仏教用語としてカルマ(Karma)があります。このカルマは日本では【業】と訳されます。このカルマ(業)は輪廻転生とセットになるのですが、現代の日本仏教の中には霊魂とか死後の世界(霊界)そのものを否定して、仏教のどこにもそんなことはかかれていないと主張する派も出ています。しかし、お釈迦様はカルマを因果論として、心の存在であると説いてはおられるのです。
そうした反論者は自分の目には見えない。自分はこれだけ御経を読んで来たのに、瞑想の行を積んで来たのにそうした現象に出会わない。そうしたことから否定論者の道を歩かれるのでしょう。
神仏の姿で現れたと聞くと、そんなものは蛇や狐の霊だと片付ける。例えそれが蛇や狐の霊であったとしても、霊として現れているのならば、では人間はどうなのだろうと考えるべきなのです。
魂とは玉型の思惟です。
http://kamikotokai-b.jugem.jp/?eid=54で出しました写真に見られる様な玉型の思惟なのです。その玉の中に自己が過去から今の世まで生きて来た思惟(意識)が全て含まれているのです。その中にカルマ(業)も存在しているのです。それが因果として、良い意味でも悪い意味でも現れるのです。
日本ではどんな悪人でも死ねば仏様だとして、その罪を言いません。しかし、その罪の業は魂の中に入り、次の世にと現れのです。
それは【償い】をしなければ行けないからです。
償いの字を見ますと、償いを終えた【人は賞される」となります。過去からのカルマ(業)を取り終って、初めてイーブン。元となるのです。だが、私達は自分の前世の記憶を忘れて、この世に出て来ています。
過去の自分の過ちを記憶していてそれに引きずられてしまいますと、今生の為にならないからです。
私達は自己の過去世におけるカルマ(業)が解りません。過去世で如何なる過ちをしたのかも記憶していないのです。
それを解消する方法は、現世において【愛善】の行為を積むことなのです。その愛善の行為が小さなものであっても、コツコツと愛善の行為をしていけば、悪いカルマ(業)も消えて行くことになります。良いカルマ(業)であったとしても、更に愛善の行為をして行けば、更に良いカルマ(業)を創るわけです。
一番行けないのは、自分さえ好ければそれで好いと好き勝手をする行為なのです。その行為そのものは小悪であったとしても、日々続けていれば大きなカルマ(業)となってしまいます。世間一般的に見ればあの人は良い人だと言われる人でも、何をしてもよいのだと自己本位の行動が多くなっています。それは悪しきカルマ(業)を解消させるのではなくて、悪しきカルマ(業)を大きくしているのです。
この世は魂の修業場と言われ、天人の苗床とも言われて来ました。この世で悪しきカルマ(業)を解消することで天人となるからです。また、魂の流刑地とも言われて来ました。それはカルマ(業)を消す為の場でもあったからです。

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