記事に隠された秘密 囚われの身?でも「何もできない存在じゃない」

若松真平

 視覚に障害がある人も、そうでない人も楽しめるよう工夫されたウェブサイト「thousandsmiles(サウザンスマイルズ)」。

 今年3月、タニタのグループ会社が運営しているそのサイトに、3本の記事がアップされた。

 「真っ暗闇ではなく、想像したカラフルな世界を。目の見えない精神科医が、色鮮やかに紡ぐいま」

 「人生は発想しだい! 福場将太の生きるヒント」

 「福場将太とドラえもん『だから僕は、僕の道に飛び込んだ!』」

 いずれの記事も、「目の見えない精神科医」として著書もある、福場さんへのインタビューだ。

 医学部5年生の時に網膜色素変性症と診断されたことや、視力を失って気づいたこと。

 大好きなドラえもんから学んだことから、生きる上でのヒントまで、計約1万1千字で記されている。

 写真は、インタビュー中の福場さんの様子や、手土産として持参したドラえもんのお菓子などを使用。

 記事の筆者が、福場さんが勤めている北海道美唄市のクリニックを直接訪ねたことが伝わってくる。

 ただし、この記事には筆者の署名がない。

 理由は、この記事に「ある秘密」が隠されているからだ。

 その隠された秘密とは、筆者が遠隔操作ロボット「OriHime(オリヒメ)」を使って取材したこと。

 「パイロット」と呼ばれる操縦者は、富山県の病院に入院中の「ようぽん」こと、松原葉子さんだ。

 幼少期から進行性の難病である筋ジストロフィーとともに生き、2017年に気管切開をして人工呼吸器を装着。

 そんなようぽんさんに代わって、サウザンスマイルズの編集者がオリヒメを手に美唄へ。

 カメラやマイクを搭載したオリヒメを通じて、ようぽんさんが取材した。

 とはいえ、取材先の選定やアポ取り、手土産選び、そしてインタビューから執筆に至るまで、オリヒメを運ぶこと以外は、ほぼようぽんさんが担当した。

 3本目の記事は、こんな言葉で結ばれている。

    ◇

 書籍の最終章に、福場先生の座右の銘でもある言葉があります。

 「運命は変えられなくても、人生なら変えられる」と。

 福場先生のご著書は、進行性の難病とともに生きるわたしにとっても多くを語りかけられました。

 まだまだできることがあるよ、人生はもっと面白くなるよ、と。

 自分の道を見失いそうになるとき、暗闇に一人うずくまってしまうとき、福場先生の書籍を通してやわらかな光がさしこんでいきますように。

 お読みくださったみなさんの心もまた、じんわりあたためられますように、そっと願いつつ。

クリスマスコンサートのリハーサルで

 富山県出身で、横浜にある大学で音楽を専攻していたようぽんさん。

 オルガン奏者としてCD2枚をリリースしている。

 大学卒業後、富山に帰郷したころから歩くことが困難になり、車椅子を使い始めた。

 8年前に肺炎から呼吸不全となって救急搬送され、気管切開をして人工呼吸器を装着。

 その後、「富山県リハビリテーション病院・こども支援センター」に転院した。

 移るにあたって、病院側に二つのお願いをした。

 教会の礼拝に行くための外出許可と、院内にリードオルガンを置かせてもらうことだ。

 許可を得て設置したリードオルガンは、今も毎朝のように演奏している。

 数年前、その音色を聴いた看護師から「クリスマスコンサートをしませんか?」と提案があった。

 快諾して、前日にエントランスホールでリハーサル演奏をしていた時のこと。

 ストレッチャーで運ばれていた患者の1人が「ブラボー」と声を上げた。

 その人は手を動かすことができないため、両ひざをぶつけるようにして「拍手」をしながら、こう言った。

 「生きててよかった」

 その言葉を聞いて「私の方こそ、生きててよかった」と心から思った。

 ささやかであっても、この喜びを抱きしめて生きていけたら、どんなに幸せだろうか。

 この経験があってからは毎朝、聴いてくれる人の存在を感じながら演奏している。

オリヒメの「公認パイロット」になって

 そんなようぽんさんがオリヒメの「公認パイロット」になったのが、22年1月。

 オリヒメを開発したオリィ研究所が運営する「分身ロボットカフェ DAWN ver.β」(東京都中央区)で働き始めた。

 働くといっても直接出勤するわけではなく、富山の病院にいながらオリヒメを遠隔操作して接客する。

 身ぶり手ぶりのモーションをつけながら歌ったり、訪日外国人と英語で会話したり。

 パリで開催されたイベントにオリィ研究所が出展した際は、オリヒメを通じて「オー・シャンゼリゼ」の歌声を届けた。

 オリヒメを「扉」にして、あちこちワープして活動しているような気持ちになる。

 その原動力は、7年を超える入院生活の中での患者仲間との交流だ。

 人工呼吸器を付けていたYさんは「病院の外の世界とつながっているのは、お母さんと電話している時だけ」と話していた。

 37年間入院していたKさんは「このまま病院で人生を終えたくない」と退院し、1年間のひとり暮らしを実現させて生涯を終えた。

 もし、この人たちがオリヒメのパイロットになっていたら、たくさんの人を楽しませることができたし、いろんなつながりができたはずだ。

 「私たちは何もできない存在じゃない」

 自らの活動を通じて闘病中の患者に、医療関係者に、世間の人たちに、そのことを知ってもらいたい。

 ただし、「ようぽんだからできた」とは思ってほしくない。

 誰であっても、どんな状況であっても、テクノロジーの力を借りることで「できない」を変えることができる。

 100%の「できる」にならなくても、パーセンテージを上げることはできる。

 ○か×かの二者択一で考えてしまいがちだけれど、△でもいい。

 まずは可能性に気づいて、一歩を踏み出すきっかけになれば、と思っている。

言葉の奥にあるメッセージ

 ようぽんさんにとっての新たな挑戦が、インタビュー取材だった。

 サウザンスマイルズにインターンとして応募し、まずは課題作文を提出。

 三つのテーマから一つを選んで書く、というもので「自慢話をしてください」を選択した。

 「囚(とら)われの身?にもかかわらず、囚われておらず!」というタイトルで半生をつづると、編集者から連絡があった。

 「課題作文なので記事化は想定していなかったけど、ぜひサイトに載せたい」

 掲載後、編集者とのやりとりの中でインタビュー企画が持ち上がり、福場さんを取材することを提案した。

 これまで何度か取材を受けたことはあるが、インタビューする側になるのは初めて。

 福場さんに会うことは楽しみだったし、実際に取材している時も楽しかった。

 だが、ライターとして記事を書く段階になって「畏怖(いふ)の念」が湧いてきた。

 取材を受けてくれた福場さんや、読んだ人が残念な気持ちになったらどうしよう。

 自分のことを書くのとは違い、他者について発信することの責任を感じた。

 インタビューの録音を聞き返しながら、福場さんの言葉を探した。

 そして言葉の奥にあるメッセージは何なのか、どう表現したらそれが伝わるのか、を考えた。

 福場さんがドラえもんについて語る場面で、印象に残った言葉があった。

 「巻き込まれた冒険だったのが、実は自ら飛び込んでいく冒険に変わる」

 ドラえもんの映画では、のび太たちが元の世界に戻ることができるのに、「放っておけないよ」と冒険を続けるパターンが多く、そこに自らを重ねたという。

 「僕が医学部に進学したのは医者家系だったというところもあるから、自分でというよりは巻き込まれて医学部にいるような気がしていたし、目が見えなくなったのも病気に巻き込まれた感じがしていたんです。が、自分で飛び込んだ冒険に切り替えなきゃいけないなと思って」

 インタビューをした自分も含めて、きっと読んだ人の心に届く言葉だと思った。

 届けたい内容は決まったが、他にもたくさんありすぎて記事を3本に分割。

 編集者と時間をかけて議論しながら、何度も書き直した。

社会とつながり、希望を伝えて

 そうして書いた記事3本すべてが公開された翌日。

 サウザンスマイルズに、こんなタイトルの記事が配信された。

 「遠隔就労の、あたらしいかたち。OriHimeライターによる記事作成の裏側」

 ようぽんさんが書いた記事も含めて配信済みの計11本が、障害がある当事者がオリヒメを遠隔操作して取材・執筆したものだった、と種明かしをする記事だ。

 商品レビューから座談会、インタビュー記事、発表会参加リポートまであることを紹介する記事の中で、ある一文に目がとまった。

 サウザンスマイルズの代表で、美唄に行った編集者でもある須永恵理さんの言葉だ。

 「こうやって補い合いながら仕事ができる時代に生まれたこと、テクノロジーがそれを手助けしてくれたこと、そしてそれを可能にしたのは人であること。どれかひとつ欠けても、この企画は成立しませんでした。この時代だからこそ実現できた取り組みです」

 読み返すうちに、目の前がにじんで見えなくなった。

 1人で取材してしまえば簡単なのに、二人三脚で記事を書かせてくれたこと。

 同じものを見て、同じ話を聞きながらも、それぞれ違う感じ方をして、それを掛け合わせて記事にできたこと。

 「今回の取材は『愛のある分業』だったんだ」と感じた。

 将来、自分は病院を出ることができるかもしれないし、できないかもしれない。

 もしも病院が生涯の拠点になったとしても、自分らしく自分の人生を輝かせたい。

 今いるこの場所から、オリヒメを通じて社会とつながり、希望を伝えていきたい。

 毎朝、思いを込めてリードオルガンを奏でる時と同じように。

 これからもオリヒメに魂を宿し、新たな出会いと発見を重ねていきたい。

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この記事を書いた人
若松真平
編集委員
専門・関心分野
くらし