第八話: 逆襲

「兄上が……! 兄上の軍勢がお戻りになられたぞ!」


南信濃へ遠征していた頼朝軍本隊が、犬山城下へ差し掛かったとの報せは、まさに限界寸前の防戦を続けていた義経たちのもとへも、すぐに届けられた。


天才的な軍略を駆使し、整然と指揮を執る義経隊は、驚くべきことに兵の損耗を最小限に抑えながら戦い抜いていた。しかし、寄せ集めの兵で編成された櫛橋光隊は、度重なる激戦で、もはや出陣時の半分程度の兵数となり、文字通り壊走寸前の状態であった。また、常に最前線で敵の突撃を一身に受け止め続けてきた太田道灌隊も、その消耗は計り知れないものがあった。


「皆の者、聞いたか! 間もなく兄上より、新たな指示があるはずじゃ! もう少しの辛抱ぞ! 持ちこたえよ!」

義経の檄が飛ぶ。

どれほどの時間、この小牧山で戦い続けているのか。将兵たちの感覚は、もはや麻痺しかけていた。

それでも、「頼朝軍本隊、帰還」の一報は、疲弊しきった兵たちの心に、新たな希望の灯をともし、部隊の士気を劇的に向上させた。


* * *


一方、犬山城下で軍を再編していた頼朝のもとへ、秀長から現状の報告があった。

「頼朝様、ご報告いたします。現在、義経隊、太田道灌隊、そして櫛橋隊が、小牧山にて織田の攻撃を懸命に防いでおります。また、北条早雲隊も、我が領内に侵入した滝川隊を撃ち払い、犬山へ向かっておられるとのこと」

秀長は、安堵の表情の中にも、一抹の懸念を滲ませて言った。

「ただ……現状、全ての城から、動かせる兵は全て出払っており、我が領内には、予備兵力が全く存在しない状況となっております」


「うむ、大義であった!」

頼朝は力強く頷いた。

「義経は、まことによく持ちこたえてくれた! …ところで、櫛橋殿が兵を率いておったのか? 」


「はっ。先の織田軍襲来の報を受け、那加城にて急遽、別隊が編成されまして……篠様と、護衛の亀田様も、その櫛橋隊に配属されている、とのことにございます」

「……篠が?」

頼朝は、一瞬、言葉を失った。篠が出陣したことへの驚きと動揺。いや、それ以上に、それほどまでに、西の防衛線は苦しい状況にあったのだ、という事実を改めて思い知らされた。


「……秀長よ。我が遠征軍の兵も、長旅と連戦で消耗しておる。だが、小牧山で織田の大軍と不眠不休で対峙し続けている者たちの損耗とは、比較にならぬであろう」

頼朝は決断した。

「これより、我ら本隊は、大草城へ向かい、布陣する。義経には、一旦、小牧山から犬山城まで兵を引くよう、伝えよ」


「はっ、承知いたしました。…ただ、頼朝様。遠征軍の中でも、頼光隊の消耗は限界かと存じます。兵数は、すでに出陣時の半分を下回っております」

「…頼光殿の、あの獅子奮迅の働きがあったからこそ、我ら射撃隊の損耗が、この程度で済んでおるのだ。頼光殿には無念であろうが、今は退くべき時。一旦、居城へ戻り、次の戦に備え、兵馬を十分に休ませるように、と丁重にお伝えせよ」

「仰せの通りに!」


「各部隊が犬山と大草に集結し次第、ただちに反撃に転ずる! 織田軍を挟撃し、この地から完全に追い払う!」

頼朝の目に、強い決意の光が宿った。


* * *


「義経殿! 殿からのご命令です! 犬山城まで後退せよ、とのこと!

殿ご自身は、大草城へ向かい、布陣される、と!

軍勢整い次第、改めて小牧山へ進軍せよ、との仰せにございます!」

伝令からの報告に、義経は安堵の息をついた。


「そうか、了解した! これで大草は、もう安心だな」

義経は、傍らの道灌と光に告げた。

「これより、一旦、犬山まで下がり、補給を行う。櫛橋殿、道灌殿、今日まで、まことによくぞ凌いでくれた! …櫛橋隊は、これより直ちに後退を開始されよ。道灌殿には、申し訳ないが、今しばし、お力をお借りしたい」


「はっはっは! 義経様、何のこれしき! この太田道灌、まだまだ戦えまするぞ!」

道灌は豪快に笑った。


「道灌殿、まことに心強い。感謝いたす」

義経は道灌に深く一礼すると、櫛橋隊の方へ向き直った。

「篠殿。よくぞ、最後まで戦い抜かれた! ここまでの働き、誠に大義であった。兄上と、父君には、この義経が、しかと篠殿の武勇を報告いたすゆえ、吉報を、那加城にてお待ちくだされ」


「いえっ! わたくしは、まだ戦えます!」

食い下がろうとする篠を、今度は櫛橋光が優しく諭した。

「篠様。わたくしたちは、もう十分に戦いました。後は、頼朝様と義経様にお任せしておけば、もう安心でございます。これ以上は、わが隊の兵たちも、本当に苦しゅうございます。どうか、ここはご辛抱くださいませ」


(ここから、いよいよ我が軍が反撃に転ずるというのに……)

自分だけが、その場から去らねばならない。そのことが、篠には悔しくてたまらなかった。

「……わかり、ました……」

悔し涙を浮かべながらも、篠はこくりと頷き、櫛橋光と共に、那加城への撤退の準備に取り掛かった。


「全軍に告ぐ! 殿(しんがり)は、この義経隊が引き受ける! 櫛橋隊、太田隊は、これより順次、犬山城へ向け離脱を開始せよ!」

義経の号令が、小牧山の空に響いた。


* * *


大草城には、南信濃への長き遠征から帰還した、頼朝隊、トモミク隊、赤井隊が集結した。遠征軍は、どの部隊も出陣時に比べれば兵数を大きく減らしてはいたが、それでもなお、数万の規模を維持しており、士気も高い。


一方、犬山城には、小牧山で死闘を繰り広げた義経隊、太田道灌隊、そして岐阜から駆けつけた北条早雲隊が集結していた。

驚くべきことに、最も激しい戦闘を経験したはずの義経隊が、三部隊の中で最も兵の消耗が少なく、最大の兵数を維持していたのである。


「はっはっは! さすがは義経殿! その用兵の妙、まこと尋常ではありませぬな!」

殿軍を務め、整然と激戦地から引き上げてきた義経隊の姿を見て、北条早雲も驚きと称賛を隠せずにいた。

「拙者も、幼き頃、父より義経殿の武勇伝を、よう聞かされたものじゃが……今更じゃが、わしの幼き頃の伝説の英雄と、こうして共に戦える! 光栄の至りですわい! がはは!」

義経よりも遥かに年長であるはずの早雲から、「幼き頃の英雄」と呼ばれるのも、奇妙な感覚ではあった。だが、この時代においては、逆に、北条早雲や太田道灌こそが、義経にとっては伝説上の人物の名声として耳にしていた存在なのだ。


「いえ、早雲殿。これほどの激戦の中、わが隊が無事であったのは、太田道灌殿が、常に盾となり、敵の猛攻を食い止めてくださったからにございます。道灌殿のお力あってこそ」

義経は謙遜したが、その視線は、ふと、傍らに立つ妻・梓へと向けられた。

(そなたの的確な助言と、支えがあったからこそだ)

言葉には出さずとも、二人の間には、確かな絆と理解があった。


間もなく、大草城の頼朝から、犬山城へ早馬が届いた。

書状には、ただ一言。

「小牧山へ向け、出陣せよ!」


兵数の最も多い義経隊を先頭に、太田隊、北条隊が続く。彼らは、先ほどまで死闘を繰り広げていた小牧山へ向け、今度は反撃の鬨の声を上げながら、再び進軍を開始した。


* * *


小牧山に残っていた織田軍は、先の戦いで相当な損害を受けていたとはいえ、羽柴秀吉、堀秀政(ほりひでまさ)、柴田勝家、堀直政といった、織田軍が誇る精鋭部隊は、まだ健在であった。

犬山から進軍してくる頼朝軍(義経隊、太田隊、早雲隊)を迎え撃つべく、彼らは再び牙を剥いてきた。


しかし、此度の頼朝軍は、以前とは違う。

大草城から進撃してきた頼朝軍主力部隊(頼朝隊、トモミク隊、赤井隊)による側面からの攻撃。そして、犬山城から進撃してきた部隊による正面からの攻撃。この左右からの挟撃を受け、さしもの織田軍精鋭部隊も、もはや抗する術はなく、撃退されるまでに、時間はかからなかった。

この攻撃を最後に、織田軍は、もはや頼朝軍に対し、組織的な波状攻撃を継続できる部隊を、この地域から失ったのである。


* * *


織田軍の主だった部隊を、小牧山周辺から完全に追い払い、目の前には、織田信長自らが布陣する清州城が迫っている。

頼朝は、各部隊長を、小牧山の麓に急ぎ招集した。


やがて、義経が頼朝の本陣に到着した。南信濃へ向け、那加城を出陣したのが、まるで遥か遠い昔のことのように感じられる。

「義経!」

頼朝は、駆け寄ってきた弟の手を、強く、強く握りしめた。

「よくぞ……! よくぞ、織田の猛攻を凌ぎきってくれた! 大義であったぞ、義経! まことに、大義であった!」

「兄上!……兄上こそ、ご無事にて、よくぞお戻りくださいました!」

かつて、あれほど憎み、その命を奪うことさえ考えた弟。その弟と、今、こうして手を取り合い、互いの無事を喜び合っている。この数奇な運命を、頼朝は感慨深く受け止めていた。


やがて、小牧山に布陣していた他の部隊長たちも、次々と集まってきた。

「皆の者!」

頼朝は、集まった将たちの顔を見渡し、張りのある声で言った。

「此度の戦、まことに大義であった! 遠く南信濃における武田の救援、帰路での東美濃の織田勢力の駆逐、そして、その間隙を突いて襲来した織田本隊の撃退。これらすべて、皆の命を懸けた働きがあってこそ、成し遂げられたことである! この頼朝、心より、皆に感謝する!」


頼朝は、一呼吸置いて、言葉を続けた。

「このまま、軍を那加へ帰還させることもできる。しかし……わしは、此度、目の前の織田信長を蹴散らし、あの清州城を、我らの手で攻め落としたいと考えておる」

どよめきが起こる。

「これまで、我々は、やみくもに領地を広げることなく、織田の侵攻を撃退し続けることで、武田を守り、力を蓄えることを目指してきた。美濃に築いた要塞線をもってすれば、織田の攻撃は防ぎきれる、と。だが……」

頼朝の声に、熱がこもる。

「我が軍団が、目の当たりにしてきた現実は、どうであったか。おのおの方、いかに思われるか。織田軍のみを撃退することすら、決して容易ではなかったはずだ。ましてや、徳川、織田が同時に牙を剥いてきたら、どうなっていたであろうか。武田への援軍を東へ差し向けた、まさにその隙を突かれ、我らは、滅亡寸前の危機にまで追い込まれたではないか。


織田信長は、この敗北に屈することなく、必ずや、さらに力をつけ、より厳しい戦いを、我らに挑んでくるであろう。これまで、奴らは常に、あの清州城を拠点として、我らが領内へ侵攻してきた。先の戦で、清州城を容易く落とせたであろう好機を、我らは見過ごした。そして此度、その清州城から出撃してきた敵によって、危うく我らは挟撃され、壊滅するところであったのだ。


たとえ清州を攻略したとしても、信長はまた新たな拠点を設け、我らを攻めてくるであろう。それは分かっておる。しかし、それでも、この喉元に突きつけられた刃、清州城を、これ以上放置しておくわけにはいかぬ!」

頼朝は、集まった将たちの目を、一人一人、力強く見据えた。

「わしは……この軍団の、誰一人として、失いたくはないのだ!」


これまで、万事において秀長に相談し、その意見を尊重してきた頼朝であったが、此度の清州城攻略は、彼自身の強い意志による決断であった。

美濃の三つの城(岐阜、那加、犬山)から、やや離れた位置にある清州城を、新たに勢力下に組み込むことは、兵力の分散を招き、部隊間の連携に困難を生じさせる可能性もある。

しかし、清州に駐屯する織田軍から、今後も波状攻撃を受け続けるという事態だけは、何としても避けたい。それは、ここにいる誰もが、痛感していることであった。


最初に口を開いたのは、北条早雲だった。

「頼朝殿、わしに異存はござらぬ」

老将は、静かに、しかし力強く頷いた。

「たとえ清州城を失ったとて、侵攻を諦める信長ではありますまい。それは重々承知。なれど、まずは目の前にある脅威を、一つずつ着実に排除していく。それもまた、戦の要諦ではござらぬか。信長の拠点を一つ奪い、その力を削ぐことも、また大事なことと存ずるがな」


北条早雲の発言をきっかけに、他の諸将からも、次々と賛同の声が上がった。

「頼朝様! 清州城落城の暁には、是非とも、この赤井輝子を城代に!」

抜け目なく、赤井輝子が名乗りを上げる。


「はっはっは! 輝子殿、そなたは、もう譜代衆であるぞ。その働きにふさわしき城を、そなたに与えることに、何の躊躇があろうか。存分に力を尽くし、清州城を攻め落とすが良い!」

「ははーっ! ありがとうございます! この輝子、命に代えましても、必ずや清州城、落としてみせまする!」

輝子は、感極まった様子で叫んだ。

(これで、早雲殿との約束も果たせたな……)

頼朝は、満足げに頷き、北条早雲に目配せをした。


「して、トモミク。そなたはどうじゃ」

頼朝が尋ねると、トモミクは静かに一歩前に出た。

「頼朝様。わたくしにも、異存はございません。…ただ、一つ、お願いがございます」

「ほう、申してみよ」

「此度の清州城攻略、わたくしに、先鋒をお命じいただけませんでしょうか」


それは、頼朝にとっても、他の諸将にとっても、意外な申し出であった。

「…トモミク。そなた自ら、先陣を、と申すか。…ありがたい申し出だ。よし、分かった。清州城への先陣は、そなたに任せる」

「はっ、ありがたき幸せに存じます」

トモミクは、静かに頭を下げた。


「よし! おのおの方、明朝、日の出とともに、清州城へ向け、総攻撃を開始する! 準備怠りなく!」

「「「おおおおおーーーっ!!!」」」

頼朝軍の、勝利への咆哮が、小牧山の麓に響き渡った。

その声は、清州城に布陣する織田信長の耳にも、確かに届いたことであろう。


* * *


翌朝。頼朝軍による清州城への総攻撃が開始された。

先陣を命じられたトモミク隊が、まず空を埋め尽くすかの如き、苛烈な鉄砲射撃を浴びせかける。続いて義経隊、そして最も士気の高い赤井隊、頼朝隊からも、次々と鉄砲玉が城へと撃ち込まれる。

射撃が一時的に止んだ瞬間を突き、北条早雲隊、太田道灌隊の精鋭騎馬隊が、怒涛の如く突撃を繰り返す。


先の野戦で主力を失っていた清州に布陣していた織田信長は、この圧倒的な攻撃の前に、もはや成す術はなかった。

自ら先陣を買って出たトモミクは、そのまま城内へと突入し、抵抗する残敵を掃討。清州城が完全に頼朝軍の手に落ちるまで、時間はかからなかった。


天文十一年(1582年)三月。

頼朝軍は、ついに織田家の重要拠点、清州城を攻略した。


南信濃へ出陣したのが、前年の五月。それから、ほぼ一年もの間、頼朝軍の多くの部隊は、本拠地へ帰還することもできず、各地で戦い続けてきたのだ。

その結果、東美濃を勢力下に組み込み、武田領との国境を直接繋ぐことに成功。織田軍本体による猛攻にも耐え抜き、逆にその戦略拠点である清州城までも奪取。さらに、関東の雄・北条家との共闘の約定まで取り付けることができた。失ったものも少なくなかったが、得たものもまた、計り知れないほど大きかった。


しかし、頼朝は知っていた。大切なのは、この勝利の、さらに『この後』である、と。


弱体化したとはいえ、未だ健在の武田家を、どう守り支えていくのか。

新たに確保した東美濃、そして清州城を含めた、我が軍全体の防衛体制を、どう再構築していくのか。

課題は山積みであった。


(まずは……那加へ戻り、篠をねぎらってやらねばな。そして、岐阜へ赴き、桜にも会いたい。何よりも……義経と、ゆっくりと盃を酌み交わしたいものだ……)


長い戦いを終え、ようやく那加城へと帰還した頼朝軍。城下へ入ると、そこには、勝利を祝う多くの民たちが、歓声を上げながら頼朝軍を出迎えてくれていた。

久しぶりに目にする、よく整備された美濃の町並み。そして、遠くに望む、美しき飛騨の山々。

頼朝は、馬上からその光景を眺めながら、この異世界で得た、新たな故郷と、かけがえのない絆の温かさを、しみじみと感じていた。

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