つい最近、私のプログを見ておられる方から、あちらこちらで五次元アセンションが語られていることから、自分の亡き親や亡き兄弟の魂を五次元に進ませる先祖供養に関して質問されました。
五次元と言われている世界は既存の天国界と同じことであり、それだけで言えば大きな問題ではないのです。一番の問題は、
今回をもってこれまでの魂を高次元界に進ませる為の輪廻転生が終わることなのです。魂の身分が永久的に固定されることなのです。
ただ、一部のスピリチュアルの人達が、何もしなくてもいいのです。地球が五次元界に上昇するだけであって、自動的に五次元界に上がれるのだから何もしなくてもいいのですと言う意見には私は組しません。
また、三次元に残ると人と五次元に進む人が意識の違いだけで、今の肉体のままで地球に同居して暮らすなどのスピリチュアルの意見は、ますます意味が解りません。今の地球上世界でも三次元と五次元は重なっていて、死後に神の位に進めば地球上の五次元に居るのであって、別に三次元用肉体を持ち続けて五次元界に上昇する必要そのものがないはずなのです。
さて、御先祖霊がどうなっているかの問題だけで取り上げれば、人は死ねば皆天国なのだはあり得ない話しなのです。天国と地獄の二元論だけで言っていると、地獄に行ってなければ天国だとなってしまいます。そうではなくて、仏教で三途の川と言いますが、三途に別れているのであって、地獄界と中有界が問題になるのです。
よく霊能者が地縛霊などを救い出して本当の霊界に送っていますが、要は三途の川を渡っていない霊を三途の川を渡らしている話しなのです。三途の川を渡らないと、本当のあの世には旅立てず、次に輪廻転生で生まれ変わってこの世に出て来る道がないからです。
地縛している霊などは、その霊が犯罪を犯したからではないからです。ある土地で地縛霊が居ると行者さんから指摘されたが、行者さんが一向に供養に来てくれないの話しで、行者さんから地縛している霊が居ると指摘された場所の写真を送って貰い、供養をやってみることにしましたところ、何百年もの前の子供さんの霊が出て来る。飢餓で亡くなったお子さんでした。お腹がすいてそこに留まっていたわけです。
するとその母親の霊が出て来られて、我が子を救いたいからいろんな方に懸かって実状を伝えて来ましたが、誰も救いに来てくださらない。お頼みしますと言われるので供養を続けていると、他にも飢餓で亡くなった娘さんの霊も側に居て、一緒に霊界に渡すことが出来ました。
今は一瞬にして光を降ろして簡単に浄化させるというスピリチュアルの方達が山ほどおられる時代になりましたので、私の様な中途半端な者が供養に携わる必要は無くなって来ているようです。そうしたスピリチュアルの方達に頼めば、一瞬に天国に渡してくださるのかも知れません。
今は天国もかなり安売り状態になっているようですが。本当のところは解りません。どうも中有界の上界が天国と誤って思われている気がしてならない節があるからです。
私の母親は去年90歳になり、要介護3の判定を受けています。その母親があることを言い出したのです。自分の頭の中で自分の名前がグルグル回り、社会福祉社会福祉と出て来る。これはきっと自分の名前で社会福祉に寄進しなさいという意味だと思う。悪いけれどもお願いしますと言うので、母親のお金を社会福祉に持って行き寄付して来ました。
私が住む地方では香典返しが華美になっていると全自治会の申し合わせで、建前上は香典返しをしないことになっています。その代わりとして、その故人の名前で社会福祉に寄進させて貰うが流行ったのですが、地元の者に香典返しをしないのは市民は解っているから良いとして、それを知らない他所の人には具合が悪い等の声が起きて来て、代わりに忌明けでお返しをする。それも地元の者に対してしないのは具合が悪いで、結局は忌明けで香典返しに匹敵することをするようになってしまいました。結局、申し合わせは元の木阿弥なのですが。
で、社会福祉に対して寄付はどうするかとなった時、故人の供養にいいだろうと、社会福祉に寄付する人はかなりおられます。
私も母親が亡くなったならば、母親の名で社会福祉に寄付するつもりでしたが、なるほど
生前にしておいた方が良いかと、社会福祉に寄付を持って行きました。
私も今日まで、多少は神仏の世界に関わって来た関係上、言えることがあります。それは、
一般的に行われている先祖供養は【後の祭り】だと言うことです。後の祭りよりも、生前に祭り(真釣り)をしておいた方がいいのです。
最近、線香3本供養とか短冊供養を言っている方がありますが、そうしたことは昔からありまして、別に目新しいことではないのです。基本的に言えば短冊供養は川流しをするもので流し雛と同様のことなのです。短冊川流しが有効かと言われたら、まったく効果が無いとまでは言えませんが、今の時代は公害だと言われてしまいます。それよりも般若心経を唱えている方が遙かに効果はあるのです。
ただ、【般若心経】に関しては一部の人が言われるように、霊的に懸かりやすい方は霊に憑依されることがあるのは確かなのです。それは逆に言えば、霊の浄化が強いと言うことでもあるのです。どうしても救いを求める霊が集って来る。そこは上げられる方の体質によってされらたらいいことなのです。
別にお寺さんに頼むほどのことでもないのです。遺族が毎日毎日御経を唱えている方が、亡き親族も喜ばれる。
私のブログhttp://
kamikotokai-b.jugem.jp/?eid=23 にも書いていますが、私は般若心経の御経で自殺されて地縛していた霊を上げたことがあります。
そして、私のブログにの地獄の沙汰も金しだいに関して書いていますが、http://
kamikotokai-b.jugem.jp/?eid=24 社会福祉等に故人名で寄付されますと、それは
米教の【他を助けて世根となれ】の行為となり、過去に戻って効果をもたらすのです。
【供養】の「養」ですが、羊を裂いたら「良」の字が出てくるです。これまで、羊の言葉とは譱(善)の意味だと説いて来ました。その善の行為が、「良」を産むのです。それをお供えすることが最大の【供養】です。
字(コトバ)の教えの不思議の一つです。
ですから、
御先祖様供養は故人の名前で社会福祉や困っている方の助けになるようなことをされましたら、地獄の沙汰も変わって行くなのです。キリスト教ではそうしたことを【贖罪】と言ったのですが、罪を財で売り買いするです。しかし、そのお金は社会福祉などに使われないといけないのです。私は昔、キリスト教の救世軍に入隊しようかと思ったことがあります。
他を助ける働きほど、輝くものはないのです。
ただ、そうした行為は【後の祭りよ】なので、生前にそうした行為をしておけばいいのです。この世に生きている時、大酒やパチンコや博打で大金を失うぐらいならば、社会福祉に寄付しておけば後生が良い世界に行けたわけです。

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