人に内在する良心神(神言会)

神は言葉なりき。言葉は言霊で構成され、その言霊による神の仕組みを解説する神言会(kamikotokai.com)のプログです。
神言会では人に内在する良心神(この世の閻魔)とは何かを説明しています。

天の岩戸の光とは、神は光の光とは違う

スピリチュアルを標榜する方達のお題目は神は愛だ!光だ!。確かに通常の諸々の御神霊は光として捉えることは出来ます。だが、その光とは、日本神話に登場する【天の岩戸開けの光】ではないのです。

一部に、既に天の岩戸は開いていると言われる人達がおられますが、もしも開いていたならば、ほとんどの人達は苦しさに七転八倒していなければなりません。大本教神典に天の岩戸が開いた時の凄まじい描写があります。だが、反対に体の内部から光を放つ人もあると記しています。それは外の光では無くて、人の内部からの光なのです。魂からの光と言えるでしょう。だが、そんな現象は未だ見られていません。
この世の太陽の光はいくら浴びても、それで苦しむなどはないのです。だとすれば、神は光の本当の光は太陽が放つ光ではないのです

私が修業に入った当時、不思議な岩戸が見えて来ました。その岩戸を少し開けて覗き見ると、この光の世界は何だ!。それはまさに光のエクスタシー。これほど【至福の光】の世界は存在しない。光がなんとも言えない歓喜の音を放っているのです。だが、この光の世界は私には耐えられない。それは、私の魂は未だこの光を受け取るだけの磨きがされていないと解ったので、私はその岩戸をそっと閉めました。
魂が磨かれていない状態では、殺人光線に等しい光なのです。だからこそ、この光は創造神が隠されているのです
私はこの光に耐えるにはどうしたら良いのだろうかと考えました。この光の世界で悠然としておられるのはお釈迦様ぐらいでしょう。ならば、お釈迦様は何を悟られたのだろうと考え始めたのです。
お釈迦様の悟りは、一般的には仏(神)は慈愛だと悟られたとなっています。もしお釈迦様の悟りがスピリチュアルを標榜する人達の言う様に神は愛だ!光だ!ならば、どうしてお釈迦様は祇園精舎に道場まで造って多くの弟子達を育てようとされたのでしょうか?。神は愛だ!光だ!と言うのであれば、修行そのものが必要無いのです。遊んでいればいいのです。口先で神は愛だ!光だ!と言っていればいいのです。

私はお釈迦様の悟りは、仏(神)は慈愛だと悟られたのではない。その悟りは何だろうと探し求めたのです。
私が子供の時に臨んできた声は、日本神話の天の岩戸開けは実際にあった話では無い。この私が神の仕組みの為に創作させたものであり、日本神話の天の岩戸開けは予告の為で有る。その意味が何かを探りなさいと告げられたのです。

私が40最過ぎの頃、京都府向日町で出口王仁三郎師の言霊顕彰会という会場に2番目の師匠が講師として出席要請されたのですが、私がその師匠に代わって講演することになりました。講演会場に行くと、講師席に今は一躍その名を世間に広めた東日本大震災を予言したとされる松原照子さんが居られて、松原照子さんは予言者として紹介を受けました。
松原照子さんはその会場で講演したことは記憶にあっても、講師席に座った私のことは記憶にはないでしょう。先に松原照子さんが講演されました。
私の講演は、今と同様に漢字を分解して神を説く手法です。当時は未だ大本教神諭予告、九つ花を紐解いていない時代でしたが、会場は水を撒いたようにシーン鎮まり、私は何事が起きたのかと冷や汗が吹き出ました。私の講演が終わると、会場は総立ちの大拍手になったのです。
私の前に、漢字で神が説けるなど、こんな講演を聴いたことが無い。そう言われて幾つもの名刺を頂きました。その名刺には〇〇大学教授とか××大学の教授とか△△大学の教授の肩書きがありました。
私が一生懸命に言霊による教えを説いても、スピリチュアルを標榜する人達とその教えに従う人達は、私の教えには振り向かれません。言霊を学ぶ大学の先生達には貴重な教えになっても、大衆向きではないのかなと感じたしだいです。

以前、それと同じ講演を大本教大幹部が主催する近江神宮でした時、大本教信徒達が私に向かって一斉に帰れ、帰れ、帰れの大コールをしてくれました。ああ、大本教はモウダメだと解ったのです。
少しばかりの奇跡を出す力を持ち、神は愛だ!光だ!と説いていれば簡単なのですが、それでは【真理(ダルマ)】が解りません。真理は【ダルマ】であり、ダルマは誰かが手足となって働かないと行けないのです
私が会場を離れようとした時、二人の女性が会いたかった会いたかったと私に抱きついてこられました。驚いていると、貴方の胸にトンネルが有り、その奥に岩戸が存在しています。その岩戸の中に真性の天照大御神様が居られるのが見えました。やっぱり、本当の天照大御神が居られたのだと泣かれます。聞けば、お二人とも霊能者ですとの紹介でした。しかし、私にはキョトンです。

私の胸の中に真性の天照大御神様が居られる?。その時の私にとって、それはあまりにも不可解な謎でした。しかし、大本教神諭予告、九つ花に咲く一輪の言霊の経綸の謎の紐解きで、その意味は解りました。
古代アラビアで太陽神は【ラ・Ra】とされて来ました。それがエジプトに伝わりテーベの守護神アモンと合体して【アモン・ラー】となったことは解っています。太陽神そのものが【ラ・Ra】なのです。
大本教神諭が予告した九つ花そのものは、ある神が大本教で出口なお派とされた天行居の開祖である友清歓真さんに教え、【ラ】神として発表され、それは天之御中主様のことだと説かれました。それ自体は間違ってはいません。しかし、それは天の岩戸に隠れている真性天照大御神までは解けなかったのです。
人に内在する良心神は、自己の魂を磨かないと効果がありません。他を救いて世根となれです。その時、例え天の岩戸が開けられても、天の岩戸の光に耐えられることが出来るのです。天の岩戸閉めとは、魂の中で仕舞われている良心神の光を遮断している状態のことを言っているのです

私はこれらの内容をホームページにして出させて貰いました。嬉しいことに、それからは人に内在する良心神を自己流にまとめて自己のブログなどで説いてくださる方が増えて来たことです。キリスト教系の方でも、イエスは愛を説いたのではなくて、人に内在する良心神を説いたのだとブログに書いて出しておられる方もあります。
イエスは40日間荒野を彷徨い悪魔を退けて、41日目に神の御子となる。九つ花を理解すれば、イエスもそうであったと解ることです。
ただ、私のホームページは難しすぎると言われるのは事実です。諸々の神と呼ばれる存在に対して説いているからです。
だが、何回も読んでいるとだんだんと解って来ると言われるのは、その人の内在神が目覚めて来るからです。で、他の人に勧めても理解して貰えないと言われるのは、勧めた人の良心神がまだ塞がっているからです。

神はコトバであり、コトバの仕組みでしか真理は説けないのです。
コトバの仕組みなどと、バカにしている人が大多数です
それが解らなければ、解らないでかまいません。
天の岩戸が開かれた時、苦しむのはあなた自身だからです。
聖書のヨハネの黙示録には、コトバによって裁かれるがあります。
逆にコトバの仕組みを知ることで、創造神の元にと近づくのです。
何故ならば、神がコトバの仕組みをされたからです。

九つ花の仕組みは、369(みろく)です。
新しいみろく(神の御国)の世に進む為にです


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