第二話:第一次小牧山会戦 1579年 9月
小牧山で激戦を続ける頼朝軍の三部隊のうち、補給と休息を終えられたのは頼朝隊のみであった。
犬塚隊が消耗しきって後退した後も、織田軍の執拗な波状攻撃は止まず、トモミク隊も義経隊も、一時的に犬山城へ下がる隙すら与えられずにいた。
断続的に襲来する織田軍の一隊、田原(たわら)隊が新たに接近してくるのを確認し、頼朝は意を決して口を開いた。
「此度の敵は、我らが正面にて引き受ける。義経、トモミクの両隊は左右に迂回し、機を見て田原隊に挟撃を加えよ」
この布陣は、当面の間、田原隊の突撃を頼朝隊が単独で受け止めることを意味する。これ以上、義経隊とトモミク隊を消耗させるわけにはいかぬ、という頼朝なりの判断であった。
しかし、即座に異を唱える声が上がった。
「いいえ、頼朝様。殿には迂回をお願いいたします。敵の正面は、このトモミクがお引き受けいたします」
消耗しているはずのトモミクが、気丈にも前に出ようとする。
そこへ、さらに羽柴秀長が進み出た。
「トモミク殿、そのお気持ち、誠にありがたい。ですが、此度は某(それがし)にお任せいただきたい。頼朝様、実は、かねてより試してみたい新兵器がございまして」
秀長は悪戯っぽく片目をつぶる。
「例の大筒(おおづつ)の威力、ここで存分に披露させていただきましょう。まずは大筒の一撃で田原隊の足を止め、弱ったところを、左右から義経殿、トモミク殿に殲滅していただく、というのはいかがでしょう」
トモミクは一瞬、わずかに首を傾けて思案する様子を見せたが、すぐに頷いた。
「……わかりました。秀長様の策、採用しましょう」
* * *
秀長の指示に従い、頼朝隊は田原隊の予想進路上、やや距離を取って正面に布陣。ただちに、持ち運んできた部品による大筒の組み立て作業に取り掛かる。
(間に合うのか……?)
この作業中に敵と遭遇すれば、一巻の終わりである。頼朝は焦りを禁じ得なかった。
幸い、田原隊の進軍速度は予想より遅く、敵影が見え始める前に、なんとか数門の大筒が据え付けられた。
だが、その間にも、迂回したはずのトモミク隊と義経隊は、必死の行軍で田原隊の側面へと回り込んでいた。まるで、頼朝隊には指一本触れさせぬ、とでもいうような決意に満ちた動きだった。
消耗しているはずのトモミク隊から放たれる猛烈な鉄砲射撃が、早くも田原隊の前衛を削り取っていく。
「私がやりまーす!」
トモミクの、戦場にはやや不似合いにも聞こえる独特の掛け声が響いた。鉄砲の一斉射撃の後、彼女は自ら少数騎を率いて敵陣へと突っ込んでいく。
常に冷静沈着に見える彼女だが、その戦いぶりは、時に無謀とも思えるほど苛烈だ。
トモミク隊の猛攻により、田原隊は大きな損害を受けている。しかし、トモミク隊自身も、本来得意とする射撃戦の間合いを捨て、敵中に突出して白兵戦を挑んでいるため、その損害は決して少なくない。
そこへ、やや遅れて義経隊も側面から攻撃を開始した。
二部隊による挟撃を受け、さしもの田原隊もたまらず、壊滅状態となって敗走していく。
(結局、また……)
義経隊とトモミク隊の消耗を抑えるために、自らが盾となるつもりであったのに、結果として頼朝隊は敵と直接刃を交えることなく、戦闘は終結した。守られた、という安堵と、棟梁としての不甲斐なさが、頼朝の胸中に複雑な影を落とした。
* * *
田原隊を殲滅した後、ようやく後詰の北条早雲隊が犬山城に到着した、との報せが入った。
(これでようやく、トモミク隊を休ませられる……)
早雲隊が間もなく小牧山の戦場に到着するとの連絡を受け、トモミク隊は後退の準備を始めていた。
しかし、その矢先。
織田家宿老中の宿老、柴田勝家(しばたかついえ)。そして、信長の妹にして自ら一軍を率いる将、お市(おいち)の方。この二人の猛将が率いる部隊が、最後の力を振り絞るかのように、頼朝軍に襲いかかってきたのである。
(まだこれほどの兵力が残っていたというのか!)
さしもの織田軍も、連日の激戦で兵力は大きく削られ、もはや波状攻撃を繰り返す余力はないはず、と頼朝は見ていた。甘かった。
織田軍は、無傷の北条早雲隊が戦場に到着し、頼朝軍の戦力が回復する、その寸前を狙い、疲弊しきった部隊に最後の打撃を与え、風穴を開けようとしてきたのだ。
(なんという決断の速さ、そして兵たちの凄まじき闘志よ……)
こちらの戦術、こちらの状況を的確に把握し、常にその先手、先手を打ってくる。これが織田信長という男の恐ろしさか。
「もはや退けぬ! 義経隊、トモミク隊、敵を迎え撃つぞ!」
自らが先頭に立ち、これを撃退する以外に道はない。頼朝は檄を飛ばした。
「「ははっ!」」
補給は滞り、兵は休息も取れず、ただひたすらに戦い続けている。
それでも、義経とトモミクの二人の将からは、不思議と焦りや動揺が感じられない。その揺るがぬ戦意は、指揮官として得難い資質である、と頼朝は改めて感じていた。
かつての平家との合戦においても、周囲の重臣たちが不安に駆られる中、義経だけは常に冷静に活路を見出し、奇策をもって危機を乗り越え、最後は戦場を制してきた。まるで、己が決して負けることはないと確信しているかのように。
先陣を切ってきた柴田勝家隊は、さすが歴戦の猛将、こちらの弱点を正確に見抜いていた。三部隊の中で最も損耗しているトモミク隊を目掛け、猪のごとく突進してくる。
しかし、トモミク隊も最後の力を振り絞り、決死の鉄砲斉射を浴びせた。不意を突かれた勝家隊の先鋒が混乱し、勢いが鈍る。
その隙に、頼朝隊も義経隊も、トモミク隊を援護すべく必死の行軍で駆けつける。だが、それよりも早く、トモミク隊は勝家隊の混乱を逃さず的確な追撃射撃を加え、柴田勝家は早々に戦場からの離脱を余儀なくされた。
柴田勝家が退却した、その直後。息つく間もなく、お市の方の部隊が攻撃を仕掛けてきた。
(これを凌げば……今度こそ、山を越せるのではないか。部隊を後退させられるのではないか……)
頼朝は祈るような気持ちで敵を見据えた。とにかく、限界に近いトモミク隊を一刻も早く休ませたい。
お市隊は、小細工なしに正面からの突破を図ってくる。
それに対し、頼朝軍は陣形を鶴翼(かくよく)に変え、お市隊を包囲殲滅しようと試みた。
しかし、またしてもトモミク隊が突出する。
「私がやりまーす!」
最も損耗が激しいはずの部隊が、再び先陣を切って敵陣へと突っ込んでいく。
これにより、頼朝が意図した鶴翼の陣は崩れ、結果的にトモミク隊を先頭とした鋒矢(ほうし)の陣のような形で、敵に突撃をかける格好になってしまった。
(もはや戦場の指揮官など、この軍団に不要なのではないか……)
頼朝は自嘲気味に呟いた。
それでも、トモミク隊一隊だけでも、数ではまだお市隊を上回っているはずだ。
頼朝は、トモミク隊がお市隊と正面から激突するのを確認しつつ、義経隊と共に、お市隊の側面を突くべく進軍を急いだ。
(信長の妹君……一部隊を預かるからには、有能な将なのであろうが、果たしてその実力や、いかに……)
トモミク隊が単独でお市隊と交戦を開始して間もなく、頼朝隊と義経隊も戦場に到着、ようやく三方からお市隊を包囲することに成功した。
(これで一安心か……)
そう思ったのも束の間、お市隊の副将たちが、恐るべき力を発揮し始めた。
計略に長け、敵の戦力を削ぐことに長けた信長の弟・織田長益(おだながます)。
そして、伊勢の剣豪としてその名を轟かせている北畠具教(きたばたけとものり)。
彼らが縦横無尽に活躍し、数で勝るはずの頼朝軍は翻弄され始めた。
特に、剣豪・北畠具教が率いる精鋭の白兵戦部隊は、凄まじかった。独特の太刀筋を見せるその部隊は、頼朝軍の鉄砲隊の陣形の中を、まるで踊るかのように駆け巡り、次々と兵士を斬り伏せていく。
頼朝軍の戦列が一気に押し戻され始めた。
(やはり、こうなったか……!)
太田道灌や源頼光といった突撃部隊には、柳生一族のような剣の達人が配属されていると聞く。だが、今ここにいるのは、軽装の鉄砲兵が主体の狙撃部隊だ。白兵戦に持ち込まれれば、脆い。頼朝が当初から懸念していた事態が、最悪の形で現実となったのだ。
軽装備の鉄砲隊が、少数の北畠の切り込み隊に完全に間合いを詰められ、もはや隊列を維持することすら困難な状況に陥っている。
今、前線にいる三部隊にも、少数の騎馬隊は配備されている。だが、連戦の消耗により、もはや北畠隊を押し返すだけの力は残っていなかった。
その絶望的な状況の中、トモミクが最後の力を振り絞るかのように叫んだ。
「私だって、やれるんです!」
その声と共に、彼女の周囲から猛烈な鉄砲射撃が放たれようとした。
だが、次の瞬間。
叫びも虚しく、北畠隊の更なる突入を許し、トモミク隊の中枢は完全に混乱状態に陥った。
これまで、いかなる状況でも動じる素振りを見せなかったトモミクが、初めて弱音を漏らした。
「このままじゃ……」
その時だった。
頼朝隊の副将として、これまで静かに戦況を見守っていた里見伏が動いた。
不思議な力を持ち、「犬」たちの力の源泉であると聞かされていた姫。トモミクは言っていた。「頼朝様に危険が迫れば、伏様が必ずお守りする」と。
トモミク隊が崩壊寸前となり、自らの頼朝隊も隊列を乱されているこの危機的状況を見て、伏はついにその力を解放した。
少数の供回りのみを率い、北畠隊へと猛然と突撃していく。
吐き捨てるように、彼女は叫んだ。
「我らが『仁』の真髄、貴様に見切れるか!」
普段の物静かな表情からは想像もつかない、まるで鬼神が乗り移ったかのような形相で、あの無敵に見えた北畠隊を、伏は少数の騎兵で押し戻し始めたのだ。
頼朝隊も、北畠隊の突撃の余波を受け、鉄砲隊の隊列は崩れ、混乱状態に陥る。だが、死兵と化した里見伏の猛攻により、北畠隊もまた大きな損害を受け、その勢いは明らかに衰えた。
北畠隊の攻撃が弱まった、その一瞬の隙を突き、頼朝は意を決して自ら前に出た。
「うろたえるな! 陣形を立て直し、敵本隊に射撃を集中せよ! 弾のある限り撃ち尽くせ!」
頼朝直属の精鋭射撃隊の中から、まだ戦える者たちを叱咤し、お市の方の本隊に向けて、一斉射撃を敢行した。
この一撃が、ついに敵の戦意を砕いた。お市隊は、北畠隊の残存兵力を収容しつつ、ようやく戦場から退却を開始した。
* * *
柴田勝家隊、お市隊という織田軍の主力を撃退したとはいえ、頼朝軍の損害もまた甚大だった。
特に頼朝隊とトモミク隊は、戦闘の混乱から立ち直るのに手間取り、後詰として到着しているはずの北条早雲隊との交代も、なかなか進まない。
頼朝軍のこの窮状を、織田軍が見逃すはずはなかった。あたかもその状況を的確に把握していたかのように、清州城(きよすじょう)に控えていた佐久間信盛(さくまのぶもり)、堀直政(ほりなおまさ)の両将が、織田軍団の残存兵力をかき集め、最後の突撃を敢行してきた。
しかし、この二部隊の攻撃は、唯一、まだ組織的な戦闘能力を維持していた義経隊が、見事な采配で短時間のうちに撃退することに成功した。
これでようやく、戦場の混乱は収まった。だが、トモミク隊は兵数を当初の半分近くまで減らし、もはや潰走寸前の状態であった。精強を誇った義経隊も、その被害は決して少なくない。
清州城には、この長い戦いの先陣を務めた滝川一益が、とっくに態勢を立て直して布陣しているはずだ。
(もう、これ以上は……)
頼朝が限界を感じ、退却の時期を計っていた、まさにその時。
信じられないことに、伊勢方面から、織田家の若き猛将の一人、福島正則(ふくしままさのり)が率いる新たな軍勢が、猛然と戦場に突入してきたのである。
(これほど撃退し続けても、まだ攻撃してくる部隊が残っているというのか……!)
頼朝は、織田信長という存在の底知れぬ力、その恐ろしさを、改めて骨身に染みて感じていた。
「トモミクに厳命! 此度の福島隊の攻撃には、我が頼朝隊と義経隊のみで対応する! トモミク隊は戦闘を避け、後方へ迂回せよ! こちらの命令があるまで、決して攻撃に参加してはならぬ! 良いな!」
これまで何度も猪突を繰り返してきたトモミク隊だが、今度こそ、ここで無理をすれば部隊の完全崩壊、全滅すらあり得る。
数の上では、頼朝隊と義経隊の二部隊で、福島隊を撃退することは可能だと頼朝は判断した。先ほど初めてその力を見た、死兵と化す里見伏の存在も心強い。
福島隊の先鋒が、土煙を上げて視界に入ってきた。
(今度こそ、被害を最小限に抑える……!)
頼朝は、接触前に大筒を撃ち込み、敵の勢いを削ぐことを決断した。
「大筒、用意!」
ところが、連戦の混乱と疲労のためか、大筒の準備に思いのほか時間がかかってしまう。
その間にも、福島隊は着実に距離を詰めてくる。それを見た義経隊は、頼朝隊の大筒準備が完了するまでの時間を稼ぐため、自ら盾となるべく、福島隊と頼朝隊の間に立ちはだかった。
(これでは、義経隊を無駄に消耗させるだけではないか!)
頼朝は歯噛みした。
ようやく大筒の発射準備が整った。轟音と共に放たれた砲弾は、福島隊の密集した隊列に炸裂し、次々と兵士を吹き飛ばしていく。その威力は、確かに凄まじい。
しかし、時すでに遅く、盾として立ちはだかった義経隊もまた、福島隊の猛攻を受け、甚大な損害を被っていた。もはや、どちらの被害が大きいのか判断もつかぬほどの乱戦となっている。
その状況を見かねて、後方に下がっていたはずのトモミク隊が、頼朝の厳命を破って再び戦闘に介入してきた。
三部隊による猛攻を受け、ついに福島隊も壊滅した。
(命に従わぬトモミクに助けられたか……)
頼朝は複雑な思いだった。動かぬよう厳命したにも関わらず、彼女はまた現れた。
しかし、今回に限っては、大筒の使用判断が最善でなかったことは明らかであり、結果的に義経隊を危険に晒してしまった。トモミクの突入は、あるいは賢明な判断だったのかもしれない。
この時代における己の采配が、まだ手探りの状態であることを痛感させられる。各部隊長の、時に命令を無視した独断がなければ、ここまで持ちこたえることすらできなかったであろう。
* * *
福島隊が壊滅し、今度こそ、織田軍の攻撃は止んだ。
残るは清州城に布陣する滝川一益の部隊のみ。しかし、彼らにもはや攻撃を仕掛けてくる様子はない。織田軍も、これ以上の予備兵力を投入できない状況に至ったようだった。
(退き時か……)
博打ではあるが、こちらが兵を引けば、相手も矛を収めるかもしれない。
「全軍に告ぐ! これより撤退を開始する!」
頼朝は決断した。
「義経隊、トモミク隊は先に戦場を離脱せよ! 我が隊は、全軍の撤退を確認した後、殿(しんがり)を務める!」
義経隊、トモミク隊が次々と戦場を離れていくのを確認し、頼朝は改めて戦場を見渡した。数えきれぬほどの戦死者が折り重なり、夥(おびただ)しい血に染まった小牧山。地獄のような光景だった。
頼朝隊もまた、静かにその場を後にした。
織田軍からの追撃の気配はない。
「殿! 滝川軍、清州城へ向け退却を開始いたしました!」
斥候からの報告に、さすがの頼朝も、安堵の息を深く漏らした。長かった戦いが、ようやく終わったのだ。
* * *
半年近くにも及んだ、断続的、かつ圧倒的な物量による織田軍の猛攻。頼朝は、織田信長という存在の底力を、まざまざと見せつけられた。
今回は、波状攻撃に対し、各個に対応することで、辛うじて敵を退けることができた。だが、もし同様の消耗戦を再び仕掛けられたら、どうなるか。石高の低い頼朝軍の兵糧では、とても支えきれないだろう。後詰となる予備兵力の少なさも、決定的な弱点だ。
犬山城へと引き上げる馬上、頼朝は、これからどうすべきか、考えずにはいられなかった。
(時代が変われば、これほどまでに戦(いくさ)の様相が変わるものか……)
弓矢を主体とした鎌倉の戦とは違い、鉄砲や大筒といった、恐るべき破壊力を持つ兵器が戦場の主役となっている。
敵味方双方の指揮官は、優れた戦術眼と用兵術を持ち、状況に応じて臨機応変かつ的確な判断を下していた。
そして、兵一人ひとりの練度も、単に槍を持たせた農民兵とは比較にならないほど高い。
この激しい戦いの中で、いつの間にか、頼朝の中から「己がなぜ違う時代で戦っているのか」という根源的な疑問は消え失せていた。
ただ、この過酷な現実の中で、どう生き抜き、どう勝利を掴むのか。
彼の意識は、完全にこの時代の「武家の棟梁」としての覚悟へと移行しつつあった。
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