人に内在する良心神(神言会)

神は言葉なりき。言葉は言霊で構成され、その言霊による神の仕組みを解説する神言会(kamikotokai.com)のプログです。
神言会では人に内在する良心神(この世の閻魔)とは何かを説明しています。

節分の炒り豆にも花が咲くから120年、予告宣伝終了

西暦1892年(明治25年)の節分の夜、京都府の片田舎の綾部で出口ナオという老婆に神懸かり現象が起きました。それはウシトラ金神(国常立尊)と呼ばれる神懸かりです。ここから起きたのが戦前の大宗教大本教です。

ウシトラの意味は、牛虎。節分の炒り豆で鬼は外と炒り豆をぶつけられているのは閻魔庁の「牛」頭で「虎」パンツの鬼達。この【牛虎】です。ですから、【節分の夜】なのです。皆さん、節分の夜に炒り豆をぶつけているのは、閻魔庁の番卒の鬼だということぐらい承知しておられますね。まさか、知らずにやっていた?。
その鬼と云う者達の総大将は「閻魔大王」様。またの名を「国常立尊」とも申し上げて、全ての魂の総親神様
綾部のお殿様であった熊野本宮別当家である九鬼氏は九鬼神道家。この九鬼神道家では宇宙の元津神を【宇志採羅(ウシトラ)】根真としていました。同じ、神の意です。宇志採羅は宇宙の意志は「羅」を採るですが、閻魔大王の正式名は閻羅(エンラ)大王。ここから来世につながる門が【羅城門・来世門】。つまり、皆さんの魂の輪廻転生は、この閻魔(閻羅)大王が司っておられたのです
但し、九鬼の鬼は下記の字を使います。この一字で「カミ」と呼びますが、正式漢字としてありませんのでPC上は「鬼」を使います。この九鬼家では、鬼は内。福は外と豆まきをしたのです。大本教は鬼は内。福も内。



縦(立て)に九神、横に九神で八十一神の働きが出ます。これが「九二トコタチ」となるのです。この八十一の神を言霊神と言います。【言霊】です。そして、これに数字を縦横斜めが同じになるように配置して369(みろく)と申し上げます。

大本教では、節分の炒り豆にも花が咲くと宣伝しました。節分の炒り豆そのものに花が咲くのではありません。鬼と云う【魂】に花が咲くのです

大本教開教は西暦1892年ですが、【いちはやくに】と読めませんか?。ひら仮名やカタ仮名に数字での自動書記。書かれた意味を漢字に振る能力が問われます。漢字の振り方でコトバの意味が違って来るからです。

西暦2012年の節分で大本教出口ナオ開祖に神懸かりが起きて丸120年になります。大本教は立替予告の宣伝の為なのです。立替予告の宣伝期間は、西暦2012年節分で120年間の期間が終了いたします。
何故に120年間必要だったのでしょうか?。そこには十干と十二支の関係が存在します。十干は【甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸】。十二支は【子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥】です。暦として用いられます。
この組合せは60年で一巡します。これを【還暦】と言いますが、二巡して【大還暦】。もう一度、暦が戻る意味が秘められます。
出口ナオ大本教開祖に告げられたこと、節分の炒り豆にも花が咲くは西暦2012年からとなります。西暦2012年から立替の【本番】なのです。ただ、どこで本番が来るかは神々にも解りません。創造神の専決事項だからです。来てもいいように準備をするだけです。一年先なのか、二年先なのか、それすら解らないのです。

立替は各自の魂を調べまして、上・中・下と確定させます。大本教神に、そんなことならば、どうしてもっと早く言わないのか。そうした苦情がいやなので早くから的な内容がありますが、【いちはやくに】で予告しましたので、120年間もあれば、自分は知らなかったの言い訳は通用しません。
霊界においては、誰かが発表すれば全霊界で解ります。知らなかったという抗弁は、自分の魂が知ろうとしなかっただけなのです。肉体は知らないと言い訳が通用しても、魂には通用しません。たぶん、肉体が120歳越の方は居られないでしょう。

もう間もなくして西暦2012年。来年の節分からの話しではありますが、近づいて来ているので取り急ぎ駆け足で概要を述べさせてもらいました。
創造神様は存在していますので、創造神様は存在していないと思わないでください。一人一人の魂の中に存在しています。それを大本教が演じた仕組から「良心神」と名付けて発表させて貰いました。
ただ、現在の大本教にはその仕組みを解説出来る人がいないので、私が解説しているだけのことです。

大本教はいろは歌を主体にしました。
いろはにほへと ちりぬるを わかよたれそ つねならむ うゐのおくやま けふこえて あさきゆめみし ゑひもせす
色は匂へと 散りぬるを 我か世誰そ 常ならむ 有為の奥山 けふ越えて 浅き夢見し 酔ひもせす
どんな色香を放つ花であっても、散って行く。我が世と思っていても常ではない。迷いの奥山を今日越えて。浅き夢の世に酔もしない。
いろは歌は、その意味を理解することにあるのです
人の命は短くて儚いものです。この世は諸行無常。だが私達の魂は永遠性を持つのです。この世で刹那心に溺れるとその魂を毀します。

精神世界

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