人に内在する良心神(神言会)

神は言葉なりき。言葉は言霊で構成され、その言霊による神の仕組みを解説する神言会(kamikotokai.com)のプログです。
神言会では人に内在する良心神(この世の閻魔)とは何かを説明しています。

霊界の絶壁を越えて渡る「分かちの国」

天国とは金銀財宝で輝いている世界と思っている方達があるかも知れません。仏典ど見ると、まるでそのような描写があります。龍宮城と呼ばれる世界だとそうなのかも知れませんが。
本当の天人ならば、自分の身体を金銀財宝で飾って喜んでいるのでしょうか?。どうにも解せません。

ある時、夢を見ていました。だがそれは単なる夢ではなく、時を置いて見た夢と連続していたもので、私の意識の中にその風景は存在しており、私自身が記憶しているものなのです。
私が知る天人の世界は、住人の服装は基本は純白の衣装で、身に余分な金銀財宝で飾り付けをしていません。何が宝かと言いますと、住人の一人が一人が友で有り仲間なのです。住民の心が宝石の如く輝いている世界なのです。為に、誰も外観を飾ろうとしないのです。人を外観で判断していないのです。主神は、住民の魂が宝石のごとく輝いている世界を愛(め)でておられるのです

他の住民の喜びは自分の喜びで有り、他の住民の悲しみは自分の悲しみなのです。皆が喜びも悲しみも一緒に分かち合うのです。住民の一体化です。一つの食べ物も分け合っていただく精神の国です。そこには自分だけが得をしょうとする考え方はありません。風景としては「米」造りの苗がたわわに植わった田園の世界であり、「緑」色の世界なのです。安らぎの世界です。この世界では、一切争い毎は存在しません。住民は皆穏やかであり、むさぼらないからです。
この国では貧富の差はありません。当然に分かち合うのですから、貧富の差は生じないのです。私はその国の巡回リーダーとして住民達に愛されていたのです。私がこの世に降りて来る時、皆、別れを悲しんで泣いてくれました。きっと帰って来てくださいという声に、必ず帰って来ると約束して地上界に降りたのです。

ところが、この世界。大変不思議なのです。俗に言う三途川を通るコースでは行けないのです。それは天まで届く様な絶壁があり、天使の様な羽根を持って上がろうとしても、羽根ではどこまで上がってもその絶壁は途切れないからです。その絶壁は鳥の様な羽根ではなくて、絶壁そのものを上らないと行けない国だからです。私はその絶壁を上がらせてその国に渡すことが出来る役職にありました。

私は最初の師匠にそんな世界があるのか尋ねたところ、そんな世界は無いと言われます。しかし、私の記憶の中ではその世界は確かに在ったのです。
次に2番目の師匠に尋ねたところ、その絶壁の登り方まで言います。その登り方で間違いなく瞬時にその絶壁を登れるのです。そこで、どなたの御案内でしたかと聞いたところ、国常立尊様だと言われます。そして、それは最上天国界だと言われます。問題があるとすると、その登ったところで誰かに手を貸して貰うかどうかなのです。

すると、私の母親も夢でその絶壁を登ったと言うのです。その登り方も同じです。ただ私の母の場合は上で誰かに平地に引き上げて貰ったと言います。そこを上がって母が見たのは、四国八十八ヶ所巡礼の旅姿の方が多かったと言います。それは巡礼ではなくて、この世を去ってその世界に到着した人達の出で立ちだったのでしょう。
四国八十八ヶ所霊場巡りは、バスで霊場を廻っても意味がないのです。御接待と呼ばれる善根宿に泊まって旅をする。人の心の温かさを知ることにこそ意義があったのです。だが、今は善根宿は消滅したと言われています。
<善根宿>修行僧や遍路、貧しい旅人などを無料で宿泊させる宿。宿泊させることは、自ら巡礼を行うのと同じ功徳があるとされた。
他を救って世根(米)となる。善根なのです。分かちの精神です。

更に2名の方が、その絶壁を知っておられました。どちらも高い神の分霊だと言われている方で、国常立尊様の魂の分かれとして関わっている方達です。すると、その天まで届く様な霊界の絶壁は存在している可能性が出て来ました。他に、その絶壁に行く途中の道を夢で知っている人も存在しました。道の途中で引き返していたのです。
その絶壁を見た時、誰もその絶壁は上がれないと思うのです。確かに、単独で行けば登れるとは思われないのです。だが、高い守護神と呼ばれる様な存在からその登り方を言われた時、登れないという自我があると自己の感覚でそんな方法では登れないと拒否してしまいます。しかし、神のコトバに従う人ならばその登り方をするので登れるのです。【不自由な想念が邪魔をするのです】。
三次元の物質世界の想念に縛られていると、霊界に現れて来る事物は理解出来ない面が出て来るのです。

私は長い間、この世界をなんと言うのか思い出せませんでした。すると、ある方から「分かちの国」の話しを聞きました。分かちの国の住民は、皆で分かち合って暮らしている。本当の神の御国だと。私が記憶していたのはその「分かちの国」だったのです。
私達の肉体からは霊子線が2本出ています。一本は頭上線です。頭上線に関しては言われる霊能者の方達もありますが、もう一本はほとんど知る方がいないようですが臍からの霊子線です。この臍からの霊子線が分かちの国と結ばれているのです
霊子(たまのこ)線に関しては大本教霊界物語や日月神示にも、そうした存在があると書いてはありますが、この線の存在を知る方は少ないので、あまり述べる人が居ないのでポピュラーではないのです。

だが、分かちの国には、この世の新宿歌舞伎町の様な歓楽街は存在しません。まさに田舎の風景なのです。最近、国王が日本に訪れられたブータンのような物質文化には恵まれなくても、住民の精神的幸福度で満足している様な国です。そうした心の安らぎのブータンでも、携帯電話が入って来ることで、人々の心の豊かさがおかしくなって来ているようです。ですから、心の安らぎの世界は隔離された世界なのです。
人は例え人々の心が荒廃しても、物質の利便性の豊かさを求める人達と、人々の心の幸せを求める人達の二種類あるのです。
霊界においても、新宿歌舞伎町の様な歓楽街の世界も存在します。それは地獄界と呼ばれるのです。人々の欲がギラギラとみなぎった世界です。その世界では金の為ならば暴力や騙しや人間性を失った行為が蔓延しています。ともかく、他の人を蹴落として上に行った者が勝ちです。魂がケモノ化した世界です。
今、【人は二極化しています】。それは、人々の心が荒廃しょうとも利便性の物質文明の世界こそ大切だと思う人達と、多少は不便でも心の豊かさを大切する人達とにです。物質世界に重きを置く人達にとっては神は必要無い存在かも知れませんが、精神世界に重きを置く人達にとっては、神は必要欠くべかざる存在なのです。

分かちの国の世界の色は「羽卒の翠(みどり)」です。
天使の様な羽根の段階は卒業している世界なのです。


私の最初の師匠は、御祭神の豊受の神が私に対して言われる内容が悉く外れるので不思議に思い尋ねられたところ、あの者の背後には神をして見通せない霊界の壁があり、あの者はその霊界の壁の外から来る力に支配されていると言われたと言います。
私はその霊界の絶壁(壁)の向こうからやって来た者だからです。


精神世界

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