【地獄の沙汰も金しだい】というコトバがあります。ある方が、閻魔様は賄賂しだいでどうにもなることだと言っているので吹き出したことがあります。
しかし、辞書を調べると地獄の沙汰も金しだいが「地獄の裁判も金の力で有利になる。この世はすべて金の力で左右されるというたとえ。」となっているのです。これではコトバの意味を間違えます。辞書が出典の意味を間違えているのです。
この地獄の沙汰も金しだいの元となる話をしますと、あるところの山寺に、麓で多くの使用人を使う長者様が亡くなられたので、そのお葬式をお願いしますと依頼が来たのです。それで、和尚が葬儀の準備していると、その和尚に見えて来たのは、その長者が地獄に墜ちていく光景です。
このままでは長者さんの霊は地獄に墜ちてしまうと、直ぐに小僧を長者の屋敷に走らせて、長者さんの全財産を村人に分けなさい。そうしないと長者さんの霊は地獄界に墜ちますよと知らせたのです。
長者の遺族は、地獄に墜ちるのでは大変だと、直ぐにその財を村人達に分けた。その結果によって、地獄行きの沙汰が変更になったが原話なのです。ここから地獄の沙汰も金しだいとなったのです。
その原話を読めば、辞書が言っている内容は意味を間違えていると解るはずです。庶民の小金のことではなくて、大金持ちに対して余りある財を捨てなさいと説いているのです。死んであの世にこの世の財は持って行けないのです。
誰でも解る様に額に汗して働いても、さほど貯まりまりません。大金を得るということは、その陰で人を泣かせたりしています。振り込め詐欺でも、本人達は大儲けしても、その後ろには家族の事を思った年寄りが騙されてなけなしの金をむしり取られて泣いていたりします。
あの世に持って行く財は、この世で多くの人の為に尽くした功績です。「徳」と呼ばれるものです。お世根(米)の行為です。
発明とか立派な業績でなくても、自分よりも弱い人には手を差し伸べる。自分のことよりも社会や地域の為に汗を流す。それで、神は充分だと言われるのです。
良心神の存在を知らずとも、世の人、社会に愛善の行為を積めば、それは良心神の点数にはね返っているのです。
良心神とは【閻魔帳】であり、皆さんがこの世でした行為は全て記録してあるのです。ですから、閻魔帳の裁きに間違いはないのです。
イエスは、金持ちが天国に行くのは、駱駝が針の穴を通るより難しいと説きました。そして、幸いなるかな貧乏人と残しました。
誰も貧乏人で幸いなどとは思えませんが、コトバを見れば不思議なことが解ります。貧乏の貧は財(貝)を分けたで、貧乏人の意味は財を分けて乏しくなった者。神はコトバなりき。漢字を見るならば、奇しくもイエスの教えと【地獄の沙汰も金しだい】が同じ意味合いだと解るでしょう。
なお、この【地獄の沙汰も金しだい】のルーツとなる話があるのです。それはお釈迦様の逸話。【蛇になった長者】です。私がこの「蛇になった長者」の話を持ち出すと、皆さん知らないとおつしゃいます。私はそれを知った時、たいへんな衝撃を受けました。それでは、蛇霊の意味を理解出来ないのです。仏教仏教と言いながら、そんな話も知っておられないことに驚きを持ったのです。
日本の狂言に、「成った。成った。当家の長者はジャになった」があります。これはお釈迦様の説話、蛇に成った長者の話のチョウジャのジャと蛇のジャが掛け合わせてあるのです。何の意味かと考えれば、お釈迦様の逸話。「蛇に成った長者」の話に行き着きます。
私がそうした話をいくらしても、解ろうとする方はまずありません。それでは蛇神の教えに引っかかってしまうのです。
では、【蛇になった長者】の話。
お釈迦様は弟子達にある話をされた。一人の若い修業僧が旅をしていると、一匹の蛇霊が現れて、自分は生前は長者の身であった。だがこの世を去って、蛇の身となった。今は悔いているが、何故に蛇の身になるのかが解るのが遅かった。どうか私が残した財を世の為に使って欲しいと頼み込んだ。そこで、若い修行僧は承諾をした。だが、忙しさにその蛇の頼みをすっかり忘れていた。
すると、その蛇霊が現れて、あなたは私が蛇の身だからと言って軽んじて、私が社会の為に使って欲しいと頼んだことを忘れられたのですかと聞いて来た。それで、その若い修業僧は、蛇の頼みと軽んじていた自分をおおいに恥じた。
そして、お釈迦様は話を結ばれた。その若い修行僧とは、私の前世の出来事であると。そんな話の内容です。
蛇に成った長者と、地獄の沙汰も金しだいで助かった長者との差は、どこにあるのでしょうか?。地獄の沙汰も金しだいの長者の場合は、未だ葬儀の前で、その魂は霊界に渡っていないのです。閻魔の裁きは本人がキチンと霊界に渡ってからなので間に合ったのです。
今の世は解ろうとしない人ばかり。自分磨きをせずに、安易な教えにすがりつく。
この世は魂の修業場、自分の魂を落とすか、上の世界に行くかは自分の魂の磨きの結果。
神より授けられた魂は永遠性のものならば、あなたの辛い人生が、あなたの魂を磨いて来た。神(十)として立たせる為に。辛いに隠される教え。
神はコトバなりき。
この日本の国に常に立つ御言(ミコト)は、国常立尊様。日本の国祖神と言う。
またの名を、閻魔大王と申し上げる。
鬼と呼ばれて、鬼は外と節分の炒り豆をぶつけられるのは閻魔庁の番卒達。
その節分の炒り豆にも花が咲く時が近づけり。
鬼と云う「魂」に、円真(閻魔)の花が咲く。
ああ、カンナガラ カンナガラ。
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