ユダヤ教・キリスト教・イスラム教は一神教(唯一神)です。同じ旧約聖書を使うところから、三姉妹教とも言われています。
それに対して仏教と日本神道は多神教と言えるでしょう。神は唯一なのか?。それとも多神なのか?。
その答えは下記の図を見てください。
大本教が出した艮(ウシトラ)神とは、根元(ねもと)の神の意味です。根の字は「艮」と「木」の組合せ。コトバはきちんと仕組んであります。
私は子供の頃、姿なき声から樹の根の教えを受けました。人は立派な樹を見て、その見事な枝振りを誉めるであろう。だが、人類の中でそなた一人だけであったとしても、樹の根を見る者となれと言われました。樹の根を枯らせば、全ては枯れるなのです。その時はいくら見事な枝であっても枯れるのです。当たり前のことですが、言われないと気付かないものです。
根元神の存在を消してしまうと、樹全体(神の世界)が枯れるのです。
大本教神諭、妙霊・黒住・金光・天理の先走り。
天理教の中山みき開祖は「41」の時に神屋代。で、天理教では中心となる存在(教祖)を「真柱」神を言います。
大本教神諭が予告した【九つ花】は真柱神として「41」を置くわけです。これすなわち「天理」なのです。
そして、その樹に「枝葉の神」達が繁って花を咲かせているわけです。私達はその花を見て、見事だと言っているのですが、ついつい根元の存在を見落としてしまうわけです。
大本教神諭、根元枯らしてなんとする。
神界は根元神と枝葉の神との一体なのです。樹の全体で見れば神は一つで在り。部位を見れば根元の神も存在し、枝葉の神も在るのです。一神にして多神なのです。
だが、枝葉の神々の中には「根元」神の存在を無視しているというか、その存在すら理解せずに葉を繁らしている神達もあるということなのです。
枝葉の神も栄えて、根元神もまた大きくなる。枝葉の神を信仰したからと言って、根元神様が怒っていられるのではないのです。
根元神の存在を忘れると、樹全体が枯れるということなのです。
神信仰していても、枝葉の神達の現世御利益信仰ばかりしていると、根元の神の存在を忘れてしまいます。
枝葉の神達は、その信徒達に根元神の存在を説くべきであったのです。
最近のスピリチュアルを見ていますと、宇宙だ!宇宙だ!ばかり言って、根元神の存在そのものを無視しているでしょう。
根元はないのですか?。自称仏陀の再来とか自称キリストの再来とか自称メシアと名乗って、信徒に自分を拝ませる。それは、根元神とは何のつながりもない存在なのです。
宇宙からの光など言っていますが、サニワすれば聖書にあります霊界の年老いた蛇霊に踊らされている様な存在が多いのです。霊界の年老いた蛇霊であれば、火を吹くぐらいですから光を出すぐらい出来ます。光は【火借り・火借る】であるだけなのです。
本当に宇宙からのパワーを得ているのならば、何も自称キリストとか自称仏陀などと名乗る必要もなければ、信徒に信じ込ませる必要もないわけです。昔の偉人の名を利用するなかれ。

にほんブログ村この内容がよければ、応援のクリックをお願いします。