母の日なので、私の母と私
の娘の母たる妻を連れて白
竜湖へ。
カフェよがんすで食事。
この入口の看板マークはYGNS
(よがんす)の文字をデフォ
ルメしたデザインだね。
こちらの黒板のメニュー文字
に思わず笑った。
この黒板文字はいわゆるウ
ンドのゲバ字ではないが、
大学のタテカンやビラなど
はこのような読み易い文字
で書くのが鉄則だった。
そして、大学ごと、セクト
ごとに独自フォントを持つ
という抵抗戦線のオリジナ
ルの文化が1960年代末期か
ら1980年代末期~現代まで
続いている。
このメニューも白墨で黒板
に手書きの文字だ。
タテカンなどは、木組みして
1畳ベニヤ数枚を張り付けた
物を1枚と数え、それに模造
紙を糊で貼る。模造紙は真ん
中から外端に伸ばして密着さ
せていく。
文字は平ハケでサッと書く。
白模造紙の上に書くポスター
カラーの文字は、職人技のよ
うに一気に書き上げる。下書
きなどは一切無い。
通常はタテカンは横置き一枚
(数畳)なのだが、気合入れ
の大きな闘争の時には縦置き
6枚抜きなどの超大型タテカン
を作って置いた。
明大などは常に外の駿河台の
歩道際に6枚8枚抜きの超大型
タテカンを掲げていた。青い
人たちが。
ビラは私の時代に謄写版の鉄
筆現行用紙からボールペン原
紙が登場し、さらに3年の頃
に転写印刷が登場した。
東大や筑波大の諸君は私の時
代、学内配布ビラでも最新の
印刷方法を採用していた。私
学のほうが遅れていたが、ボ
ールペン原紙よりも鉄筆原紙
のほうがきっちりとしたゲバ
字が刻めたので私は鉄筆を好
んだ。
それを業界用語でカットと言
う。
なお、謄写版は通常は二人で
印刷するが、パタンパタンと
開いたり閉じたりする間隙に
ローラーをスッを押して転写
する。相方は印刷された紙
(新聞紙のような藁半紙)を
超速で一枚ごとに抜く。ゴム
の指キャップを装着して。
その二人の速度は名人技の餅
つきのような高速度で印刷す
る。
慣れた業師は一人ですべての
謄写版印刷をこなしたりして
いた。
その印刷作業を業界用語で
スットと呼んだ。
カットやスットの作業の事を
業界人はムスケルと呼んでい
た。
技術習得は入学した新一学年
の活動家の基本であるが、権
中核納言などの白い大手さん
たちは学連においてもムスケ
ルをあまりやったりはしなか
ったようだ。大手さんOBたち
の話によると。
私の時代には、大手さんたち
は、クラス入りオルグなどと
いう地道な1960年代スタイル
の活動よりも、学外大衆カン
パニア動員に勢力を注いでい
た模様。
当時を俯瞰するに、むしろ、
ノンセクト(実に多い)やセク
ト常時分裂諸派のほうが旧来
の全共闘方式を踏襲していた
ように思えた。
例のノンアル。添加物無し
のドイツの飲み物。
大和丼(だいわどん)という
のを頼んでみた。
レンコンが主体だがいろいろ
入っているイタリアンリッゾ。
山椒の味がして変わった味な
るも、結構イケた。
5月のパスタは旬と山椒のクリ
ームパスタだそうだ。
こちらもおいしそう。