第九話:信長軍団
「殿! ご無事にてのお戻り、誠に、誠に嬉しく存じまする!」
那加城へ凱旋した頼朝を、正室となったばかりの妻、篠が感極まった様子で出迎えた。その姿は、頼朝の娘である桜よりも、なお幼く見える。
「うむ、ただいま戻った」
頼朝は馬上から篠に声をかけた。
「義経からも、そして櫛橋殿からも、そなたの働き、しかと聞いておるぞ。初陣であったにも関わらず、臆することなく、実によく戦った、とな。さすがは父・秀長の娘、そして、この頼朝の妻じゃ、と皆が申しておったわ」
頼朝の労いの言葉に、篠は顔を上げた。その瞳には、安堵と、そして戦場で味わったであろう厳しい現実の影が宿っていた。
「…もったいなきお言葉にございます。ですが、わたくしは……義経様の卓越した軍略、そして櫛橋様の的確な采配を目の当たりにし、ただただ、己の未熟さを痛感いたしました」
篠の声は、わずかに震えている。
「義経様をお助けするどころか、義経様は、常にわたくしたちの隊を庇いながら、采配を振るっておられました。櫛橋様も、わたくしの我儘をお聞き届けくださり、寄せ集めの兵を見事に指揮され……随分とご苦労をおかけしてしまいました。わたくしの、あまりにも未熟な判断ゆえに……多くの兵たちの命を、失わせてしまいました……」
語り終えると、篠は再び顔を伏せ、その肩は小さく震えていた。
義経からは、櫛橋隊が兵数を激減させながらも最後まで奮闘を続けたこと、そして篠が、さぞ無念な思いで那加城へ引き上げていったであろうことを、詳しく聞いていた。
「…まこと、厳しき初陣であったのう」
頼朝は、そっと篠の肩に手を置いた。
「だが、そなたたちが必死に時を稼いでくれたからこそ、我らは織田の侵攻を防ぎ、こうして無事に戻ることができたのだ。そなたは、頼朝の妻として、何ら恥じることのない働きを見せてくれた。…礼を申すぞ、篠」
己の感情を必死に抑え、気丈に振る舞おうとしていた篠であったが、頼朝の温かい言葉に、ついに堪えきれなくなったのだろう。深々と頭を下げたまま、しばらく顔を上げることができずにいた。
* * *
凱旋を果たしたとはいえ、頼朝軍を取り巻く状況は依然として厳しい。いつ織田軍が再び力を盛り返し、この美濃・尾張の地へ侵攻してきてもおかしくはない。誰もがそう感じていた。
休む間もなく、筆頭家臣たちによる評定が招集された。
「おのおの方、此度の働き、まことに見事でございました!」
評定の席で、まず羽柴秀長が口を開き、諸将の労をねぎらった。
「皆様の命懸けの奮闘により、我らは同盟国・武田家の崩壊を防ぐことができ、さらに南信濃への街道を確保し、今後、武田家への援軍派遣を容易ならしめることができました。加えて、関東の雄・北条家からも、対織田・徳川包囲網への加盟を取り付けることにも成功いたしました。これにより、当面の間、武田家は安泰かと存じます」
しかし、と秀長は表情を引き締める。
「これで終わりではございませぬ。今後、益々強大となっていくであろう織田信長に備え、我々自身の軍団体制を、より一層、強固なものとしていかねばなりませぬ。
まずは、我が軍団の各部隊長に、戦場において、より大きな裁量権を与えるため、先の譜代衆、一門衆に加え、新たに『新参衆(しんざんしゅう)』の役職を設けます。此度の戦における功績を鑑み、犬塚(信乃)殿、大内(義興)殿、太田(道灌)殿を、新参衆に任命いたしまする」
これにより、頼朝軍の全ての部隊長に、何らかの役職が与えられることになった。
「次に、此度の戦で、新たに我らが領土に組み入れることとなった、東美濃、そして清州城の統治についてでございます」
秀長は続ける。
「清州城は、今後、対織田の最前線拠点となります。次なる織田の侵攻に備え、至急、兵力の増強、それを支えるための国力の増強と城の大規模改修、そして他の拠点との連携を可能とするための情報網・交通網の整備、これらを急がねばなりませぬ」
秀長の説明を受け、頼朝が、新たに獲得した城々の城代を任命する。
「清州城の城代には、赤井輝子殿を任命する! 此度の戦における赤井殿の働き、まことに見事であった! 輝子殿は、譜代衆として、麾下の第四狙撃隊を率い、この清州城を拠点とし、西からの織田の侵攻に備えよ!」
「ははーっ! ありがたき幸せ! この輝子、必ずや殿のご期待に応えてみせまするぞ!」
輝子は、喜びを隠しきれない様子で、力強く応えた。
「次に、東美濃の三城(苗木、岩村、鳥峰)についてであるが……」
頼朝は続ける。
「現状、これらの城下町の開発や、軍備の大幅な増強に、多くの力と資源を割く余裕は、我が軍にはない。よって、三城にはそれぞれ城代を任命し、城下の整備については、当面、各城代に一任したいと思う。
ただし、東美濃の城代に課せられる最重要任務は二つ。一つは、武田家が有事の際に、速やかに援軍を派遣できるよう、南信濃へ至る街道の整備と維持。もう一つは、実際に武田家から救援要請があった際の、南信濃への先遣隊派遣である。この二点を最優先事項として、任務にあたってほしい」
東美濃の三城の城代には、それぞれ以下の者が任命された。
苗木城代:池田輝政(いけだてるまさ)
岩村城代:犬村大角(いぬむらだいかく)
鳥峰城代:犬江親兵衛(いぬえしんべえ)
「さて……」
頼朝は、秀長に視線を向けた。
「気がかりなのは、今後の織田の動きじゃ。斥候からは、何か新たな知らせは入っておるか」
「はっ。断続的に知らせは入っておりますが……」
秀長は、厳しい表情で報告を始めた。
「驚くべきことに、織田軍は、我らとこの美濃・尾張で激戦を繰り広げている、まさにその間にも、北陸、そして西国においても、同時に軍事行動を展開し、その勢力を広げておりました」
「まず、西国においては、我々と対信長包囲網を形成していた丹波の波多野(はたの)氏が、織田軍の猛攻の前に滅ぼされました。
さらに北陸においては、越前の一向一揆勢力が、柴田勝家率いる軍勢によって一掃され、本願寺家の重要拠点であった一乗谷城(いちじょうだにじょう)、大聖寺城(だいしょうじじょう)までもが、織田の支配下に落ちたとの報が入っております。これにより、織田領と上杉領とが、越前において直接国境を接することとなり申した」
その報告に、評定の間が、にわかに騒然となった。先の戦で、織田軍と直接対峙していた義経が、思わず声を上げる。
「な、何と……! 我々が、あれほどの死闘を繰り広げていた相手は、織田が持つ巨大な軍団の、ほんの一部隊に過ぎなかった、と申すか! なんという恐ろしきことよ……!」
北条早雲も、苦虫を噛み潰したような表情で唸った。
「我らが、犬山の織田軍を撃退すべく、岐阜城から打って出ている、まさにその隙に……奴らは、同時に近江から越前へも、大軍を派遣しておったというのか! うーむ……!」
「西国、そして畿内における我らの盟友、本願寺家につきましても……」
秀長は続ける。
「現状、その本拠地である石山本願寺(いしやまほんがんじ)は、南の岸和田方面を除き、ほぼ三方を織田家の領地に包囲されております。しかし、本願寺門徒衆の結束力と信仰心は侮りがたく、また、本願寺家と縁の深い紀州の雑賀衆(さいかしゅう)・鈴木家も、岸和田まで勢力を伸ばし、南から強力な鉄砲集団をもって本願寺家を支援している模様。織田とて、そう易々とは石山本願寺に手出しはできぬ状況かと存じます。
そのような中、先日、石山本願寺法主・本願寺顕如(ほんがんじけんにょ)様より、我らとの結びつきを、より強固なものとしたい、との申し出がございました。顕如様の姫君・悠(ゆう)様と、我が軍の一門衆である源頼光殿との婚姻を、顕如様は快諾され、これにより、我らと本願寺家とは、正式に婚姻関係を結ぶ運びとなり申した。
顕如様からは、『本願寺家にもし万一のことがあったとしても、これで心置きなく、仏敵・信長と事を構えることができる』との、覚悟を決めたお言葉も届いておりまする」
「……秀長、諸々の段取り、まことに大義であった」
頼朝は、秀長の報告を静かに聞いた。
「おのおの方、秀長の報告について、何か異存はあるかな」
「頼朝様、よろしいでしょうか」
再び、北条早雲であった。
「清州城を攻略したばかりで、まことに恐縮ではござるが……実は、わしは、今こそ、大垣城(おおがきじょう)を攻め落とすべきであると、愚考いたしまする」
「ほう、大垣城、とな。早雲殿のこと、何かお考えがあってのことであろう。お聞かせ願えるかな」
頼朝が促すと、早雲は力強く頷いた。
「では、申し上げますぞ」
「我らが軍団の基本的な戦法は、ご存知の通り、まず大量の鉄砲による一斉射撃で敵の戦列を乱し、そこへ精鋭の騎馬隊による大々的な突撃を敢行し、一気に敵を殲滅する、というものにございます。もし、乱戦となり、射撃隊が敵に接近された場合には、騎馬隊がこれを押し返し、再び射撃隊が有効な射撃を行える態勢を整える。すなわち、射撃隊と突撃隊が、常に一定の規模を保ちながら、密接に連携する必要があると、わしは心得ております。
しかしながら、現状、騎馬隊を主力とする突撃部隊は、そのほとんどが犬山城に駐屯しております。今の犬山城の規模では、保有できる兵馬の数には限りがあり、全ての突撃隊を、同時に、しかも多方面へ出撃させることは、到底できませぬ。もし、西の織田と、東の徳川が、同時に我らが領内へ侵攻してきた場合、犬山城の兵力のみで、東西両方面へ、十分な規模の突撃隊を複数派遣することは、極めて困難であろうと存じます。
そこで、大垣城なのでございます」
早雲は、地図上の大垣を指し示した。
「大垣城周辺は、古くから馬の産地として知られ、広大な放牧地にも恵まれております。我が軍の突撃隊の、第二の拠点とするには、これほど適した城は、この美濃周辺には他にございません。
もし、大垣城を抑えることができれば、西からの織田の侵攻に対しては、岐阜城、清州城、そしてこの大垣城を拠点とし、まずは関ケ原あたりでこれを迎撃する。たとえ関ケ原を突破されたとしても、大垣城と岐阜城が、第二の防衛線として、織田軍の進撃を十分に食い止めることができるでしょう。
一方、東からの徳川の侵攻に対しては、東美濃の三城、那加城、そして犬山城を拠点とすれば、十分にこれを抑えきれる。わしは、そう考えておりまする」
早雲は、さらに続けた。
「そして、もう一つ。もし、さらに、あの伊勢長島(ながしま)城までも攻略することができれば……織田が我らが領内へ侵入する可能性のある、全ての街道筋に、我が軍の城が立ち並ぶこととなり申す。そうなれば、この尾張・美濃一帯を、鉄壁の要塞と化すことができましょう。徳川と織田との連携も、完全に分断できまする。…まあ、長島城は、まだ少し先の話とはなりますがな。まずは、この大垣城を抑えることができれば、我が軍は、格段に強固な防衛体制を築くことができましょうぞ」
早雲の壮大な構想に、一同は感嘆の声を漏らした。だが、秀長は、現実的な懸念を口にした。
「早雲殿、お考えは、まことに素晴らしい。しかし、今、我らは新たに獲得した領地も多く、その開発を進めるべき内政官の人手が、全く足りておりませぬ。たとえ大垣城を抑えたとしても、すぐにまとまった兵力を駐屯させ、城を十分に機能させることは、難しいのでは? 清州城とて、十分な防衛力を持てるようになるには、まだもう少し時間がかかりましょう。その状態で、もし織田に攻め込まれたら、いかがなさいますか」
「はっはっは! 心配ご無用!」
早雲は、自信満々に笑い飛ばした。
「秀長殿、このわし自らが、大垣城代として赴きましょうぞ! そして、渡辺綱殿、源頼光殿の部隊も、共に大垣へ派遣いただければ、彼らの配下には、内政官顔負けの、優れた政治力、知略を持つ者たちが、数多くおりまする。いやはや、彼らなれば、それこそ天下を任せても良いくらいの御仁たちですわい! がはは!」
「……早雲殿。恐れ入りました」
秀長も、苦笑するしかない。だが、すぐに気を取り直し、提案した。
「それであれば、突撃隊の副将の編成を、少々変更させていただきます。現在、太田道灌様の副将を務める世良田元信(せらだもとのぶ)殿は、武勇のみならず、内政においても優れた手腕を発揮されまする。今後は、大垣へ行かれる源頼光殿の副将として、その力を振るっていただきましょう。逆に、頼光殿の現在の副将である坂田金時(さかたのきんとき)殿には、犬山城に駐屯する太田道灌殿の副将として、その武勇を発揮していただく、というのはいかがでしょう。頼光殿、道灌殿、よろしいでしょうか」
「うむ、承知した」「異存ない」
両将は頷いた。
「……早雲殿の慧眼、そして秀長の機転、この頼朝、感服いたしました」
頼朝は、最終的な決断を下した。
「よし、決まった! 織田軍が再び力を蓄え、我らに矛先を向ける前に、打って出る! 我が軍の、残存兵力の再編成が終わり次第、ただちに大垣城へ向け、出陣する!」
「此度の戦は、先の連戦で、皆、疲弊しておる。兵の士気も、決して高いとは言えぬであろうし、新たな徴兵も、すぐには思うように進むまい。しかし、それは、敗北を喫した織田信長とて、同じことのはず!」
「那加城、岐阜城、そして犬山城には、最低限の守備隊を残す。それ以外の、動かせるほぼ全ての残存兵力を結集し、わし自ら、そしてトモミク隊、道灌隊と共に、大垣城へと急行する!」
「苗木城の池田輝政殿は、引き続き南信濃の武田軍と密に連携を取り、徳川軍の動向に、くれぐれも注意怠りなく!」
「「「ははっ!!」」」
諸将は、力強く応えた。
* * *
評定が終わり、諸将が退出した後、トモミクと秀長が、頼朝を茶室へと誘った。
茶室には、一人の武者が、端座し、深々と頭を垂れて待っていた。
「面(おもて)を上げよ。頼朝である」
促すと、武者はゆっくりと顔を上げた。その顔には、見覚えがあった。岩村城攻略の際に対峙し、頼光隊によって捕縛された、織田家の勇将、前田利家(まえだとしいえ)であった。
「ははっ!」
利家は、改めて頼朝に頭を下げた。
「頼朝様で、ございますか……! はじめ、トモミク殿からお話を伺った際には、正直、何を申されておるのか、皆目、理解が及びませなんだが……まさか、こうして、源氏の棟梁たる頼朝様の御尊顔を、直接拝することができまするとは……思いもよりませなんだ。まことに、光栄の極みに存じまする!」
「利家殿。…わしとて、この状況を、未だに完全に理解できておるわけではない。なぜ、己がこの時代におるのかすら、定かではないのだ。しかし、利家殿の名声は、わしの耳にも届いておる。そなたのような御仁が、もし、我が軍団に力添えいただけるとすれば、それは、まことに、ありがたきこと」
「……拙者と、かの羽柴秀吉とは、長く、深い付き合いにござれば、当然、その弟君である秀長のことも、よく存じ上げておりまする」
利家は、秀長の方へ視線を向けた。
「その秀長が、これほどまでに信を置く御方、そして軍団であると申すのであれば……この利家、信じないわけにはまいりませぬ。それにしても、秀長よ」
利家は、ふっと笑みを漏らした。
「貴殿がおらぬようになってからというもの、最近の兄者(秀吉)は、どうもいまいち、精彩を欠いておるぞ。はっはっは!」
旧知の間柄である利家の、気安い言葉に、秀長は複雑な表情を浮かべた。
「…利家殿。…何と、申し上げて良いものか……」
「頼朝様」
利家は、再び頼朝に向き直り、真剣な眼差しで言った。
「この前田利家、今よりは、秀長と共に、頼朝様へ、ご奉公申し上げる所存にございます!」
そう言って、利家は再び、深々と頭を下げた。
(トモミクは、この男に、いったいどのような話をし、説得したのであろうか……)
頼朝は、傍らで微笑むトモミクを一瞥した。
「前田殿。…差し支えなければ、一つ、お聞きしたい」
頼朝は尋ねた。
「織田信長とは、いったい、どのような御仁であるのか」
頼朝からの問いに対し、利家は、すぐには答えなかった。手元の茶碗に注がれた茶に、しばし目を落とし、それを静かに一口含んでから、ゆっくりと語り始めた。
「…信長様は……日々のお言葉も、下されるご判断も、そして、思い描かれる軍事作戦も……我々家臣には、全く、予測がつきませぬ。そして、その予測のつかぬ信長様の御心を、我々家臣が推し量ることなど、到底、できませぬ。
ただ……一つだけ確かなことは、信長様は、常に、我々には見えていない、遥か遠い先を見ておられる、ということでございます。信長様が掲げられる『天下布武』…すなわち、武家による、新たな天下泰平の世の実現。その、あまりにも強大な志に、我々家臣は惹かれ、信じ、付き従うてまいりました」
利家は、頼朝の目をじっと見据えた。
「…拙者が思うに、かつて頼朝様が目指しておられたことと、今、信長様が目指しておられるものとは、あるいは、同じものなのではないでしょうか」
「……同じ、であったかもしれぬな」
頼朝は、静かに答えた。
「だが、今は、もう違う。少なくとも、このわしはな、利家殿。
わしも、かつては武家による支配と、民の平安を願い、平家を打ち倒し、鎌倉の地に、源氏の棟梁として立った。命を懸けて、武家のため、民のために、できることは何でもやったつもりだ。たとえ、それが、実の弟の命を犠牲にすることであったとしても……」
頼朝は、遠い目をした。
「だが、今、この時代で、わしが戦っている相手が、かつてのわしと同じ志を持つ者なのだとしたら……それは、まことに皮肉なことよ。
しかし」
頼朝の声に、力がこもる。
「今のわしには、この軍団に課せられた『使命』を果たす、という、新たな覚悟が定まっておる。もはや、日ノ本全体の『大義』よりも、今、わしと共に戦うてくれる家臣たちの方が、大切なのじゃ。盟友を守ることの方が、大切なのじゃ。
仮に、日ノ本を一つに束ねたとして、本当の戦いは、そこから始まるのかもしれぬ。…もう、わしは、かつてのように、ただ天下のために戦う頼朝ではない、利家殿。もし、そなたが、このようなわしに失望し、信長殿の元へ戻りたいと申すのであれば、止めはせぬ」
語っているうちに、かつて「天下静謐」という、あまりにも遠い理想のために、独りもがき苦しんでいた己の姿が、頼朝の脳裏に浮かび、思わず苦笑せざるを得なかった。
利家は、頼朝の言葉を、静かに、しかし真剣な眼差しで聞いていた。やがて、彼は、はっきりとした口調で言った。
「……いいえ、頼朝様。拙者の、この軍団に加わるという、新たなる決意は、決して間違ってはいなかった。今、頼朝様のお言葉を承り、そう確信いたしました」
利家は、改めて頼朝の前に平伏した。
「この前田利家、微力ながら、これよりは、頼朝様のおん為、力の限りを尽くしましょうぞ!」
「…感謝申し上げる、利家殿」
頼朝は、利家の手を取り、固く握った。
(裏切った者は、すぐにまた裏切る。裏切らぬ者でも、いつか裏切るかもしれぬ。だから、危険と見なした家臣は、全て排除してきた……)
それが、頼朝が鎌倉で学んだ、非情な現実であった。
(だが……この時代で出会った家臣たちに、わしが感じている、この揺るぎない忠誠心のようなものは、いったい何なのであろう……)
今、目の前で頭を垂れる前田利家に対しても、頼朝は、不思議と、同じような感覚を覚えていた。利家は、決して織田信長を見限って、この軍団に加わったわけではないだろう。それでも、彼は、今、ここにいる。
(理由は、どうであれ……また一人、得難い、良き家臣が加わってくれた。今は、それで良いではないか)
傍らで、トモミクが、全てを見通しているかのような、いつもの微笑みを浮かべていた。
「心強いですわね、頼朝様!」
「うむ! …秀長、トモミク、ぐずぐずしておれぬぞ! 急ぎ、大垣へ向け、出陣の準備じゃ!」
頼朝の声には、新たな決意と力がみなぎっていた。
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