人に内在する良心神(神言会)

神は言葉なりき。言葉は言霊で構成され、その言霊による神の仕組みを解説する神言会(kamikotokai.com)のプログです。
神言会では人に内在する良心神(この世の閻魔)とは何かを説明しています。

人の顔をしていても、その魂は【ケモノ】

最近のスピリチュアル系の方のブログを拝見していますと、自分の魂を磨きましょうと言う方よりも、もう魂磨きを止めましょう。自分達はこの世で幸せに成る為に産まれて来たのです。この世は面白く楽しく過ごせばいいのです式の方が増えて来ました。
人は死ねば終わりならばそうした答えは大正解でしょう。だが、仮にもスピリチュアルを標榜するのであれば、死後の世界が在るぐらいは認識されているでしょう。
そうした意見も一理はあるのです。何故ならば、苦が有って楽が有り。楽が有って苦があるからです。この世で面白く楽しくの【楽】を取れば、死後の世界の【苦】を取ることになります。この世で【楽して】あの世でも【楽する】は無いのです。それを「正負の原則」と言います。
問題は、その期間の長さなのです。この世で【楽】を取った期間と、あの世の【苦】の期間は、この世の時間的には等しくないからです。この世には時間がありますので有限です。あの世では時間の感覚が無いので無限になりかねないのです。霊界に時間の感覚が無いことは、今日まで報告されているはずです。

神は言われるでしょう。魂磨きを止めろという意見に賛成するも、魂を磨けという意見に賛成するも、貴方が自分で決めたことだと
決して、そうしたことを言っている者の責任にしないでください。この世は魂の学びの場。修学の場だと古来から散々言われて来たことで、別に今の時代だからと変更は無いのです。神が真理を変えていれば、宇宙は運行など出来ないのです

スピリチュアルの方達の中には、地獄など存在していなと主張される方達があります。霊界は多様な世界であり、また次元の高さによって霊能が有ってもアクセスする場所が違います。自分が霊的に見ている世界だけで論じていると、本質を見失いかねません。

地獄の【獄】の字を見ると解るかと思いますが、インターネットでは出せない第三水準のケモノの漢字の間を「言」が割って入っているのが「獄」なのです。
すなわち、言の働きでケモノと成った世界が「獄」界なのです。この言は単なる言葉でなく、貴方の心(魂)なのです。貴方の心(魂)がケモノの地獄の道を撰んだの意味なのです。

私の場合は言葉の意味を見聞する為に霊界を垣間見たに過ぎませんが、霊的世界を見ていますと、いろんな動物の姿で見えて来ます。それは、その動物の名で言葉の意味を表す【心の形】なのです。その動物は、元は人間なのです。
人が人の姿をしているのは、霊(ヒ)止(ト)の間だけで、死後の世界で【獄】に入る方は、ケモノの姿になります。こうしたことから別の世界に転じて生まれることを【輪廻転生の転生】と言うのです。
お釈迦様は偉大な方ですが、それが作り話なのか事実であったのかの検証は出来ませんが、その前世において船乗りであった時、安酒場で酒で喧嘩して人を殺め、次の世に猿に転生したとの話があったと記憶しています。

人の顔をしていても、その魂はケモノ
私達は人を見ていても、その人の魂がケモノで有るかどうかは見えないでしょう。自己の魂を汚してしまいますと、魂の表面が汚れからケモノ(毛物)を発生させます。そうなりますと、次の世には人間界ではなくて、ケモノ界に転出します。
私は魂を磨きなさいと一貫して説いていますが、それは人の顔をした霊止であっても、その魂に毛物が発生している方は死後にケモノ界、すなわち【獄】界に入られるからです。
私の魂が見ることがあった霊能者の方がびっくりされるのは、魂が磨かれていて表面はガラスの硬質のような感じで、内部はいろんな色合いで光を出し、まさに神の宝だと言われます。

大本教霊界物語に、天国に案内するという取次に手を引かれて、地獄界に案内されている者ばかり、この神は気の毒で見ておられないがあります
私は嘘だろうと思っていました。それは魂に汚れが付くと魂に毛物が発生するが解らなかった時です。
ブログの世界で、魂磨きは止めましょうとか。悔い改めるの辛いから止めましょうとか。この世は楽しく遊んでいればいいのですと説く方は、どたなも魂を見たことが無い方のようです。それでは魂を汚せば【毛物】が生えるが解りません。神はコトバであって、皆さんにコトバで教えているのですよ。
今の世は、死ねば天国に行ける方は数が少なくなっています。皆さん、魂磨きを忘れてしまいましたからね。
どこかの霊能者のセミナーに行けば、自分の魂の汚れが取れるはないのです。魂のホコリ程度だと祓えるでしょう。しかし、玉(魂)を磨くとなれば、磨き砂として社会の荒波が要るのです。社会に泣かされて魂は磨かれるのです。

死後の世界で自分は天国だと言いながら【獄】界に進まれる。獄界が天国と思われているのならば、確かに地獄などどこにも存在しないことになります。お好きにどうぞとしか言いようがありません。
この世に生きている間は時間にして少しです。長くても100年ぐらいです。でも、【獄】界での時間は人間界と違ってたっぷりありますから、この世の時間にして千年でも万年でも【獄】界でお暮らしくださいなのです。
別に次の世で、猪や熊や狸や狐や羊や牛や象や犬や猫や鳥や蛇に転生したとしても、貴方の命は保証されているのです。
かく言う私も【牛】の時がありました。寒川神社の素戔嗚尊様からは、この者は立派な牛になると言っていただきました。その時は牛かとショックでしたが。牛で尻を叩かれて、農作業で使役されて来たのです。
神は慈愛ですから、命を奪う殺され方はされません。安心してください。その命だけは助けてくださいますよ。

大本教神諭に地獄の釜の蓋開けがありますが、そろそろ【地獄の釜の蓋開け】の時期が近づいて来ています。

解らなければ解らないで結構です。こうした厳しいことを言っていると、私も鬼と云われて節分の炒り豆でもまかれかねません。甘い言葉に乗って身を落とす人が気の毒で、見ておられないだけです

アセンションもいいでしょう。その前に、自分の魂を磨いておきなさいなのです。天国に進めないような魂の状態で、アセンションなど出来るはずも無し。

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