第六話:武田への援軍

「殿! 武田家より、火急の使者にございます!」

取次役の兵が、切迫した様子で広間に飛び込んできた。ただ事では無さそうだ。


「何、武田から? …すぐに参る!」

頼朝は即座に立ち上がり、使者が待つという評定の間へと急いだ。


評定の間には、甲冑を纏ったままの武者が一人、力なく控えていた。その姿は、矢傷、刀傷にまみれ、まさに満身創痍といった有様であった。

「お、お目通り叶い、心より感謝申し上げまする!」

使者は、かろうじて声を絞り出し、頼朝の前に額を擦り付けた。

「某は、武田軍・飯田城主、秋山信友(あきやまのぶとも)様の使いとして、急ぎ参上いたしました! 我が飯田城は、徳川に包囲され、籠城を続けておりまするが、もはや限界にございます! 何卒、頼朝様のお力をお借りしたく、援軍のお願いに罷(まか)り越しました!」


「…南信濃の武田本隊はどうしたのだ。先の戦では、徳川に睨みを利かせてくれたはずではないか」

頼朝が問うと、使者は顔を歪めた。

「それが……徳川勢と合戦に及びましたが……残念ながら、敗れまして……」


「むぅ……すぐにでも援軍を出したいのは山々なれど……」

頼朝は言葉を濁した。

「そなたがここまで来るのに、どれほどの苦労があったか、その姿が物語っておる。我らがいる美濃から、南信濃の飯田までは、織田領である東美濃が立ちはだかっておるのだ。援軍を送るといっても、道が繋がっておらぬ」


「そこを何とか! このままでは飯田は落ち、信濃は徳川の手に!」

使者は、必死の形相で懇願を続ける。


「…案ずるな。我々も、盟友たる武田を見捨てる気はない。必ずや策を講じるゆえ、まずはそなた、傷の手当てをせよ」

「は、ははっ! ありがたき幸せにございまする!」

使者は、安堵したのか、あるいは極度の疲労からか、その場で気を失いかけた。


(先の戦で、我らが徳川に攻められた際、武田軍が南信濃から圧力をかけてくれた。そのおかげで、我らは織田との戦に集中できたのだ。だが、あるいは、それが引き金となって、徳川の矛先が武田の南信濃軍団へと向き、このような憂き目に遭わせてしまった、ということか……)

頼朝は唇を噛んだ。

飯田城は、武田にとって南信濃防衛の要である。ここを突破されれば、信濃の奥深く、本拠地である甲斐までもが徳川の脅威に晒されることになりかねない。


(我々が美濃で織田の侵攻を抑えておれば、武田は単独でも徳川に対抗できるはず、と考えていたが……甘かったか)

武田家の力が、予想以上に弱まっているのかもしれない。あるいは、徳川家康が、それほどまでに力をつけているのか。

上杉家との同盟によって、武田にとって北からの脅威は無くなった。それは大きな意味を持つはずだが、先の御館の乱で疲弊した上杉家に、今、武田へ援軍を送る余力はないだろう。


それにしても、この使者。満身創痍の体で、よくぞここまで辿り着いたものだ。

飯田城から那加城へ至る最短経路は、東美濃の街道を抜ける道だ。しかし、そこには織田方の苗木城、鳥峰城、岩村城といった城塞が点在し、通行は不可能に近い。

木曽福島から飛騨へ抜け、そこから美濃へ入る道もある。飛騨は、形式上は上杉家に属する姉小路(あねがこうじ)家が支配しており、安全な通行は可能であろうが、それでは時間がかかりすぎる。

この使者は、おそらく、東美濃の織田領内を、命がけで突破してきたに違いない。その覚悟も、頼朝の心を動かしていた。


* * *


頼朝は、参謀の羽柴秀長、そして那加城に駐屯する部隊長、義経と赤井輝子を急ぎ招集し、軍議を開いた。岐阜城のトモミク、北条早雲を呼び寄せる時間的猶予はない。


「秀長よ、難問であるな」

頼朝は切り出した。

「使者には援軍を送ると約束はしたものの、現状、飯田城へ至る道は織田に塞がれておる。兵糧の問題もある。…何か、策はあるか」


「……」

秀長は、厳しい表情で腕を組んだ。

「頼朝様、時間も、道も、そして十分な兵糧もございません。…しかし、飯田城の陥落だけは、何としても防がねばなりませぬ。もし飯田城が落ちれば、我々がこの地で、多大な犠牲を払いながら耐え忍んできたことの意味すら、失いかねませぬ。ですが……」

秀長は必死に知恵を絞ろうとしているが、この火急の事態に、容易には妙案を見いだせずにいるようだった。


その時、沈黙を破ったのは赤井輝子だった。

「秀長! あんたは有利な策がないと分かると、急に情けなくなるね! 見ていられないよ!」

輝子は秀長を一喝すると、頼朝に向き直った。

「殿! こういう時は、難しいこと考える必要はないんです! 正面突破! それしかありません!

ちょうど良い機会じゃありませんか! 目の前の邪魔な東美濃の織田軍を、この際、一気に蹴散らしましょう! その上で、南信濃に入り、武田軍と合流する! これが、武田を救う唯一の道です!」

輝子の目は、闘志で燃えている。

「美濃の織田勢など、恐れるに足りません! 飯田城を囲んでいる徳川軍だって、武田との戦いで、きっと消耗しているはずですよ! 我らの前に立ちふさがる者は、片っ端から踏み潰して、前に進む! ただそれだけです!」


(輝子らしい、勇猛果敢な意見よ……)

頼朝は思った。彼女は間違いなく、この軍団で一、二を争う猛将だが、その猪突猛進に見える言動の裏には、意外なほどの智謀と状況判断力が隠されていることを、頼朝は知っている。


「しかし、赤井殿!」

秀長が反論する。

「その策で、果たして飯田城の救援に間に合うかどうか。それに、我らが東美濃の攻略に兵力を集中させている隙に、もし西から織田の本隊に攻め込まれたら、それこそ我らもひとたまりもありませぬぞ!」

秀長は、あらゆる可能性を想定し、最悪の事態を避けようとする。だが、今はその慎重さが、逆に足枷となっているようにも見えた。


「秀長っ!」

輝子が、猛然と秀長に食って掛かる。

「戦(いくさ)ってのは、いつも有利な状況でできるもんじゃないんだよ! 他に手がないなら、死力を尽くして活路を開く! それだけだろ! 南信濃が徳川に蹂虙(じゅうりん)されてもいいってのかい!? それに、『ひとたまりもない』とは何だ! 我らが軍団への侮辱かい!」


「まあまあ、輝子殿、落ち着かれよ」

今度は、義経が静かに口を開いた。

「兄上。拙者も、考えは赤井殿に同じくいたします。我が軍は、盟友・武田の窮地を救わねばなりませぬ。そして、東美濃を突破せずして、飯田城を救援する方法は、現状、ございません。おそらく、上杉家にも、武田を助けるだけの余力はないでしょう。ならば、我が軍が、何としても救援に向かうしかありませぬ」

義経は、頼朝の目を見て、力強く言った。

「時間との戦いとなりましょう。ならば、東美濃の織田軍は、我らが持つ圧倒的な兵力と火力をもって、真正面から踏み潰し、迅速に進むべきかと存じます。…秀長殿、西の織田の侵攻については、ご心配なく。この義経が、必ずや食い止めまする」


「へえ、さすがは頼朝様の弟君! 話の分かる武人じゃないか!」

輝子は、自分の提案が義経に後押しされたことに気を良くしたのか、義経ににじり寄って肩を叩いた。


「…皆の考え、よく分かった」

頼朝は、一同を見渡し、決断を下した。

「わしも、此度は正面から飯田城へ向かう以外に道はない、と考えておる。…わし自らも、出陣する」

「義経よ、そなたの覚悟、感謝する。武田救援の成否は、そなたの働きにかかっておるぞ」

「秀長、決まったからには、最善の布陣を考えよ」

ひとたび方針が決まれば、あとは秀長が、必ずや最善の実行計画を立ててくれるであろうことを、頼朝は信じていた。


「ははっ! かしこまりました!」

秀長も、迷いを振り払ったように、顔を上げた。

「拙者も、覚悟を決めました。それでは、これより布陣案を申し上げます。

一部の守備隊を、対織田への備えとして各城に残しますが、それ以外の、動かせる全戦力を結集し、東美濃を突破、飯田城救援へと向かいます。東美濃の織田軍を、可能な限り短時間で、一挙に殲滅できるよう、射撃部隊と突撃部隊を効果的に組み合わせた、機動力の高い部隊編成を考えたく存じます」


そこで、赤井輝子がすかさず割って入ってきた。

「秀長! 西の守りを義経様が引き受けてくださるなら、あたしの軍は、東の織田も、南の徳川も、まとめて蹴散らしてやるよ!」


(ふむ……)

頼朝は考えた。先の戦でも、早雲の突撃隊と輝子の射撃隊の連携は、見事な戦果を挙げていた。清州の織田勢を完膚なきまでに叩きのめし、苦戦していた渡辺隊と大内隊を救援し、最後は明智光秀隊までも敗走させたのだ。此度も、赤井隊と、頼光殿のような強力な突撃隊との組み合わせは、効果的かもしれぬ。


「……はあ。しかし、赤井殿が出陣されますと、頼朝様直属の部隊が……」

秀長は、ちらりと頼朝に視線を送る。那加城の兵力を義経隊、頼朝隊、赤井隊と三分割すれば、一部隊あたりの兵数が手薄になることを懸念しているのだ。

頼朝は、黙って秀長に頷いてみせた。先の戦で早雲と交わした、「輝子が手柄を立てれば譜代衆に任ずる」という約束もある。そして何より、頼朝自身、この勇猛な女武者の戦場での活躍を、もっとこの目で見てみたい、という気持ちもあった。


秀長は、頼朝の意を汲んで、続けた。

「…かしこまりました。それでは、此度の出陣部隊は、以下の通りといたします」

「まず、岐阜城よりトモミク隊(第二狙撃)に出陣いただき、那加城にて他の部隊と合流」

「那加城からは、頼朝様(第一狙撃)、赤井殿(第四狙撃)の二部隊が出陣」

「犬山城より、頼光様(第二突撃)の部隊に出陣いただき、途中の美濃太田にて、那加城からの部隊と合流」

「以上、四部隊、総勢およそ五万の兵力をもって、飯田城へと向かいます。先陣は頼光隊と赤井隊。後詰として、頼朝様とトモミク隊にお願い申し上げます」

「一方、西の織田への備えとしましては、那加城に義経様(第三狙撃)、岐阜城に早雲隊(第一突撃)、犬山城に太田隊(第三突撃)、この三部隊をもって、美濃・尾張の防衛線をお守りいただきます」


「へっ! 秀長、なかなか分かってるじゃないか! いい陣立てだよ!」

赤井輝子は、満足そうに腕を組み、上機嫌であった。


「よし! 全軍、ただちに戦の準備にかかれ!」

頼朝が号令を下す。

「秀長、至急、岐阜のトモミク、犬山の頼光殿に使者を! トモミク隊が那加城に到着し次第、我らも出陣する!」


* * *


天文九年(1581年)五月。

トモミク率いる第二狙撃隊が、岐阜城から那加城へと到着した。入れ替わるように、頼朝隊、赤井隊が那加城の城門を出る。


「義経、後のことは頼んだぞ」

「はっ! 兄上も、どうかご武運を。西の織田のことは、一切ご心配なく」

「…頼りにしておる」

その兄弟の短いやり取りを、物陰から、出雲阿国が静かに見守っていた。


頼朝隊と赤井隊は、東へ進み、美濃太田にて、犬山城から出陣してきた源頼光隊と合流。総勢五万の軍勢が、一路、東美濃を目指す。


時を同じくして、早くも織田軍の迎撃部隊が現れた。加藤清正(かとうきよまさ)率いる一隊が、頼朝軍の侵攻を真正面から食い止めんとする気迫で、土田(どた)の地に陣を構え、待ち受けていた。


先陣の赤井輝子が、まず苛烈な鉄砲射撃を浴びせかけて開戦。敵陣が怯んだところを見計らい、源頼光率いる騎馬隊が、猛々しくも整然とした突撃を敢行した。

赤井隊の射撃と、頼光隊の突撃。この二つの波状攻撃の前に、加藤清正隊はなすすべもなく、早々に蹴散らされ、壊滅した。


しかし、今回は敵を殲滅しながら強行軍で進む作戦である。早々に敵を蹴散らしたとは言え、初戦から突撃を繰り返した頼光隊の兵たちの消耗は、いつになく激しいものとなっていた。


* * *


六月に入った。幸いにも、飯田城はまだ落城せず、持ちこたえているとの報せが入る。

頼朝軍は、清正隊を掃討した後も進軍を続け、東美濃の入り口にあたる鳥峰城(とりみねじょう)へと到達した。


頼朝軍の目的は、あくまでも南信濃・飯田城の救援である。東美濃に点在する織田方の拠点を、いちいち攻略している時間はない。立ちふさがる敵のみを薙ぎ払い、最短距離で飯田を目指す。

当然、織田軍も、頼朝軍の進軍を黙って見過ごすはずはない。鳥峰城からは、前田利家(まえだとしいえ)率いる部隊が出撃し、頼朝軍の前に立ちはだかった。

だが、これも、先陣を務める頼光隊と赤井隊が、容赦なく襲いかかる。


「前田利家! 邪魔だてするなら容赦しないよ! 道を開けな!」

相変わらず、赤井輝子の攻撃は苛烈を極める。

頼光隊も、赤井隊と見事な連携を見せ、前田隊を粉砕した。

頼朝軍は、撃破した前田隊には目もくれず、鳥峰城の脇を駆け抜け、さらに東へと進軍を続ける。


* * *


頼朝軍が鳥峰城を過ぎ、次の苗木城(なえぎじょう)へ向けて進軍している最中、後方から再び敵襲の報が入った。先の戦いで敗走したはずの加藤清正が、残存兵力をかき集め、背後から奇襲を仕掛けてきたのだ。


しかし、それも頼朝軍にとっては想定済みのことであった。

後詰として、ほぼ無傷で最後尾を進軍していたトモミク隊が、即座に反転し、これを迎え撃つ。

「私が、やりまーす!」

トモミクの、いつもの、どこか気の抜けるような掛け声が響き渡る。それを合図に、トモミク隊の鉄砲が一斉に火を噴き、清正の寄せ集め部隊に襲いかかる。トモミク隊は、ほとんど損害を受けることなく、再び清正隊を撃退した。


* * *


七月。ついに頼朝軍は苗木城に到達した。

ここで守備隊として立ちはだかったのは遠山(とおやま)隊であったが、これも先陣の頼光隊、赤井隊が難なく蹴散らし、苗木城を抜け、いよいよ信濃国境へと迫る。


だが、さすがに連戦続きで、先陣を務める頼光隊、赤井隊の消耗は激しいはずであった。

(そろそろ、後方の頼朝隊、トモミク隊と交代させたいところだが……)

頼朝は秀長に相談した。

「秀長、この先の進軍、どうすべきか」


「頼朝様。この先の道は、更に狭隘な山道となります。このような地形で、数万の部隊の前後を入れ替えるのは、多大な時間を要し、危険も伴います」

秀長は地図を睨みながら答えた。

「頼光隊、赤井隊ともに、損耗が激しいのは事実。しかし、両将とも士気はいまだ高く、飯田城を包囲している徳川軍に比べれば、兵数では依然として我らが遥かに上回っております。ここは、このまま頼光隊、赤井隊を先陣として、一気に山を越え、飯田城へと迫るべきかと存じます」


(やむを得ぬか……)

頼朝は頷いた。

それにしても、と頼朝は思う。武田領内から、飯田城への増援が一切送られてこないのは、どういうことであろうか。先の敗戦と、北条家との対立で、それほどまでに消耗しきっているというのか。

あるいは、我々のこの強行軍を当てにして、当主である武田勝頼が、手をこまねいているのだとしたら……それは、家臣たちの間に、当主への不満や不安を募らせる結果となりかねない。

(そんな武田家を、美濃一国を領するに過ぎぬ我が軍団が、果たしてどこまで守り切れるものか……)

頼朝は、一抹の不安を覚えた。


* * *


だが、頼朝の懸念を吹き飛ばすかのように、頼光隊、赤井隊は、これまでの消耗や疲労など微塵も感じさせぬ、まさに神速ともいうべき速度で険しい山道を踏破。ついに飯田城を包囲する徳川軍の背後へと迫った。


予想通り、飯田城を包囲していた徳川軍の兵力は、武田軍との激戦の後であり、それほど多くはなかった。だが、残っていたのは、大久保(忠世)隊、そして本多(忠勝)隊という、徳川軍の中でも精鋭中の精鋭であった。


しかし、相手が誰であろうと、頼光隊と赤井隊の猛攻は止まらない。

「死にたくなければ、さっさと逃げるんだね!」

赤井輝子の檄が飛ぶと同時に、彼女の率いる鉄砲隊が一斉に火を噴いた。


「頼光殿! あれに見えるは、徳川が誇る猛将、本多平八郎忠勝(ほんだへいはちろうただかつ)ではござらぬか!」

赤井隊の副将が叫ぶ。

「おお! 寡兵ながら、中々どうして、しぶといではないか!」

頼光も感心したように応じる。


「強い男が、無様に逃げ惑う姿を見るのは、たまらないねぇ!」

輝子は、さらに気勢を上げる。

「鉄砲隊! 雑魚は構うな! あの黒い糸縅(いとおどし)の鎧を着た、色男を狙い撃て! 撃て! 撃て! 撃ちまくれ!」

赤井隊は、苛烈な射撃と突撃を繰り返しながら、本多隊、大久保隊との距離を急速に詰めていく。


「我らとて、負けてはおれぬわ!」

頼光隊もまた、本多隊が赤井隊の猛射によって指揮系統に混乱を生じた、まさにその瞬間を突き、怒涛の如く突撃を敢行した。

さすがの猛将・本多忠勝も、この挟撃には抗しきれず、大久保隊と共に潰走を余儀なくされた。


頼朝隊とトモミク隊が、ようやく山越えの行軍を終え、飯田城下に到着した頃には、すでに戦いの趨勢は決していた。

南信濃の危機は、頼朝軍の決死の救援作戦によって、回避されたのである。


* * *


飯田城の城門が開かれ、城主・秋山信友自らが、頼朝軍を出迎えた。

「おお……頼朝様! よくぞ、よくぞお越しくださいました! この御恩、何と申してよいか……」

武田軍の中でも勇猛で知られる秋山信友。だが、その表情には、安堵よりも、むしろ己の不甲斐なさに対する屈辱の色が濃く浮かんでいるように見えた。友軍とはいえ、他家の援軍に頼らざるを得なかったという事態は、武田家古参の名将としての誇りを、深く傷つけたのかもしれない。


「秋山殿、まずはご無事で何よりであった。…して、いったい何があったのだ。勝頼殿は、今、如何なされておる」

頼朝が問うと、秋山は力なく首を振った。

「我が武田軍は、東の北条、南の徳川と、同時に侵攻を受けまして……この南信濃方面は、ご覧の通りの体たらくにございます。徳川軍が、近年とみに力をつけてきているのは確かですが……それにしても、面目次第もございません」


「北条との戦線は、どうなっておる」

「北条勢は、当主・勝頼様が、辛うじて追い払われた、と聞き及んでおります。しかし、その戦で、武田本隊も相当な兵を消耗したとのことで、この南信濃へ援軍を送る余裕は、もはや無い、と……」


「うむ……それは、由々しき事態であったな。何としても、軍を立て直し、再び武威を示していただきたいものだ。我が軍でできることがあれば、何なりと申されよ」

「滅相もございません!」

秋山は慌てて頭を下げた。

「此度は、使者が無事に頼朝様のもとへ辿り着けるかどうかも分からぬまま、ただただ、祈るような思いで助けを乞いました。まさか、これほど迅速に、これほどの大軍を、この飯田城まで派遣いただけるとは……まことに、かたじけなく存じまする。まさに、命拾いをいたしましたぞ」

秋山信友は、努めて気丈に振る舞おうとしているようだった。


「まずは、我が軍が持参した兵糧を、城内へお納めいたす。籠城が続き、城兵たちも、さぞ空腹であったろう」

「は、ははっ……重ね重ね、御礼の言葉もございません……」

秋山の目に、涙が浮かんでいるように見えた。それはうれし涙では無かった。


* * *


飯田城下の仮設の陣所にて、頼朝は秀長と、今回の遠征に参加した部隊長(トモミク、頼光、赤井)を集め、急ぎ軍議を開いた。


「南信濃の危機は、ひとまず去った。だが……これで、しばらくは武田は持ちこたえられるであろうか」

頼朝は切り出した。

「それにしても、武田家の力が、我々の想像以上に弱まっているようだ。あるいは、それだけ徳川軍が力を増している、ということなのかもしれぬが……」


秀長が、厳しい表情で口を開いた。

「我々が頼りとしておりました、武田家の南信濃軍団は、先の徳川との戦で、ほぼ壊滅的な被害を受けている模様です。おそらく、当分の間は、我が軍の直接的な支援なくして、徳川からの圧力をはねのけることは難しいでしょう。

そこで、皆様に急ぎご意見を賜りたく存じます。今後、我らが南信濃へ、必要に応じて援軍を派遣せねばならぬ事態を想定いたしますと……もはや、我が軍の領地と、武田領とを、直接繋ぐ道を確保することが不可欠となります。

そのためには、東美濃に点在する織田方の拠点を、完全に我が勢力下に組み込む必要がございます。現状、これ以上、支配地域を広げ、そこを発展させるほどの人材も、経済的な余力も、我が軍にはございません。しかし、美濃と信濃を結ぶ街道を確保することは、今後の武田家支援、ひいては対織田・徳川戦略において、最優先で取り組むべき急務と考えます」


「次に……」

秀長は、更に大胆な提案を続けた。

「今の武田軍が、単独では北条軍にも苦戦しているのであれば、いっそのこと、その北条家の矛先を、我々と同じく、織田と徳川へ向けさせる、というのはいかがでしょう」


東美濃の制圧については、一同、異論なく頷いた。だが、北条家との連携という提案には、さすがに驚きの声が上がった。先の御館の乱から続く、武田・上杉と北条との対立は、もはや修復不可能な段階にある、というのが共通認識であったからだ。


「待たれよ、秀長殿」

頼光が疑問を呈する。

「北条家は、上杉景虎殿の件もあり、上杉家への侵攻を考えているはず。また、裏切られた形となった武田家に対する敵意も、相当なものであろう。そのような相手と、どうやって手を組むというのだ」


「はい、頼光様。仰せの通り、現状、北条家と武田・上杉家との関係は最悪でございます」

秀長は認めた上で、自身の見解を述べた。

「しかし、幸いにも、上杉景虎様は、まだ沼田城にて健在であられます。そして、北条家は、此度、徳川家と共同で軍事行動を起こしたとはいえ、同時に、伊豆と駿河の国境付近では、徳川家との小競り合いが断続的に続いている、との情報もございます。

もともと北条家が期待していた、織田家との連携による武田侵攻は、我々が美濃で盾となっているため、頓挫しております。さらに、北東からは佐竹家、その背後には伊達家という脅威もあり、これらへの備えも怠ることはできませぬ。見方を変えれば、実は、今、北条家こそが、四面楚歌に近い状態にある、とも言えるのです。


であるならば、北条家にとっても、上杉景虎様の安全さえ保障され、当主・氏政様の面子さえ保たれれば、上杉・武田と和解し、共に織田・徳川という共通の敵にあたることは、本来、望むべき道であるはず。拙者は、そう見ております。


我々は武田家の同盟国ではありますが、今のところ、北条家が我が軍に対し、それほど悪い印象を持っているわけでもなさそうです。ここは思い切って、北条家に対し、『対信長・徳川包囲網』の一角に加わるよう、働きかけを行ってみる価値はあるかと存じます。


幸い、今、我々は武田領内におります。ここからならば、武田領を通り、北条家への使者を送ることも、以前よりは容易になりました。先の飯田城救援の件もございます。勝頼様も、我々が北条家へ使者を送ることに、強くは反対できぬかと」


(いつの間に、そこまでの情報を……)

南信濃への救援を渋り、輝子に散々やり込められていた、つい先日の秀長の姿が嘘のようだ。今や、評定の間にいる誰もが、秀長の卓越した情報収集能力と、大胆かつ緻密な戦略構想に、ただただ聞き入っていた。


「へえ、面白いじゃないか、秀長! 見直したよ!」

意外にも、最初に賛意を示したのは赤井輝子だった。

「しかし、どうやって、あの石頭の氏政を説得するんだい? 上杉は親族の仇(かたき)、武田は裏切り者なんだろ? そう簡単に、振り上げた拳を収めるとは思えないけどね」


そこで、それまで黙っていたトモミクが進み出た。

「北条様とのお話ですが、一案がございます。わが隊の副将、犬坂毛野(いぬさかけの)は、もとは里見家の家臣でありましたが、今は北条家の重臣となられている、酒井様、土岐様といった方々と、旧知の間柄にございます。まずは毛野を通して、氏政様とのお話合いの糸口を探ってみては、いかがでしょう。毛野は、大変聡明な子でございますし」


「おお、トモミク殿、それはまことにありがたい!」

秀長が喜色を満面にした。現在、外交を得意とする北条早雲や前田玄以は、遠く岐阜にいる。ここ南信濃から、再び東美濃を越えて彼らを呼び寄せる時間はない。トモミクの提案は、まさに渡りに船であった。


「秀長、そなたの策、承認する」

頼朝は最終的な決断を下した。

「東美濃の攻略、そして北条家との共闘模索、いずれも異存ない。一刻の猶予も無いであろう。急ぎ、事を進めよ」


「ははっ!」

秀長が応じる。

トモミクも追随して言った。

「では、早速、毛野に話をいたしますね」

そして、彼女は飯田城を指差しながら、こともなげに付け加えた。

「あ、それと、このお城、ついでに少し、強くしておきましょうか」


トモミク隊には、築城に長けた特殊な工兵部隊が属していることを、頼朝は思い出した。城を攻略した直後の、防御が手薄な時期に敵の反撃を受けることを想定し、短時間で城の修復・強化を行うために配備されているのだという。大草城が、あれほど短期間で堅牢な城として完成したのも、斎藤福が、このトモミク配下の特殊部隊を指揮したからだと聞いていた。

(考えてみれば、この時代よりも遥か未来から来たというトモミクであれば、我々の想像も及ばぬような、高度な築城技術を持ち合わせていても、何ら不思議はないか……)


「とりあえず、城の規模を少し大きくして、より多くの兵を駐屯できるようにいたしますね。それと、もし再び包囲されても、しばらくは持ちこたえられるように、櫓(やぐら)なども、いくつか建てておきましょう」


「しかし、我ら本隊は、すぐに東美濃攻略へ向かい、美濃へ戻らねばならぬのだぞ。人手は足りるのか」

頼朝が尋ねると、トモミクはこともなげに答えた。

「はい、大丈夫です。お城を強くしてくれる専門の隊を、この飯田城に残していきますから。東美濃のお城は、我らが制圧した後、すぐに織田に攻め返される心配はございませんので、そちらの修復は、それほど急ぐ必要もないでしょう」

「…そうか。トモミク、かたじけない。よろしく頼む」


「それから、」

今度は、頼朝の方から話を切り出した。

「赤井輝子」

「はっ!」

名を呼ばれ、輝子が居住まいを正す。

「そなたの此度の働き、誠に見事であった。その功に報いたいと思う。よって、そなたを、正式に『譜代衆』に任命する。いずれ、そなたにふさわしき城を与えようぞ」


「な、なんと! 頼朝様! まことにございますか!?」

輝子は、一瞬、信じられないという表情を浮かべたが、すぐに満面の笑みとなった。

「ありがとうございます! さすがは、この私が見込んだ殿でございます! この赤井輝子、今後ますます、殿のために働きに働いてみせまするぞ! どうぞ、ご期待くださいませ!」

ここに早雲はいないが、彼との約束は果たされた。早雲からの進言が、今回、輝子を先陣に抜擢するきっかけともなったのだ。全ては、あの老将の見立て通りであったか、と頼朝は思った。そして、この赤井輝子が敵でなくて、本当に良かった、とも。


「よし! 準備が整い次第、ただちに東美濃へ転進! 織田軍を駆逐し、急ぎ美濃へ帰還するぞ!」

「「「ははっ!!」」」

頼朝の号令に、一同が力強く応えた。


* * *


此度の遠征における、家臣たち一人ひとりの目覚ましい働き、そして軍団としての一致団結した力。それを、頼朝は改めて目の当たりにした。

また、戦うだけでなく、少しでも有利な状況を作り出すために、複雑な勢力間の情勢を見極め、外交戦略を駆使する秀長のような存在の重要性も、痛感させられた。

(まこと、得難い、優れた家臣団よ……)

頼朝は、彼らに対する信頼を、ますます深めていた。

この家臣団と共にあるならば、この先、どのような困難に直面しようとも、きっと何とか切り抜けていけるのではないか。そんな確信に近い思いが、頼朝の中に芽生え始めていた。


(…岐阜の早雲殿にも、早くこのことを伝えたいものだ)

赤井輝子が、早雲殿の見立て通り、実に立派な働きを見せたこと。そして、あるいは、北条家とも敵対せず、共に手を取り合える道が開けるやもしれぬこと。

(いや……本当は、ただ、桜の様子を、あの老将から聞かせてもらいたいだけ、なのかもしれぬな……)

頼朝は、自嘲気味に小さく笑った。


いずれにしても、今は感傷に浸っている場合ではない。織田の本隊が、再び西から動き出す前に、東美濃の織田勢力を掃討し、一刻も早く美濃へ帰還せねばならない。


だが、この時の頼朝も、そして勝利に安堵していた家臣たちも、まだ知らなかった。

この後、彼らを待ち受ける危機が、これまでの戦いとは比較にならぬほど、巨大で、そして絶望的なものであることを――。。

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