、大切なことなのだ、と……心から、そう思うようにもなった。


その、かけがえのない家族や家臣たちを守るためであれば、このわしの命を懸けることに、もはや躊躇(ためら)いはない。だが……かつてのように、日ノ本全体の『大義』のために、彼らを犠牲にすることだけは、二度とすまい。


…鎌倉にいた頃には、決して、このようには思えなかった。だが、今は、心の底から、強く、そう思うておる。まことに、不思議なことよ。


…だが、まさに、そのような矢先に、またしても『天下』の話が、持ち上がっておる……。かつてのように、力で日ノ本を統べることよりも、あるいは、さらに難しき難題が、この頼朝に、降りかかってこようとはな……」


「…頼朝様」

トモミクが、顔を上げた。その瞳は、潤んでいる。

「これは……まだ、わたくしの口からは、詳しくはお話しできないことでございますが……。今、頼朝様のもとにお仕えしている、家臣の皆様を、この時代へお連れしたのは……実は、わたくしではないのでございます」


「え……?」


「彼らは……頼朝様、貴方様ご自身が、その御心によって、お連れになられた、皆様方なのでございます。


頼朝様は、わたくしが彼らを連れてきて、そして、彼らの忠誠心を高めたのだと、そうお考えになられておられるやもしれませんが……実は、違うのです。頼朝様ご自身が、彼ら一人一人と、直接お話をされ、そして、この時代へと、連れてこられた。それが、今の家臣の皆様なのです。


わたくしは……ただ、ひたすらに、頼朝様に、付き従ってきただけでございます……。ただ、ただ、頼朝様のお命が、無事に繋がれますように、と……それを、お守りすることだけを考えて、ここまで、参ったのでございます……」

トモミクは、そこまで話すと、もはや堪えきれなくなったのか、大粒の涙を流し始めた。


(いったい、何を……?)

彼女が、何に対して泣いているのか、頼朝には、全く理解できなかった。ましてや、自分が家臣たちを連れてきた、などという記憶は、微塵もない。


そこへ、出雲阿国が、そっと口を添えた。

「頼朝様。いずれ、全て、お分かりになる日が参ります。


ただ……これだけは、どうか、ご理解くださいませ。トモミク様は、この軍団全体の、大きな目的のため、という以上に、ただひたすらに、頼朝様、お一人のことだけを、何よりも大事に考え、そして、ここまで、懸命にお働きになってこられたのでございます。


…民や、家臣や、家族、そして、遠き友軍のことまでをも思い遣りながら、戦い続ける……。頼朝様ご自身が仰せられた通り、それは、まことに、難しきことでございましょう。ですが、頼朝様は、これまで、実に見事に、我らを、ここまでお導きくださいました。


そして、そのようなお心をお持ちの、頼朝様であるからこそ、きっと、この困難な状況の中からも、新たなる、正しき道筋を、切り開いていってくださるはず。また、必ずや、切り開くことができる。わたくしは、そう信じております。


そこに、先日、上杉景勝様からの、あのようなお話もございました。ですから、今日、こうして、トモミク様とお話しする機会を、お願いした次第なのでございます」


「……」

頼朝は、言葉を失った。

(分からぬ……。分からぬことばかりじゃ……)

だが、一つだけ、確かなことがある。

「…分からぬ、とは申せ、そなたたちの言葉に、嘘偽りがないことだけは、この、至らぬわしにも、よく理解できた。…心無い言葉を発してしまったこと、まことに、すまなんだ。許してほしい」

頼朝は、深く頭を下げた。

「この場で、そなたたちの言うこと全てを受け入れるのは、あまりにも難しい。だが……」

頼朝は、顔を上げた。

「この、異な時代で、未だ右も左もわからぬ、力なき頼朝を、どうか、これからも、トモミク、そして阿国殿には、導いてほしい。…この通りじゃ」

頼朝は、罪悪感、感謝、そして、これから進むべき、あまりにも難しき道のりへの不安、それら全ての思いを込めて、再び、二人の女性に対し、深く、深く、頭を下げた。


「頼朝様! どうか、そのようなことを、仰せられませぬよう! 頭をお上げくださいませ!」

泣きじゃくりながらも、トモミクは、慌てて頼朝に声をかける。

「わたくし、精一杯、頼朝様を、お支えいたしまする!」


「…トモミク、阿国殿」

頼朝は、顔を上げた。

「では、聞くが……この頼朝は、この後、いったい、いかがしたら良いのであろうか。やはり、京へ、攻め上がるが良いか」


それに対し、阿国が、改めて口を開いた。

「頼朝様。そのお話しの前に……実は、もう一つだけ、頼朝様のお耳に入れておくべきことが、ございます。


先ほど、わたくしは、豊臣秀吉様がお亡くなりになった後、世は再び乱れた、と申しました。ですが、その乱世を、最終的に治めたのは……他ならぬ、徳川家康様であった、と伝えられております。


そして、家康様は、その後、三百年近くにも及ぶ、太平の世を、この日ノ本に築き上げられたのだ、と。しかも、多くの大名を、完全に滅ぼしてしまうのではなく、巧みに統制し、その力を、厳格な、しかし安定した統治のために、使われていた……わたくしは、そのように聞き及んでおります」


「なんと……! あの、徳川家康が、最終的に、天下を統べる、と申すか……」

頼朝は、驚きを隠せない。


「はい。そして……かの北条家を、豊臣秀吉様が滅ぼした後、その広大な旧領地である関八州は、徳川家康様が治めることとなりました」

阿国は、言葉を続けた。

「そして実は、その北条家が、長年にわたり行ってきた、優れた民のための統治を、家康様は、深く参考にされ、その後の、長きにわたる太平の世を築き上げられたのだ、とも伺っております。


これは、トモミク様の『主』からも、そして、赤井輝子様の副将である、太田牛一様からも、わたくしが直接、お聞きした話にございます」


「……つまりは……」

頼朝は、呟いた。

「あの、北条早雲殿の、民を思う心が、遠い未来において、太平の世を作り上げる、その礎(いしずえ)となった……そう申しても、過言ではない、というわけか」


「はい。例えば、早雲様が、その領国で実施されたという、『四公六民(しこうろくみん)』の税制は、後の徳川幕府における、基本的な税制政策の、要(かなめ)ともなった、と聞き及んでおります」


「……では、阿国殿」

頼朝は、一つの可能性に行き着いた。

「いずれ、訪れるはずの、その徳川による太平の世……それまでの、いわば『繋ぎ』として、この世を、できる限り穏やかに保つこと。それこそが、この頼朝に、与えられた役割、ということなのであろうか」


「……それもまた、一つの、可能性でございましょう」

阿国は、静かに頷いた。

「まずは、頼朝様。京の都を、お治めくださいませ。その後のことは……その時、頼朝様の、お心のままに、お決めになれば、よろしいかと存じます」


「…ふん。わしが、己の力不足を、これほどまでに目の当たりにしておるというのに。阿国殿は、それを良くご存知のはずであろう。その阿国殿が、なんとも、無茶を申されることよ」

頼朝は、苦笑した。


「いいえ、頼朝様」

阿国は、悪戯っぽく微笑んだ。

「わたくしは、無茶など、申し上げてはおりませぬ。頼朝様も、先ほど、仰せではございませんでしたか。『この阿国に、鉄砲を持たせるは、罪なことである』、と。わたくしが、再び、心ゆくまで舞を舞える、そのような日々を過ごせるよう、どうか、頼朝様のお力添えを、何卒、お願い申し上げまする」


「……はっはっは! まこと、賢き女子(おなご)には、敵わぬものよな!」

頼朝は、久しぶりに、心の底から笑ったような気がした。

ふと、隣のトモミクに目をやると、彼女もまた、涙の跡は残っているものの、いつもの穏やかな表情を取り戻していた。


「…トモミク殿」

頼朝は、尋ねた。

「そなたが、繰り返し口にする、『主』とは、いったい、何者なのじゃ。そして、なぜ、我らに、このような、途方もないことをさせようとしておるのか。…もし、答えられるのであれば、教えてはくれまいか」


「……はい、頼朝様」

トモミクは、静かに頷いた。

「わたくしの『主』は……今の、この時代におきましては、九州の大友宗麟(おおともそうりん)様の、筆頭家臣であられる、立花道雪(たちばなおおともそうりん)様。その養子となられた、立花宗茂(たちばなむねしげ)様の、遠いご子孫にあたる方にございます。


立花宗茂様は、もとは高橋家からの養子であられましたので、わたくしの主は、その高橋の姓を名乗っております。


ちなみに……今、私たちが用いております、鉄砲を、短い時間で、より多く撃つための工夫――例えば、『早合(はやごう)』の利用や、一人で複数の鉄砲を使い分ける戦術、あるいは、部隊の編成や、日々の訓練方法、さらには、阿国様が、義経様の隊で指揮されておられる、『三段撃ち』などは、そのほとんどが、この立花宗茂様が考案された、独自の砲術を、基本としております」


「ほう、立花道雪殿の名は、わしも聞いたことがある。だが、その養子であるという、宗茂殿のことは、初耳じゃな」


「はい。今はまだ、大友家の、一介の家臣として、忠節を尽くしておいでですが、この後、彼は、一人の大名として独立なされます。そして、その際には、他に類を見ないほど、強き鉄砲隊を編成しておられた、と伝えられております」


「そうであったか……。その、立花宗茂殿という御仁にも、いずれ、会ってみたいものじゃのう」


「…頼朝様」

トモミクは、少し遠い目をして、続けた。

「わたくしのいた『未来』の世界は……正直に申しまして、行き詰まっております。


わたくし自身も、この時代においては、こうして、人の心を持ち、人の命を授かることができておりますが……元の世界へ戻れば、わたくしは、人に作られた、ただの『知能』へと戻ります。…その、人が作り出した『知能』と、それを作り出した『人』とが、うまく共存することが、次第に難しくなり……結果として、多くの、そして深い悲劇が、見舞われております。


…人が、その歴史の、どこかの時点で道を間違えたのか、それとも、それが、ただ、人の逃れられぬ宿命であったのか……それは、わたくしにも分かりません。


しかし……もし、過去に遡り、より良き『人』の、その血筋を、未来へと、より多く残すことができたなら……より多くの、賢き人々によって、未来が形作られることになれば……あるいは、その未来において、過去と同じ過ちを、繰り返さぬようにできるのかもしれない……


わたくしの主は、そこに、未来を変える、僅かな可能性を、賭けておられるのでございます。


この日ノ本の歴史において、多くの、実に多くの、優秀な人々が、志半ばで、その命を落としてしまわれました。特に、今、私たちが、こうして話をしておる、この戦国の時代、そして、その後に続く、世界との戦いの時代……


まずは、『源氏の血を守る』。それを旗印とし、そして、それだけでなく、この時代に生きた、全ての、守るべき、そして残すべき、多くの優秀な人々の血筋を、未来、末代まで、できる限り多く残すこと。それこそが、未来を変えるための、数少ない可能性であると……主は、そのように考えておられるようでございます」


「……相変わらず、そなたたちの話は、難しきことよのう」

頼朝は、ため息をついた。

「しかし……そなたたちの言う『未来』とやらは、どうやら、あまり明るいものではない、ということか。


…そして、今、このわしが為そうとしておることが、本当に、その『明るい未来』とやらに繋がるのかどうか……正直、今のわしには、わからぬ。


だが……『後世に、良き血を残す』、か。…その一点においては、わしも、最善を尽くすとしようぞ」


頼朝がそう言うと、トモミクの瞳から、再び、大粒の涙が、止めどなく溢れ出した。

これまで、どのような過酷な状況にあっても、決して感情を表に出さず、淡々と、微笑みさえ浮かべていたトモミク。彼女が、これほどまでに、感情を露わにする姿を、頼朝は初めて見た。

(…この者もまた、計り知れぬほどに重い使命を、たった一人で背負い込み、誰にも、その苦しみを打ち明けることもできずに、ここまで、必死に、耐えてきたのであろうな……)


「未来を変えるため」という話は、正直、すぐには合点がいかない。

信長が、本当は死んでいたはずだった、ということ。

家康が、最終的に天下を取る、ということ。

北条家が、滅びる運命にあった、ということ。しかも、それを滅ぼすのが、あの、人の良さそうな秀長の兄、秀吉である、ということ……。


トモミクが、目の前で、子供のように泣き崩れていたために、頼朝自身は、かろうじて気丈でいられた。だが、数年前に、この美濃の地で目覚めた、あの時以上に、重く、そして不可解な言葉の数々が、今、頼朝の心に、いくつも、いくつも、降りかかってきていた。


(多くを教わった。だが……さらに、分からぬことが、どれほど増えたことか……)

(今の家臣たちは、わし自身が連れてきた、とは……いったい、どういうことなのだ?)

(そして、トモミクは、なぜ、これほどまでに、泣き崩れる必要があったのであろうか……?)


「……阿国殿」

頼朝は、立ち上がった。

「すまぬが、今日は、もう、那加城へ戻ろう。そなたの点ててくれる、美味き茶が、無性に飲みたくなった。」


「トモミクよ」

頼朝は、まだ嗚咽を漏らすトモミクに、優しく、しかし、きっぱりと言い聞かせるように言った。

「そなたの戦い方は、見ているこちらが、ひどく不安になる。わしを守ろうとして、軽はずみに、猪突猛進するでないぞ。決して、命を落とすような戦い方はせぬよう、この頼朝から、改めて、お願い申し上げる」


「……はいっ! 頼朝様!」

トモミクは、涙を拭い、それでも、いつもの笑顔を作って、力強く頷いた。その笑顔は、しかし、どこか、以前とは違って見えた。


頼朝と阿国が、納屋の外へ出ると、そこには、頼朝隊の副将であった里見伏、そして、岐阜城に配属されているという、例の「犬」と呼ばれる者たちが、頼朝たちを警護すべく、静かに、しかし、隙なく、その場を固めていた。

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