第十三話:対立と融合

赤井輝子隊の副将は、大祝鶴(おおほうりつる)と太田牛一(おおたぎゅういち)である。


大祝鶴は、瀬戸内海に浮かぶ大三島(おおみしま)を本拠とする、古来より続く地方豪族・大祝家の出身。わずか十六歳という若さで、一族の水軍を率いたという逸話を持つ。当時、西日本の覇者として君臨していた大内(おおうち)氏に対し、その知略と水軍をもって勇敢に戦い、大軍を幾度も撃退したと伝えられる。物静かな佇まいながら、内に秘めたる闘志と勇敢さは、隊長である赤井輝子に勝るとも劣らない、稀有な女将(おんなしょう)であった。


一方、太田牛一は、もとは織田家の家臣として、信長の側近くに仕え、弓術師範や奉行などを務めていた人物である。彼は後に、織田信長の行動や言動を、客観的な視点から詳細に記録した『信長公記(しんちょうこうき)』を著し、後世においては歴史家としても、非常に高い評価を得ることになる。信長軍の軍略や、信長という人物そのものを深く知る者として、少し未来の時代から、この頼朝軍団へと召喚され、加わっていた。


長島城を目指し、再び迫りくる織田の大軍勢。その報を受け、清州への帰還の途上にあった赤井輝子は、即座に踵(きびす)を返し、長島城へと引き返した。

「…ふん。あれだけ、たっぷり遊んであげたってのに、あの織田ってのは、まだ足りない、と見えるねぇ」

輝子は、不敵な笑みを浮かべ、傍らの副将たちに檄を飛ばす。

「しかも、どうやら此度は、前回よりも、もっと派手な遊びになりそうだ! 鶴姫、太田殿! 覚悟はいいね!」


「ふふ。我らと戯れる機会を得られるとは、度の織田軍も、まことに幸運なことでございますね」

自部隊よりも明らかに兵数で勝る敵を前にして、大祝鶴は、微塵も動じる気配を見せず、静かに応じた。


「ご心配なく、輝子様」

太田牛一もまた、冷静に付け加える。

「ここから最も近い、大垣城と岐阜城からの援軍が到着するまで、この織田の軍勢を足止めする程度ならば、我が赤井隊のみで、十分に可能かと存じます」


「はっはっは! さすがは、あたしの副将だね! そんじょそこらの男どもより、よっぽど肝が据わってるじゃないか! あんたたちの、その言葉を待ってたよ!」

輝子は、満足げに頷くと、再び長島城へと馬首を向けた。

「よし! 全軍、長島城へ引き返す! あの懲りない織田軍に、今度こそ、思い知らせてやろうじゃないか!」


* * *


大垣城の北条早雲、そして岐阜城のトモミクのもとへも、赤井輝子からの早馬によって、織田軍再侵攻の報せは、ほぼ同時に届けられた。


岐阜城にて、ようやく武装を解き、休息に入ろうとしていたトモミク隊は、その報を受けるや否や、再び武装し、即座に出陣の準備を始めた。

「皆様! 急ぎ、長島城へ向かいます! 戦続きで、さぞお疲れのこととは存じますが、どうか今一度、お力をお貸しください! 赤井様をお助けし、長島城を、断固として守り抜きましょう!」


一方、大垣城では、早雲隊以下の突撃部隊が、ようやく城へと帰還したばかりであった。

北条早雲は、直ちに部隊長である源頼光、渡辺綱を呼び寄せ、急ぎ軍議を開いた。


「…聞いた通りじゃ。またしても、あの信長が、大軍を長島城へ仕向けておるらしい」

早雲は、苦々しげに言った。

「赤井殿が、清州への帰還の途中で踵を返し、長島へ向かい、迎撃の態勢を取ってくれておるそうじゃが、さすがに彼女の部隊だけでは、ちと心許ない。助けてやらねばなるまい」

「幸い、我らが騎馬隊で、ここ大垣から急ぎ南下すれば、それほど時をかけず、長島へ参戦できるはずじゃ。兵糧も、収穫までは、まだ数ヶ月を待たねばならぬが、ここ大垣と、岐阜からの援軍程度の兵数であれば、何とか持つであろう」

早雲は、頼光と綱の顔を見比べた。

「ただし……わしは、この後、頼朝殿と那加城にて謁見し、今後の大事な話を詰めねばならぬ。すまぬが、此度の長島への援軍は、頼光殿か、あるいは渡辺殿に、お願いしたいのだが……」


すると、源頼光が静かに口を開いた。

「早雲殿、であるならば、此度の援軍は、渡辺綱(わたなべのつな)に任せるのがよろしかろう。先の戦では、思う存分、槍を振るう機会も少なかったであろうし、今頃、さぞや体が疼いておるはずじゃからのう。…どうじゃ、綱」


「はっ! 頼光殿、かたじけなく存じまする!」

名を呼ばれた渡辺綱が、力強く応えた。

「此度は、この綱めが、四天王としての意地を、存分にお見せいたしましょうぞ!」

綱は、頼光と早雲に深々と一礼すると、すぐさま出陣の準備を整えるべく、足早にその場を退散していった。


残った源頼光に対し、北条早雲は、ふと思い出したように、話を続けた。

「…ところで、頼光殿。ちと、話は変わるが……そなたの一門のお一人、あの坂田金時(さかたのきんとき)殿のことじゃが……あの御仁に、奥方はおられるのかな? いや、失礼ながら、見るからに、武道を極めることしか頭になさそうじゃし、女子(おなご)などに、とんと見向きもしてこなかったのではないか、と、お見受けするが……」


「いやはや、早雲殿のお見立て通り。まことに、その通りでございまする」

頼光は、苦笑しながら頷いた。

「かの金時は、槍を持たせれば、それこそ多くの敵兵をなぎ倒せましょうが……こと女子(おなご)が相手となりますると、からきしでしてな。おそらくは、たやすく一刀両断されてしまいましょうぞ」


「がははは! やはり、そうであろうとも!」

早雲は、愉快そうに笑った。

「そこでじゃ、頼光殿。実は、わしは今、上杉、北条、そして頼朝軍とで、それぞれ婚姻を結び、同盟関係を、より強固なものとしようと画策しておるのじゃ。

北条の娘は、側室を持たぬ秀長に、と考えておるのだが……上杉の娘御には、かの坂田殿が、ちょうど良いのではないか、と思うておる。いかがであろうか。

先日、わしが上杉景勝殿と会いに、越後へ参った折、景勝殿の娘御である、弓(ゆみ)殿とも、お会いする機会があったのじゃ。あの姫君の、凛とした立ち居振る舞い……そして、その目つき。わしが見るに、なかなかの槍の遣い手じゃと見た。…まあ、己の娘に『弓』などと名付ける、あの景勝殿も、ちとどうかとは思うがの。

ともあれ、あの弓殿であれば、坂田殿の妻として、まことに、よろしいかと思うのじゃが。頼光殿は、どう思われるかな」


「ほう……! 早雲殿、それは、まことに、ありがたきお話にございまする!」

頼光は、驚きながらも、深く頷いた。

「戦場で、共に戦えるほどの気骨を持つ、上杉殿の姫君であれば、あの朴念仁の金時には、むしろ申し分ない相手かもしれませぬな。早雲殿の、そのお心遣い、伏して感謝申し上げまする」

頼光は、ふと、面白そうに目を細めた。

「しかし、それよりも……早雲殿は、よほど、秀長殿のことが、お気に入りと見えまするな。表向きは、源氏と北条との婚姻、ということになりましょうが……これでは、まるで、秀長殿が、早雲殿ご自身と、親族になるようなものではありませぬか。よほど、秀長殿のことがお気に召さなくば、このような話は、進められますまい」


「……頼光殿には、隠し立てはできませぬな」

早雲は、照れたように頭を掻いた。

「うむ。正直に申せば、わしは、あの秀長という男を、たいそう好いておる。『王佐(おうさ)の才』とは、まさに、秀長のためにある言葉よ!」


「はっはっは! わしも、秀長殿の才には、常々、感服しておりまする。まことに、頼朝殿を、実によく支えておられる」【修正:「殿」を使用 頼光が秀長/頼朝を呼ぶ場合】

「しかし、これで事が成れば、秀長殿は、早雲殿の、まさに婿殿のようなものじゃな!」


「左様! 秀長殿はわしの婿となり、そして、頼朝殿の義父となられるわけじゃ! がははは!」

早雲は、豪快に笑った。

「それよりも、金時殿の縁談、ご賛同いただけて、わしも安心いたしました。これより、那加城へ向かい、頼朝殿にも、この上杉・北条との婚姻の話を、正式に進めてまいりまする」


「うむ。上杉と北条との婚姻、まことに良き話と心得る。早雲殿の、その先を見通されるご慧眼、いつもながら、この頼光、感服いたす」

「もったいなきお言葉。お互い、今後も、頼朝殿を、しっかりと支えてまいろうぞ」


源頼光と北条早雲。それぞれが生きた時代は違えども、新しき世を切り開かんと力を尽くした者同士。この異世界で出会った二人は、今、目指すべきところが一致し、互いの力量を認め合い、深い敬意で結ばれていた。


「頼光殿」

早雲は、最後に念を押すように言った。

「織田の、この執拗な侵攻には、いつもながら驚かされる。しかし、此度の動きは、おそらくは、先の敗戦で失った長島城を取り戻したい、ただその一心での、やや無茶な動きであろう」

「おそらくは、渡辺殿と、トモミク殿の増援を目にしたならば、織田軍も、早々に兵を引くはずじゃ。万が一にも、この大垣城へ、西から敵が攻め込んできた際には、決して無理はせず、城に籠り、那加城からの頼朝様か、あるいは義経様の増援をお待ちくだされ。…後のことは、お頼み申したぞ、頼光殿」


「うむ。此度の、伊勢方面への織田の動きは、拙者も、それほど心配はしておらん」

頼光も頷いた。

「大垣と長島を落とした我らを、今、力押しで押し戻すのは、さすがの信長殿とて、容易ではあるまい。それを承知の上で、なお、隙あらばと、賭けに出てきたのであろうがな。

それよりも、景勝殿の姫君と、金時との縁組の件、楽しみに、吉報をお待ちしておりますぞ、早雲殿」


「はっはっは! かしこまってござる!」

早雲は、満足げに頷くと、頼朝の娘・桜を伴い、頼朝の居城である那加城へと、馬を向けた。


* * *


那加城の頼朝、義経のもとへも、清州を発った赤井輝子からの早馬が、すでに到着していた。

「…やれやれ。相変わらず、織田信長の、あの常軌を逸した執念には、呆れるばかりじゃよ」

輝子からの書状に目を通した後、頼朝は、義経に語り掛けた。


「ですが、兄上。裏を返せば、それほどまでに、先の長島城陥落が、信長にとっては痛手であった、ということなのでしょう」

義経は、冷静に分析する。

「伊勢方面の要である長島城を我らが抑え、近江方面では大垣城が睨みを利かす。もはや、織田軍が、かつてのように、容易く美濃・尾張へ侵攻することはできませぬ。我らは、もはや単なる『目の上のたんこぶ』ではなく、織田軍にとって、明確な『脅威』となったのです。

此度の侵攻も、おそらくは、赤井殿が、長島城と岐阜城からの援軍が到着するまで、持ちこたえてくだされば、大きな問題とはなりますまい」

義経は、此度の織田の侵攻に対し、それほどの危機感は覚えていないようであった。


そこへ、秀長が、新たな報告を持って現れた。

「頼朝様、義経様。武田、そして上杉の、最新の状況について、ご報告がございます」

「まず、上杉家ですが、先の越前における戦いで、見事、織田軍を撃退し、大聖寺城を奪還。意気揚々と越後へ凱旋された、とのことにございます。我が軍の陽動も、間接的に功を奏したのかもしれませぬが、それにしても、上杉軍の強さは、相変わらずといったところかと」


「ほう、上杉景勝殿、やりおるな。あの早雲殿も、一目置いておっただけのことはある。織田軍を、大聖寺城から追い出したとは、まことに大したものじゃ」

頼朝は、素直に感心した。


「…しかし、問題は、武田家にございます」

秀長の声が、一転して暗くなる。

「駿河方面では、徳川軍が、武田軍を、ほとんど損害を受けずに撃破。そのまま、武田領内へと侵攻を開始している模様にございます。さらに、徳川軍は、甲斐本国のみならず、同時に南信濃へも侵攻を開始しており、飯田城の秋山殿からも、極めて苦しい戦況にある、との早馬が、先ほど届いたばかりにございます」


「…むぅ。武田勝頼殿については、わしも気になってはおったが……」

頼朝は、眉を顰めた。

「我らに助けられてばかりでは、いくらなんでも、家臣たちの前で、示しがつかぬであろうに……」


「おそらくは、先の駿河での敗戦が、よほど大きく響いておるのでしょう。南信濃を守るべき武田軍は、兵数も、部隊数も、徳川軍に比べ、圧倒的に劣勢である、と。このままでは、我らが再び援軍を出さねば、南信濃は危ういかと存じます」

「……以前と同様、当主である勝頼殿ご自身は、南信濃を救援するどころか、逆に甲斐本国にまで攻め込まれてしまっておる、という状況のようでございます」


「……して、上杉景虎殿は、どうなられたのだ」

頼朝は、最も気にかかっていたことを尋ねた。


「……はっ。我らが、先の長島城を攻略していた、まさにその最中に……武田勝頼殿が、景虎殿の最後の拠点であった沼田城を、攻め落とした、との報せが入っておりまする」


「…なんと……。それでは、もはや、北条家から、甲斐の武田への援軍なども、到底望めぬではないか。今の武田の窮状を、北条氏政殿は、『自業自得よ』と、高笑いしていることであろうな……。…して、景虎殿ご本人は、ご無事なのであろうか」


「……それが……」

秀長は、言い淀んだ。

「景虎殿の、その後の消息は、つかめておりませぬ……」


(…やはり、間に合わなかったか……)

頼朝は、天を仰いだ。守るべき、源氏の血を引く末裔であるとはいえ、これまでの武田勝頼の行動には、疑問を抱かざるを得ない点が、あまりにも多すぎる。

父である、かの武田信玄は、この戦国の世において、誰もが一目を置く、優れた軍略家であったと聞く。あの織田信長でさえ、最も恐れた相手であった、と。

また、義経の妻となった武田梓も、父・勝頼から武田流の軍略を叩き込まれ、義経隊の参謀として、目覚ましい活躍を見せている。

(であるのに、なぜ、当の勝頼自身は……)


「…兄上」

義経が、静かに口を開いた。

「もはや、甲斐のことは、武田家が、自力で守り抜くしかありませぬな。ですが、南信濃の秋山殿を見捨てるわけにはまいりません。彼らには、再び、援軍を差し向けましょう。

幸い、九月の収穫まで、あと二月ほど。それまで、何とか兵糧を持たせねばなりませぬ故、大軍は送れませぬが……東美濃の三城から、兵を派遣するのであれば、可能かと存じますが、いかがでしょう」


「拙者も、義経様と、全く同じ考えでありました」【

秀長も頷いた。

「いかがでしょう、頼朝様。東美濃の三城からであれば、合わせて三部隊、総勢一万五千ほどの兵力を、援軍として、すぐに差し向けることが可能かと存じます」


「…決まった。それで、いこう」

頼朝は、頷いた。

「東美濃の城代は、池田輝政、犬村大角、犬江親兵衛であったな。彼らに、ただちに出陣するよう、命じてくれ」


「はっ! かしこまりました! すぐに、出陣の支度を整えるよう、東美濃の三城代に、伝令を発します!」

秀長は、力強く応えた。


* * *


南信濃の武田軍は、追い詰められていた。

飯田城主・秋山信友隊が、治部坂(じぶざか)に。

そして、仁科信盛(にしなのぶもり)隊と、木曽義昌(きそよしまさ)隊が、その先の吉岡に。それぞれ布陣し、狭い山間部で、進撃してくる徳川軍を挟み撃ちにしようと試みていた。

しかし、徳川軍は、その二方面に対し、それぞれ部隊を振り分け、各個撃破を図ってきた。武田軍の兵力は、あまりにも寡兵であり、このままでは、まず治部坂の秋山信友隊が、持ちこたえられずに壊滅してしまうであろう。


天文十二年(1583年)七月。

頼朝からの出陣命令を受けた、東美濃の三人の城代――池田輝政、犬村大角、犬江親兵衛――は、急ぎ、それぞれの城から兵を率いて出陣した。

秋山隊が、致命的な状況に陥る前に、何としても合流し、徳川軍を挟撃する。その一心で、彼らは治部坂へと、急いだ。

治部坂に最も近い、岩村城の犬村大角隊を先陣として、苗木城の池田輝政隊、鳥峰城の犬江親兵衛隊が、その後を追う。


* * *


時を同じくして、北条早雲と、頼朝の娘・桜が、大垣城から那加城へと到着した。

秀長は、伊勢方面の長島城、そして南信濃方面への対応に忙殺されており、この日は、頼朝と義経の二人が、那加城の茶室にて、早雲と桜を出迎えた。


「早雲殿、わざわざのお越し、恐れ入る。大垣城や、その城下町の整備もままならぬうちに、また出陣が続き、ご苦労をおかけするな。…桜も、よくぞ参った」


「いやいや、頼朝殿。大垣城を落としてよりこの方、近江方面からの織田の侵攻は、ぱったりと止んでおりまするわい。それに、大垣には、頼光殿や渡辺殿をはじめ、多くの有能な武人たちがおりますれば、何の心配もござりませぬ」

早雲は、笑って言った。

「それよりも、伊勢方面が、ちと騒がしいようですな。清州の赤井輝子殿は、今頃、さぞや大忙しのことでしょう。今頃、戦場で、獅子奮迅、吠えまくっておる頃合いではござらぬかな」


「早雲殿からの、あの大垣城と長島城を落とすべし、とのご提言。あれが、よほど織田信長には効いたのであろうな」


「しかし、頼朝殿。あの長島城を、トモミク殿と赤井殿が、あれほど早く落とすことができたのは、何を隠そう、この桜殿が、桑名の地で、獅子奮迅の働きをもって、押し寄せる織田の大軍を、一歩たりとも、先へは通さなかったからでございますぞ! がははは!」


「ほう、そうであったか、桜。まことに大義であった」

頼朝は、娘の成長を喜び、労った。


「いいえ、父上。わたくしは、ただ、早雲様に従っていただけでございます。それに、戦場では、何事も、早雲殿のお言葉通りに、事が運びますれば」


「はっはっは! 桜よ、そなたも、随分と口が上手くなったものよのう! …しかし、早雲殿のもとで、諸々を学べるのは、そなたにとって、またとない幸運であるぞ」

「はい! まことに!」

桜は、嬉しそうに頷いた。

二年前に、稲葉山の麓の屋敷で会った時、あれほど頼りなげであった、不憫な少女。それが、このわずか二年間のうちに、北条早雲という稀代の老将のもとで鍛えられ、今や、一人の精悍な女武将としての風格さえ、漂わせ始めていた。


「ところで、頼朝殿、義経殿」

早雲は、居住まいを正した。

「本日は、他でもない。先日より進めておりました、上杉、そして北条との縁組について、ご相談いたしたく、参上仕った次第。


以前、わしが上杉家を訪れた際、当主・景勝殿の腹心である、樋口兼続殿とは、なかなかに馬が合いましてな。その兼続殿より、『景勝殿の娘御・弓殿を、源家へ嫁がせることに、異存はない』との内諾を、得ることができました。


また、北条家とは、東美濃を確保したことで、以前よりも連絡が取りやすくなりました。現当主・氏政殿も、我らとの婚姻には、前向きな姿勢を示しておりまする。


いかがでしょう、頼朝殿。ここで、上杉、北条の両家と、正式に姻戚関係を結ぶことができれば、東方における憂いは、当分の間、無くなるものと存じますが」


「うむ。上杉も北条も、我らにとっては、頼りになる友軍。その両家と、親族となれるのであれば、それは願ってもない話じゃ。しかも、それぞれの大切な姫君を、我らが家臣へと貰い受けることができるとは、まことに、ありがたきことぞ」


「上杉景勝殿の娘御・弓殿は、先ほども申した通り、なかなかに武芸が達者な姫君と、わしは見ました。そこで、頼光殿ともご相談いたしましたが、彼の御一門である、坂田金時殿が、婿として、最もよろしいのではないか、と考えておりまする」


「ほう、坂田金時殿か。確かに、彼は坂東武者にも劣らぬ武辺者と聞いておるが……。まあ、頼光殿が、それでよろしいというのであれば、わしに異存はない。…ところで、早雲殿。北条家の姫君は、どなたに、とお考えかな? 我らの一門となれば…やはり、渡辺綱殿あたりを、お考えか?」


「いやいや、頼朝殿」

早雲は、にやりと笑った。

「頼朝殿には、最も大事な『ご一門』がおられるではありませぬか。…そう、秀長でござるよ」


「なに? 秀長に、と申されるか?」

頼朝は、驚いて聞き返した。


「左様。秀長の娘御・篠殿は、今や頼朝殿の正室。であれば、秀長もまた、頼朝殿とは義理の親子、まことに立派な『ご一門』ではござりませぬか」


「……うーむ。北条氏政殿が、それで良いと仰せなのであれば、こちらとしては、ありがたき話ではあるが……」

頼朝は、少し戸惑いながらも、頷いた。


「では、決まりですな!」

早雲は、満足げに言った。

「これより、上杉、北条、両家との婚姻の件、正式に進めまする。これがうまく運びましたなら、我が軍団は、すでに縁を結んでおる本願寺家、武田家に加え、新たに北条家、上杉家とも、姻戚関係となり申す。これで、当分の間は、互いに足を引っ張り合うこともなく、共に、織田・徳川と戦えることでしょう」

「早雲殿。諸々、力を尽くしていただき、まことに感謝申し上げる」


(それにしても……)

頼朝は、改めて早雲の交渉力に舌を巻いた。北条家からすれば、武田、上杉と誼を結ぶのは、本意ではないはずなのだ。それは、北条家の血を引く、この北条早雲自身にとっても、同じことであろう。上杉景勝は、北条家からの養子であった上杉景虎と、家督を巡って骨肉の争いを繰り広げた相手。武田勝頼に至っては、長年の同盟相手であった北条家を裏切り、上杉景勝と手を結んだばかりか、景虎を滅ぼしてしまっている。

そのような状況の中で、北条家が、頼朝軍と誼を結ぶということは、間接的にではあれ、武田や上杉とも、手を結ぶことになってしまうのだ。それを、よくぞ、まとめ上げたものだ。


「……早雲殿」

それまで黙って話を聞いていた義経が、深々と頭を下げた。

「この義経からも、篤く御礼申し上げまする。我が義父・勝頼殿の、北条家に対する、数々の不義理がありながら……早雲殿の、このありがたきご尽力、この義経、感謝の言葉もございません」


「おお、義経殿。どうか、頭をお上げくだされ」

早雲は、穏やかに言った。

「梓殿は、もはや、この我が軍団にとっても、そして、義経殿、貴殿自身にとっても、なくてはならぬ、大切な女将(おんなしょう)じゃ。勝頼殿が、そのお父上であるからといって、梓殿の、我が軍団における大切さが、些かも打ち消されることなど、決してござらぬ。

それに、義経隊は、義経殿自身の卓越した軍略と、武田の軍略を正しく継承する梓殿の聡明さとが合わさってこそ、我が軍団最強の部隊となっておるのじゃ。このことに、異を唱える者は、我が軍団には、誰一人おりますまい。義経殿が、ご心配なさることは、何もござらぬ。

確かに、北条氏政殿も、武田勝頼殿には、ただならぬ憤りを覚えておろうが……実際のところは、北に佐竹や伊達といった厄介な相手を抱え、常に小競り合いを続けておる。西の武田、北の上杉と、いつまでもいがみ合っている余裕など、ないのが実情なのじゃ」


「……早雲殿。この義経、まことに、感じ入ってござる。お言葉、身に染みまする……」

義経は、再び深く頭を下げた。


「ふふ。わしも、秀長の前では、つい、年甲斐もなく、厳しく当たってしまうがな」

早雲は、苦笑した。

「しかし、我が軍にとっても、甲斐、信濃、越後、そして関八州の安定は、西の織田、駿河・遠江の徳川と、本格的に対峙してゆく上で、必要不可欠なこと。それは、この早雲も、重々、わきまえておりまするぞ」

義経は、改めて、この老将の器の大きさと、深い洞察力に、感服していた。


「ところで、頼朝殿」

早雲は、本題に戻った。

「出発(しゅったつ)する前に、お伝えしておくべきことが、他にもござる。朝廷との工作を続けている、大村由己殿を通して、西の友軍から、いくつか話が来ておる」

「まず、丹後の一色家からじゃが、正式に、我が軍団へ臣従したい、との打診がござった。もはや、一色家のみでは、織田の脅威に対抗できぬ、との判断でござろう。かの地は、我らが領土からは遠く離れており、有事の際に、直接、援軍を出すことはできぬ。じゃが、我らが、本願寺家や上杉家と誼を通じておることは、一色家にとっても、大きな後ろ盾となり、心強いことであろうと存ずる。


そして、もう一つ。本願寺顕如殿が、かねてより結びつきの強い、紀州の雑賀衆・鈴木家と話を進めてくださったそうで、その鈴木家もまた、正式に、織田信長への包囲網に、加勢してくれる運びとなったそうじゃ」


「おお! 早雲殿、それは、まことに祝着至極であるな! 大村殿にも、後ほど、篤く礼を述べておかねばならぬな」

頼朝は、喜びに顔を輝かせた。


「それでは、頼朝殿、義経殿。拙者は、これより、桜殿と共に、上杉景勝殿、そして北条氏政殿のもとへ、話をつけてまいりまする。吉報を、どうかお待ちくだされ。

なお、大垣城には、かの源頼光殿がおられますれば、西の守りについては、何の心配もござりませぬ」


「うむ。早雲殿、何卒、よろしくお願いいたす。…桜、戦は戦場(いくさば)ばかりではないぞ。外交という、もう一つの戦いもある。そのあたりも、早雲殿から、よくよく学んでまいれ」

「はい! かしこまりました、父上!」

桜は、期待に胸を膨らませ、力強く返事をした。


早雲と桜が、慌ただしく茶室を後にした、まさにその時であった。

秀長が、息を切らして茶室に駆け込んできた。

「申し上げます! ただ今、斥候より連絡が入りました!」

「南信濃・治部坂にて、先陣の犬村大角殿が、徳川軍の渡辺守綱、本多忠勝の両隊と、開戦した、とのことにございます!」

「また、時を同じくして、伊勢・桑名におきましても、防衛にあたる赤井輝子殿が、織田軍の先陣・佐久間盛政(さくまもりまさ)隊と、交戦状態に入った、との報せにございます!」


「…ふん。いよいよ、始まったか」

茶室の入り口で、それを聞いた北条早雲は、振り返り、困惑した表情の秀長を見て、にやりと笑った。

「これはこれは、『源(みなもと)の』秀長殿! …後のことは、しっかり、お頼み申すぞ! がははは!」

早雲は、そう一言だけ言い残すと、今度こそ、本当に那加城を後にした。


「……早雲殿は、いったい、何をおっしゃっていたのでございましょう……?」

事態を飲み込めず、呆然と立ち尽くす秀長に対し、義経が、くすくすと笑いながら口を開いた。

「ははは。秀長殿。早雲殿は、こう仰せなのだ。『そなたは、今や、頼朝兄上の義父であり、我ら源氏一門衆にも連なる、筆頭家老なのだから、留守の間、しっかりと軍団をお守りくだされよ』、と」


「お、おやめくださいませ、義経様!」

秀長は、顔を真っ赤にして抗議した。

「そもそも、娘の篠を、頼朝様に嫁がせたこと自体、拙者の、身の程をわきまえぬ、大それた我が儘だったのでございますぞ!」


頼朝も、困惑する秀長を、さらに楽しむかのように、追撃を加えた。

「はっはっは! いやいや、早雲殿は、そなたのことを、たいそうお気に入りなのじゃ。あの老将は、『“源”秀長あってこその、壮大な戦略よ』とまで、考えておられるやもしれぬぞ。…頼んだぞ、父上」


「頼朝様まで! どうか、おやめくださいませ!」

秀長は、本気で困り果てている。

「今は、外は戦の真っ最中でございまする! そのような、お戯れをなさっておられる時では、ございませぬ!」

事情の分からぬ秀長は、ただただ困惑するばかりであった。

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