マッチポンプと言うコトバがあります。今から四十数年前、某代議士が国会で問題を取り上げては追求し、追求された業界からお金を貰うと、今度はその火消しに廻るをしていました。当時は有名な事件です。そこから、自分がマッチで火を着けて、火が大きくなると、自分で消すことからその代議士をマッチポンプと称しました。
このマッチポンプは、その代議士だけでなく、霊的世界ではかなり行われていることから、そうした行為を霊界マッチポンプと言うようになりました。ところがそれを意外と知らない人が多くて、悪徳霊能者やヒーラーと称する者の餌食になってしまうのです。すべての霊能者やヒーラーさんのことではありませんが、そうした人も居るということです。
それを著本で世間に知らされたのは、今はワールドメイトを主宰されている深見東州師ではなかったかと記憶しています。
私は非常に優れた霊能者2人の方を師匠として学ばさせてもらい、その意味では非常に恵まれました。ただ、2番目の師匠は希なる霊能力というよも神通力を持たれながら、その行動に問題があって、反面教師としてさせていただきました。
しかし、2人の師匠ともお金には綺麗な方でした。謝礼は常にお気持ちです。それでありながら医師が見放した方の命を救われたこともあります。それに対して、特別にお金を要求されませんでした。
最初の師匠は伏見稲荷講だったので、300名の講員さんがあり、日々の相談者も多くありましたし、神社の神主としてお祭りもあったので食べることには困っておられませんでしたが、2番目の師匠と来たら貧乏生活そのものでした。だからと言って、金儲けをする神業は嫌われたのです。
しかし、今はそうした方は数少なくなりました。何かと言えば金持って来いの方が増えたようです。ひどい方だと、何百万円持って来いないと助けないです。正神界の神はお金を要求されません。だとすれば、そうした金儲け主義の霊能者やヒーラーの方は正神界の神に仕えているのか?。それとも、それ以外の存在に仕えておられるのか?。
心ある霊能者の方は、お金儲けよりも、この人を助けたいと思う気持ちで動かれるものです。ただ、最初はそうした方であっても地位や名声を得ると、金持ちだけを相手にする方があります。無名時の純粋な心も地位や名誉や金で犯されてしまのうのです。その純粋な心を犯す金で象徴されるものは何かと言えば、それは明白なのです。
自分では正神界の神に仕えていたのに、いつのまにかそれが邪(蛇)神に切り替わっている。それを本人が気がつかないがあるのです。
2番目の師匠の元に居る時、霊界のマッチポンプの話を聞きました。あくどい霊能者は、霊障害で相談に来られた方の霊障を取っておいて、それでお金をいただいて、お帰りになる時には別の霊障になる存在を着けてしまうです。
すると、その方は前回行って良くなったので、またお世話になりたいとやって来る。そうやっては、金の成る木の相談者を何時までも引きつけおくです。これを霊界マッチポンプと言うのです。自分で火を着けては消すのです。
最初の師匠は仮にも豊受様の御代を勤めるほどの方でしたので、こうしてあげたから、ああしてあげたからお礼を出せと言う話は一度もありませんでした。為に霊的世界でそんなことが行われている事実があることすら、私は知ることもありませんでした。
霊障と呼ばれるものの多くは蛇霊によるものが多いのです。蛇霊と呼ばれるのは、その人を恨んだりその家系の御先祖を恨んだりしている霊が、恨みからその姿が蛇化するものがあるのです。蛇霊と言えば、この世での権力とか金に対する執着とか恨みとか色情が原因と言われる様に、そうした心の在り方がその霊を蛇霊化させるのです。
ある方の蛇霊による霊障は、その方の御先祖が自分が住み込みで使っていた下働きの大工が現場から墜ちて怪我をしたところ、寝かせているだけで医者にも診せず、働かないのだからと食事も与えずに死なせてしまった。その男性霊が恨みから蛇霊化してその子孫に祟っていた例があります。
そうした蛇霊そのものは小さいので、悪徳霊能者の元に行くと、浄霊させるのではなくて、霊能者の元に居る大きな蛇霊で引き離すのです。浄霊されない蛇霊は残っていますので、大ボスの蛇霊が相談に来た人の中でその蛇霊をつけてしまう。
【蛇】の字を分解すると、虫と它に分けられます。この「它」は仏陀の陀にも使われますが、舵の「它」と理解してください。舵が真っ直ぐに取れずに、蛇行するの意味なのです。真っ直ぐとは、魂の心棒である良心神を真柱とすることです。それを無視(虫)した存在が「蛇」なのです。
ですから、悔い改めなさいなのです。悔い改めたならば、貴方の腐った杭(棒)を改めて、良心神という魂の心棒を神は取り替えて差し上げるなのです。
良心の力が強いと、蛇(邪)は引き。良心の力が弱いと、蛇(邪)は強くなるのです。これが舵の意味の「蛇」だと知るのには、蛇神が改心すると現実界の蛇が棒の様に直立する現象を理解していれば解ることです。旧約聖書において、モーゼとエジプトの神官がどちらのコブラが棒の様になるか投げ合いをする表現がありますが、単に聖書を見ていても蛇が棒になる意味が解らないのです。このようにコトバは私達にキチンと教えて来るのです。
サニワで蛇霊神と問答していると、助けてくれと言うから助けてやった。それでお礼に御神酒を貰った。それのどこが悪いと言います。
こちら側からは、お医者に行ってもお金はかかります。助けて上げて、お礼に御神酒をもらわれたことに何の問題もありません。問題はあなたが蛇の身に化していることに対して、どう思っておられるのですか?。悔い改めて、蛇の身から脱脚しょうとは思われないのですか?。
だが、言うことは聞いてくれません。悔い改めて真面目に生きるよりも、面白く楽しくその時を生きればいいのだ。
スピリチュアルの世界で、辛い魂磨きは止めましょう。自分達はこの世を面白く楽しく生きればいいのだと、ブログなどで書き込んでおられる方がおられます。その方の背後に誰が居るか?。もう、サニワをする必要すらないのです。
良心神の教えは、その人に蛇(邪)が強い時は聞こうともしません。必ず反発します。そこが蛇(邪)霊が喜んで受け入れる愛の教えとの違いです。
これは本人に【巳(蛇)帰る】のミカエルの働きがないと、かなり難しいのです。最後の審判には【巳(蛇)帰る】が言われています。【巳(蛇)帰る】でないと、良心神の点数が上がらないからです。また、良心神の意味を理解するのは困難なのです。良心など単に良い心のことだと思ってていると、学ぶ必要は無いとなるのです。
聖書、エデンの園を蛇と追われた人類。【巳(蛇)帰る】に達したならば、エデンの園に戻るのです。イエス一人を神の子と信じたならば、解決する問題ではないのです。
信徒何十万人を持つ某教団に行くと、その教団の数カ所の教会の教師が御先祖様が蛇を殺しておられるので、その蛇霊の祟りですと言ってくれました。確かに、霊障の多くは蛇霊によることが多いのです。しかし、それ以外に何かマニュアルはないのか?。そうも言いたくもなります。
新興宗教の中には、その宗教に入信すると蛇霊をつけてくれる教団があります。そうなると、その教団がしていて世間に広く知られている悪事でも、その教団の信徒は見ざる。聞かざる。言わざるで知らぬ顔の半兵衛になります。
教祖を仏陀の再来とかキリストの再来と言い、絶対信仰に入ります。一人一人の個人の信徒さんは世間的には良い人かも知れませんが、蛇霊による良心神の働きが失せるのです。為に、犯罪を犯罪と認識しなくなります。
アセンションには最後の審判が伴う。
何故ならば、高次元界には悪のままでは進めないからです。
あなたの【巳(蛇)帰る】は?。
神(示申)は、言葉で示し申す。
人は、言葉を仰ぎ見るが信仰。
にほんブログ村この内容がよければ、応援のクリックをお願いします。