人に内在する良心神(神言会)

神は言葉なりき。言葉は言霊で構成され、その言霊による神の仕組みを解説する神言会(kamikotokai.com)のプログです。
神言会では人に内在する良心神(この世の閻魔)とは何かを説明しています。

業(カルマ)を取る叢の【天叢雲剣】は、邪(蛇)を切る貴方の良心剣。

私達は日本神話を読んだ時、誰もそれが事実だとは思ってもおられないと思います。何故ならば、時代考証をした時、その年数ではおかしくなるからです。例えば日本では今年は皇紀2672年と言われます。だが、世界を見渡した時、モーゼは紀元前13世紀頃とされ、エジプト文明においては王朝が起きたのが紀元前3000年頃とされています。今から5000年も前です。すると、日本神話は何を意味しているのかと考えなければなりません。

日本において三種の神器が言われます。一つは神刀。一つは神鏡。一つは勾玉(まがたま)です。その中でその神刀は【天叢雲剣】と呼ばれています。通称、草薙の剣とも言われて、熱田神宮の神宝とされています。
この【天叢雲剣】は素戔嗚尊が出雲神話における「八岐大蛇」退治をして、取り出した剣の話しです。この「八岐大蛇」とは頭が八ヶあり、尾が八ヶあったとなっているようです。その尾をから取り出した剣となっています。
これは、おかしいと思う必要があります。現実に頭が八ヶもあれば、各々が違う方向に行こうとするでしょうから、進む方向を巡って喧嘩もするでしょう。だとすれば、進めないことになります。これは意味が違っているのではないかと考えるのが自然なのです。

また、どうして八ヶないといけないのか?。七頭だと具合が悪いのだろうか?。考えれば考えるほど、おかしな神話なのです。八岐大蛇(八俣遠呂智)とは、八つに別れた遠呂智で、【遠呂智】は知恵の意味でもあるのです。八方向に分かれた存在を知恵で紐解く意味が出て来るでしょう。
大本教神諭に八ッ頭の神が悪かったとあります。私は子供の頃、旧約聖書の神と名乗る声から、日本神話はそうした事実があったのではなくて、この私が神の仕組みとして作為させたものであると告げられました。

【天叢雲剣】の【叢】の字は、カルマ(業)と「取」の組合せですね。大本教神諭が予告した「九つ花」は米型になっています。それは八方向です。それで、八頭の意味が解りませんか?。先端部分を頭と言うでしょう。もし、八頭が「米」型にならないと、中心が定まらないことになります。
その「米」の真ん中の心棒(良心神)に蛇霊が巻き付くことによって、私達は蛇の知恵に飲み込まれてしまうのです。すなわち、良心神とは【神の刀】でもあるのです。良心神を発動させることで、私達のカルマ(業)は取れるのです

では、何故に【天叢雲剣】が三種の神器なのでしょうか?。天には雲上剣と呼ばれるものがあるのです。この雲上剣を単独で言う時は【御劔大神】様と言います。物質的な形がある剣ではないのです。天帝の御劔としての働きのことなのです。この剣はそれこそ大蛇をブツ切りのように切ってしまう天の霊剣のことなのです。
私達は天帝ではありません。そんな力はないとしても、私達は邪を切る良心神と言う剣を保持しているのです
高天原を追放された素戔嗚尊という意味は、旧約聖書の蛇の唆しでエデンの園を追放されたアダムとイヴに置き換えれば同じことなのです。

蛇(邪)の知恵を終わらせて、神の御国(エデンの園)へと戻るのです

精神世界

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