第三話: 富国強兵
小牧山での激戦で、かろうじて織田軍を退けたとはいえ、傷跡は深かった。
そして、あの織田信長が、この敗北を黙って見過ごすはずがない。必ずや、さらに戦力を増強し、再びこの地に牙を剥いてくるに違いない。頼朝軍には、次なる戦いに備えるための時間が必要だった。
評定の席は、先の戦いの 過酷さを反映してか、重い空気に包まれていた。その沈黙を破ったのは、羽柴秀長だった。
「先の戦にて、我々は改めて織田の強大さを思い知らされました。皆々様の奮戦により、辛くもこれを退け、大草城の築城という目的は果たせましたが……予断は許されません」
秀長は居並ぶ諸将を見渡し、静かに、しかし強い意志を込めて語り始めた。
「今後、さらに厳しく、長期にわたる戦いが予想されます。これに耐えうる国力を、早急に整える必要がございます。これは、皆様も同じ認識かと存じます。
また、我が軍団のみで織田、そして徳川という二大勢力に立ち向かうのは、現実的に困難と言わざるを得ません。外交にも力を注ぎ、諸大名と連携して、織田への包囲網を形成することを模索すべきかと愚考いたします」
秀長は一呼吸置き、言葉を続けた。
「そして、外交を円滑に進める上で、朝廷との関係強化も重要となります。頼朝様に然るべき官位を賜るよう働きかけることも、我らの立場を固める上で大切かと存じます」
(国力増強も外交も、理に適っている。だが……)
頼朝は内心で呟いた。
(今の我々のような、成り立ちも定かぬ小勢力と、手を携えてくれる大名など、いるのだろうか? しかも、あの織田にある程度、睨みを利かせられるほどの力がなくては意味がない。ましてや、京の朝廷が、我々のような存在を、まともに相手にしてくれるものか……)
秀長は、まず国力増強の具体策について説明を始めた。
「最優先すべきは、大草城の商業都市化でございます。施設の建設を前倒しで進めるのみならず、『大草の地は商いがしやすい』『あらゆる武器や珍しい商品が手に入る』といった噂を、忍びを用いて広く流布させます。
大草の開発は、飯坂(いいさか)殿を筆頭に、主だった内政官に総力を挙げて取り組んでいただき、是が非でも軍団の財政を改善せねばなりませぬ。
現在、我が軍団の支出を圧迫している最大の要因は、兵農分離と刀狩り政策の維持費用、そしてそれに伴う石高・農民の管理費用にございます。しかし、今、この政策を後退させることは、断じてできません。もしこれを止めれば、農民に武器を戻し、農繁期には兵力が大幅に低下することを甘受せねばならなくなります。それでは作物の収穫高も減り、軍団の力も衰え、とても織田・徳川と渡り合うことなどできなくなってしまうでしょう。
したがって、大草城における商業収入を最大限に引き上げることが、喫緊の課題となるのです。交易所の拡充に加え、新たに能楽堂なども建設し、人の往来を増やし、都市に活気をもたらし、さらなる税収増を図りたいと存じます。
ただし、大草城はあくまで商業拠点として特化させます。施設の建設用地を確保するため、大規模な兵団の駐屯施設は設けません。おそらく、数百程度の兵を駐屯させるのが限界でしょう。有事の際には、他の拠点から即座に部隊を派遣する必要がございますが、城自体は、先の戦いでも証明されました通り、非常に堅固な作りとなっております」
秀長は地図上の大草を指し示す。
「城の守備は、弥助(やすけ)殿、石川(五右衛門)殿、一柳(ひとつやなぎ)殿といった、寡兵での防衛戦に長けた方々に率いていただき、万一の際は、本隊が到着するまで何としても持ちこたえていただくことになります。
軍団全体の兵糧につきましては、今の領内での開墾を継続すれば、大掛かりな遠征を行わぬ限り、当面は問題ないと見ております。いずれは新たな開墾地の確保も必要となりますが、まずは商業地の発展を最優先とさせていただきたい。以上が、某からの提案にございます」
収入増強に向けた秀長の具体的な計画に、異を唱える者は誰もいなかった。
限られた国土で強大な敵と渡り合うためには、戦力の維持が不可欠であり、そのためには経済基盤の強化が最優先である。その点について、一座の間に認識の齟齬(そご)はなかった。
ただ、頼朝には一点、引っかかる言葉があった。
(遠征を行わぬ、か……)
秀長の言葉は、先日の出雲阿国の言葉とも重なる。打って出るのではなく、守りに徹することが、この軍団に与えられた使命であり、大義なのであろうか。
(この点については、いずれトモミクと直接、話をしてみたいものだ……)
しかし、今この場で、それを理由に秀長の提案に異を挟むべきではない。
「飯坂殿、大役だが、よろしく頼む」
頼朝は、評定の末席に控える飯坂猫の方へ視線を向けた。
「また、その他、大草城に派遣される者たちも、軍団の将来を担う重要な任務である。皆、力を尽くして欲しい。有事の際は、この頼朝も、必ずや急ぎ駆けつける所存である」
頼朝の承認を得て、秀長は次に外交策について説明を始めた。
「織田は、各地に精強な軍団を派遣し、驚くべき速度で版図を広げてまいりました。しかし、我々がここ美濃・尾張で抵抗を続けていることもあり、このところ、織田軍全体の大きな勢力拡大は停滞しているように見受けられます。
東の武田家に対しては、我々が美濃の地で盾となり、織田本隊の信濃侵攻を防いでおります。現在、東美濃の岩村城、苗木城、鳥峰城に残る織田勢力だけでは、武田に手出しはできませぬ。
西に目を転じれば、播磨、丹波、丹後、但馬、紀伊といった国々には、未だ織田の支配は完全には及んでおりません。これも、当軍団への対応に、織田の主力が割かれている影響が大きいと、拙者は見ております。
また、徳川家も、単独では武田家を攻めあぐねている状況です。我々が織田と徳川の連携を阻み続ける限り、武田家は当面、その勢力を保つことができるでしょう。
関東に目を向ければ、北条、上杉、そして武田の三家は、互いに睨み合い、現状、勢力は拮抗しております。しかし、今こそ、我々が上杉家との同盟を模索する絶好の機会かと存じます」
秀長は、越後で起こっている複雑な情勢について解説を加えた。
先日、越後の雄・上杉謙信が後継者を定めぬまま急死し、上杉家では二人の養子、上杉景勝(うえすぎかげかつ)と上杉景虎(うえすぎかげとら)との間で、家督を巡る内乱(御館(おたて)の乱)が勃発している。
当初、武田家はこの混乱に乗じ、信濃から越後へ出兵したが、上杉景勝は逆転の発想で武田家と同盟(甲越同盟)を締結。これにより、上杉景虎は窮地に立たされた。
上杉景虎は、もともと関東の北条家から養子として迎えられた身。当然、実家である北条家に援軍を求めることになる。
この結果、上杉家の内乱は、武田と北条の代理戦争の様相を呈し始めた。
北条家当主・北条氏政(ほうじょううじまさ)は、長年の同盟相手であった武田家の、この裏切りとも取れる動きに激怒。武田との同盟(甲相同盟)を破棄し、逆に織田家と同盟を結び、武田・上杉を東西から挟撃しようと画策している。
しかし、頼朝軍が美濃で織田軍主力を引きつけているため、北条家は織田軍と連携した本格的な武田領侵攻を実行できずにいる、というのが現在の状況であった。
「今、上杉家では上杉景勝殿が本拠地・春日山城を拠点に、景虎殿に対し有利に戦を進めております。しかし、この内乱によって上杉家の国力が大きく低下していることは間違いございません」
秀長は結論を述べた。
「武田家の同盟国である我々が、今、上杉景勝殿に同盟の使者を送れば、景勝にとって、それは決して悪い話ではないはずです。景勝殿は、西の織田、そして国内の一向宗勢力にも備えねばならず、我々との連携は、背後の安全を確保する上で大きな意味を持ちます。特に、越前方面から織田軍が侵攻してきた場合、我々が近江でその動きを牽制できることは、景勝殿にとって大きな利点となるでしょう」
秀長の理路整然とした説明に、一座の誰もが大きく頷いた。ただ一人を除いて。
その一人とは、北条早雲であった。
今の北条家当主・北条氏政も、秀長が敵対すると定めた上杉景虎も、共に早雲の血を引く曾孫にあたる。
早雲は、抑えた声ながらも、隠しきれない凄みを帯びた視線を秀長に向け、口を開いた。
「……秀長。つまり、北条とは手を組まぬ、と申すのだな。わが一族の行く末よりも、上杉との誼(よしみ)が大切か。どうなのだ、トモミク!」
早雲の矛先は、秀長の後ろに控えるトモミクにも向けられた。
さすがの秀長も、即座に言葉を返すことができない。場の空気が一気に張り詰める。
(トモミクは、早雲殿を過去から召喚する際に、何か約束を交わしていたはず……)
頼朝は推測した。単に「源氏の血筋のため」という大義名分だけで、この老獪な戦国大名が、素性の知れぬ軍団に加わるはずがない。
「早雲様、ご心配には及びませぬ」
沈黙を破ったのは、トモミクだった。
「武田家は上杉家と同盟を結んだとはいえ、南の徳川家への備えも怠れず、とても北条領へ侵攻する余力はございません。上杉景勝殿も、内乱の収拾と西の織田への備え、さらに国内の一向宗対策に手一杯で、北条家を攻めることなど、到底不可能です。加えて、北条家と長年争ってきた北東の佐竹家にも、今、北条領へ侵攻する力はございません。ご安心くださいませ」
トモミクは、いつもの抑揚のない口調で、淡々と状況を説明する。
「そのような机上の空論は、わしにだって分かるわ!」
早雲の声に、怒気がこもる。
「問題は景虎よ! 景虎はどうなるのじゃ! 見殺しにするというのか!」
「いざとなれば、わたくしが、彼をお連れいたします」
早雲の凄まじい気に、トモミクは全く臆することなく、平然と答える。
「……この軍団が、より有利に戦を進めるため、他の勢力と同盟を結ぶ。それは致し方あるまい」
早雲は一度、目を閉じた。
「しかし、よりにもよって北条の敵対勢力と手を組むとは……合点がいかぬ! 裏切ったのは武田ではないか! 景虎を陥れたのは景勝ではないか!」
早雲の慟哭にも似た叫びを聞き、最も不安そうな顔をしていたのは、武田家から義経に嫁いできた武田梓であった。
「お、お許しください、早雲様! 父にも、きっと深い考えがあってのこと……!」
とっさに言葉が出たものの、早雲の怒りを鎮めるには力不足だった。梓は唇を噛む。
「早雲殿、拙者からも、お願い申し上げる」
義経も、深く、深く頭を下げた。
「……わかっておる! わかっておるわい! だが……!」
早雲は苦渋に顔を歪めた。
この軍団の最優先事項が、同盟国である武田家を守ることであるのは、彼も重々承知しているはずだ。
(だが、軍団に加わる際、己の血を引く者たちと、このような形で敵対することになるとは、想像だにしていなかったのかもしれぬな……)
頼朝は早雲の心中を察した。
トモミクが集めたこの軍団には、様々な時代の、様々な出自を持つ者たちがいる。中には、現在敵対している織田や徳川と、かつて深い繋がりを持っていた者もいる。今後の情勢次第では、故郷や旧主と敵対することになる者も出てくるだろう。
この戦国の世で、特定の家――武田家――の存続を最優先とする状況下で、さらに北条家の安泰や景虎の救命まで保証することなど、果たして可能なのだろうか。
先の戦では、秀長が実兄・秀吉と敵として対峙した。あの時の秀長の、戦場を見つめる眼差しが、頼朝の脳裏に焼き付いている。
このような、家臣団が内包する潜在的な利害の対立。その頂点に祭り上げられてはいるものの、頼朝自身、未だこの軍団の真の目的も、トモミクの真意も、完全には理解できていない。
今の苦境にある早雲を、心から説得できるだけの言葉を、頼朝は持ち合わせていなかった。
それでも、頼朝は決断せねばならない。秀長とトモミクが進める戦略への信頼を優先し、己に与えられた「棟梁」としての役割を、冷徹に果たすしかない。
「……秀長。話を続けよ」
「はっ!」
秀長は早雲から視線を外し、再び全体に向き直る。
「つきましては、こののち、上杉景勝殿に使者を送り、正式に同盟を結びたく存じます。この重要な役目、最も適任と思われる方にお願い申し上げたい」
秀長は、ゆっくりと早雲の方へ向き直った。
「早雲殿。上杉への使者、お引き受けいただけませぬでしょうか」
「……貴様、何を言うか、秀長!」
早雲の表情が、怒りを通り越して呆れに変わる。
しかし、秀長は怯まなかった。必死の形相で食い下がる。
「お願い申し上げます、早雲殿! この任、貴殿をおいて他にできる者はおりませぬ!」
(……なんと)
さすがの頼朝も、この秀長の提案には度肝を抜かれた。
「秀長、本日の一連の提案、実に見事であった」
頼朝は、場を収めるように静かに言った。
「大草城の任を受けた者たちは、急ぎ現地へ向かい、一刻も早く任務に取り掛かるように。上杉との同盟も、この機を逃さず進めるべきであろう。…ただし、使者の人選については、一旦、このわしが預かりたい。それで良いな、秀長」
「は、ははっ。御意のままに」
秀長は、ただただ頭を深く下げていた。
* * *
評定が終わった後、頼朝は秀長とトモミクの二人だけをその場に残した。
秀長は、改めて自身の見立てを頼朝に説明した。
上杉との同盟は、こちらが望む以上に、むしろ上杉方が強く望んでいるはずである、と。
頼朝軍は武田の同盟国であり、上杉景勝はその同盟国を無下には扱えない。
頼朝軍が織田軍主力を引きつけ、撃退し続けている事実は、当然、景勝の耳にも入っており、小勢力とはいえ決して無視できない存在となっている。
頼朝軍が尾張と近江を結ぶ要衝に睨みを利かせていることは、織田軍の越前からの本格的な上杉領侵攻に対する大きな抑止力となる。景勝はその点を高く評価するはずだ。
うまくいけば、頼朝軍と上杉軍とで、越前・近江の織田勢力を挟撃することも可能となる。
これらの理由から、交渉はこちらが有利な立場で進められるはずであり、だからこそ、北条早雲に使者として赴いてもらいたかったのだ、と秀長は語った。
「早雲殿は、今回の事情を抜きにすれば、我が軍団の中で最も外交交渉に長けた御方。そして、誰よりも北条家の行く末を案じておいでです」
秀長は続けた。
「この有利な交渉状況を利用すれば、景虎殿の処遇や、今後の北条家との関係についても、景勝殿に対し、我々から適切な条件を提示できる可能性がございます。我々は、北条家の弱体化や滅亡を望んでいるわけではありませぬ。上杉との交渉を取りまとめることができれば、それに付随する条件については、使者である早雲殿に一任するのが最善と考えました」
さらに秀長は、上杉景勝とその腹心である樋口(直江)兼続(ひぐちかねつぐ)の人物評についても触れた。特に兼続は、陪臣ながらも優れた才覚の持ち主として名高い。早雲は人の力量を見抜く目にも長けている。自身の血族と敵対する勢力の長として、景勝や兼続が、果たして協力するに値する人物か否か。それを直接見極めることは、早雲にとっても、この交渉を引き受ける大きな意味を持つはずだ、と。
もし、早雲が彼らに見切りをつけたならば、その時は上杉との同盟方針自体を見直しても構わない。それほどまでに、秀長は早雲という人物に絶対的な信頼を寄せていた。
「……恐れ入ったぞ、秀長」
頼朝は、秀長の非凡な才覚と、その思慮の深さに、改めて感服した。早雲の心情、外交上の駆け引き、そして人物評価までをも織り込んだ、見事な策であった。
(この男は、まこと、我が軍団の至宝よ……)
「この件、わしが直接、早雲殿と話そう。わし自身、一度、彼とゆっくり話がしてみたかった」
頼朝は言った。
「血の繋がりこそないが、この頼朝もまた、『北条』という名には、浅からぬ因縁を感じておるゆえな」
ふと、隣に立つトモミクに目をやる。彼女は相変わらず、全てを見通したような微笑みを浮かべている。
(この女は、早雲殿を、どのような意図で、いかにして説き伏せ、この軍団へと連れてきたのであろうか……)
他の者がいる前で、トモミクが個々の家臣を召喚した背景について語ることは決してない。今、秀長の前で問うたところで、答えるはずもないだろう。半年ほど共に戦場を駆け抜けてきたが、彼女が己の内を素直に明かす姿など、想像もできなかった。
「頼朝様、恐縮に存じます。早雲様の件、何卒、よろしくお願い申し上げます」
秀長が、深々と頭を下げた。
* * *
「早雲殿、お邪魔する。一度、ゆっくりお話がしたいと思っていた」
「おお、これは頼朝殿。ようこそお越しくだされた」
秀長の真意を理解した頼朝は、その日のうちに、岐阜城の早雲の居室を訪ねた。
評定での一件もあり、早雲と直接話す機会を持ちたい、というのは頼朝の本心であった。
頼朝が口を開く前に、まるでこちらの来訪の意図を見透かしたかのように、早雲は穏やかな口調で語り始めた。
「頼朝殿、聞けば、わしの末裔たちは、坂東の地でなかなか良き政(まつりごと)をしておるそうじゃな。わしの孫の氏康(うじやす)、そして今の当主である氏政(うじまさ)も、民に慕われ、守るに難(かた)い坂東の地を、よう治めておるとか。…頼朝殿も、そうはお思いになられませぬかな?」
早雲は悪戯っぽく笑う。かつて頼朝が、関東の扱いにくい豪族たちを従えるのに、どれほど骨を折ったか、当然知っての上での言葉であろう。
「……早雲殿のお気持ち、お察しいたします」
頼朝は静かに応えた。
「実はな、頼朝殿」
早雲は少し声を潜めた。
「トモミクは、秀長には話しておるか分からぬが……遠い未来では、あの秀長の兄、羽柴秀吉が、わが北条家を滅ぼすのだそうじゃ」
それは、頼朝にとっても初耳であった。
「もし、我らがここで織田軍の東への侵攻を食い止め続けることができれば……それは、武田家の滅亡を回避するだけでなく、わが北条家の滅亡をも、回避できるやもしれぬ。わしは、そう考えておる」
早雲は続けた。
「織田さえ何とかなれば、たとえ上杉と武田が手を組んだところで、今の北条家は、そう易々とは揺るがぬわ」
「頼朝殿も、お聞き及びであろう。我らが、どこかの勢力を滅ぼすことは、歴史を大きく変えてしまう故、決して許されぬ、と。しかし、滅びるはずのものを『生かす』ことは、未来を大きく変えることなく、あるいは、より良きものにできるやもしれぬ、そうじゃな。
まあ、わしには難しい理屈は分からぬがな」
早雲は茶を一口啜った。
「正直に申せばな、頼朝殿。わしにとっては、源氏の血筋がどうとかいう大義よりも、この先の世で栄えるはずの、わが北条の子孫たちを残す方が、よほど未来のためになると思うておる。何せ、わしの血が流れておるからのう。がははは!」
早雲は豪快に笑った。
評定での問いに、直接答えたわけではない。だが、早雲の言葉は、頼朝には十分すぎるほどに、その真意を伝えていた。
(この老将もまた、己の信じるもののために、この不可解な戦いに身を投じておるのだな……)
「早雲殿。……感謝いたす」
頼朝は、ただそれだけを告げた。
「秀長は、実に優秀な男よ。しかしまだ若い。この老骨が、あの有望な若者を、さらに大きく育てて進ぜようぞ!」
他にも聞きたいことは山ほどあった。娘だと紹介された、桜という少女のことも。
しかし、本日はこれで十分すぎるほどに、早雲と心を通わせることができた、と頼朝は感じた。急ぐ必要はない。
「早雲殿、頼りにしておりますぞ」
「はっはっは。老骨に鞭打ち、頼朝殿に、この身命を賭してお仕えいたしますわい」
* * *
その後、大草城の開発は驚くべき速度で進んだ。
城代に任命された飯坂猫(いいさかねこ)もまた、少し未来の時代からトモミクによって呼び寄せられた女武将の一人であるという。
その飯坂猫が、那加城の頼朝のもとへ、大草城下の発展状況を報告に訪れた。
聞けば、飯坂猫は、未来において伊達(だて)家の当主となる人物の側室になる身なのだという。
(伊達家……たしか、わが遠縁にあたる朝宗(ともむね)の末裔であったな)
伊達朝宗は、頼朝による奥州征伐の後、陸奥国に所領を与えられ、その地で勢力を築き、この時代に至るまで有力大名として存続していると聞いていた。鎌倉の記録では、朝宗も奥州出兵軍に名を連ねていたはずだ。
(やはり、目論見通り、鎌倉は藤原泰衡を滅ぼしていたのだな……)
頼朝は、己が存在していたはずの”遠い過去”に思いを馳せた。
報告によれば、この数ヶ月で、頼朝軍の収入は目覚ましく増加し、ようやく膨大な政策費用を賄える目途が立ったという。軍団全体の商業収入の、実に半分近くが、今やこの新しい大草の街からもたらされている状況であった。
この大草の商業がどこまで伸びるか。それが、この軍団の命運を左右すると言っても過言ではない。
「大草城代、猫にございまーす!」
部屋に入るなり、彼女は元気よく名乗った。
厳しい戦国の世を生きる女武将、ましてや軍団の経済を支える重要拠点の城代とは、到底思えぬ出で立ちと雰囲気だ。やんちゃで、底抜けに明るい、まるで大きな商家にいる看板娘のようである。
「街の発展は、もう絶好調ですよ、頼朝様! 今のところ、新しく移り住んできた人たちの評判も上々みたいです。大草の良い噂が、徳川さんや織田さんの領民にもどんどん広まってて、商人さんや職人さんが、どんどん流れ込んできてますよ!」
猫は、身振り手振りを交えながら、楽しそうに報告する。
「まだ大草の人口は一万五千人くらいですけど、まだまだ商業施設を建てられる土地もありますし、人ももっともっと増えますよ! 大草は、これからもっともっと発展しますからね、頼朝様!」
「うむ、飯坂殿、大義であった。今や、我らの軍団は、そなたの働きに支えられていると言っても過言ではないぞ」
頼朝が労いの言葉をかけると、猫は嬉しそうに顔を輝かせた。
「も~、頼朝様ったら、猫って呼んでくださいよ~。猫ですよ、にゃーん!」
彼女は、まったく躊躇することなく猫のような仕草をしてみせ、満面の笑みを浮かべている。
(……この軍団の家臣たちが、鎌倉の者たちとは全く異なる空気を纏っていることに、もはや驚きはない)
頼朝は、半ば呆れ、半ば感心しながら思った。
それにしても、なんと多くの、そして優れた女武将たちがいる軍団であろうか。そして、彼女たちのこの明るさ。常に死と隣り合わせの状況にありながら、こうも明るく振る舞うことを可能にする、その自信や落ち着きは、いったいどこから来るのだろう。
この軍団は、確かに不思議な力を持つ精強な集団ではある。だが、巨大な敵勢力に囲まれ、常に破滅の危険と隣り合わせの、弱小勢力であることに変わりはない。
そのことを、彼女たちが理解できぬほど愚鈍であるとは思えない。
(トモミクは、いったいどのようにして、これらの者たちを過去や未来から選び出し、この時代へと連れてきているのであろうか。それとも、私が来るまでの五年間に行われたという、トモミクの統治や戦いぶりが、彼女たちをこれほどまでに心服させているのか……)
「……よくわかった、猫。引き続き、その働き、頼りにしておるぞ」
「はいっ、頼朝様! この猫に、どーんとお任せください! あ、街の様子も、ぜひ一度見に来てくださいね!」
猫は、元気よく返事をすると、軽やかに部屋を後にした。
* * *
数日後。
羽柴秀長が、北条早雲と、もう一人、見慣れぬ男を伴って頼朝の元を訪れた。
男の名は、前田玄以(まえだげんい)。彼もまた、秀長と同様、岐阜城を攻略した際に捕虜となり、その後、頼朝軍に加わった人物だという。
もとは比叡山延暦寺の僧であったが、還俗して織田信長の嫡男・信忠に仕えていた。岐阜城落城の際には、信忠を城から落ち延びさせ、自らは城に残り最後まで抵抗したという。
しかし、頼朝軍に降った後は、忠節を尽くし、主に外交や調略といった裏方の任務で、大きな功績を上げているとのことだった。
その前田玄以が、上杉景勝の重臣・樋口(直江)兼続との折衝を重ね、ついに早雲と景勝本人との会見を実現させたのだという。
「それは大義であった、前田殿」
頼朝が労うと、玄以は静かに頭を下げた。
「いえ、これもひとえに、秀長様の見立て通り、上杉方が我々との対話を強く望んでいた結果にございます」
「して、早雲殿、交渉はいかがであったか」
頼朝が尋ねると、早雲は満足げに頷いた。
「うむ。上杉景勝、そして樋口兼続。なかなかの器量の持ち主と見た。わが血族の敵(かたき)とはいえ、彼らと手を組むことに、もはや異存はござらぬ」
そして、にやりと笑って秀長の方を見た。
「ああ、そうそう。もし万が一、景虎の身に何かあった際には、この秀長が責任を取って切腹する、という約束を取り付けてきたわい。がははは!」
秀長は優秀な男だが、どうにも赤井輝子や早雲といった、戦場の猛者たちには押し込まれがちである。
「早雲殿、お約束が違うではございませんか! 鉄砲五百丁と軍資金の援助で、景虎殿の身柄の保護は確約されたはず……!」
秀長が慌てて抗議する。
「なに、鉄砲五百丁で済むと思うてか!」
早雲は、景勝を支援することと引き換えに、内乱終結後の景虎の身柄の安全保障を取り付けてきたようだ。それ自体は大きな成果だが、その条件として、秀長の首まで担保に取ってきたらしい。不憫なのは秀長である。
「秀長よ。そなたは、わしに『好きに交渉して良い』と申したであろう。よもや、忘れたとは言わせぬぞ? がははは!」
「そ、早雲殿~~!」
秀長は頭を抱えた。
早雲は、秀長への苛烈な口撃を終えると、改めて頼朝に向き直り、居住まいを正した。
「頼朝様。ここに至っては、一刻も早く上杉景勝に越後の内乱を平定させ、我々と共に織田と対峙できる態勢を整えてもらうのが得策かと存じます。何卒、上杉景勝への援助について、ご承認くださいますようお願い申し上げます」
随分と難題を押し付けてくる老将ではあったが、評定での葛藤を乗り越え、今は吹っ切れた様子で、軍団のために知恵を尽くしてくれている。その姿が、頼朝には嬉しく、そして頼もしく感じられた。
続いて、前田玄以が報告する。
「頼朝様、上杉、そして武田の両家より、共に我々と力を合わせ、織田にあたる事の内諾を、正式に取り付けております。今後、いずれかの家から援軍の要請があった際には、必ずこれに応じるというのが、此度の協力における約定でございます。
また、これに呼応し、丹後の一色(いっしき)家、丹波の波多野(はたの)家、そして畿内の本願寺勢力も、信長への包囲網に加わる意向を示してきております」
「なんと! それは誠に大義であったぞ、玄以殿!」
頼朝は思わず声を上げた。玄以は、上杉との交渉の裏で、丹後・丹波の諸勢力、さらには上杉と長年敵対してきた本願寺までも、巧みに反織田の旗の下にまとめ上げていたのだ。
(すべて、秀長の描いた筋書き通りに進んでおる……)
この男がいてくれる限り、この軍団は、しばらくは安泰かもしれぬ。頼朝は、改めて秀長の卓越した能力に感服した。
当の秀長はといえば、早雲にやり込められた精神的打撃から立ち直るには、今しばらくの時間が必要そうであった。
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