“放送100年”に問うNHKの戦争責任
今年は1925年に日本でラジオ放送が始まってから100年目の節目にあたり、NHKはキャンペーンに余念がない。NHK放送文化研究所(以下、文研)は毎年「文研フォーラム」を開催しているが、今年のテーマは「放送100年の節目に考えるメディアと社会」であった。※見逃し動画は6月末まで公開。
放送史に見る戦争の歴史
フォーラムの5つのプログラムで特に興味をひかれたのが、「ラジオテキストから読み解く戦前の放送」という“研究発表”である。語学や趣味などのラジオ番組には「番組テキスト」がつきものだが、ラジオの本放送が開始された当時、すでにこの種のテキストが刊行されていたらしい。
100年前に始まった日本の放送。当時の音声がほとんど残っていない中で、内容を知る手がかりになるのはNHK放送博物館に残るラジオ番組のテキストです。文研では、1925年から1943年までのテキストを研究。貴重な資料からわかる放送と人々の生活との関係について、研究発表を行います。
「戦前の放送」と銘打っているが、調査対象は1925年から1943年までのラジオテキストである。いうまでもなくこの時期は “戦前” どころか戦争まっただなかであった。※国立国会図書館「史料にみる日本の近代」の年表を参照
1925年には普通選挙法との抱き合わせで治安維持法が成立した。1931年は満洲事変、1937年に盧溝橋事件(日中戦争)、1939年ドイツがポーランドに進撃して第2次世界大戦がはじまり、1941年には真珠湾攻撃から太平洋戦争が勃発した。
放送100年のうちはじめの約20年間は戦争の歴史と重なり合う。そして今年は治安維持法100年でもある。放送史を語るとき、これらの負の歴史を避けて通ることはできない。
"お国のために” を広めたラジオ
文研フォーラムの当プログラムでは「戦争の時代」のパートで、戦時中のラジオ番組と番組テキストが紹介された。日中戦争が始まった翌年の1938年から放送を開始したラジオ番組『ラジオ時局読本』と同タイトルの番組テキストをもとに、戦時色が強まっていく様子が語られた。
『ラジオ時局読本』には、戦時下で国民が「お国のために」果たすべきことが示されている。たとえば、戦費をねん出するために倹約せよといった具合である。
暮れからお正月にかけての生活刷新、お歳暮や忘年会をどうするかなどについてお話しいたしましたが、これを差し控えて浮いたお金はどうするか。 言うまでもなくお国のために貯蓄していただきたいのです。
当時の放送内容をNHKの畠山智之アナウンサーが再現している。平易な語り口と語られる内容とのギャップに違和感を禁じ得ない。
収録に立ち会ったNHKラジオセンターの広瀬玲氏は、この再現音声を聴いて鳥肌が立ったという。「……やっぱりこういう形で生活の中にするっとこう入ってきて、これを聞いたならば、我慢しなきゃいけないよなっていう気持ちにやっぱりなっていくんだろうなと思いまして」と率直な感想を述べている。アナウンサーの語りによる心理的影響力とラジオの伝播力が人々を戦争へと駆り立てるために使われ、おそらくは存分に効果を発揮したのだ。
戦時下のプロパガンダ、その責任はどこに?
ラジオ放送と番組テキストを通じて、戦時体制下での国策遂行を促すプロパガンダが行なわれていたことを、文研の調査は明らかにした。子ども向けのテキストも『ラジオ少国民』と改称され、戦争一色の内容になっていったという。
そのような “時局に合わせた” 内容を放送し、テキストを作成したのは、他でもない社団法人日本放送協会(NHKの前身)である(注2)。だが、文研フォーラムでも「放送100年」の特設サイト(注3)でも、行為の主体は明確化されず、責任の所在は不透明なままだ。ともすればNHKが被害者であるかのような表現すら見うけられる。以下はフォーラム冒頭の発言である。
戦争とラジオテキストの関わりに注目します。 戦時体制の進展とともに、番組やテキストの内容もそれに合わせたものへと変化していきます。 そして最終的には、多くのテキストは発行停止に追い込まれました。
『ラジオ時局読本』を見ればわかるように、NHKはラジオ放送とテキストを通じて戦時体制に加担した。番組やテキストの内容は「変化していった」のではなく、NHKが「変化させた」のである。
たしかに、戦時下で体制に抗うのはきわめて困難なことだろう。『ラジオ時局読本』についても、資料提供と原稿の監修を内閣情報部が行っていた。いわゆる「検閲」である。
報道機関への統制に関して、文研フォーラムでは詳しく立ち入っていない。だが、NHKアーカイブスのサイトに「NHKラジオ放送史」のコーナーがあり、当時のラジオ放送に対して厳しい統制が敷かれていたことがわかる。
戦争協力は仕方がなかったのだ、という見方がNHKの発信する情報からは透けて見える。今回の文研フォーラムでもそのような印象を受けたし、自己批判がないことに驚いた。NHK総合のドラマを映画化した「劇場版 アナウンサーたちの戦争」が昨年公開されたときに観に行ったが、“葛藤” を情緒的に描くことで責任逃れをしているとしか思えなかった。
NHKは放送100年を高らかに掲げつつ、最初の20年あまりの不都合な歴史を自分事として引き受けようとしない。文研フォーラムや関連のラジオ特番で、戦時下の放送について “検証” らしきものをしているが、それらが中途半端に終わっているのは、自己批判に至っていないからだ。そこには反省が欠けている。
信頼は検証と自己批判の先にある
当局による検閲に対処するため番組の編集がなされたこと、編集作業を通じて報道部員らが政府の方針を内面化していったことを、元NHKディレクターで『ラジオと戦争 放送人たちの「報国」』の著者、大森淳郎氏は指摘する。外部からの圧力に屈して嫌々ながら従っていたというよりは、積極的に協力したと大森氏は見ているのである。
大森氏によれば、新聞社は戦争責任を検証して非を認めてきたが、NHKが自らの戦争責任に正面切って取り組んだことはないという。
新聞社は、敗戦直後にまがりなりにもその紙面で自らの非を認め、その後も自社と戦争との関わり・責任を繰り返し検証してきた。しかし、NHKが自らの戦争責任に真正面から向き合ったことは未だにない。戦後、NHKが四度にわたって公刊してきた放送史は、戦時ラジオ放送にも多くのページを割いてきたが、あくまで通史の一部としてであり、戦争責任の自覚と検証という問題意識で貫かれているわけではない。
戦争責任に関するNHKの受け身で無責任な態度を、大森氏は「仕方がなかった史観」と称し、そこにとどまっている限りは戦時下の経験から学ぶことはできないだろうと述べている。つまり、同じ過ちを再び繰り返すということであって、それは自らの非を認めないことによる当然の帰結である。NHKが同じような不祥事を幾度も起こして懲りることがない背景には、大森氏のいう「仕方がなかった史観」があるのかもしれない。
放送100年の今こそ、戦時下の日本放送協会が行なってきたことを直視する時である。協会が戦時体制に加担し、放送を通じたプロパガンダによって国民を戦争に駆り立てた責任を引き受けるべきなのだ。NHKにとって不都合なその時代を放送史の一部として受け流すのではなく、それ自体として個別に抽出し、改めて検証の光を当てる必要がある。無責任と自己欺瞞の余地を残すことなく、徹底的に行わなければならない。
幸いNHKには放送文化研究所という資料の宝庫があり、人材も豊富なのだから、その気になれば約20年の検証もわけはないだろう。重要なのは、放送を通じて(ウェブでもラジオでもなく、テレビ番組によって)検証結果を明らかにすることともに、自らの戦争責任を公けに示すことである。戦後80年のあいだにそのような検証と自己批判と反省がされなかったことには、失望せざるを得ない。戦争責任をめぐる真摯な議論と反省を抜きにして放送100年を祝うのは、あまりに無責任で無神経な態度である。
「仕方がなかった史観」を乗り越えて戦争責任を引き受けることでしか、NHKが公共放送として社会の信頼を得ることはできない。そうでなければ、同じような局面に置かれたときにまた戦争協力をすると思われるだろう。今までおかしてきた数々の不祥事のように、嘘やごまかしで逃げおおせるものではない。戦時下の放送は多くの人々の命と人生に甚大な影響をもたらしたからだ。
放送100年をたんなるお祭り騒ぎに終わらせてはならない。公共放送にたずさわる人たちはもちろんわたしたち市民も、100年の重みを不都合な事実と悲惨な過去もろとも引き受ける契機とするべきだろう。
(注1)文中の引用部分で特に断り書きのないものは、「文研フォーラム2025」の録音データを引用者が書き起こしたものである。
(注2)1924年に東京放送局が発足し、翌1925年にラジオの本放送が開始された。1926年には東京・大阪・名古屋の3局を解散統合して、「社団法人日本放送協会」が発足した。
(注3)NHK文研の公式サイトでも「放送100年」を特集している。「講座テキストで振り返るラジオの時代」のコーナーでラジオ講座テキストの歴史が紹介されており、デジタル化されたテキスト原文を見ることもできる。
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