人に内在する良心神(神言会)

神は言葉なりき。言葉は言霊で構成され、その言霊による神の仕組みを解説する神言会(kamikotokai.com)のプログです。
神言会では人に内在する良心神(この世の閻魔)とは何かを説明しています。

良心神を捨てて、力の強い者が勝つ獣の道を行く

今の世は【強い者が勝つ】。そうした世を【獣の世】と言います。獣の世界では強い者が生き残り、弱い者は淘汰される。それが摂理だからです。
だが、私達は獣の魂を賦与された存在ではありません。神と獣の中間に位置する霊(ヒ)止(ト)たる存在で、ヒト(人)間なのです。ですから、神に成ることも出来れば、獣に成ることも出来るのです。ここに輪廻転生で別の世界に転じて生ずるが説かれるのです。
人の姿である時に神に近づかないと、その魂は次は動物界に転出もあるのです。犬や猫ならばいいと希望通り行くかどうかは解りませんが。

スピリチュアルでは、神は愛だ!光だ!。そうしたことが言われていますが、動物霊であった魂も光の玉であり、獣たる存在も「愛」で生きているのです。私達は映像番組で動物達の親子を通じて「愛」を見ています。今や親殺し、子殺しをする人間が増えている中で、動物の方がずっと愛が深いのです。単に光だ!愛だ!では、神に近づいているのか動物に近づいているのかの判断が出来ないのです。
金を強奪する目的で二人の人間を射殺して死刑判決を受けたある死刑囚は、自分は子を愛しているから育てる為に金が必要だったということを話していましたが、何の罪も落ち度も無かったのに、金を奪う目的の為にその死刑囚に殺された人にも幼い子が居ました。自分の子に愛を注いでも、被害者の子供のことまでは考えなかったわけです。
私達は肉食動物が子を育てる為に、その食となる餌食の動物達にも子が居ることを知るわけです。それは動物達も愛を持つからです。愛は人間だけの存在ではないのです。人間と動物の違いは、その魂に良心神が賦与されているかどうかなのです

神に近づくのは「愛」があるからではないのです。もし、愛を言うのであれば、命あるものを食べている行為そのものが愛に反しているでしょう
過激な運動で知られる反捕鯨団体「シー・シェパード」等は、そこまで主張するのであれば、牛の肉も豚の肉も羊の肉も食べるべきではないのです。牛も豚も羊も命あるものなのです。だが、彼等は牛の肉や豚の肉や羊の肉を食べることに対しては何も考えていないでしょう。それが解らぬ欧米人は、神に近いのではなくて、神から離れているのです。野菜にしても、成長することは「命」があるわけなのです。

食の字は、【良】の字に蓋(やねの字)を被せないといけないのです。良心を隠さないと生きていけないから、食の時は蓋をするのです。

命があるものを食べないと生きられないことは、私達にとっては【宿命】なのです。だとすれば、命あるものを頂くことに感謝が必要になります。また、何時も何時も食べてばかりいて申し訳ない。今度は、自分を食べてくれとならなければ嘘になります。そこにお釈迦様の教え、【捨身飼虎】の話しも出て来るのです。だが、今や「捨身飼虎」の話すら説いても虚しく響くばかり。http://kamikotokai-b.jugem.jp/?eid=9

この世は魂の修行場で有り、天人の苗床で有り、魂の流刑地と言われて来た場所です。で、根の国・底の国とも言われて来たのです。その修行場を閉鎖するにあたって、自分は力の強い者が勝つ獣の世が好いと言うのであれば、それは獣の道に行くより方法がなくなるのです。

自分は力が強い者が勝つ獣の道に行く方が好いと言う人達に対して、本当にそうなのでしょうかと?。何等かの言向けで悔い改めて改心をされるように進言することと、何もしないで見ていればいいやという考え方はまったく違う物なのです。
今の時代はいろんな存在が霊的にいろんなことを言って来るでしょう。蛇霊神とサニワをしていると、改心など嫌だ。悔い改めなど嫌だ。その時には例え消されたとしても暴れに暴れまくってやる等と言われます。改心とか悔い改めを説いている方達は虚しくても皆さん頑張っておられるわけです。
だが、残念ながら神々の世界でも、そうしたことを言われる神達と、そりゃ何だ.自分はそんなことを知らぬと言っておられる神達も居られるわけです。解っておられる神達とつながる方達は人々に注意を喚起することを言い。解っておられない神々と繋がっている方達は、そんなことはあり得ないと言われるわけです。
どちらが正しいかではなくて、そうした事態が起きた時に、そりゃ何だと言っている神達のコトバに従っていると間に合わなくなるのです。

人には全て魂が存在します。その魂の真ん中は直霊で天帝の分魂であり、閻魔でもあるのです。そのことを何等自覚しょうともせずに、外部から懸かって来る何等かの霊的存在からの間違ったメッセージを受けて発信し続けた場合、それは全て自分の責任となります。その言動は全て閻魔帳につけられているからです。
その裁きは肉体の時ではなくて、肉体を失った時に来ます。その時、誤ったメッセージを送って来た霊的存在は知らぬ顔をして責任など取らないのです。肉体がある時にはそれが解らないのです。

霊的存在に懸かられて、一時は羽振りがよくて有名になっても、その存在からのメッセージが間違いだらけになって、結局は犯罪者となった人に東洋信金事件の尾上縫被告がありました。その他にもたくさんのスピリチュアルの方達が間違った道を行かれています。
最近、スピリチュアルヒーラーを仕事として、人気があった方が自分の間違いに気付かれてスピリチュアルの世界から手を切られました。賢明でした。

これはある方から私の元にメールで送られてきたもので、精神世界では有名な宗教家の晩年の自伝の告白書の部分だそうです。その信者さんも多いので、あえてその名は伏せます。
【「人を救うために超人的力がほしい。〝神様、どうぞ日本のために私のいのちを有効にお使い下さい。そのための強い力を私にお与え下さい〟これがその頃の私のたえまない祈りであった。」と〇〇氏は自伝書で自らを暴露する。良心を捨てて、取引をする霊に心身を売りました。】
自分ではいくら霊の力を借りて人を助けているつもりでも、良心神が解らないようでは、予期していない世界にと向かってしまうのです。


精神世界

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