第一話:第一次小牧山会戦 1579年 6月
軍議の席で、羽柴秀長がおもむろに口を開いた。
「頼朝様、犬山城の南東、大草(おおくさ)の地に、新たに城を築きたく、ご提案申し上げます」
この五年というもの、頼朝軍は美濃の岐阜城、尾張の犬山城という戦略的要衝を織田信長から奪取し、この地域一帯の要塞化を進めてきた。しかし、依然として広大な織田領に囲まれた小勢力であることに変わりはない。
羽柴秀長はこの間、刀狩り、兵農分離、楽市楽座といった、当時としては革新的な政策を次々と実施してきた。いずれも精強な軍隊を維持し、それを支える領国の発展を促し、何よりも民の暮らしを安定させることを目指したものであった。頼朝が知る鎌倉の世とは、まるで異なる統治の在り方だ。
秀長は、現状の厳しさを率直に語る。
「これらの政策を維持し、さらに軍備を増強するには、莫大な資金が必要となります。当初、トモミク様よりご援助いただいた軍資金も、このままでは数年のうちに底をつく見込みでございます。
つきましては、新たな商業都市を開発し、税収を増加させることが急務かと存じます。岐阜城や那加城から更に北の山沿いは、敵襲の危険こそ低いものの、交通の便が悪く土地も限られ、多くの商人や住民を集めるのは難しいでしょう」
秀長は地図を広げ、一点を指し示した。
「近隣で商業地として最も有望と愚考いたしますのが、犬山城の南東に位置するこの大草にございます。三河、尾張、美濃を結ぶ交通の要衝でありながら、未だどの勢力も本格的に手をつけておりませぬ」
しかし、と秀長は言葉を継ぐ。
「この地は、織田、そして徳川の領地と境を接しております。すなわち、敵からの攻撃を受ける危険性が極めて高い場所でもあります。それでも、我らとしては、何としてもこの大草に、商いで賑わう新たな城下町を築き上げたいと考えております」
秀長の言葉を受け、トモミクが具体的な兵力配置案を述べる。
「大草の築城が完了するまで、敵の襲撃に備えねばなりません。義経隊と犬塚隊の二部隊、総勢およそ二万五千をもって建設予定地に駐屯。万一に備え、私と頼朝様は、ここ犬山城にて総勢三万の兵と共に待機。これでいかがでしょうか、頼朝様?」
「いかがでしょうか」と、この時代の戦を知らぬ即席の大将に判断を委ねられても、否やを唱えることなどできようはずもない。ましてや、見慣れぬ部隊の采配など、今の自分にできるはずもなかった。
それよりも、頼朝は秀長という人物そのものに、強い興味を惹かれていた。
(的確に状況を把握し、実利に基づいた提案をする。物腰は穏やかでありながら、揺るぎない説得力も併せ持つ……)
人を容易には信じぬ頼朝であったが、この時代の、この軍団の家臣たちには、鎌倉で見てきた重臣たちとは明らかに異なる何かを感じ始めていた。
「…異存はない。秀長の申す通り、皆で力を合わせ、大草城を築こうぞ」
月並みな言葉しか出てこなかったが、それは偽りのない気持ちでもあった。
「頼朝様、ありがとうございます」
トモミクがいつもの微笑みを浮かべる。
「それでは各隊、直ちに出撃準備を。――斎藤福(さいとうふく)様」
トモミクが視線を向けた先に、これまで見たことのない顔があった。武官ではない、文官、あるいは技術者であろうか。
「大草城の築城、お任せいたします。可及的速やかにお願いしますね」
斎藤福と呼ばれた女性は、これまで目にしてきた柔和な女武者たちとは一線を画し、鋭い眼光を宿し、表情に笑みはない。
「はっ、かしこまりました。二月のうちに必ずや完成させまする」
静かだが、揺るぎない自信に満ちた声で、福はトモミクに応えた。
* * *
大草城の建設が、斎藤福の指揮のもと開始された。
時を同じくして、義経率いる一万五千、犬塚信乃率いる一万二千の計二万七千の兵が、築城地防衛のため大草へと出陣する。
だが、この動きを織田軍が見逃すはずはなかった。
義経隊と犬塚隊が大草に着陣したのを確かめるや否や、織田の大軍が犬山城へと殺到してきたのである。
(新たな拠点を一つ築くだけで、これほどの規模で動いてくるのか……)
頼朝は敵の反応の速さと規模に息を飲んだ。
かつて、岐阜城と犬山城を奪取した戦いは死闘であったと聞く。
天下統一を目前にする強大な織田軍に対し、反乱軍に毛が生えた程度の小勢力が、その戦略拠点を二つも奪い取ったのだ。織田信長にとって、それは許しがたい衝撃であったに違いない。
その小勢力が、さらに経済基盤を強化しようとしている。織田家がそれを全力で阻止しようとするのは当然の動きであった。
* * *
織田軍の先鋒、滝川一益(たきがわかずます)の部隊は、犬山城を守る頼朝軍の主力が到着する前に、城の重要な防衛拠点である小牧山(こまきやま)の砦を早々に破壊。いつでも犬山城本体に襲いかかれる、まさに喉元に刃を突きつけるかのような布陣を完了していた。
後詰である頼朝隊とトモミク隊は、まだ那加城から出陣できていない。先陣として大草に展開した義経隊と犬塚隊も、築城中の拠点を離れるわけにはいかない。
頼朝軍は、秀長の政策や内政手腕のおかげで、一城あたりの兵力こそ、周辺の織田方の城より多い。
しかし、織田軍団は保有する領土は広大、城の数が圧倒的に多く、そこから繰り出される無数の部隊による集中攻撃を受ければ、いかに精強な頼朝軍の一部隊といえどもひとたまりもない。
小勢力である頼朝軍の基本戦略は、一部隊あたりの兵数を可能な限り大きくし、最低でも二部隊が常に連携して、織田の大軍に当たることであった。
その時、トモミクからの伝令が届いた。
「岐阜城より、我が隊の出撃準備、整いました! 頼朝様も、那加城よりご出陣をお願いいたします!」
(間に合わせねば……!)
織田勢が本格的な犬山城攻撃を開始する前に、何としても城に入り、防衛体制を固めなくてはならない。
犬山城には、源頼光率いる第二突撃隊をはじめ、屈強な突撃部隊が残ってはいる。しかし、犬塚隊が出陣した後では、城兵の総数は決して多くない。
さらに、突撃部隊の主力は騎馬であり、籠城戦で敵を圧倒するほどの鉄砲は配備されていない。彼らが真価を発揮するのは、あくまで野戦なのだ。
犬山城を防衛するためには、大量の鉄砲を備えた頼朝隊とトモミク隊、二つの狙撃隊の到着が絶対条件であった。
* * *
頼朝は、那加城内で出撃を待つ自らの部隊を眺めていた。
この時代に来て初めて指揮する、己の名を冠した部隊。一つの城から出撃できる一万五千の兵力は、鎌倉の常識では考えられない規模だ。
部隊の構成は異様だった。弓兵の姿はほとんど見えず、代わりに「狙撃隊」の名が示す通り、「鉄砲」なる未知の武器を持つ兵士が大多数を占める。
鉄砲兵は鎧も軽装で、頼朝の目には頼りなく映る。こんな軽装の部隊が、敵の槍隊や騎馬武者の突撃を受ければ、ひとたまりもないのではないか。
しかし、副将の里見伏も、参謀の羽柴秀長も、この鉄砲の数にこそ、我らが力の源泉があるのだと自信に満ちている。今は彼らを信じるしかない。
さらに「大筒(おおづつ)」と呼ばれる巨大な兵器も用意されている。これもまた、どれほどの威力を持つのか想像もつかないが、秀長はこれもまた重要視しているようだった。
(敵もまた、これらと同じように進化した武具や兵器を備えているのだろうか……)
まだ、この時代の敵兵の姿を、この目で直接見たわけではない。頼朝は言い知れぬ不安を覚えていた。
「出陣!」
岐阜城から出撃したトモミク隊一万四千と呼応するように、頼朝直属の第一狙撃隊一万五千が、那加城の城門を繰り出した。目指すは犬山城。
幸いにも、織田軍は頼朝隊、トモミク隊が犬山城に到着する前に、総攻撃を仕掛けてくることはなかった。
犬山城の物見櫓から見渡せば、南に広がる平野は、織田の軍勢で埋め尽くされていた。海岸線まで、敵兵の黒い影と無数の旗指物がひしめいているのが見える。
最前面に布陣する滝川一益の軍勢は、こちらも相当な武装を整えているようだが、不気味なほど静まり返っている。ひとたび動き出せば、猛獣のように襲いかかってくるであろうことを予感させる、嵐の前の静けさだった。
両軍のにらみ合いが一月(ひとつき)以上続いた頃、斎藤福から吉報が届いた。
「大草城、築城完了いたしました。予定よりも早く仕上がっております」
(見事な仕事ぶりよ)
武官たちが戦場で存分に力を発揮できるのも、こうした裏方の迅速かつ確実な働きがあってこそだ。
大草城の完成により、犬山だけでなく、大草方面からも小牧山の織田軍を牽制し、場合によっては攻撃することが可能となった。戦況は新たな段階に入る。
「頼朝様、今のところ、東の徳川勢に目立った動きはございません」
軍議の席で、トモミクが進言する。
「機は熟しました。犬山の我らと、大草の義経殿たちとで、同時に小牧山の織田勢を攻撃すれば、これを挟撃できます」
戦場にあっても、彼女の落ち着き払った態度と微笑みは変わらない。まるで、何か絶対的な力に守られているかのような、揺るぎない安心感を漂わせている。
それに引き換え、頼朝の心は落ち着かなかった。まるで初陣に臨む若武者のように、胸が高鳴り、手には汗が滲む。
「頼朝様、ご心配には及びません」
トモミクが頼朝の心中を察したように、穏やかに語りかける。
「まずは、この時代の戦いぶりをご覧になってくださいませ。いざとなれば、伏様、秀長様、光様が、必ずや殿をお守りいたします。副将の皆様を、どうぞ信頼なさってください。このトモミクも、命に代えて、頼朝様をお守りいたしますゆえ」
「……頼りにしておる」
またしても月並みな言葉しか出てこなかったが、他に言いようもなかった。
「トモミクの進言、受け入れよう。義経と犬塚信乃に急ぎ伝令を! 明朝、日の出とともに、一斉に小牧山に向けて進軍を開始する、と!」
* * *
その夜。
那加城に残留していた第四狙撃隊隊長、赤井輝子が、突如として犬山城の頼朝の本陣を訪れた。
頼朝隊、義経隊といった主力が出払った今、那加城には数百の留守居兵しか残っておらず、この戦で輝子隊の出番はないはずだった。
「殿! いよいよ明朝ご出陣と伺い、いてもたってもいられず参上いたしました!」
輝子は陣幕に入るなり、朗らかに言い放つ。
「何かあれば我らも、と馳せ参じたいのは山々なのですが、何分にも兵がいませぬ故、今回は頼朝様に存分に暴れていただくしかございません!」
一体何をしに来たのか、と頼朝が訝しむ間もなく、輝子の供の者たちが大きな酒樽をいくつも運び込んできた。
「私も、明日の戦を思うと、じっとしていられなくて! 殿のお気持ちをお察しいたしますれば、やはり今宵はこれかと!」
そこへ、頼朝の副将である里見伏、櫛橋光、そして羽柴秀長も顔を出した。
「頼朝様」
秀長が苦笑しながら言う。
「明日は、我らが存分に働き、必ずや勝利を掴んでまいります。今宵はしばし鋭気を養い、赤井殿のお相手をお願いいたします。…赤井殿、くれぐれも、程々にお願いいたしますぞ」
秀長が釘を刺すが、輝子は聞く耳を持たない。ずかずかと秀長に詰め寄る。
「こら秀長! お前も飲むんだよ!」
「赤井殿! 私は明日も軍略を…」
「うるさいねぇ! どこまでも糞真面目な男だよ、お前は。まあ、この軍団にお前が必要なのは認めるけどさ、あたしはアンタみたいな堅物、男としては全然興味ないからね! ね、頼朝様?」
輝子は頼朝に同意を求めるように、悪戯っぽく笑いかける。
あの冷静沈着な秀長も、この奔放な女武者の前では形無しのようだ。
「ははは、秀長の忠告は尤もだが、輝子殿の心意気も嬉しい。せっかく持ってきてくれたのだ、少しだけ頂こうか。明日は皆の武勇、存分に拝見させてもらう」
頼朝が応じると、輝子は破顔一笑した。
「さすが、我らが殿! そうこなくっちゃ! あたしは明日出陣できないからさ、こうして景気づけでもしなきゃ、やってられないんですよ! さあさあ、勝利祈願の美酒ですよ!」
「赤井殿!」
秀長の悲鳴にも似た制止も空しく、輝子は大きな盃に並々と酒を注ぎ、頼朝に差し出しながら、その隣にぴたりと寄り添う。
冷静な秀長が狼狽える姿も、勇猛な女武者・輝子が屈託なく笑う姿も、頼朝にとっては初めて見る光景だった。
(この時代の酒は……まことに、美味いものだな……)
差し出された酒を口にし、頼朝は思わずそう呟いていた。
* * *
翌朝。夜明けとともに、頼朝軍は行動を開始した。
大草からは義経隊、犬塚隊。
犬山からは頼朝隊、トモミク隊。
二方向から、小牧山に布陣する織田軍本体目指して進軍を開始したのである。
対する織田軍も、数えきれないほどの部隊が尾張一帯に展開していた。彼らはその圧倒的な物量に物を言わせ、波状攻撃を仕掛けてくることで、こちらの戦力をすり潰そうという作戦であろう。
対して頼朝軍は、挟撃の布陣を維持しつつ、損害を最小限に抑えながら、敵部隊を各個撃破していくしかない。
戦端は、頼朝軍が小牧山正面の滝川隊を左右から挟撃する形で開かれた。
頼朝軍は巧みな連携で味方の損害を抑えつつ、第一陣の滝川隊を撃退することに成功する。しかし、滝川隊の統制の取れた動き、そして兵たちの勇猛果敢な猛攻は、頼朝が知る鎌倉武士の精鋭であっても、これを打ち破るのは容易ではなかったであろう、と感じさせるものだった。
局地的な戦闘では、頼朝軍が勝利を重ねていく。
だが、予想通り、織田軍は息つく間もなく次々と新たな部隊を投入し、波状攻撃を繰り返してきた。さすがは、この時代の覇王と恐れられる織田信長の軍団である。
一方、頼朝軍の鉄砲の威力もまた、目を見張るものがあった。
鎌倉武士が命懸けで鍛錬を積んだ弓矢の技も、射程、威力ともに、この鉄砲には遠く及ばない。あれほど頑強に見えた敵兵の鎧も、鉄砲の直撃を受ければ容易く貫かれてしまう。
そして、秀長の事前の準備のおかげであろう、頼朝軍は、精強な織田軍団と比較しても遜色のない、あるいはそれ以上の数の鉄砲を保有しており、それが断続的な敵の突撃を効果的に押し返していた。
しかし、ここまでの頼朝軍の局地的な勝利は、まるで織田軍の想定の範囲内であるかのようだった。
頼朝軍は、いかに精強とはいえ、限られた四部隊で連戦を強いられている。
対する織田軍は、後方に膨大な予備兵力を控えさせ、尾張の本拠地で十分に休息を取った部隊を、次から次へと戦場に投入してくる。投入された部隊は、常に最大の力で突撃を繰り返してくるのだ。
(昨夜、赤井輝子に勧められて飲んだ酒など、とっくに汗と共に流れ落ちたわ……)
戦闘の合間に、頼朝は額の汗を拭った。
このまま戦闘が長引けば、いずれこちらの兵糧が尽き、兵士たちの疲労と消耗も限界を超える。それは火を見るより明らかだった。
* * *
織田軍の三雲成持(みくもしげもち)隊が小牧山に攻撃を仕掛けてきた際、敵の動きに僅かな油断が見えた。度重なる織田軍の攻撃を受け、こちらの消耗が大きいと判断したのか、その攻撃には以前ほどの鋭さが感じられない。
(好機!)
頼朝は即断した。
「今宵、三雲の陣に夜襲をかける!」
頼朝自ら精鋭を率い、闇に紛れて三雲隊の陣所へと迫る。
読み通り、三雲隊は夜襲を警戒しておらず、その油断を突いた奇襲は完璧な成功を収めた。
この勝利自体に、大きな戦略的意味はないかもしれない。だが、連戦による疲労の色が見え始めていた味方の士気を再び高めるには、十分すぎるほどの意味を持つ勝利であった。
「さすがは頼朝様! 実に見事なご采配にございます!」
副将の里見伏が、興奮した面持ちで賞賛の声を上げる。
頼朝は、この時代に来て初めて、己自身の判断で戦果を挙げられたことに、密かな安堵と、確かな手応えを感じていた。
* * *
しかし、夜襲の成功も束の間、織田軍団の波状攻撃は止むことがなかった。
そして、懸念していた通り、前線部隊の腰兵糧が心もとなくなってきた。兵士たちの疲労も色濃い。
トモミクから、再び伝令が届く。
「頼朝様、各隊の兵糧が残り少なくなり、兵の疲労も無視できぬ状況となってまいりました。これより、前線に展開する四部隊のうち、三部隊を戦場に残し、一部隊ずつ順次、犬山城へ後退させ、補給と休息を取らせたいと存じます。
補給と休息が完了した部隊を前線に復帰させ、次に消耗の激しい部隊と交代させます。全ての部隊が十分に回復したところで、再び挟撃態勢に戻しましょう。まずは、頼朝様の部隊から、一旦お引きください」
「承知した。我が隊はトモミクの進言に従い、これより後退、急ぎ補給を行う。全軍に伝達せよ!」
これまでは四部隊が二隊ずつに分かれ、左右から挟撃する布陣で織田軍を効果的に撃退してきた。
しかし、前線が三部隊となると、挟撃態勢を維持するのは難しい。一部隊で敵の攻撃を受け止めねばならない方面が生じ、そこに織田軍が兵力を集中させれば、突破される危険性が高まる。
全四部隊の補給が完了するまでは、一時的に挟撃を解き、三部隊が小牧山正面に集結して、敵の攻撃を受け止める。それが現時点では最も安全であろう、とトモミクは判断したのだ。頼朝もその判断に異論はなかった。
頼朝隊が犬山城で、慌ただしく補給と兵の休息に入っている間、織田軍は新たな部隊を投入してきた。それは、羽柴秀長の兄であり、織田軍の重臣である羽柴秀吉(はしばひでよし)の軍勢であった。
かつて、源氏の中で争った頼朝と義経のように、今、羽柴家の兄弟もまた、敵味方に分かれて戦っている。
頼朝隊が後方に下がっていたことで、秀長が実の兄・秀吉と直接刃を交えるという最悪の事態は避けられた。不幸中の幸い、というべきか。
犬山城から遠望する秀長は、小牧山の戦場で繰り広げられる自軍と兄の軍勢との激突を、ただじっと、複雑な表情で見つめていた。
小牧山の戦場では、秀吉が巧みな用兵で、頼朝軍の各個撃破を狙っていた。
しかし、ここで運が頼朝軍に味方する。
秀吉は、前線の三部隊の中で、比較的消耗が少なかったた義経隊に主目標を定めて攻撃を仕掛けてきたのだ。
もし、連戦で消耗が激しくなっていた犬塚隊を狙われていたら、その被害は甚大だったであろうし、その後の織田軍の波状攻撃によって、犬塚隊が崩壊していた可能性すらあった。
これまでの戦闘では、後方の義経隊とトモミク隊による鉄砲射撃で敵を弱体化させ、好機を見て犬塚隊の騎馬隊が突撃し敵を殲滅する、という連携が効果を発揮していた。しかし、その突撃の主力を担う犬塚隊の兵の消耗と疲労は、三部隊の中で最も深刻だったのだ。
義経隊は、この軍団の中でも最強の精鋭部隊であると聞いていた。
過去の時代における「軍略の天才」は、この四百年後の戦場においても、その才を遺憾なく発揮しているようである。義経自身の卓越した戦術指揮、副将・武田梓の相手の弱点を正確に見抜く砲撃術、そしてもう一人の副将・出雲阿国の、まるで妖術師のような巧みな鉄砲隊運用。これらが一体となって、義経隊は圧倒的な戦闘力を示していた。
それでも、秀吉もまた、織田軍団の重鎮として名を馳せるだけのことはある。これまでの敵のように、義経隊が一方的に押し返すまでには至らず、激しい攻防が繰り広げられた。
義経隊に秀吉隊が猛攻を仕掛ける、その側面から。
「力の限りを尽くせ!かかれ!」
鬨の声と共に、犬塚隊が最後の力を振り絞るかのように、騎馬に鞭を打ち、突撃を敢行した。
これにより、再び秀吉隊を挟撃する態勢が整う。そこへ、後方のトモミク隊も前進し、義経隊と合流。
敵の増援部隊が到着する前に、三部隊による集中攻撃で、羽柴秀吉隊を殲滅することに成功した。
秀吉隊を撃退した直後、補給を終えた頼朝隊が前線に復帰した。
しかし、犬塚隊の消耗は限界に達していた。これ以上、織田軍団の波状攻撃を受け続けるのは不可能と判断された。
本来であれば、四部隊を順次入れ替えて戦線を維持する予定であったが、ここで犬塚隊を戦線から離脱させざるを得なくなった。
「伏姫様、申し訳ござりませぬ! 我らはこれにて退きまする! どうか、ご武運を!」
犬塚信乃が、馬上から頼朝隊副将の里見伏に向かって叫ぶ。
犬塚隊は、「犬」と呼ばれる里見氏に仕えた特殊な戦士たちで構成されている。そして、トモミク隊の副将たち(犬山道節、犬坂毛野)もまた、同じ「犬」の者たちだ。頼朝隊の副将・里見伏と、これら「犬」たちとの間には、何か尋常ならざる深い絆と、そこに秘められた物語があるようだった。彼らは、主君である頼朝のためというより、伏姫のためにこそ戦っているように、頼朝の目には映った。
「頼朝様」
犬塚隊の撤退を見届けたトモミクが、自ら馬を飛ばし、頼朝の本陣まで来て直接協議を求めた。
「犬塚隊が撤退しました。このままでは戦線維持が困難になります。つきましては、後詰として、岐阜城を守る北条早雲隊に出撃を命じてもよろしゅうございましょうか」
「なに、早雲殿を呼び寄せるだと? だが、岐阜城を手薄にして、もし西から織田の本隊に攻められでもしたら一大事ではないか。そうなった時、我らに援軍を出す余力はないぞ」
頼朝は即答できずに躊躇した。
するとトモミクは、斥候から得た最新情報に基づき、冷静に意見を述べる。
「ご安心ください。現在、西方の織田勢に、岐阜城を本格的に攻略できるほどの兵力は残っておりませぬ。ここは思い切って、早雲様にご出陣いただくのが最善かと存じます」
(岐阜城が落ちたら、我らは立ち行かぬ……)
その不安が完全に払拭されたわけではない。だが、この状況で他に有効な選択肢がないことも確かだった。
「……むぅ。そちの申すこと、尤もである。早雲殿に出陣を命じよ」
「頼朝様、ありがとうございます!」
トモミクは頼朝の決断に深く頷くと、「それでは、直ちに!」と言い残し、足早に自身の陣へと戻っていった。
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