
あけましておめでとうございます。
神の世界では節分を終えて、立春から年の始めとして計算しますが、一般的に言えば今日を元旦とします。
立春から「八十八」夜で、八十八は「米」の字になりますので、八十八夜で農業に従事したわけです。
この頃は五月のゴールデンウィークに近くなりますので、サラリーマンと兼業の農家にとっては絶好の田植え時となるわけです。
大本教神諭が予告した「九つ花」は、永久不変数とされる「41」を経由する形は「米」型になっています。
これは、
神の光は「八方向」を意味します。
私が2番目の師匠の元でサニワをしている時、サニワを受けている方は少し性格に異常があり、その原因を探っていてその方の御先祖霊が蛇を殺して、子孫のその方が蛇霊に祟られていることが解って来ました。
その時、私に不思議な光景が見えて来たのです。一本の棒に蛇が絡みついている。この蛇霊が祟っている存在だとまでは解ったのですが、その棒が何の意味かが解らない。
すると、その棒が八方向に黄金の光を放ったのです。途端に、それまで棒に絡みついていた蛇霊が逃げてしまったのです。
日本神道では神を「柱」と言います。太陽の光では無くて、神的光の柱が立つことは解っているのですが、棒の意味がまるで解らないのです。
私達の魂とは丸い玉です。玉ならば、見えなくても「心棒」が存在しなければならないのです。これは魂の心棒を見ているのだと気がついたしだいです。
その心棒を良心神と言わせる意味は、神は柱であり、私達の魂にも神の柱たる心棒が存在するわけです。
単なる良心と良心神の違いは、棒(神柱)の存在なのです。
通常の光だと、八方向の見え方はしません。今回、太陽の光が八方向に写っている写真を撮られた方がありましたので、その写真をお借りしました。普通に撮影されたもので特殊フィルターを使ったものではありません。
私達の中の良心神も、この様な八方向で光を見せるのです。
私達の魂に内在する良心神は常に蛇霊との戦いがあるのです。単に自分の中に良心神が在るだけではダメなのです。
良心神は、
他を救いて世根(米)として働くことで光を放つのです。
そうすれば、自ずから自分の身に身禄(369)がつくわけです。
聖書において、人類の祖とされるアダムとイヴは蛇の唆しでエデンの園を追放されたとします。
キリスト教ではそれを人類の原罪として、イエス一人を神の子と拝めば許されると教義を展開して来ました。
キリスト教ではイエスは40日間荒野を彷徨って、悪魔を退けて41日目に神の御子となったと言います。
大本教神諭が予告した九つ花は、悪魔を退ける良心神を【41】に置き、その良心神を他(田)を救(鋤く)う働きで世根(米)となることで、【ミカエル・巳(蛇)帰る】を起こします。
神の御国(エデンの園)に戻るには、「ミカエル・巳(蛇)帰る」でないと行けなくなります。
私が子供の頃に臨んだ声は、旧約聖書の神と名乗られて、旧約聖書は我が書ではあるが秘め書であり暗号書のようなもの、そのままに文面を受け取れば間違えると告げられました。
大本教の出口王仁三郎聖師は、ミカエルとは「省みる」ことだと述べておられます。
本当にミカエルと呼ぶ天使長など存在しているのでしょうか?。今の世はニセ天使がかなり闊歩しています。
本当に存在しているのならば、是非会ってみたいと思うのですが、まだ会えていません。
一体の大天使と言われている存在と出会ったのですが、私の口が意図しないで勝手に動いて、羽根をもぎ取ってやろうかと言ってしまったので、飛んで逃げて行ってしまいました。
まさか、自分の口が勝手に動くとは思いもしませんでしたが、自分の良心神が言ったのかも知れません。
それからは、羽根の意味は何だろうかと考え出しました。神々や如来や菩薩や明王さんに羽根などはありませんから。
天使の羽根。西洋の絵に描いてあるような羽根ではありませんね。天使の羽根を持つ人ならば、皆さん御存じのようですが、それを知る方は知る方以外には内緒にしておきましょう。
「米」型も八根(はね)と言うのです。

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