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教えてタカハシさん~日本美術史余論~ #5「緑地白貼人物盒子(香炉)」見立て


 BUNBOU株式会社の代表・大森貴久の遊びに、同社所属の美術史家・高橋伸城が付き合う企画「教えてタカハシさん~日本美術史余論~」――。BUNBOUのメンバーが集まると、テーマはその時々によって異なりますが、いつもこんなニッチな話になります。第5回は、大森が愛用している香炉を取り上げて〝見立て〟についての雑談。


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高橋(左)と大森(右)


ウェッジウッドでお線香


高橋 だんだん大森さんの奇行が楽しみになってきましたよ。

大森 奇行……。高橋さんがこの連載で僕のことを「変態」呼ばわりするので、近頃はお会いする人から「変態」と呼ばれることが増えました。

高橋 皆さん、連載の趣旨をきちんと読み取ってくださってるんですね(笑)。さて、今日はウェッジウッドですか。

大森 はい。我が家ではジャスパーウェアの小物入れ(Trinket Box)を香炉として使っているので、これを取り上げて高橋さんに〝見立て〟について聞いてみようと思いまして。

高橋 なるほど。しかしどうして小物入れを香炉として使おうと思ったんですか。

大森 これにはちょっとした経緯があるので、僕から少し話をしてもいいですか。

高橋 もちろんです。見立ては背景が大切ですから。今回も仕覆・共箱・覆紙まで揃えているみたいなので、そのあたりの話も聞かせてください。

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緑地白貼人物盒子(香炉)銘 雅俗
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仕覆
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共箱

大森 夏に仕事で大阪の堺に行って、とある方からお土産として奥野晴明堂(大阪・堺市)の線香をいただいたんです。同社の当主である十代目・沈香屋久次郎さんにもお目にかかる機会がありましてね。

 せっかくの機会なので、自宅で線香を焚こうと思ったものの、そこらへんに売ってある線香立てを使うというのではどうも面白みがない。何かいい方法はないかと考えあぐねていたころに、今度はたまたま逸翁美術館(大阪・池田市)に行く機会があったんです。

高橋 逸翁というのは小林一三のことですね。大森さんが好きな近代数寄者の。

大森 そう。五島慶太書簡の写しの回でも、少しだけ小林一三には触れましたよね。

 美術館に行って、近くにある旧邸・雅俗山荘と池田文庫にも足を運びました。それで、帰りの阪急電車で美術館の名品図録を見ていると、逸翁が茶道具に見立てたものとして、ジャスパーウェアのワインクーラーが掲載されていたんです。どうやら水指に見立てていたようです。

 目が留まったのは、その色が緑色だからでした。ウェッジウッドのことはあまり詳しくないのですが、ジャスパーウェアといえば水色のイメージがあったので。あと、面白かったのは「緑地白貼人物文鉢(水差)」という作品名がつけられていたことです。それで閃いたんです。ジャスパーウェアには小物入れがある。逸翁美術館に行った思い出として小物入れを香炉に見立ててみようーーと。

高橋 その発想が、やっぱり奇行ですよね(笑)。

大森 すぐにインターネット上で中古の小物入れを注文して、東京の自宅に戻るころには荷物が到着していました。サイズもいただいた線香にピッタリ。

高橋 調べてみると、これと同じ型のものは、見つかった限りでは1950年代には発売されていたようですね。それなりに古いものである可能性がありますね。それで、そこからまた大森さんの奇行が続くわけですよね。仕覆やら。

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箱書表 「香炉」「印:蘭室主人」(※)
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箱書裏「銘 雅俗」
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覆紙「ジヤスパーウエア ウエツジウツド作」

大森 数寄者の逸翁に倣って見立てたものなので、仕覆・箱書はこしらえないとダメですよね。美術館に収蔵されるウェッジウッドと、二束三文で購入されるウェッジウッドという対比に、背景にある雅俗山荘への訪問を掛けて、銘は「雅俗」にしました。そのうえで、香炉灰を買って、仕覆と箱の真田紐の色を揃えました。

高橋 覆紙のカタカナの文字がいいですね。

大森 あれ……いま初めて褒めてもらえましたか(笑)。ともあれ、香炉そのものよりも仕覆やら箱やらの〝外側〟のほうが、お金も時間も費やしています。

高橋 暇なくして奇行なし。

(※)印は『必携 落款字典』(柏書房)から、松平不昧印を写したもの。「蘭室」とは「フジバカマ(蘭)が香る部屋」の意。蘭室においては花のよい香りが体に移ることに例えて、「徳の高い人物と一緒にいるとその感化を受ける」という意味で用いられる。大森が考える「蘭室主人」とは、香りを放つ側のことか、それとも感化を受ける側のことか……。

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盒子の蓋裏の一部が、線香の煙に燻されて変色している


見立てって何ですか


大森 高橋さんにはぜひ、見立てについて解説してもらいたいんです。見立てって何ですか。

高橋 ずいぶんざっくりした質問ですね(笑)。僕の専門ではないんですが、ひとまず知ってることをざっくりとお話ししますね。

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 まず、「見立て」やその動詞である「見立てる」というのはそもそも、とても意味が多い言葉なんです。国語辞典を引いてもらえば分かるのですが、鑑定という意味から、医者の診断、近世遊里での遊女の選定まで、いろいろな場面で使われてきた日本語です。文化・芸術の分野で言えば、茶の湯のみならず俳諧や歌舞伎、浮世絵などの世界でも表現の形式として使われてきました。

 そのなかで、今日のテーマの見立て、すなわち「あるものを、それと共通点のある別のものだとして取り扱うこと。別のものになぞらえること。とりなすこと」(『日本国語大辞典』)の話をすると、「見立て」という名詞が、明確に「なぞらえる」の意味で使われていることが確認できるのは、江戸時代に入ってからなんです。

大森 茶の湯の成立から考えると、意外と遅いんですね。

高橋 そうなんです。国語辞典の用例を見る限り、17世紀の中頃に編まれた俳諧の手引き書に「見たて」の項目が出てきます。ただし、これはあくまで文献として残っているもので、「あるもの」を「別のもの」になぞらえる趣向は、それ以前からありました。

大森 すでに面白いですよ。もっと知ってることを教えてください。

高橋 ひとまず、具体例をいくつか挙げてみますね。「なぞらえる」という意味で解釈すると、「見立て」という言葉が定着する以前から見立ては行われていたと考えられます。有名なところで言えば『万葉集』にもあって「白梅」を「雪」に、「露」を「玉」になぞらえられた歌があり、それらは漢詩からの影響だと言われています。

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 あるいは、これは大森さんも知っていると思いますが、そもそも茶の湯の世界で言えば、高麗時代から李朝時代に朝鮮半島で制作された日用雑器が、日本では茶碗として用いられていますよね。

 絵画の領域では、中国・南部の景勝に基づく画題「瀟湘八景」を、日本の風景に見立てた「近江八景」や「金沢八景」が有名ですし、江戸時代に入ると浮世絵を中心に見立絵というジャンルも流行します。

大森「瀟湘八景」で言うと、つい最近、この10月にリニューアルオープンしたばかりの「荏原 畠山美術館」に行って、牧谿の「煙寺晩鐘図」を見てきました。


言葉では伝えきれないもの


高橋 先に挙げた具体例からあえて類型化すると、次のようなことが言えると思います。見立ては「アナロジー(類推)」「風刺」「脱権威化・脱規範化」「遊び」といった要素によって成立している――と。ここで大森さんに聞きたいのは、今回の香炉には、このなかのどの要素があったかということです。

大森 難しい質問ですね……。いま思い浮かぶ限りで言うと「脱権威化・脱規範化」と「遊び」ですかね。「脱権威化・脱規範化」は「雅俗」という銘に表れているように、「美術館への収蔵」という権威に対して、「二束三文での購入」をあえて並列させることで、権威・規範を脱しようとしている向きがありますよね。あとは、逸翁がやったのか、美術館の学芸員がやったのかは知りませんが、わざわざ「緑地白貼人物文鉢」という作品名をつけた遊び心に倣って、二束三文で買えるものにわざわざ仕覆・共箱・覆紙をこしらえたので「遊び」です。

 個人的には「あるもの」を「別のもの」に転用・代用するだけでは、見立てとは言えない気がするんです。転用・代用は大前提として、その奥にあるなかなか言葉では説明しきれない部分が加わって、初めて見立てになるような気がしていて。

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高橋 その「言葉では説明しきれない」ことを、大森さんは僕に「言葉で説明しろ」と言ってるわけですよ(笑)。

大森 ホントだ(笑)。

高橋 でもその「言葉では説明しきれない」という部分はとても重要なので、ちょっと僕の考えていることを話して見ますね。

大森 熱が入ってきましたね。ぜひお願いします。

高橋「脱権威化・脱規範化」が見立ての要素に含まれるとすれば、「見立てとはこうあらねばならない」と定義することは、権威・規範を生みだすことになると思うんです。茶の湯には見立ての事例がたくさんあり、例えば千利休は、由緒ある唐物が評価される時代にあえて新作の「今焼」を使ったりしたわけですが、これも「脱権威化・脱規範化」の一例ですよね。

大森 定義が権威化・規範化につながるとなると、根本的な論理矛盾が起きてしまいますね……。

高橋 そうです。先に大森さんの要望に応えて、類型化した際に「あえて」と言ったのはそのためです。大森さんが言う「言葉では説明しきれない」部分を、あえてそのままにしておくことで、初めて見立ては成立するのではないかと。

 見立ての「言葉では説明しきれない」部分について、別の角度から話をしてみますね。修辞的な技法のなかに、直喩と隠喩があります。直喩は「ような」などの語句を使って比喩であることを明示する(「あの人は太陽のようだ」)のに対して、隠喩は比喩であることを明示しません(「あの人は太陽だ」)。

 もしもウェッジウッドの小物入れを見て香炉を連想したとしても、「まるで香炉のようだね」と感想を言うだけで実践が伴わなかったり、あるいは実践するにしても、明らかに香炉に似た製品を使うのであれば直喩的ですよね。それに対して、小物入れに灰を敷き、線香を焚いて初めて香炉と分かるというのは隠喩的と言えます。なぜなら両者の結びつきがあからさまに示されていないからです。

 大森さんが線香の長さありきで小物入れを選び、香炉として使う過程で、何らかの意図が新たに加わっています。だからそれを見る人は「どうしてそうしたのですか」と尋ねたり、自分なりに解釈したりしたくなる。ウェッジウッドの小物入れを香炉になぞらえた意図について、第三者はもちろんのこと、もしかしたら大森さん自身も「言葉では説明しきれない」かもしれません。直喩として初めから明示されない、こうした部分に見立ての面白さがあるのではないかと思うんです。


脱権威化と脱規範化


高橋 ところで、背景に飾られているこれはなんですか。

大森 もしかすると今日のテーマにかかわるかもしれないと思って飾ってみました。アレクサンダー・ゲルマンというデザイナーが2012年に羽田空港内のギャラリーで開催した展覧会「ポストグローバル」のポスターです。BUNBOUの東晋平がご本人からいただいたものです。

 僕もゲルマンさんには何度かお会いしたことがあって、展覧会も拝見しました。ゲルマンさんと山中漆器の職人がコラボレーションして制作された漆器のチェスセットや、黒漆を施した自転車などが展示されていて、とても興味深かったです。漆芸をチェスセットや自転車に施すというのは、もしかしたら見立てに通じるのではないかと思いましてね。

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高橋 今回の香炉もそうですが、洋の東西を超えて文物が取り込まれたり、あるいは少数民族の風俗が対象になったりする場合には、「文化の盗用(cultural appropriation)」に当たると非難されることがあります。支配的な立場にいる人たちが、周縁に追いやられた人たちの文化を敬いもせず、一方的に流用していると。

 では、僕らは他の国や地域の文化とどう接し、交わったらいいのか。それを考えるうえで、見立てはヒントになると思っています。というのも、見立てが成り立つには次の要件が必要だと考えるからです。見立てとは「あるもの(A)を、別のもの(B)になぞらえること」としたときに、①AとBのそれぞれの存在と用途が確立されていること、②AがAであるままにBになぞらえられていること、③AはBの役割・運命を強要されないこと――が要件になるのではないかと。

大森 高橋さんの〝知的奇行〟が始まりましたね(笑)。まだ遅れをとっていないので、ぜひ続きを聞かせてください。

高橋 大森さんの「雅俗」で言えば、いつでも香炉の役割を離れて小物入れに戻れる。ゲルマンさんの作品で言えば、チェスを漆器に見立てたとも言えるし、その逆も言える。ゲルマンさんが展覧会でやろうとしたことには、見立てが含まれている気がしますね。

大森 いま思い出したのですが、そういえばこのポスターを含めて、当時のゲルマンさんはフライヤーやポスターにあえて手間暇と費用をかけておられました。フライヤーやポスターは、用事が終われば捨てられる。だからあえて、手元に残しておきたいフライヤーやポスターを作る――と。もはや情報や惹句をいかに目立たせるかというポスターの用途を離れて、作品としてポスターをつくっている感じがしますよね。

高橋 まさに脱権威化・脱規範化の考え方が見て取れますね。

大森 今日もとても勉強になりました。「見立て」について、なんとなく分かった気がしています。今度、興味を持ってくれる人がいたら蘊蓄を並べ立ててみます。

高橋 ここにまた権威化が始まったというわけですね(笑)。

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雑談後の雑談


高橋 小林一三を扱ったので、逸翁の書を臨書した。ですよね?

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大森 高橋さんにはもはや説明は不要ですね。正解です。

高橋「清く、正しく、美しく」ですね。逸翁の言葉で宝塚歌劇団のモットーになっているという。

大森 雅俗山荘に飾られていた逸翁の書で、SNS上にその画像があったので臨書してみました。僕の友人に「強く、正しく、のびのびと」というモットーを掲げた小学校出身の人がいます。逸翁の書もそのモットーも、個人的には大いに共感できるのですが、一方で時代性を感じます。

高橋 時代性はあるかもしれませんね。

大森 立場や背景によって正しさは変わるものだと考えられがちだし、ともすると清らかさや正しさが目の敵にされてしまいかねない時代ですからね。むしろ新鮮に感じたので、僕も清く、正しく、美しい生き方をしたいと思います。

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高橋伸城(たかはし・のぶしろ)
1982年、東京生まれ。ライター・美術史家・翻訳家。創価大学を卒業後、英国エディンバラ大学大学院で芸術理論、ロンドン大学大学院で美術史学の修士号を取得。帰国後、立命館大学大学院で本阿弥光悦について研究し、博士課程満期退学。現在はBUNBOUの一員として活動中。著書に『法華衆の芸術』(第三文明社)。

大森貴久(おおもり・たかひさ)
1988年、大阪生まれ。ライター・BUNBOU株式会社代表取締役。創価大学を卒業後、編集プロダクションに入社。独立後はフリーライターとして活動し、2020年にライター仲間とBUNBOU株式会社を設立。おもに雑誌の取材・執筆、書籍の編集・執筆などを行う。

写真:水島洋子
構成:BUNBOU WEB 編集部

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