第十二話:短期決戦
年が明け、天文十二年(1583年)二月。
かねてより水面下で進められていた、織田信長に対する共闘、すなわち「第二次信長包囲網」とも言うべき、諸大名間の約定が、ついにその効力を発する期日を迎えた。
この共闘の約定は、必ずしも織田家と雌雄を決する、という直接的な軍事同盟のみを意図したものではなかった。むしろ、これまで互いに争い、国力をすり減らしてきた武田、上杉、北条といった関東・甲信越の有力大名が矛を収め、連携することで、結果的に織田や徳川に個別に侵略される隙を与えないようにする、という戦略的な布石としての意味合いも強かった。
関東の、あるいは甲信越の、かつての盟友同士が、無益な争いをやめ、頼朝軍と共同して織田・徳川という共通の脅威に立ち向かう。そのための同盟である。頼朝軍団内で、この包囲網形成に反対する者は、もはや一人もいなかった。
盟主には、越後の上杉景勝が推戴された。武田勝頼、北条氏政にも正式な使者が送られ、加盟が確認される。さらに、西国で依然として織田家と敵対し、頼朝軍とも友好的な関係にある勢力――石山本願寺の法主・本願寺顕如、丹後の一色義満らにも使者が送られ、包囲網への参加が要請された。
こうして、上杉景勝の大号令の下、再び、織田・徳川包囲網が、形の上では形成されたのである。
しかし、その矢先。全く想定外の事態が発生した。
羽柴秀長が、緊急で、各軍事拠点の城代たちを那加城へと招集したのだ。
岐阜城代トモミク、大垣城代北条早雲、清州城代赤井輝子、犬山城代太田道灌。そして、那加城からは頼朝と義経も同席する。評定の間には、尋常ならざる緊迫感が漂っていた。
秀長が、重い口を開いた。
「皆様、かくも至急のお呼び出し、誠に恐れ入ります。此度、我らが主導する形で、新たな織田家への包囲網が結ばれたことは、皆様、既にご存知のことと存じます」
「しかし、その後、由々しき事態が持ち上がっております。まず、越前国境において、早くも上杉軍と織田軍との間で、大規模な衝突が発生。また、甲斐・駿河の国境におきましても、武田軍と徳川軍とが、激しく交戦中との報が入っておりまする」
「これらが、織田・徳川方からの侵攻によるものなのか、あるいは、包囲網が結ばれたことを好機と捉え、我らが友軍の方から行動を起こされたのか……その詳細は、未だ判然とはいたしませぬ。いずれにしましても、伝え聞く限りでは、友軍は、決して有利とは言えぬ戦況にある、とのことにございます」
秀長は、一度言葉を切り、さらに苦渋の表情を浮かべた。
「……そして、もう一つ。皆様には、まことに申し上げにくい事が、起こっております」
その言葉尻を捉え、北条早雲が、低い、地を這うような声で割って入った。
「……ふん。どうやら、武田信玄公の、あの愚かなせがれ(勝頼)が、わしの血縁である景虎(かげとら)を、攻め滅ぼそうとしておるようじゃな」
「……! 早雲殿、すでにご存知でございましたか……」
秀長は、驚きを隠せない。
「はっ、左様でございます。武田勝頼殿が、突如として、上杉景虎殿の居城である沼田城へ、大軍を差し向けた、との報せが……」
「北条とは、最近、何かと懇意にしておるからな。そのような情報は、すぐにわしの耳にも入ってくるわい」
早雲は、冷たく言い放った。
「…秀長よ。上杉、武田、北条が同盟を結べば、当然、武田は景虎殿には手出しはすまい、と……そう、思っておったのであろう? まことに、見立てが甘かったのう」
「……面目次第もございません」
秀長は、返す言葉もない。
「まったく……! あの勝頼とかいう男は、一体どういうつもりじゃ! 我らが、一体、誰のために、これほどまでに力を尽くしておると思っておるのかのう!」
早雲の声に、抑えきれぬ怒りが滲む。
「ま、まさか勝頼様も、早雲様が、こうしてご存命であるとは、夢にも思うておりますまい……」
秀長は、必死に早雲の怒りを宥めようとするが、老獪な戦国大名の逆鱗に触れてしまったようだ。火に油を注ぐ結果となった。
「そのようなことを、申しておるのではないわ、秀長!」
早雲は、秀長を睨みつけた。
「わしはな、そもそも、武田勝頼という男の、当主としての器量そのものに、大きな疑問を持っておるのだ!
北条は、勝頼に対して、『裏切り者』として激高しておった。それを、我らが、骨身を削る尽力で、ようやく矛を収めさせ、今や武田と北条も、表向きは『友軍』となったはずじゃ。にも拘わらず、その舌の根も乾かぬうちに、北条の縁者である景虎殿を攻め滅ぼそうとは……! もはや、武士として、風上にも置けぬ所業であろうが!
そして、もう一つ!」
早雲の語気は、ますます鋭くなる。
「東美濃を突破し、あの飯田城の、絶体絶命の危機を救ったのは、誰か! 他ならぬ、この我らが軍団ではないか! その時、勝頼は何をしておった? 北条との戦いで消耗していた、などと言い訳をして、結局、一兵の援軍すら送ってこなかったではないか! これでは、飯田城で命を賭して戦った秋山殿をはじめ、武田の家臣たちに、示しがつかぬであろうが!
あるいは、飯田城の秋山殿も、本当は、『頼朝様が、我が主君であったならば、どれほど良かったか』と、思われていたとしても、何ら不思議はないぞ!」
「……早雲殿の仰せ、ごもっともにございます」
秀長は、返す言葉もなく、ただ平伏するしかなかった。
頼朝もまた、最近の武田勝頼の一連の動きには、早雲と同様の、強い懸念を抱いていた。
「…義経よ」
頼朝は、隣の弟に尋ねた。
「そなたの妻・梓には、父君である勝頼殿から、事前に何か、話はなかったのであろうか」
「……兄上。まことに残念ながら……」
義経は、悔しそうに首を振った。
「駿河国境での徳川との衝突の件も、そして、今回の景虎殿の沼田城攻略の件も、梓は事前に、父君から、何も聞かされてはおらず、ひどく困惑しておりました。梓からは、急ぎ父君へ、真意を問う文を送ってはおりますが……我々が、あまり北条家の肩を持ちすぎるのも、勝頼様の不信を招きかねませぬ故……」
「ふん! 景虎の沼田城など、もってあと一月といったところであろう!」
早雲は吐き捨てるように言った。
「そうなった時、北条はどう動くか。我らとの約定を破棄し、再び武田と敵対すれば、必然的に、我らや上杉とも袂を分かつことになる。しかし、黙って景虎を見殺しにするわけにもいくまい。…わしが今の氏政の立場であれば、迷わず、再び武田に攻めかかるがのう!」
早雲には、全ての状況が手に取るように見えている。だが、それ故に、今の状況に対する怒りは、収まるはずもなかった。
「…義経よ」
頼朝は、弟に頼んだ。
「何とか、勝頼殿に働きかけ、景虎殿の助命を、願い出ることはできぬだろうか」
「……はっ。やってみましょう。早速、梓から、重ねて文を送らせまする」
「かたじけない、義経殿!」
早雲は、素直に義経に頭を下げた。そして、改めて秀長に向き直る。
「…秀長よ、すまなんだな。話の腰を折ってしもうた。それで、そなたは、この状況を、どう見、どう動くべきと考えておるのだ」
秀長は、顔を上げ、居並ぶ諸将に向け、自らの考えを述べ始めた。
「…我が領内は、この数ヶ月で目覚ましい回復を遂げております。大草城を中心に経済も活性化し、民も集まり、新たに志願してくる兵も格段に増え、兵力も相当数、回復いたしました。しかしながら、それでも、今すぐ、援軍として遠く甲斐や越前まで、大規模な兵を派遣するほどの余裕は、残念ながら、ございませぬ。
ただ……」
秀長は、地図を指し示した。
「織田も、徳川も、現在、その主力を、それぞれ越前、そして甲斐・駿河方面へと派遣しております。であるならば、我らが、今、別の方向から、彼らにとって予期せぬ行動を起こせば、陽動として、有効に機能する可能性はございます」
「そこで……この機を捉え、伊勢の、長島城を、攻め落としたいと、拙者は考えまする」
その大胆な提案に、評定の間が、再びどよめいた。
秀長は、落ち着いた口調で、その策の意図を説明する。
「万が一、徳川が武田に勝利したとしても、現状の兵力で、そのまま武田領内深くを蹂躙するほどの力は、おそらく残されておりますまい。また、仮に徳川軍が、我らが確保した東美濃へ侵攻してきたとしても、かの地の守備隊と、那加・犬山の軍勢をもってすれば、十分にこれを撃退できると考えております。つまり、東の徳川軍が、直接、我らが領内へ大規模な侵攻を仕掛けてくる可能性は、低いと見ております。
一方、西の織田軍は、その主力が越前方面へ出払っております。もし、我らが、今、手薄となっているはずの、伊勢の長島城へ攻め込めば、織田は、越前へ派遣している兵の一部を、こちらへ割かざるを得なくなるやもしれません。そうなれば、上杉家への陽動にもなり、間接的に、彼らを助けることにも繋がりましょう」
「しかし、秀長」
頼朝が疑問を呈する。
「その策、理屈は分かるが、どの程度の兵力で、長島城へ向かうつもりじゃ。我らとて、先の戦いの損害から、完全に立ち直ったわけではないぞ」
「はっ」
秀長は、きっぱりと答えた。
「此度は、我が領内の、ほぼ全ての兵、すなわち、動員可能な『全軍』をもって、伊勢の攻略にあたりたく存じます」
「な、何と! 全軍で、とな!? しかも、今はまだ冬。兵糧の蓄えも、決して十分とは言えぬはず。全軍を動かすだけの兵糧が、果たして足りるのか?」
頼朝だけでなく、他の諸将からも、懸念の声が上がる。先の連戦で、頼朝軍の兵糧事情が、極めて厳しいものであることは、誰もが理解していたからだ。
「はい、お察しの通り、兵糧には、全く余裕はございません」
秀長は認めた。
「ですが、此度の作戦は、あくまで短期決戦。長島城を、可能な限り迅速に、攻め落とします。もし、攻略が長引くようであれば、潔く退却いたします。最悪、長島城が攻略できなかったとしても、織田の兵力を、こちらへ引きつけるという、陽動の目的は達せられるはずでございます」
「へえ! 秀長にしちゃあ、随分と思い切ったじゃないか!」
赤井輝子が、身を乗り出して秀長に迫った。
「それで? 具体的に、どうやって、あの長島を、短期間で落とすってんだい? 聞かせてもらうじゃないか!」
「はっ」
秀長は、用意していた作戦図を広げた。
「まず、織田軍の増援部隊が、長島城へ到達するのを食い止めつつ、長島城そのものを孤立させ、早々に攻め落とします。僭越ながら、拙者が考えまする、具体的な布陣案を、これよりお示しいたします。
長島城への直接攻撃を担当していただくのは、岐阜城のトモミク隊、そして清州城の赤井隊。この二つの強力な狙撃隊をもって、力攻めを行います。
一方、関ヶ原にて、近江方面からの織田軍の侵入を食い止めていただくのは、那加城の頼朝隊と、犬山城の太田隊。この二部隊で、西からの脅威に備えます。
そして……最も重要かつ、困難な役目となりますのが、桑名(くわな)にて、伊勢方面から殺到してくるであろう、織田の大軍を食い止めていただく、盾の役割です。この大役は……大垣城の、北条早雲隊にお願い申し上げるしかございません」
大垣城を落として以来、西からの織田軍の侵入経路は、関ヶ原と桑名の、ほぼ二つに限られている。そのため、侵入を防ぐ「盾」となる部隊と、目標である長島城を攻略する「刀」となる部隊とに、役割を明確に分担する、という作戦であった。
従来、一部隊のみで敵の大軍と対峙することを、極力避けてきた秀長が、此度、最も激戦が予想される桑名において、早雲隊のみで織田の大軍を食い止める、という作戦を提案してきたのだ。しかも、大垣城は攻略したばかりであり、その兵数は、他の拠点に比べてまだ少ないはずである。
「もし、安土(あづち)や畿内にいる織田の主力が、本格的に戻ってきた際に、桑名にて、これを食い止めることができなければ……その後、がら空きとなった美濃本国への侵攻を許し、我らは壊滅することとなりましょう。関ヶ原を突破されることも、是が非でも避けねばなりませぬ。
関ヶ原周辺は、頼朝様、道灌様が、先の戦でも戦っておられますので、地形も、戦い方も、熟知しておられるかと存じます。
桑名は……伊勢や大和の織田軍が、大挙して押し寄せてくることが予想されます。ですが、早雲殿が、これを食い止めてくださっている間に、トモミク隊と赤井隊が、迅速に長島城を落とすことができれば、その後は、そのまま桑名へ駆けつけ、早雲隊を救援することも可能となります。
今回の作戦の成否は、第一に、織田軍の増援よりも早く、早雲殿が桑名に布陣できるか。第二に、トモミク殿、赤井殿が、早雲殿が持ちこたえている間に、長島城を陥落させられるか。この二点にかかっております。
なお、万一の備えとして、那加城には、義経様が、遊軍として、いつでも動けるように、八千程度の兵は残します。繰り返しになりますが、それ以外の全ての城から、全ての兵を動員しての、総力戦となります。
最後に、兵糧の問題です。此度の侵攻規模で、次の収穫期まで戦い続けることは、到底できません。頼朝様と太田様には、長島城陥落の報を受け次第、早々に兵を引き上げていただきます。早雲様にも、もし織田の軍勢があまりにも多い場合は、無理をなさらず、トモミク隊と赤井隊に後事を託し、退却していただくことも、視野に入れていただきたく存じます」
普段は、何かと秀長に噛みつくことが多い赤井輝子であったが、此度の、大胆極まりない作戦計画には、さすがに興奮を隠せない様子であった。
「はっはっは! 秀長、見直したぞ! 面白いじゃないか! 此度の作戦、あたしは乗った! あの長島城、あっという間に落としてみせてやるよ! …なあ、空から来た姫よ、あんたはどうだい?」
「はい、赤井様とご一緒であれば、きっと、時間をかけずに落とせますとも!」
トモミクも、力強く応じた。伊勢長島城を攻略する二人の女将は、この困難な作戦を、早くも快諾した。
頼朝は、一人、難しい顔をしているであろう、老将が気になった。
「……早雲殿は、いかがか。此度の策、最も過酷な役目を、そなたに負わせることになる。…この頼朝も、いざとなれば、関ヶ原から兵を割き、そなたを援護する所存ではあるが……」
頼朝の気遣いに、早雲は、にっ、と口の端を上げて笑ってみせた。
「がははは! 頼朝殿、ご心配には及びませぬぞ!
この秀長という男は、いつもいつも、まず、わしを散々怒らせておいて、その舌の根も乾かぬうちに、とんでもない無茶な役目を、平気でわしに押し付けてきおるわい。あのように、いつもペコペコしておるが、あるいは、この軍団の中で、一番、肝が据わっておるのは、あの男かもしれぬのう」
早雲は、愉快そうに笑うと、頼朝に向き直り、力強く言った。
「しかし、頼朝殿。此度の策、この早雲も、大いに賛成じゃ。お任せあれ。わしが、この老骨に鞭打ち、桑名にて、織田の大軍、必ずや食い止めてご覧にいれましょうぞ!」
「……早雲殿。かたじけない……」
頼朝は、深く頭を下げた。
「トモミク殿、赤井殿! わしが時間を稼いでおる間に、じっくりと、思う存分、長島城を料理してくるが良かろう! がははは!」
「恐れ入りまする、早雲殿!」
秀長が、これ以上ないほどに、早雲に対し平伏をしている。
「よし! これで決まった!」
頼朝は、立ち上がった。
「これより、秀長の立てた策、そして陣立てに従い、全軍、伊勢長島城攻略へと向かう! ただし、重ねて申す! 戦いが長引いた場合には、決して無理をせず、早々に退却する! 良いな!」
最後に、早雲が、留守を預かることになる義経に向けて、声をかけた。
「義経殿。此度の戦、実は、貴殿の働きが、最も肝要となるやもしれぬぞ」
「ほう、と申されますと?」
「どこかの戦線が、予想外に早く崩れたり、あるいは、東の徳川が、この機に乗じて侵攻してきたり、はたまた、那古野城に残る織田勢が、不穏な動きを見せたり……あらゆる、不測の事態が起こりうる。その時、頼れるのは、遊軍として控える、義経殿、貴殿の部隊のみじゃ。貴殿の臨機応変な動きなくしては、我らは、安心して、それぞれの持ち場で戦うことができぬ」
「ふふ。早雲殿、ご心配なく」
義経は、穏やかに微笑んだ。
「もし、何かあれば、この義経が、必ずや、何とかいたしまするゆえ。早雲殿は、どうぞ、ご安心して、桑名にて、織田の大軍を、思う存分、翻弄してきていただきたく存じまする」
「がははは! それを聞いて、安心したわい、義経殿!」
早雲は、満足げに頷いた。
* * *
作戦は、直ちに実行に移された。各部隊が、それぞれの持ち場へと進軍を開始する。
関ヶ原では、頼朝隊がいち早く布陣を完了し、太田道灌隊も間もなく合流した。幸いにも、こちらの方面には、織田軍による、まとまった規模の攻撃はなかった。やはり、主力を越前方面へ派遣しているため、近江方面から、さらに大軍を差し向ける余裕はないようであった。
一方、桑名。
常に神速をもって、こちらの策を事前に打ち砕いてきた織田軍であったが、此度に限っては、彼らが桑名に殺到するよりも早く、北条早雲隊が、現地への布陣を完了することができていた。これは、大きな僥倖であった。
これにより、長島城へ向かうトモミク隊と赤井隊が、道中で対応すべき敵は、孤立した長島城守備隊と、那古野城から、おそらくは救援として出陣してくるであろう、少数の部隊のみとなった。合わせて、多くとも六千程度の兵力であろう。これならば、有利に、かつ迅速に、長島城攻略を進めることができるはずだ。
だが、その代償として、桑名の早雲隊の前には、伊勢の海沿いの平野を、隙間なく埋め尽くさんばかりの、数えきれないほどの織田の大軍勢が、刻一刻と迫りつつあった。
「いやはや……」
早雲は、馬上から、地平線を埋め尽くす敵軍を見渡し、感嘆とも呆れともつかぬ声を漏らした。
「織田軍とは、まこと、地面から次から次へと、際限なく湧いてくる、雲霞(うんか)のごとき兵団じゃのう。あれほど、叩きのめされても、他の方面にも大軍を割いておるはずなのに、まだ、これほどの軍勢を、新たに組織できるとは……。まことに、恐ろしいことよ」
「桜殿」
早雲は、隣に控える桜に、笑いかけながら言った。
「怖くはないか? 此度の戦は、挟撃も、伏兵も、小細工は一切なしの、真正面からのぶつかり合いぞ。ただひたすら、襲いかかってくる、あの蟻の大群のような大軍を、力づくで押し戻し続けねばならぬのだ」
「早雲様!」
桜は、きっぱりとした表情で答えた。
「わたくしとて、源頼朝の娘! これしきのことで、怯んだりは決していたしませぬ!」
「そうであったな! いや、これは失礼、すまなんだ、すまなんだ!」
早雲は、快活に笑った。
「そうこなくては! よし、そうと決まれば、共に参ろうぞ、桜殿!
谷殿!」
早雲は、副将の谷衛友に檄を飛ばす。
「敵の数が多い故、狙いなどつけずとも、槍を振り回しておれば、勝手に敵兵にあたるわ! 思う存分に、貴殿の槍を、振り回してきてくだされ!」
「ははっ! お任せを、早雲殿!」
谷衛友が、力強く応える。
「桜殿! この谷衛友の戦いぶり、よう目に焼き付けておられよ! では、参る!」
谷衛友は、鬨の声を上げると、麾下の騎馬隊と切り込み隊を率い、眼前に迫る織田の大軍へと、猛然と突進していった。
* * *
一方、長島城へと向かう赤井輝子隊とトモミク隊からも、遥か南西の桑名方面へ向け、怒涛のように押し寄せる織田の大軍の姿が見えていた。
「おい、空から来た姫!」
輝子が、隣を行くトモミクに声をかける。
「見たかい、今の! あれほどの数の織田軍! いくらあの早雲殿とはいえ、たった一部隊で、本当に太刀打ちできるのかい!?」
「……輝子様」
トモミクは、静かに答えた。
「おそらく、厳しい戦いとなりましょう。……長島城は、わたくしが、何とかいたします。輝子様は、先に早雲殿の救援へと向かわれるのが、よろしいかと存じますが……」
「そうだな! あんたなら、空から来た不思議な力で、長島城くらい、一人でも落とせるかもしれぬな!」
輝子が、冗談めかして言いかけた、まさにその時であった。
桑名の早雲隊から、一騎の早馬が、土煙を上げて駆けつけてきた。
「どうした! 早雲殿の身に、何かあったか!」
輝子は、血相を変えて馬を止め、使者から書状を受け取ると、急ぎそれに目を通した。
だが、次の瞬間、輝子は、腹を抱えて大笑いし始めた。
「て、輝子様? いったい、どうなさいました?」
訝しむトモミクに、輝子は、涙を浮かべながら言った。
「はっはっは! あの爺様、こんな伝言を寄越しやがったよ!」
『……わしの楽しみの邪魔をするでない。そなたたちは、そなたたちの仕事を、早う済ませい!』
「……だってさ! あははは! 早雲殿は、あたしたちが心配して、援軍を送ろうとすることなんざ、とっくにお見通しだったんだよ! 『このわしを見損なうな』、って言いたいんだろうねぇ、まったく! よーし、分かったよ、早雲殿! あんたがそう言うなら、こっちも、さっさと仕上げてやらあ!」
「…そうでございましたか」
トモミクも、ふっと笑みを漏らした。
「早雲様が、そのように仰せなのであれば、きっと大丈夫なのでしょう。安心いたしました。…輝子様、私たちも、急ぎましょう!」
* * *
長島城の守将は、かつて小牧山で、頼朝軍がさんざんに苦しめられた、あの滝川一益であった。さらに、那古野城からは、加藤清正が率いる部隊が、援軍として駆けつけている。
城内に籠る兵力は、合わせて六千あまり。通常の頼朝軍であれば、無理な力攻めは避け、城を包囲し、降伏を勧告するところであろう。
しかし、今は、桑名で、北条早雲隊が、単独で織田の大軍を食い止めている状況である。一刻の猶予もない。たとえ、多少の損害が出ようとも、力攻めを敢行し、迅速に城を落とすしかない。
トモミク隊には、築城の専門部隊だけでなく、攻城戦において、地下から城内へと侵入するための坑道を、短時間で掘り進めることができる、「土竜(もぐら)」と呼ばれる特殊な工兵部隊が属していた。
その土竜部隊が、早くも城壁の一角に坑道を掘り進め、進入路を確保。そこから、トモミク隊の兵士たちが、次々と城内、三の丸へと殺到していく。
トモミク隊の突然の城内侵入に、守備側の織田軍は、色めき立った。彼らは、急ぎ三の丸を放棄し、二の丸へと兵を引き、城門を固く閉ざして守りを固めた。
二の丸の城門の内側からは、滝川一益隊、加藤清正隊による、必死の弓、鉄砲による攻撃が、侵入してきたトモミク隊へと浴びせられる。だが、トモミク隊は、それをものともせず、二の丸の城門へと猛然と襲いかかる。
ほぼ時を同じくして、赤井輝子隊もまた、三の丸の大手門へと攻撃を開始。少数の守備兵など、もろともせず、瞬く間に城門を突破した。
やがて、トモミク隊は、激しい抵抗を排し、ついに二の丸の城門をも突破。そのまま城内へと雪崩れ込み、守備にあたっていた滝川隊の兵士たちを追撃、これを撃破した。
残るは、加藤清正の部隊のみである。清正隊には、信長の家臣の中でも、特に有能とされる、池田せん(池田恒興の娘)、佐々成政(さっさなりまさ)といった武将も配属されていた。彼らは、必死の抵抗を見せ、特に加藤清正自らが率いる突撃によって、一時はトモミク隊の指揮系統が大きく乱れる場面もあった。
しかし、数で圧倒的に勝るトモミク隊は、構わず力押しで清正隊へと部隊をぶつけていく。
そこへ、赤井隊が、別方面から二の丸の城門を破壊し、加藤清正隊の背後へと回り込んだ。前後から挟撃される形となり、ついに加藤清正隊も殲滅された。
「空から来た姫! 無事か!」
赤井輝子が駆け寄る。
「はい、問題ありません、輝子様! あとは、本丸の天守を落とすだけですね! 急ぎましょう!」
もはや、長島城の本丸には、守備兵はほとんど残されていなかった。赤井隊とトモミク隊は、その後、ほとんど損害を受けることなく、本丸天守を制圧した。
「よし! 赤井様! 急ぎ、桑名の街道へ出ましょう!」
「おう! 早雲殿は、大丈夫だろうか……いや、あの爺様のことだ、きっと大丈夫に決まってる!」
二人の女将は、互いに頷き合うと、すぐさま兵をまとめ、桑名方面へと急行した。
* * *
だが、彼女たちが桑名に到着した時、そこに広がっていたのは、予想だにしなかった光景であった。
驚くべきことに、桑名の地では、北条早雲隊が、あれほどの大軍であったはずの織田軍を、文字通り「楽々と」薙ぎ払っていたのである。
もちろん、早雲隊の被害も決して少なくはなかったであろう。だが、少なくとも、早雲隊の攻撃範囲内にいた織田軍の部隊は、ことごとく全滅、あるいは潰走しており、後方から、ようやく次の織田軍の後詰め部隊が、恐る恐る早雲隊へと近づいてきている、といった状況であった。
「ふん、懲りぬ奴らよ、信長軍は」
早雲は、馬上から、新たに向かってくる敵部隊を睨みつけた。
「まあ良い。では、次の客人の相手に備えるとしようか。まずは、鉄砲隊、前へ!」
早雲が、新たな指示を出そうとした、まさにその時。傍らに控えていた源桜が、遠く長島城の方角を指差し、歓声を上げた。
「早雲様! ご覧ください! 長島城に、我が軍団の、源氏の旗が! 長島城、我が軍が落としましたぞ!」
「ほう! あの、実に優秀な女子(おなご)たち、やりおったか! さすがであるな! あっという間に陥落させおったわい! がははは!」
早雲は、満足げに頷いた。
「早雲様。長島城も落ちた今、わが隊は、これより、いかがいたしましょうか」
副将の谷衛友が尋ねる。
「うむ……。もう少し、この者たちと遊んでやりたかったが……まあ、我らの仕事は、もう済んだようなものじゃな」
早雲は、少し残念そうに呟くと、全軍に聞こえるよう、大きな声で命じた。
「桜殿! 関ヶ原の頼朝様と道灌殿に、早馬を走らせ、『長島城、落城。これより、我が隊も退却する』と、お伝え申せ! …よし、皆の者! これより、我が隊も、大垣城へ向け、退却を開始する!」
「あ、あの、早雲様?」
桜が、戸惑ったように問いかける。
「今、我が隊は『退却』と、仰せになりましたか?」
「そうじゃ。米が無くなる前に、城へ戻るのじゃ」
「で、ですが……まだ、織田軍の大軍が、目の前に……」
「はっはっは! 心配するな、桜殿」
早雲は、桜の頭を軽く撫でた。
「奴らが、もし、大垣城まで攻めてくるというのであれば、その時は、また我らが出陣してやれば良い。もし、長島城へ攻めかかったとしても、あの優秀な女子(おなご)たちに任せておけば、何の心配もいらんよ」
「かしこまりました! ただちに、退却の準備をいたします!」
桜は、力強く返事をした。
北条早雲隊が、眼前に織田の大軍を残しながらも、あっけらかんと、実に堂々と戦場を後にする。その異様な光景が、長島城に布陣するトモミク隊、赤井隊の目にも、はっきりと見えた。
「……なんとまあ! あの早雲様は、何の未練もなさそうに、さっさと引き上げて行かれるわ!」
輝子は、呆れたように笑った。
「まこと、面白き御仁よのう、早雲殿は!」
「ふふ。そうですね、輝子様」
トモミクも、微笑みながら応じた。
「ですが、早雲様が仰せの通り、我が軍の兵糧が、もう残り少ないことも事実。それに、早雲様が、こうしてあっさりと引き上げられたということは……我らだけでも、この長島城は守り切れる、とご判断なされたからなのでしょう。…あとは、我らで、何とかいたしましょう」
「そうだな!」
輝子は、再び闘志を漲らせた。
「まあ、考えてみれば、この長島城は、なかなかの要害だよ! 大垣城を早雲様が抑えてくれている今、敵がこの城へ至る道は、ほぼ一本道しかない。これだけの鉄砲があれば、この城に近づいてくる間抜けな部隊を、一つ一つ、丁寧に片付けていけば、それこそ、いつまでだって、織田信長と遊んであげられるってもんさ!」
「輝子様とご一緒だと、本当に心強いですわ♪」
「そうかい? 空から来た姫!」
輝子は、トモミクの肩を叩き、高らかに笑った。
「あははは! よーし! んじゃあ、鉄砲隊をずらりと並べて、次のお客様が来るのを、楽しみに待つとしようじゃないか!」
* * *
北条早雲隊が早々に引き上げ、関ヶ原にいた頼朝隊と道灌隊も、役目を終え、それぞれの居城へと帰還した。
その後、頼朝たちの予想通り、伊勢方面から攻め寄せてきた織田軍は、その矛先を、新たに頼朝軍の拠点となった長島城へと向け、トモミク隊と赤井隊に、波状攻撃を仕掛けてきた。
「来たぞ来たぞ、空から来た姫! 見てみなよ、あの律儀さ! 行儀よく、一列に並んで、順番に攻めてくるお客様たちだよ!」
城壁から眼下の敵を見下ろし、輝子は楽しそうに言った。
「これなら、新しく入った兵たちの、射撃の訓練には、ちょうど良い的じゃないか!」
「はい。これなら、我らの兵の損耗も少なく、楽に押し返せそうでございますね」
トモミクも、落ち着き払って応じる。
赤井輝子の読み通り、織田軍は、長島城へ続く一本道から、順次、部隊を繰り出して攻撃を仕掛けてきた。だが、それらは全て、城壁にずらりと並んだ、トモミク隊と赤井隊の、大量の鉄砲による集中砲火の、格好の餌食となるだけであった。
相当な数の織田軍部隊が、長島城を目指して進軍してきたが、そのことごとくが撃退され、多大な損害を出した織田軍も、間もなく、ついに諦めたのか、静かに兵を引き上げていった。
此度の長島城攻略作戦は、頼朝軍の被害も少なく、極めて短期間で目標を達成することができ、懸念された兵糧の消費も、最低限に抑えることができた。ほぼ、秀長の見立て通りに、作戦を完遂することができたのである。
* * *
襲い来る織田軍を掃討し、トモミクは岐阜城に戻り、ようやく一息ついた赤井輝子も、自身の居城である清州城へと戻ろうと、長島城下を出立した、まさにその時であった。
一騎の斥候が、血相を変えて駆けつけ、輝子の前に叩頭した。
「申し上げます! 織田の大軍、およそ三万が、再び、この長島城へ向け、進軍中との報せにございます!」
「……なんだって!?」
輝子は、思わず馬を止めた。
「ついさっき、ようやくお掃除が終わったばかりだってのに……もう、そんな数で、攻めて来れるってのかい、あの織田って奴らは!」
輝子は、副将の大祝鶴(おおほうりつる)と、同行していた太田牛一(おおたぎゅういち)に、鋭く命じた。
「鶴姫、牛一! 聞いたね! 長島城に、一番近い部隊は、あたしたちだよ! このまま、城へ引き返し、再び来襲する織田軍の、盾となる! 急ぎ、早雲殿、そして空から来た姫に早馬を! 援軍をお願いする、と!」
「それから、頼朝様にもご報告するんだ! …だけど、『援軍はいらぬ』、と、そう伝えな! 分かってるね!? …米が無いんだよ、あたしたちには!」
(織田軍が、この長島城を、そう簡単に諦めるとは思えなかったが……それにしても!)
何度も、何度も打ち払われながら、それでもなお、次から次へと大軍を送り込んでくる。その執念、そして、それを可能にする国力。
さすがの猛将・赤井輝子も、今度ばかりは、その表情に、隠しきれない緊迫の色を浮かべながら、再び、長島城へと馬首を返した。
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