仏教用語の【ダルマ(Dharma)】を【真理】と言う場合があります。ヒンドゥー教では、ダルマは
宇宙の法と秩序、正義を守るを意味します。すなわち、真理とは【宇宙の法と秩序(戒律)を正義で守る】ことなのです。
自分はこう思う。私はこう思う。どう思おうと、それは個人の言い分であって、【宇宙の法と秩序(戒律)を正義で守る】ことではないのです。最近、スピリチュアルでは変なことを言う人達が増えました。人類が意識を変えれば宇宙の意識が変わるのだ。
地球に住む人類の意識の総意で、宇宙の【宇宙の法と秩序(戒律)を正義で守る】存在が変わるわけなどないでしょうに。それは【始めからありて、終わりまである】のです。そうした意見は、
人間は創造神より偉いの思い上がりです。
人類の総意で【宇宙の法と秩序(戒律)を正義で守る】を変えることなど出来ないのです。私達人類がその意識を【宇宙の法と秩序(戒律)を正義で守る】に変えて行かなければならないのです。逆の見立てです。
この地球は魂の修業場、魂の流刑地で許された【自治権】の範囲ですることに対しては自由が保証されているのであって、そこに【宇宙の法と秩序(戒律)を正義で守る】の神の力が今日まで介在して来なかっただけなのです。
大本教神諭に、この神(国常立尊)は達磨大師として現れたがあります。そして、高崎のダルマにしゃがって式の内容があります。達磨大師を高崎のダルマにしたことは確かですが、これだけを見ていると何の意味かが解りません。
高崎のダルマは【七転び八起き】です。では、どうして【ダルマ(真理)】は七で転んで八で起き上がるのでしょうか?。
日本神道では、今の世はイザナギ・イザナミ神の神代の「七代」目とします。
聖書では神は六日で森羅万象を創られて、七日目を休息日と定められたとあります。この世の6日間の時間で出来るはずないのです。
気がつきませんでしたか?。
今の世は「七」の世なのです。
七は【質】で物質の世を表します。三次元物質界なのです。
この物質の世が転ぶのです。
だが、物質の世は終わっても【八】の世が来るのです。ですから【七転び八起き】となるのです。
国常立尊様は三千年の長きに渡って言葉の仕組みを完成させる為に、陰からこうした言葉で仕組みが解る様にされて来たのです。それは、この世に出て来ておられる神とは力が違うからです。
また、こうしたコトバによる仕組みは、いくら科学が発展して賢くても宇宙人と呼ばれるレベルでは出来ません。宇宙人と呼ばれるレベルの霊界人は、創造神ではありません。
日本神道で言えば、神代の八代目が立ちます。これまでの七代目イザナギ・イザナミ大神は交代されるのです。八の世に、新しいイザナギ・イザナミ様に相当する神が出て来られますが、神名はどうなるのかまでは私には解りません。ただ、解ることは
その存在は【ダビデの若枝】なのです。
宇宙の法と秩序、正義を意味する【ダルマ】には、何分にも手足がありませんので、誰かがその弟子となって働かないといけません。しかし、ダルマの手足となって働こうとする人は皆無だったようです。
八の世とは【8】であり。八は末で広がる意味です。そして、無限大の記号【∞】で解る様に、永久に続くを意味します。
それをもって、
今の物質界における輪廻転生の世は終わります。元々、魂は不滅に近い存在ですが、魂だけでの存在ではなくて、新しい人間的存在として各魂は蘇ります。聖書風に言えば最後の審判を経て復活です。
その復活の働きは、将来、民は蘇るなので【蘇民将来】と言います。これを日本では素戔嗚尊様と申し上げています。日本神話の神代の時代の部分は、コトバの仕組みを解らせる為に創られているのであって、事実の話ではないのです。
大本教の出口王仁三郎聖師が【素戔嗚尊】の魂だと言って活動されたのも、言うなれば神の仕組みの一環なのです。
これから来る世は、今の世(7の世)を一度閉めまして、永久の「8」の世にと展開するわけです。
この世は魂の修業場でしたが、人々が好き勝手をやり出して魂の修業場として相応しくなくなりましたので、まもなく閉鎖されます。すると、今の世での魂の位置付けで永久世界に入ります。
もう魂を修業で格上げは出来ません。【輪廻転生の仕組みが要らなくなります】ので、寿命としての肉体の死は考えなくてもよくなります。
八の世は永久的になりますので、その肉体は【万歳(バンザイ)、万歳(バンザイ)】で万歳近いものとなります。が、
悔い改めをしない人を永久の世に入れますと、またもや永久の世を汚してしまいます。
汚れた魂は汚れた世界が相応しいので、そちらが用意されます。その世界で好き勝手、やりたい放題が楽しめるでしょう。神は愛の方ですから、そうした世界ならば自由にやってよしと言われるでしょう。もう神は、そうした人達を戒めて祟りの神と呼ばれるような無粋なことはされません。永久にどうぞ。
神は愛だ!。何をしても許されるのだと言われているスピリチュアルの方は大正解なのです。
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