奏章Ⅳのバトルでやってたこと:天草で強化を剥がし、アストライアの宝具を叩きこむ。以上。
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誤字とか勘違いあったらすみません。てか勢いだけで書いたのであると思います。
【全体所感】
マシュとカドック、そしてカルデアのこれまでの行いの清算。
ここに今まで伏せられていた謎の解明、新キャラの掘り下げ、既存キャラの新たな一面などを複合して、宗教モチーフのひとつの物語に仕上げていて大変読みごたえがありました。
【マシュ、とリリス】
マシュはこのままいけば生きたまま英霊となり2015年~2016年を繰り返す現象となる。
↑↑↑そんなのきいてないんだが~~~~~~~~~~~~~~~~??????????
これ早々に言い当ててたロアやばすぎる。流石は元々優秀な魔術師だっただけある。
英霊ギャラハッドとして戦うほどサーヴァントに近づいてしまうのなら、妖精國でギャラハッドとして振舞っていたアレが決定的だったのでしょうね。
で、7章冒頭でのダ・ヴィンチちゃんの警告につながると。
「無垢」であることが罪。
つまり生まれ出でてしまった、憎しみや嫌悪などの負の感情と向き合わない、なかったことにするのは罪。ということ。
育ってしまった人間性は、もう不可逆だし否定しなくていいのです。ねっロマニとハベにゃん!
ここで分かりやすく本編でベリルの事例が提示されていました。
人間の嫌悪感、忌避は自己防衛や危険回避の延長線上のものです。悪いと判断したものを務めて遠ざけなければ安寧はない。
だから本当は、ベリルに指を折られたときにマシュは拒絶・抗議して彼と距離を置くくらいしても良かったのです。でもあの時のマシュにはそれがまだできなかった。
逆に言えば、すべてに公平で、その嫌悪の感情すらなく、自分を害するものを近くにのさばらせてもものともしない。
シールダーは、そんな無防備で無垢で高潔な人間の為のクラスなのかも。
マシュは夢の中で繰り返し繰り返しあの隔離された部屋の夢を見る。
無垢であれ、と願うマリスビリーや、レゾンデートルを問うスタッフの影。
マシュはあるがままでいい、と肯定して背中を押してくれるロマニの幻像。
あとロマニの姿をしたゲーティアだかフォウ君だかマーリンだかなんだか分からない人。
人間性(思い出・未来・情緒)を捨てるか、天使性(無垢・公平・戦う力)を捨てるか。
その果てにマシュは天使性…ギャラハッドと訣別し、戦う力を自分で引き寄せました。
そうだよ!何年もあの盾で戦ったんだからそれを土台に自分で霊基をDIYってわけ!!すごすぎる。
ロードカルデアス、ロードキャメロット、モールドキャメロット、ロードキャメロット、そしてロードカルデアス。
成長や喪失を繰り返し、時には補いながら名を変えてきた宝具が最後にロードカルデアスに戻ってくるの、なんぼ何でも激熱すぎるでしょうよ!こんなん大好き。
パラディンクラスのマシュかっこよすぎるし可愛い。セイントグラフいつまでも見ていられる。あまり肌が見えていないガッチガチの鎧姿で威厳ある。全体的に白基調でめっちゃ聖騎士って感じだし、黒基調のギャラハッドイメージから脱した感あってよき。
そしてついに攻撃できるようになったっていうね~!ありがとう全体宝具!早く絆10にしたい。とりあえすレベル100にはした。
まさにマシュというキャラクターの集大成、完成の瞬間を見た気分でした。
今回、マシュの異常性と矛盾を分かりやすく指摘したリリスという存在なんですが、作中でははっきり「人間になりたかったのに人間になれなかった」と言っていて何とも分かりやすい立ち位置。真逆のマシュが目障りになった原因も分かりやすい。
やばいエヴァンゲリオンにハマってたときの記憶がよみがえってきた。
とりまFGOではどのような扱い・側面のリリスだったかは曖昧になっていますね。
この宗教色強めの舞台でリリスを実装したのは思い切ったなと思うと同時に、マシュへの対抗馬としてはかなり的確なキャラクターだなと思います。
リリス、協力的で愛想もよく可愛らしいのにマシュには冷たい。
こっちは見ていて心苦しい。
ここでしっかりリリスを信用しきらずに付き合う藤丸もなかなか強かでしたね。
最期まで悪でいてくれる悪い奴って大好きなんですよ。
まあリリスは別にヴィランじゃなくて普通に協力者だしいい人だしなんだけど。
リリスが「誰にだっているでしょ?こういう存在から許せない、大っ嫌いなやつ」って言ってるの、人間のどうしようもないあるあるの性そのものじゃないですか。
マシュには「誰かを嫌う」っていう感情が育つだけの情緒の土壌があったわけです。
その大切な感情の一つをマシュが認めるに至った過程でリリスは大きな役割を果たしたわけですが、なんか、この感じ既視感……ノエル先生だ……
人間誰しもが抱える悪の部分、表には出しづらい感情、それを惜しげもなく発露させるキャラクター。
お前を殺せるなら自分の命だって捨ててやる!という狂気じみた憎悪。
こういう憎めないのが出てくるからタイプムーンってやめられな~い。
【モリアーティとダンテ】
かなり心強かった。
コメディパートを担ってくれるから精神的に安心したマジで。
ルーラーモリアーティって最初トラオムでゴリゴリのラスボスで登場したじゃないですか。
まあ印象的にはそんなに悪くないんですけど、第1再臨の好青年で終始してたから気安くてよかったんですよ。
ダンテとの掛け合いも楽しかった。
ダンテに関しては最後にベアトリーチェを召喚しようとしてメタトロン・ジャンヌがきちゃったという……
ぶっちゃけ被害者兼元凶なんですけど初手が初々しくて最後まで彼女のことを求めていたので許しちゃうしかないじゃないですか、ねぇ……
神曲がモチーフの舞台装置でしたけど、地獄めぐりの部分は原作の要素が取り入れられていてよかった。
次何来るかな~あいつかな~こいつかな~って想像するの楽しかった。
最期まで協力してくれた二人ですけど、物語の強弱とか幅が二人のおかげで広がったと思う。
リベンジ人類裁判もめちゃめちゃ好きなんですよね~!
事前に主張方針を練るところワクワクしたし、カルデアの行為が正当防衛だったかどうか詰めていくあたりめちゃヒリついた。
カルデア襲撃時に異聞帯側の事情を把握してないからしゃーねーだろ!殴り返すしか!からの「じゃあカドック有罪じゃね?」に話が行ったときギャ~~~^^^って感じだった。
【主人公(以下、藤丸)】
まさか1秒早く起きれるお守りがちゃんと効いていたとは……
そして本人もそれを自覚し続けていたとは……
(2023年 雪原のメリークリスマスをチェケラ)
1秒早く起きれたからなんだって思ったんですけど、仮にその悪夢の中で次の1秒とてつもなく不快な夢の光景が展開されているのだとしたら大きい1秒カットなんですよね。
そしてメタトロンが言ってましたが、悪夢を見ること自体が藤丸自身罪の贖いだと思っているわけです、受けて当然の罰だと。
もう色々覚悟が決まっているのです。だから人類裁判の時も罰を受けること自体は何とも思ってない。
カドックも同じ状況ですけど、復讐心は手離せても、失う恐怖は忘れられず、罪悪感を抱えて生きること自体が糧になっている。なにも成せないままで死ねない、という。
自分の罪を認めて贖いを行うことこそがこの特異点のモチーフとなる教義に能うものであり、主人公はじめカドック、マシュがメタトロンに認められる至る大切な要素でした。
3人とも、だれにもなにも言い訳などしていない。えらすぎる。
マシュが姿を消した状況は妖精國でもありましたが、あのころに比べるとかなり落ち着いた方。成長したな~。
とはいえ傍に誰かいてやってくれの気持ちだったので、例の3択シーンは安心しました。全部読んだよね。
てか性別変えるだけで分岐が全然違うというか、展開が違うというか、マジでどっちも読んどかないともったいない。
カドックとマシュ、掘り下げがちょっとずつ違う。大事。
【ルーラーや管理者たち】
ぶっちゃけこの特異点の話に限って言えば完璧な存在なんてもうそれこそ「神、主、父」だけなんですよ。
ルーラークラスたちでさえ、ある程度私情を挟むことを良しとしている柔軟性があるわけです。
メタトロンはそれを許さなかったけれど、結果的に彼女もそうなりましたし。
メタトロン自体も「怠惰」を切り離すっていうズルをしてしまったけど、これもやっちゃいけないことなんですよね。
現にマシュやカドックは己の罪と向き合っているところなのに肝心の裁判長がそれをスキップしてるから……
完璧を目指すのではなく、元々不完全な私たちが罪や疑念を抱きながら右往左往して生きて歩んでいく。
その過程で、神の愛を、寄る辺とする・正しくなくともよりよい選択の指針とする・糧とする……これを信仰という。
ちょうど直前に『教皇選挙』を見ていたので、人間が罪・欲に塗れながらも信仰を模索する姿がかなりクリアに理解できました。とても素晴らしい映画なのでおすすめです。
てかそれでいうと言峰神父がバチバチの敬虔な信者をしていたのが熱かったんですよ。
「裁判長は主の意志を代行しているのですか」ですって。主の代行なんて誰もできないの分かってて代行者してる連中はやっぱ"""覚悟(キマ)"""ってるなぁ!!
天草が「時に人は、悪意なく罪を背負う」といったとき、ああ~って感じだった。
万人の救済と当時に、個人の救済も望むといったこの特異点の天草四郎はどんな心持の変化だったのでしょうね。
アポクリファのふりきれ方とはまた違う、他のルーラーたちと同じブレを感じました。
【カドック】
個人的なことをいうと彼に関しては2部プロローグの行いについての不安感が拭えずにいました。
むしろ「藤丸おまえよく付き合えるな」と内心つっこんでいたくらい。
だって「皆生き残れてよかった!」ってところに、ダ・ヴィンチちゃんも死んじゃった、スタッフも死んじゃった、なんて許しがたいじゃないですか。
今は仲間でも、最初会ったとき特異点とかで残虐に民草殺してたサーヴァントなんてごまんといるのに、なんであのカドックとアナスタシアにはこんな思いを引きずって……ってこれも「偏り」だよね~ね~テペウ。近しい人・知ってる人の死はやっぱり悲しい。
そうしたら、なんと彼自身も罪悪感を抱えているどころか毎日悪夢に苛まれるほどに追い詰められているじゃないですか。
思えば彼はカルデアに合流してからいろんなイベントや本編を通して、トラオムから明確に、カルデアの一員としてたくさん貢献してくれたのでした。
自分が立場上信用を得にくいことを自覚し、時には身の危険を覚悟で率先して現況に飛び込んだり……そういう行動の背景に、まさか氷漬けの死体の悪夢があったとは。
布石はちょくちょく打たれていたのですね。
本当にダメだったのは、最後の一か月でした。もう嫌な予感しかありませんでした。フラグすぎるだろ。
麻雀なんか打っちゃってて最初は笑いましたが、悪夢の頻度が減ったなんて言われたらもうダメじゃないですか。
あの最後の一か月は、生前のカドックが魔術師の子として生きていたころには経験しえない一か月だったんだろう……と、分かるような、彼の今まで見たこともないような素の部分が垣間見えて、ダメでした。修行の一環で山で放置されてたみたいな話してましたもんね。
おまえ、ロック聴くだけじゃなくて、アコギ弾けるのかよ。かっこいいよ。
カドックは地獄の最下層で幻覚を見ながら自問自答する。自分の罪を清算したい、しかしそれにはタイミングがある。どうせ死ぬなら……
そして人類裁判であれよあれよと例の2部プロローグの虐殺の話へ。
話は変わりますが、fateシリーズの令呪使用シーンで印象的なものの一つに、距離・空間などをすっ飛ばし、己が手元にサーヴァントを引き寄せるやつありますよね。
「来い、●●●!」ってやつ。ほぼ魔法に近いアレ。
とにかく、令呪使ってサーヴァント呼ぶ(今回は"再現"だけど)ってテンプレを大令呪でやっちゃった上に、「あの日あの時のアナスタシア」を呼ぶものだから、なんかもうこれ、ハッピーエンドじゃん普通。いいかな?もうハッピーエンドってことで。
カドック自身はあのLB1のアナスタシアの別れで気持ち切り替えてるし、執拗に執着しないようにしてるんですよ。心の支えくらいにしてただけで。
そしたら絶好のタイミングでアナスタシアを呼ぶしか勝てないっていう展開をここでもってきたの上手すぎますよなんぼなんでも。こんなん皆見たかった奴じゃん。
満足そうに呼ぶし嬉しそうじゃないですか、二人とも。あーあ。
カドック自身「この罪は自分のものだ」と言い切ってて、それに胸がスッとして納得した自分が嫌だった。
カドックの罪が決して軽んじられることもなく、彼の制裁は最高の見せ場で、最高の成長を見せられるこのFGOの物語の最後の最後のタイミングで、録り下ろしボイス付きで演出されてて、世界も救ってくれちゃって、もうなんて言っていいのか。
アショカ王が看取ってくれて本当に良かった。一人じゃなかった。そしてカドックを一人の友と認めてくれたのも…。
かくしてカドックの罪は雪がれたのでした。
カルデアを辞してなお最期まで指向性を失わなかった歩み、己の死をもって。
【ギャラハッド】
おい誰かこいつのクラスをバーサーカーに変えろぉ!!!!!!
フラガラックみたいなカウンター打ってきやがって!!!ズルだズル!!!!
この「罪」と「罰」というルーラーならではの題目において、ギャラハッドを登場させたのはうまいなと思いました。
己の罪と向き合う者たちをとりまきつつ、ひとつ高い視座から傍観するギャラハッド。
聖杯探索の物語と同じような構図ではないですか。
聖杯探索で彼は、ガウェインやランスロットなど罪を自覚した騎士たちを横目に黙々と旅を続ける。
この物語で強調されるのは、「ギャラハッドは罪のない清廉潔白な敬虔なる騎士」だということ。
ぶっちゃけると「信仰とはこうあるべき」の理想の形が、彼。
(ここでサゲられた感じになってるガウェインもランスロットもちゃんと懺悔したり、他の物語では敬虔な一面を見せてるのでだいじょぶ、あくまで聖杯探索においてはの話。)
こういうこともあって、fateギャラハッドも公平・冷徹・信仰の元に意志を働かせる「機械のような」騎士だったのだろうと、まあ話し方やカルデア・リリスへの諌め方をみても明確です。そりゃあ生前モードレッドは面白くなかったでしょうねえ~。
この奏章Ⅳにおいて、天使は機械です。また、ギャラハッドを語るときもモードレッドが彼を機械的だと評しています。
話は変わりますが、FGOマテリアルⅣでガウェインがギャラハッドを「天使のよう」と評価しています。
当初、天使なんて言うからには世間一般で言われる慈愛と優しさに満ちた人間なのかと思ったら、何にも肩入れしない無機質さを指していたのですね。おまえなあ……
そんな理想を形にしたような彼にも実は人間性のかけらはあった。その予兆がマシュへの霊基提供だったわけですね…。
隣人愛そのものと思えるあの救いがまさかのギャラハッドの感情の一端だったなんて、今にして思えばバビロニアEP0アニメでブチ切れていたギャラハッドの側面からも頷ける話。
なにより、ギャラハッドも死してなおやっぱり人間だったのだというfateなりの解釈であり、なんともfateらしい人間賛歌ではないですか。
反面、白紙化地球で召喚され、リリスに出逢い、契約を交わしたギャラハッド。
ギャラハッドは聖杯探索で悪魔に色々妨害受けてた身なのですが、無害というか無力というか、野垂れてるのなら人間だろうが悪魔だろうが天使だろうが「公平に」騎士道を全うするあたりが、本来のギャラハッドなのかと思うと感慨深いですね。前者のギャラハッドとのコントラストが生まれています。
マシュに肩入れした、少し偏りのあるギャラハッド。
悪魔にも手を差し伸べる、公平無垢なギャラハッド。
本人は別人と言いますが、きっと紙一重だと思います。
逆に言えば、紙一枚でその崇高さが崩れてしまう精神性を保ち続ける、彼の人間離れした様相がうかがえますね。
はあ、fateギャラハッドを何年も待った甲斐がありました。
円卓周りのピースが大分埋まった感覚がして幸せです。
「無欲にして無心。清廉潔白の究極」
「ある意味とんでもなく薄情な男が彼なのさ」
「まだ誰も見たことのない騎士の誕生を……」
(劇場版 Fate/Grand Order -神聖円卓領域キャメロット- 後編 Paladin; Agateram 第4弾来場者特典より引用)
今ならこのマーリンの言葉が何を指しているのかハッキリ分かりますね。
もうこの時からこの結末は固まってたのか……おそろしやFGO。
【押し入れの真っ黒さんとかいう完全ファンサ】
カレンと言峰がいる状況でお前お前お前お前
まだいっぱい話したい事あるんですよ~~~~~
ジャンタちゃんの大泣きとかマルタVSアストライアとかヨハンナとかなんかもう色々~~~~~!!!
思い出したらまたなんか書きます。
え?全員生き返る?
………何とかなった暁には、クリプター全員エルメロイ教室で何とかなりません?
教授~まだやってる~?(のれんを上げる)