「心の糧」は、以前ラジオで放送した内容を、朗読を聞きながら文章でお読み頂けるコーナーです。
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坪井木の実さんの朗読で今日のお話が(約5分間)お聞きになれます。
大学2年目を終えた夏に、ワシントンDCでホームレスの人々を支えるためのボランティア活動に加わりました。大きな非営利組織が運営する活動で、8週間その医療クリニックの受付業務を担い、2週間はウエスト・ヴァージニア州の地方で低所得シニア住民のキャンプを手伝いました。文化的にも馴染みのない環境で過ごした夏でした。素晴らしい体験でしたが、ときに知的にまた心情的にも問い直しを受けることがよくありました。
その間、「み摂理の家」という小さな家に三人のシスターと二人の夏季ボランティアとともに住みました。シスターの一人は炊き出しを行うスープ・キッチンを運営して、1人はホスピスの看護士として末期患者さんのお世話をし、他の1人も路上生活の人たちをじかにお世話する奉仕活動に携わっていました。
「み摂理の家」で暮らすのは、医療クリニックで働くのと同じように文化的に馴染みのない体験でした。それでも私たち6人はなんとかこの小さなスペースにうまく収まっていたのです。毎朝ともに集って祈り、晩には食卓を囲み、1日の悲しみ、混乱、また喜びの出来事をオープンに分かちあいました。
この夏の体験を振り返るようになったのは、後になってからですが、今でこそ、それが教会を直に体験する貴重な機会であったと分かります。
使徒パウロはコリントの信徒への第1の手紙で、教会は多くの部分からなる体のようだと記しています(参 12・26)。一部が苦しめば、全体が苦しむ。ある部分が誉められれば、すべてがともに喜ぶのです。
あの夏、辛い場面に遭遇することもありましたが、それでも受付デスクや夕べの食卓から、教会とは何か、また微かな希望の光を垣間見る恵みをいただいたのでした。