聖書では終末(身の終わり)の時には、【山に逃げよ】ということが語られます。マタイによる福音書24章にある預言者ダニエル(神は我が裁きの主の意味)の言葉をイエスが引用した部分です。ですから、これはイエスではなくて預言者ダニエル(神は我が裁きの主)が言ったことになります。
日本で、この【山に逃げよ】を富士山だと言っている方達がいます。確かに、日本一高い山です。また、飛騨の高山だと言う方達もあります。これも高い山を意味します。しかし、どちらにしても、全人類を収容出来る山ではありませんね。全人類を収容可能とする山の話でないといけないのです。
日本が産んだ最高の予言者とされる大本教の出口王仁三郎聖師は、【大本教霊界物語第十三巻・信天翁(あほうどり)】にて。
いま大本にあらはれた 変性女子はニセものだ まことの女子が現はれて やがて尻尾が見えるだろ 女子の身魂を立直し 根本改造せなくては 誠の道はいつまでも 開く由しなしさればとて それに優りし候補者を 物色しても見あたらぬ 時節を待ってゐたならば いづれ現はれ来たるだろ 【みのか尾張の国の中】 変性女子が分かりたら モウ大本は駄目だらう
これは出口王仁三郎聖師の遺言状としてある方に届けられた内容を後に霊界物語に記載したものですが、もつとも重要な予言の一つとされるものです。
で、大勢の人が出口王仁三郎聖師のニセ者発言で自分が本物の変性女子だと名乗りを上げて、大本教に押しかけられた。中には、自分はオカマだから変性女子だと名乗るような人まで出たのです。オカマだから変性?。ものは言いようです。
大本教神諭が予告した【九つ花】を紐解くと、中心が【41】となるのです。
イエスは40日間荒野を彷徨い、【41】日目に神の御子と成る。
モーゼは40年間荒野を旅して、【41】年目でイスラエルに入る。
さて、美濃か尾張の国からの【41】の存在を探して見ましょうか。
国道第【41】号線が存在します。飛騨の【高山】と神通川を渡って【富山】の二つの山がありました。
大本教は十三の【ス】神論を展開しました。十三山で富山になります。大本教の神芝居は、【ス】の神論で【ラ】神論を隠す仕組みが演じられたのです。スはアイウエオの第十三番目。
だが、富(十三)山は美濃か尾張の国から出る必要はないのです。金沢や新潟からも行けます。しかし、飛騨の高山は「41」を通るのが幹線国道なのです。
飛騨の高山に大神殿を建てた宗教団体がありますが、飛騨の高山に逃げるのが正解なのではないのです。
【自分の中の良心神が、終わりの時に逃げる神の高山なのです】
飛騨の高山は41で【ラ】の言霊を紐解くものなのです。富(十三)山は【ス】の言霊を出した意味なのです。【ラ】には天之御中主の意味を秘め、【ス】には素戔嗚尊の意味を秘めてあるのです。
コトバの仕組みを解ろうとしない日本人だらけ。それは困ったことです。
大本教神芝居。国常立尊だけでは解らないのです。牛虎金神で仏教の最高仏【牛頭天王】を語り。聖書の預言者ダニエル(神は我が裁き主)に従って【山に逃げましょう】。
大本教神諭予告、末で世界の宗教は一つになる。同じ存在を言うのですが、宗派で宗教戦争をしているのです。
ただ、みのか尾張の国の中でなく、【身の終わり】の時です。
良心神と呼ばれる存在は、【主の娘(良・女)】の姿を取ります。で、主の御胸に帰るならば、その装いも新たに嫁ぐ花嫁の如く。新しき神の御国へと嫁ぎます。女性で例えて、人間の様な女性ではないのです。
美濃尾張方面から富山に向かうは国道【41】号線。
神の言葉の仕組みをバカにする者は数知れず。自分の感とやらが一番と言う方達は、その感とやらに従えばいいのです。私はお止めしません。
つたない霊感で、自称キリスト、自称仏陀、自称メシアを光輝く人で間違いないとのめり込む霊感信者。霊界の太陽を見せて貰えたならばいざ知らず、一瞬の目眩ましの光程度に騙されて、その正体が蛇や狐や狸や悪龍と見抜けない。案内してもらえる地獄界。
地獄の釜の蓋を開けて、鬼が100万年でも1億年でもどうぞと笑う。輪廻転生が終了するので、永遠にと続く。
自称偽キリスト、自称偽仏陀、自称偽メシアは要らない言葉の仕組み。そうした存在に言葉の仕組みすら解読出来なかっただろう。言葉で示す仕組みの規模の大きさは、蛇や狐や狸や悪龍が出す目眩まし光程度では出来ない。
私は主に従う人達を、新しき世にご案内するだけの神の下僕。
主に栄光あれ!。
人は、言を仰ぎ見るが信仰。
神はコトバで示し申す。
ああ、カンナガラ タマチハエマセ。
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