戦前、日本の人口は約7000万人と言われています。その頃、戦前の大宗教であった大本教は直轄の信徒数と外郭の会員のような存在を合わせると700万人とも800万人とも言われる人が大本教の神を信仰していたと言われています。あまりの信者数の多さに、このままでは国家が転覆されると畏れた政府によって、国家弾圧によって壊滅したのです。で、今では大多数の人はそんな宗教は知らないとなります。
この大本教が大宗教に成長したのは、近世日本が産んだ最高の予言者とも言われる2代教主補の出口王仁三郎聖師の数々の予言の的中率にあります。大正時代にも関わらず、現在の携帯電話でテレビが見られるような時代のことまで予言していたのです。個人の幸せを占うスピリチュアルの世界とは趣が違い、国家とか社会の未来を予言して行ったのです。
で、大本教から発刊された書物は、個人の幸せではなく国家論とか社会を改革したいと思っている人達のバイブルとなっています。言うなれば日本版聖書とも言えます。
さて、その大本教では五六七(みろく)の世と【水晶】御魂(みたま)が説かれました。水晶御魂?。誰も水晶御魂を見られたことはないと思います。現実的には水晶御魂を保有している人など、未だ誰もいないはずなのです。
この水晶御魂とは、五六七(みろく)の世に進む人達の魂を、これまでの魂から水晶御魂に誂えることなのです。
新しい魂に誂える?。魂は鬼が云うであって、鬼と云うのは【牛虎】で、新しい水晶御魂を授けるか授けないかはウシトラ金神【国常立尊】様の権限なのです。
今日までの魂とは腐ったり潰れたりしていました。腐ったり潰れたりしてしまいますと【不死成人(ふじなると)】にならないわけです。だが、水晶御魂であると腐ったり捻れたりはしません。名実共に【不死成人(ふじなると)】です。また、多くの方は御存じ無いのですが魂の喰い破りがあります。
五六七(みろく)の世においても、誰も100%正しくは生きられません。誰しも間違いは犯しますし、過ちも生じます。為に、魂を汚すことも起きるでしょう。しかし、水晶御魂であるならば、汚れはやさしく拭き落とすことも出来るわけです。水晶御魂であるが故に、光を通してキラキラと輝いていることも出来るのです。また弥勒の世は各自に良心神が備わっていますので、自分の過ちを悔いてその償いをします。今の世の様なやりたい放題の世ではなくなるのです。
この水晶御魂とは、大本教徒であることを条件にしたものではないのです。ウシトラ金神国常立尊とは、旧約聖書の創造神で有り、日本書紀の創造神であり、牛虎で解る様に仏教の祇園精舎の守護神牛頭天王でもある関係上、聖書で唯一神を信じる人達にも、神道で国常立尊(天之御中主)を信じる人達にも、南無妙法蓮華経という教本を信じる人達にも、宗教の垣根を越えて渡されるものなのです。
戦前の大本教は明治五十五年の世の大立替を宣伝したのですが、現実には何も起きませんでした。その根拠となったのは、大本教神諭の明治五十五年の三月三日と五月五日は良き日であるとの内容を当時の大本教で天下の秀才でならした淺野和三郎さんが立替日だと思って指揮したわけてす。
霊界物語に三月三日の桃の花。五月五日の桃の実とありまして、桃が意味することは新しい魂に【誂】えの意味なのです。「兆」の字で解るでしょう。日本神話で黄泉の国と高天原とを分ける比良坂で、追っ手の醜女に追われたイザナギ尊が桃の実を投げます。すると追っ手の醜女達が追うの止めて、桃の実を拾うの夢中になって、その隙に逃げた話しです。何故、黄泉の国の追っ手は追うことよりも「桃」に夢中になったのでしょう。
黄泉の国から高天原に入らせる桃の実。魂の誂えです。私の魂は鍾馗神の案内で西王母と呼ばれる存在の宮殿に行き、拝謁しました。私の頭をなでなでして下さったのはいいのですが、桃の実が貰えませんでした。西王母神話は、西王母様から頂いた桃を食すれば三千年の命を授かるです。
弥勒の世には行くのは桃の実ではなくて、水晶御魂となるのでしょう。
他に、次のような説を言われる方達もあります。宇宙は放射能にさらされている。この地球は大気でそうした有害の放射能から守られているが、大気で放射能に守られていない世界でも大丈夫なのが水晶御魂と言われる方もありました。
五次元にアセンションが言われていますが、今の魂で五六七(みろく)の世は保つのかどうか?。五六七(みろく)の世は、今の魂ではなくて、新しい水晶御魂なのかも知れません。
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