エリーの映像は2分19秒から20数秒間あります

 約80年前、太平洋戦争末期に軍部の指示で殺処分され、絵本にもなっている旧水前寺動物園(熊本市)の象のエリーの生前の映像が残されていたことが分かりました。5月5日の熊日新聞で紹介してもらいましたが、見つかったいきさつをちょっと書いておこうと思います。

 にわかのブログで書くのも変ですが、実は無縁な話でもないのです。高森のにわかの調査の一環で県内のにわかを調べていた数年前、天草の本渡歴史民俗資料館に戦前のにわか映像が残されていると知って取り寄せました。その中で一瞬ですが、にわかの姿を確認できました。

 話はそこで終わりだったのですが、昨年暮れ改めて映像を確認していると、家族で象を見物する姿があることに気づきました。戦前の映像で、どうやらそこは水前寺動物園らしい。そここ象がいるということは、もしかして、あの有名な悲劇の象・エリー??? それから、にわかのことはさておき、エリーの探索に乗り出しました。

 熊本市動物園にもエリーの映像はないという話でした。エリーならば唯一の映像かもしれません。そこで、エリーの飼育員だった方の息子で、エリーの死に際を目にして語り継いでこられた金沢敏男さんを探し、映像を見てもらいました。するとひと目見て「エリーに間違いない。エリーの映像を見るのは初めて。生きたエリーを見ることができてうれしい」と涙ながらに語ってくれました。なんだか、あっけないくらいのビンゴでした!

 早速、そのことを古巣の熊日新聞に伝えて記事に仕上がるのを待っていました。ところがその間に、エリーの生き証人でもある金沢さんが亡くなってしまいました。記事が載る紙面を見てもらえたらさぞ喜んでくれただろうにと思うと残念です。ただ、せめて生きたエリーの映像を見てもらえたことは良かったなと思っています。

 実はこの映像は天草の住民が戦前、9.5ミリという家庭用フィルムで撮影・保存していたものです。それを元にNHK熊本放送局が昭和60年ごろに番組にし、元フィルムをVHS映像に変換して住民に返却し、それが資料館に寄贈されました。資料館はそれを元に戦前の天草の姿をDVDにまとめて公開してきました。戦前の映像というだけでも貴重なものです。

 しかし、エリーの姿はDVD映像からは漏れて、原盤(私が取り寄せたもの)の中に埋もれていました。このためその後エリーの映像の存在は忘れられ、熊本市動物園もそうした映像があることを知りませんでした。それが今回、偶然日の目を見ることになったんですね。

 熊本市動植物園にはエリーの骨格標本や写真資料が展示され、子どもたちの平和教育の一環として活用されています。金沢さんも生前、エリーの資料を寄贈されたそうです。そこに、エリーの映像も加わるんですね。未来を託すこどもたちー。映像になって蘇ったエリーは、きっと多くの大切なことをこどもたちに語りかけてくれるのではないかと期待しています。





 





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  1.   このほど生きた姿を収めた映像が残っていることがわかった「象のエリー」。そのことを調べ始めたときに見つけた熊本の古い新聞記事です。

      エリー来熊の第一報とみられる昭和13(1938)年3月7日付の九州日日新聞によると、エリーは6日に大阪のサーカス劇団「有田洋行会」から購入されて熊本にやってきたことが分かります。


     ただ記事は芸達者なこと以外は、あっさりしたもの。その点1日遅れの7日付けで掲載した九州新聞は、掲載遅れを挽回しようとしてか、エリーが前年に急死したオスのメリーの代わりに購入された象で、熊本駅から歩いて動物園にやってきたことなど詳しく紹介しています。

     さすが、と言いたいところですが、実はこの記事、肝心のエリーとメリーの名前を取り違えて紹介してしているんです! いやあ、これは痛恨のミスですね。このことが後にエリーとメリーの名前が一時混乱したことの原因なのかもしれません。

     エリーの最後を目撃し、語り継いできた金沢敏男さんも、「エリーはメス。メリーはオス。写真を一目見れば分かります」と話されていました。

     それはさておき、ここから始まった熊本のエリーの話は、戦争にまつわる悲劇の物語としてまだまだ語り継がれていくのでしょう。


     







    昭和13年3月8日九州新聞





     



  2. エリーの映像は2分19秒から20数秒間あります

     約80年前、太平洋戦争末期に軍部の指示で殺処分され、絵本にもなっている旧水前寺動物園(熊本市)の象のエリーの生前の映像が残されていたことが分かりました。5月5日の熊日新聞で紹介してもらいましたが、見つかったいきさつをちょっと書いておこうと思います。

     にわかのブログで書くのも変ですが、実は無縁な話でもないのです。高森のにわかの調査の一環で県内のにわかを調べていた数年前、天草の本渡歴史民俗資料館に戦前のにわか映像が残されていると知って取り寄せました。その中で一瞬ですが、にわかの姿を確認できました。

     話はそこで終わりだったのですが、昨年暮れ改めて映像を確認していると、家族で象を見物する姿があることに気づきました。戦前の映像で、どうやらそこは水前寺動物園らしい。そここ象がいるということは、もしかして、あの有名な悲劇の象・エリー??? それから、にわかのことはさておき、エリーの探索に乗り出しました。

     熊本市動物園にもエリーの映像はないという話でした。エリーならば唯一の映像かもしれません。そこで、エリーの飼育員だった方の息子で、エリーの死に際を目にして語り継いでこられた金沢敏男さんを探し、映像を見てもらいました。するとひと目見て「エリーに間違いない。エリーの映像を見るのは初めて。生きたエリーを見ることができてうれしい」と涙ながらに語ってくれました。なんだか、あっけないくらいのビンゴでした!

     早速、そのことを古巣の熊日新聞に伝えて記事に仕上がるのを待っていました。ところがその間に、エリーの生き証人でもある金沢さんが亡くなってしまいました。記事が載る紙面を見てもらえたらさぞ喜んでくれただろうにと思うと残念です。ただ、せめて生きたエリーの映像を見てもらえたことは良かったなと思っています。

     実はこの映像は天草の住民が戦前、9.5ミリという家庭用フィルムで撮影・保存していたものです。それを元にNHK熊本放送局が昭和60年ごろに番組にし、元フィルムをVHS映像に変換して住民に返却し、それが資料館に寄贈されました。資料館はそれを元に戦前の天草の姿をDVDにまとめて公開してきました。戦前の映像というだけでも貴重なものです。

     しかし、エリーの姿はDVD映像からは漏れて、原盤(私が取り寄せたもの)の中に埋もれていました。このためその後エリーの映像の存在は忘れられ、熊本市動物園もそうした映像があることを知りませんでした。それが今回、偶然日の目を見ることになったんですね。

     熊本市動植物園にはエリーの骨格標本や写真資料が展示され、子どもたちの平和教育の一環として活用されています。金沢さんも生前、エリーの資料を寄贈されたそうです。そこに、エリーの映像も加わるんですね。未来を託すこどもたちー。映像になって蘇ったエリーは、きっと多くの大切なことをこどもたちに語りかけてくれるのではないかと期待しています。





     





  3.  
    以前から気になっていたウィキペディアの「俄」の項目に少し、手を入れてみました。

    何かわからないことがあると目にするのがウィキペディアではないでしょうか(最近じゃAIによる説明で満足してるかも?)。

    私もにわかについて調べ始めたときは、まずここをチェックしました。ウィキはだれが書いたかわかりませんが、多くの人がそれぞれの知識を集めて作る(つまり誰が書いてもいい)「集合知」の具現化ともいえるありがたい存在だと思っています。

    しかし、今となってながめると間違いというかちゃんとした説明ができてない部分が目についてしまうんですよね。

    そこで(1)にわかは滑稽芝居だけではなく踊りや仮装や行列やいろいろある(2)戦前の熊本のにわかの中心は「招魂祭」だったこと(3)ばってん劇団は昭和三十八年に浅草松竹演芸場に立ったことなど、ちょっとだけ書き入れてみました。

    それとそれと、参考文献に私の「肥後にわかー笑いの来た道」をちゃっかり入れさせてもらいました。はは^^;

    「にわかって何じゃい?」と思った人が、このブログやサイトまで、そして本までたどりついてくれるといいなあと夢想しながら、ですね^^;

    そうそう、ウィキで引用されていた佐藤恵里さんの記事は熊日で私が担当したもの。どなたがお書きになったかわかりませんが、これはうれしかったですね^^



     

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  4.   にわか応援サイトが復旧した記念にサイトサブページに写真集を追加してみました。中身はまだまだこれからですが、手持ちの写真の中からめぼしい写真をピックアップしていこうと思っています。

     第一弾は「ラジオ熊本時代の肥後にわか」。昭和28年にラジオ熊本(今の熊本放送)が開局したときに大人気だった肥後にわか公開放送の様子です。

     当時はもちろん生放送。ラジオだから声だけ電波から流れたわけですが、それでも放送時間には風呂屋が空になるほど人気を呼んだようで、戦前に劣らぬ肥後にわかの全盛期となりました。

     そのラジオに登場したのは、蓑田又雄率いる「ばってん劇団」。時代のテンポに合わせた新しい喜劇風スタイルでした。ばってん荒川らを抱え、やがて戦後のにわか人気の中心的存在になりますが、当時は「ばってん組」と名乗っていました。


     

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  5.  肥後にわかを応援するサイトを作っているのですが、いつごろでしたかトップページが壊れてしまってうまく表示できなくなっていました。

     あれこれ触っても素人の悲しさ、どうすればいいかわからないまま、似たようなページをもうひとつ作って凌ぐことにしたのですが、新しいのはグーグル検索に引っかかってくれません。ホトホト困ってしまって更新する意欲もなくしていました。

     それがやっと復旧したんです。なんと息子のお陰。なにかの拍子で相談したら、ちょちょいと触ってあっさり解決してくれるではないですか。なんかたくましく見えましたね^^

     それはともなく、なくしていた意欲も取り戻せそうだし、しっかりサイトを更新していかなければ! 肥後にわかの活動を広げ、肥後にわかをはじめとするにわかやその周辺の足跡をしっかり残して行こうと改めて思っています。

     本来のサイトは肥後にわか応援サイト「まるごと肥後にわか」

     URLはhttps://sites.google.com/view/hi5niwakaです。

     なお、きょう3月30日にグーグル検索をかけると「肥後にわか」で検索してもちゃんと上位に出てきますが、「肥後にわか応援サイト」ならバッチリ1番、「まるごと肥後にわか」じゃ5番目でした。ともかく、今後ともよろしくお願いします。


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  6. 揚洲周延 新吉原仁輪加の賑

      先週の大河ドラマ「べらぼう」、予想違わず吉原俄(にわか)がドンと出てきましたね。

     ドラマでは幼い禿たちが歌舞伎の一場面を演じる姿や、路上を巡りながらの踊りの競演などもあって、にぎやかな俄の姿を見せてくれました。吉原俄はやっぱり「肥後にわか」のような笑いの芸とはぜんぜん違うものとして描かれていました。

     ただ気になったのは、芸者たちの艶やかな姿が見えなかったこと。錦絵に鮮やかに残されているのは、禿のような子どもではなく立派な大人の女性たちのあで姿です。

     「名月余情」が描いた総勢500人にも上ったという壮大なスケール感が少々乏しかったのは仕方ないとしても、あの色っぽい姿こそ吉原俄の肝だと思うのですが、、、。それも、これから出てくるのかなあ^^;

      

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  7. 青楼仁和嘉全勢遊び(菊川英山)部分

     NHK大河ドラマ「べらぼう」、見てますか? 蔦屋重三郎が活躍した江戸吉原が舞台とあってやっぱり出てきましたね、「吉原俄(にわか)」。

     実は、熊日にわか連載でも吉原にわかのことも書きたかったのですが、余裕がなくてとうとう断念。この機会に、当時集めた資料を引っ張り出してみました。

     學燈社から出ていた雑誌「國文学」昭和59年10月臨時号「郭のすべて」の中で、近世芸能研究の竹内道敬さん(元国立音楽大教授)が「郭の芸能ー吉原俄考」と題して、吉原俄について考察されています。

     ドラマでは吉原の人気を呼ぶために、祭りの出し物として俄が企画されていく様子が描かれているようです。ただ、「にわか」といえば「肥後にわか」のように滑稽な笑劇(狂言)と思うのが一般的。それに対して、多くの錦絵に見える吉原俄の華やかな姿はずいぶん落差があります。そもそも、吉原俄の本当の姿はよくわかっていないようなのです。

     竹内さんも、同様の疑問を踏まえて吉原俄の姿を追っていきます。それによれば、明和2年(1765)刊行の「吉原春秋二度の景物」に「にわかと云は狂言にあらず、踊にあらず、祭礼のねり物と違ひ、頓作の滑稽をむねとしける」とあって、吉原にも男芸者による即興の滑稽芸としての俄があったことは間違いないようです。

     しかし、「名月余情」(安永6年・1777)が紹介する俄の全貌は、19の演目に総勢500人もの大勢が繰り出しながら、そのうち明らかな滑稽狂言は1演目のみ。ほとんどは神田祭や山王祭りなどの行列(「練りもの」や「地走り」)を模した踊りの列で、「二重になった屋台(引き台)を引き回し、下には地方(伴奏)、上には踊り子が乗って、妓楼(遊郭)の前に止めて踊りを披露する」ものだったようです。

     ただ、時代を経るにつれて滑稽狂言はすたれたようです。それは「男芸者ではなく報間(ほうかん=たいこもち)の芸になったから」と竹内さんは芸の質が落ちたためとみます。さらに「祭りの花なるに準じをどりの曲ある」(吉原雑話)ものが吉原俄の本来の姿で「茶番狂言じみた俄は江戸人にはあまりよろこばれなかった」と推察されています。

     つまり、吉原にわかの本質は滑稽な芝居風のものではなく、「祭礼の附祭にあるような、『踊りと歌を主としたもの』と考えられていた」と結論づけておられます。なるほどですね。

     ところで「名月余情」では「速戯」と書いて「にわか」と読ませています。吉原で演じる踊りも芸も「ささっと戯れに演じる仮のもの」で、芝居町などで見られる「本物」とは違うー。「にわか」という言葉には、そんな意味も込められているようです。ただし、それはしたたかに開き直った言い草でもあるのような・・・。

     「そりゃあ吉原の踊りは本物ではありゃしません。ただの、にわか(速戯)でありんす。それでも、なかなか良ござんしょ、、、ふふふ」

     私には、小芝風花演ずる花魁の、そんな声が聞こえてくるような気がするのでありんすが、はてさていかに^^;

     (おわび:俄で踊ったのは花魁たちとばかり思っていましたが、後日錦絵の解説などを読むと女芸者などとされていたました。私の思い込みでした。ということで、当初書いた「花魁」の部分は、「芸者」に訂正しました)

     
    「べらぼう」から花魁姿の小芝風花

     


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  8.   気がつけば3月も半ば。1月の「ばってん荒川まつり」以来、このブログも更新できずにいました。正直、にわか関連のネタを掘り起こせずにいるうちに別件で忙しくなってしまっていました。

     ただ、このところばたばたしている100年前の忠臣蔵ペン画や戦前の県内映像(後日詳報の予定)の話もにわか取材であちこち出かけた先で偶然出合ったもの。そう、全部にわかのお陰なんです。

     そして「やっぱり取材は足で稼がなくちゃいけないね」とかつての同僚と話したばかり。もう、取材なんていう年でもないんですけどね^^;

     決してにわかのことを忘れたわけではありません。今年の秋には河内にわかを訪ねてみたいと思っています。かつて取材した聞き書きを冊子にまとめたり、にわかがラジオやテレビで人気だったころの台本もなんとか冊子にしたいとも考えています。

     そう、長い目で見ていただけると大変ありがたいです^^;

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  9.    肥後にわかと言えば「ばってん荒川!」。その没後20年を記念した「ばってん荒川まつり」が1月11日、益城町文化会館に満員の観客を集めて開かれ、大いに笑わせてくれました。

     演じたにわかは「祝の後は雨のち晴」。荒川を慕うばってん城次、大田黒浩一、キンキラ一太はじめ荒川の次男イサオ(ばってん荒川Jr・肥後ドッコイ)、ミートボール岡部(肥後ドッコイ)、小松野希海(元劇団四季)、村上美香(元KKTアナウンサー)がアドリブや脱線もたっぷりに熱演してくれました。

     父親そっくりのイサオの"お米バアさん"姿はもちろん、会場に響く城次のわまかし声、大田黒の迫真の酔っぱらい、一太の絶妙のボケ、小松野の歌声(ミートボールはスマートになったね^^)はさすがさすがによかった。そして村上の演技がなかなかはまってたのはうれしいオドロキだったなあ^^;

     しかし、なんですな。やっぱ熊本弁で笑わかすっとはヨカですなあ。

     先日も書いた通り、「肥後にわかを次の世代に残したい」という城次の思いに応えて、益城町文化会館が開いてくれた肥後にわかイベント。年明け早々うれしかこっじゃなかですか^^; 来年からもずーうっと続けてくれると思います。がんばってハイよ。

     あ、忘れるところでした。企画の立役者の一人で、進行に加えて紙芝居でばってん荒川物語を披露した”もっちゃん”こと本橋馨元KKTアナウンサーがいました。はは。荒川の次女さんも参加しての裏話も面白かったですよ。秘蔵映像、写真は私も知らないのがあってうれしかったです。

     さてさて、まつりの最後は荒川のおはこ「九州祭りうた」の映像をみんなで見ながら、歌いながらのエンディング。会場にかけつけた荒川の奥さんもうれしそうでした。

     やっぱ肥後にわかは残していかなんバイ^^






     

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  10.    


     益城町文化会館の「ばってん荒川まつり」。1月11日(14時開演)の本番が近づいてきました。もちろん当日おじゃまするつもりですが、その前に自主化事業としてにわかを取り上げた心意気を山森英雄館長にうかがってきました。

     聞けば館長は熊本朝日放送(KAB)で報道記者や事業局長などを務めた方。退職後、かつて取材仲間だった熊本県民テレビ(KKT)の本橋馨さんと一緒に企画会社「MYプロデュース]を立ち上げたそうです。

     本橋さんと言えば、KKTの「テレビタミン」でばってん荒川さんと長年共演してきた人。山森館長はテレビの仕事を通じて、ばってん城次さんとも顔見知り。そんな3人があれこれ話すうちに、ちょうど没後20年、芸歴70年となる荒川さんを"座長"とする肥後にわかの催しをやろうと盛り上がったんだとか。

     しかも、開催は今年だけにとどまりません。「節目の今年ばってん荒川まつりですが、来年以降も肥後にわかを取り上げていきます」と山森館長。「肥後にわかを次の世代に残したい」という城次さんの思いにこたえて「会館を"肥後にわかの拠点"としたい」とも話してくれました。何ともうれしいではありませんか。

     まつりの中身は下の熊日記事の通り。にわかに加えて貴重映像や本橋さんの紙芝居など盛りだくさんです。気になる売れ行きですが、インタビュー中にもチケットを求める人が来るなど、全480席が「完売間近」の人気だそう。さすが、ばってん荒川!

     MYプロデュースのパンフには「熊本に埋もれている”宝もの”を残したい」と書いてありました。まさに、肥後にわかはぴったり! 「ばってん荒川まつり」はもちろん、今後の活躍を大いに期待しとりますよ〜〜^^

                  

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  11.   大坂から届いたこの冊子を読んで一番面白かったのは『「住吉祭りの男」は、案外と南河内の人間だったのかもしれない』という山本譲二さんの締めの一文でした。

     「住吉祭りの男」というのは「古今俄選」という江戸時代の本の中で大坂俄のはじまりとされる住吉祭りの往来の描写に出てくる男のこと。その男は、こんな掛け声で往来に繰り出していました。

      「ちょうさじゃ、ちょうさじゃ。思い出した。にわかじゃにわか」

     それは、南河内で新田開発に乗り出した豪商加賀屋甚平が雇った男たちを労う宴席を開いた席でのこと。遠くから聞こえた祭り囃子に「まつりや!どないや、ひとつ俄でもしに行こか」と男たちが繰り出した、、、

     冊子では、こんな話が加賀屋甚平物語余話として紹介されていました。

     冊子を読んだばかりですから、そういういわれがあるのか、創作なのかは分かりません。ただ、にわかの始まりとされる逸話が地元南河内のから出たのではないかと思える空気がきっと残っているのでしょう。

     そんな自負を持って演じられる河内にわかは、やっぱり見に行かなければという思いが募るばかりです。

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  12.  2025年元旦の読売新聞熊本版にキンキラ陽子さんのお姿が^^;

     「先人の足跡を守る」と題したコーナーに、赤酒や本渡第一映劇、子飼商店街など熊本ならではのものたちに混じって紹介されていました。

     これから、熊本の昭和百年を振り返る(かどうか確認してませんが、たぶんそうでしょう^^;)連載記事にも登場する予定だとか。どんな記事になるのか、楽しみです。




     


  13.  

     大阪の下水分(しもみくまり)神社にわか連喜楽座座長の尻谷廣海さんから、冊子やDVD、地車(だんじり)がずらりと居並ぶ祭りのカレンダーなど南河内に残る「河内にわか」の資料がどっさり届きました。きょうは12月25日。何ともうれしいクリスマスです^^

      まだ手に取ったばかりですが、江戸時代の「古今俄選」などを網羅してにわかの成り立ちや歴史について考察された冊子には教えられ、共感すること大。祭りの映像が興味深のはもちろん、子どもにわか大会などもあるようで、風鎮祭のにわかが国選択民俗文化財に選ばれた高森町と「にわか交流」ができるといいなあ、などと勝手に思ってしまいました。

     ここのにわかの最大の特徴は、各地から神社に集う地車を舞台にして、その上で演じられること。にわかの最後をきめるオチは単に言葉で言うのではなく、必ず物を見せながら物でオチを付けるところにあるようです。

     さらに、にわかの初めの「口上」。「とざいとーざい」で始まるのは高森も同じですが「不肖、私、若輩ながら・・・不弁舌なる口上を申し上げます」と、へりくだりながらの五七調は何とも歴史と風情を感じさせてくれます。
     
     演じる言葉はもちろん生粋の大阪弁。歌舞伎や新国劇の影響が色濃く、かつらや着物、化粧も本格的に整えるにわかは、白塗り姿の風鎮祭のにわかとはずいぶん印象も違うはずです。

     ともあれ貴重な資料をありがたいことです。お返しに熊本のにわかの資料を少しばかり送らせていただきました。今年は訪ねることはできませんでしたが、来年こそはナマでどっぷり河内にわかの世界に浸りたい、という思いしきりであります。

       

            
  14.  

     

     戦前の熊本のにわか名人、運戦利平の顔写真が昭和13年の新聞に載っているとお聞きして、熊本市歴史文書資料室まで確認に行って来ました。九州日日新聞昭和13年9月1日夕刊。確かにありました!!

     ほほう、こんな顔だったのかと思いつつも、なんだか違和感が。そう、予想と違って、さっそうとハットをかぶった洋装姿ではありませんか。とてもにわか師には見えないよなあ。

     記事を見ると支那軍慰問の後で八千代座で出征軍人遺族会などの慰安会に参加したところらしい。これまでは、その慰問時に戦地で撮った写真(下)くらいしか見たことがなく、それも「右から5番目が運船」という説明はあっても人相はさっぱり分からなかったので、大進歩!  気がかりが解決した気分です。熊大名誉教授の安田先生、情報提供ありがとうございました^^



     ところで、上の運船の記事は文末が切れていますが、一段下のずっと右のほう(「今晩の放送」の右)に続きが載っていて(写真は運船)とちゃんと書いてありました。念の為^^;


     後日、思い出しました。運船は熊本市の上通いや並木坂かな、で、帽子屋をしていたという話がありました。だったら納得の一枚ですね^^;

              

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  15.   

      さて、明治の新聞で見つけたにわか写真シリーズ第2弾は明治43年5月28日の九州日日新聞第3面(前回から順不同ですみません)。「招魂祭奉納俄 運船組のハリー彗星」と説明がある。

     なんといってもハレー彗星(ハリーと呼ぶのはいかにも明治っぽい?)は彗星界の超有名人(星?)で、ウィキによれば、なんと紀元前467年ごろの古代ローマや前漢の歴史書「史記」にも記録があるというから驚いた。

     さて、名人運船利平が取り上げた明治43年と言えば西暦1910年のこと。ウィキには「ハレー彗星の尾は2月ごろにはまだほとんど見えなかったが4月頃になってようやく4°、4月21日には12°までになり肉眼でも見えるようになった。5月19日には150°までになり、それ以降は尾は小さくなっていたものの6月11日でも25°であった」とあった。

     さすが運船にわか。彗星最大のピーク時にわかをやってのけている! 爾来、彗星出現は吉兆の表れとも目されてきただけに、当時もさぞや話題になったことだろうが、はてさてにわかはどんな内容であったのか。幼稚園のお遊戯会のような扮装を見る限りでは、無邪気に笑わせてくれる内容だっただろうか、、、。



     さてさて、当時の新聞には上のような挿絵がはさまっているのも、見ていてなんだかうれしい。しかし、目につくのは以下のような醜聞記事。「酒食に耽溺して犯罪」とは、いつの世にも変わらぬ人間の業でありましょうや^^;(なんだか語り物口調になってる?)


     新聞のにわか写真は写りがパットしないと前回から愚痴を言っていたら、「運船の鮮明な写真が載っているよ」と元熊大の安田先生から嬉しいお知らせが。野暮用ですぐには確認に行けないのですが、必ずや入手させていただきますとも。しばしお待ちを、乞うご期待(やっぱり講談調?^^;)


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  16. 運船組のにわか「世界各国剣闘試合」

     少し前のブログで戦前のにわか写真が送られてきたことを書きました。その余勢をかってもっとにわか写真を探してみようと明治、大正の熊本の新聞をめくってきました。

     実は見つけた写真は不鮮明なものばかり。ブログに載せる意欲も薄れかけていたのですが、ほおっておくのはもったいない。見栄えは悪くても、雰囲気は伝えられそうなものと思い直しました。

     まずは明治45年5月6日の九州日日新聞3面から。にわかが見られた招魂祭(慰霊祭)の様子を1面使って紹介する中に、にわか写真も2枚ありました。

     記事には「奉納俄踊は西、熊両券番、運船組、利幸商組、マアチャン組、黒鳩組等を初めとし総数三十余組凝ったる意匠それぞれに見ものなるべし 一応祭場前の舞台に上がり、それより町内各所の舞台を踊り歩き練りまわること例年のごとくなり (読みやすく旧字を修正) 」と説明が見えます。

     当時のにわかは祭りの余興として各地の素人自慢が奉納する出し物。寸劇形式でしたが、踊りの要素も濃かったようで「俄踊り」と呼ばれ、検番芸者の色っぽい踊りなどに混じって町中の仮設舞台を回って笑いを振りまいていたようです。

     この日の紙面には自転車競技や打ち上げ花火、競馬など祭りの様子を伝えるほか、怪力自慢の女相撲の一行を紹介するなど当時の様子を興味深く想像させてくれます。

     写真はもう少し見つけていますので、また改めて紹介しますね。

    マチャン組の「武術むすめ」


    今はなき藤崎台の招魂社殿

    怪力ぶりが紹介されていた女相撲・西の大関梅ケ嶽













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  17.   11月10日に八代市であった第66回九州地区民俗芸能大会に「高森のにわか」が出るというので覗いてきました。出演したのは5つある上演グループの中から上町向上会の見知った顔ぶれでした^^ 

     演題は「ツルの恩返し」! 実は私、途中で「こうくるだろうなあ」なんて薄々オチに気づいてしまったりしたのですが、それも長くお付き合いして目が肥えたせいでしょうか^^; 

     いやいや、会場のみなさんはしっかり喜んでいました。熱演、お疲れ様でした。

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  18.  


     私のフェイスブックにも載せましたが、ブログでもちゃんとお知らせしなければ。
     益城文化会館の自主文化事業として来年1月11日、「爆笑!肥後にわか ばってん荒川まつり」が同文化会館でありますよ。

     ばってん荒川さんは、”お米ばあさん”の姿で繰り出す笑いで肥後にわか随一の存在となり、歌や映画など全国区でも活躍されました。ご存知ですよね。そんな荒川さんが亡くなってもう18年。今回は、荒川さんの功績を振り返り、郷土が生んだ肥後にわかのおもしろさを再発見してもらおうと企画されたそうです。

     ばってん城次さんや大田黒浩一さんらが出演して肥後にわかの舞台を披露するほか、元KKTアナウンサー本橋馨さん、村上美香さんなどゆかりの人々による紙芝居や秘蔵映像、裏話などもあって盛りだくさん。特ににわかでは、ばってんさんの次男イサオさんが、荒川さんうりふたつの姿で初めて本格的にお米ばあさんを演じるんだとか。

     チケットは一般3000円(ブルーム会員2500円)。同会館やチケットぴあ、ローチケでも扱っているようです。詳しくはチラシを見てくださいませ。

     この催し、毎年続けようという話も出ているんだとか。
     肥後にわかのおもしろさを広く再発見してもらおうという趣旨にももちろん大賛成! 
     私も応援してますよー^^

     


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  19.  お祭りの山車の上で演じられるという大阪の河内にわか! 今も伝統を尾守る現地の方からその様子を撮った写真を送っていただきました。

     にわかが見られるお祭りは10月19、20日。もうすぐです。お祭り見物に行きたかったんですが、所用のため今年は行けなくなってしまいました。



     それにしても何でしょうか、このカラフルな爺さんたち^^; 新国劇の影響が濃厚という河内にわかは、熊本のにわかとはずいぶん違っているような気がします。来年こそは現地を訪ね、この謎を解いてきたいと思ってます^^
     

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  20.  キンキラ陽子さんが市内南部で開催している熊本弁講座。講座担当の森永さんからレポートが来ました。頼んでもいなかったんですけどね^^; いやいや、はは。かくなるうえは掲載させていただきますとも^^

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    キンキラ陽子さん富合老人福祉センターで「笑って健康講座」に登壇。


     同老人福祉センターで、このほど御幸病院リハビリテーション部の理学療法士によ
    る「腰痛予防体操」実践講座と共に、キンキラ陽子さんの「笑って健康!熊本弁講座」が行われた。

    腰痛予防体操の後に、キンキラ劇団のキンキラ陽子さんがキンキラもん太(仮称)な
    る司会者に呼び込まれ登壇。
     
     まず富合町で評判のワンちゃんを「知っとらすどか」と紹介。近所の犬が、地区の
    安全のため1日に5回のパトロールを行い、不審者の警戒に当たっているエピソード
    を熊本弁で紹介。会場は、ご近所の名犬物語に「こら知らんだった」と感動して和や
    かな雰囲気に。

     このあと、キンキラ陽子さんによる熊本弁の表現について、面白おかしいトークが会
    場を巻き込んだ。観客とのかけあいもさすがの切り返しを披露した。三味線の演奏で
    は、「おてもやん」をはじめ、「黒田節」が始まると、会場から一緒に歌う男性も現
    れ、拍手がまき起こった。

     
    軽妙な語り口から、鋭い熊本弁のツッコミ、そして陽子さんのお人柄で会場を魅了し

    ました。


     次の「笑って健康!熊本弁講座」第3弾は、熊本市南区銭塘町の「熊本市天明老人
    福祉センター」で

    11月16日(土)午前11時から開催予定。




     

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