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良心神の天敵は蛇霊

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    旧約聖書には、エデンの園から人類の祖とされるアダムとイヴは蛇の唆しで、神から食してはならないと命じられた禁断の果実を食して、蛇もろともに追放されたとあります。
    キリスト教では、これを人類の原罪として、イエス一人を神の子と信じればその原罪から許されるとしました。
    ならば実に簡単な教えです。イエスさえ拝していれば、何の意味か解らなくてもいいことになってしまいます。
    為か、キリスト教ではこの話を重要視しますが、ユダヤ教はイエスをメシアとは認めていませんので、この話には拘っていないようです。また、イスラム教も旧約聖書とコーランですが、この話がどうのこうのは聞きません。
    そして私達日本人は仏教や神道ですが、こうした話は存在しません。逆に日本や東洋では蛇は神として崇められているのです。

    この禁断の果実とは、善悪の知識の樹の果実と言われています。善悪を知る知識とは何なのでしょうか?。
    人の善悪を判断しているのは、良心と呼ばれる知識なのです。蛇は、その果実を食べると神の様になれると、唆したわけです。
    一般的にはリンゴと思われていましたが、これが誤訳でリンゴとなってしまったようです。誰もリンゴを食べて、どうしてこれが禁断の果実?となります。
    良心を得ると、イブがイチジクの葉に性器を隠したように、恥ずかしいと知る知識が起きます。逆に言えば、良心が無い者は何をしても恥ずかしいとは思わないわけです。

    例えば、幼児に善悪を判断する能力はほとんどありません。公園の水場で多くの人がいても裸で恥ずかしいとも思わないわけです。これと同様のことがエンジェル呼ばれる存在にも言えます。恥ずかしいなど知りません。すなわち、善悪を知る知識を得ていないのです。
    私はそうしたエンジェルは泥水とか苦を知らない為に、いざという時には役に立たない存在と言います。善悪を知り抜いた上で、愛善を行使しないと本物とは言えないのです。
    だとすれば、蛇の意味も違うことに気づけるはずです。物語を単純に読むのか、それともそこに隠された意味を探るかでは、答えはまったく違って来るのものなのです。

    例えば、ルシファーがサタンという話も、今では誤訳から来たと解っています。ところが、今でもルシファーがサンタだと誤った誤訳をそのまま引きずって、多くの信徒を集めてそうした話をされている教祖の方がおられます。
    しかも、それを霊視で見たと言うのですから、誤訳された存在がどうして霊視すればサンタとして現れるのか?。私にはさっぱり解りません。

    日本では神を「柱」と言います。私達の魂の中の天の分魂である直霊は、単なる玉ではありません。魂は円球なので、当然に心棒と呼ばれる魂の中心点を通る柱(棒)が存在して来るのです。これを「真柱」と言うのです。
    地球にも地軸と呼ばれる軸棒がありますが、科学で見えるものではありません。それと同様に、人間の肉体をいくら解剖しても魂の存在は解りません。まして、魂の中の心棒など、如何に科学が発達しようが科学で見えるものではありません。

    私が良心神に気付いた一つに、2番目の師匠の元で精神的に正邪の判定があまり出来ない方がおられまして、その方に蛇霊がついていることが判明し、その蛇霊外しのサニワをしていた時のことです。
    その方を見ていると、棒に絡まっている蛇が見えて来たのです。?と見ていると、その棒が光り出して米型の八方向に光を放つと、その蛇が逃げて行ったのです。この棒は何だろう?。私は思考を続けました。
    人は良心と言われたならば、単に良い心のことだと思うでしょう。私は神と言っています。単なる良い心のことではないのです。魂の球の中央を通る心棒という神の柱(棒)のことを「良心」神と言っているのです。

    人に内在する良心神(天之御中主たる心棒)に蛇が絡みつくと、人は良心神の働きを失ってしまうのです。
    天之御中主様を真柱神と言います。ですから、私達の魂の中にも天之御中主様の分魂である「真柱」神を立てられることが出来るのです。御中主の意味に気がついてください。
    こうしたことは私のホームページに全て記載していますので、ブログのリンクから入り、解説図を見ていただければ解る様にしてあります。

    さて、蛇が何であるかなのです。イエスはその弟子達に蛇のように賢くあれと説きました。蛇は、一面では人に降りた知恵の働きなのです。エジプト神話のラーの頭上に蛇の絵があります。知恵だからです。
    それが旧約聖書では、人類と一緒に追放となります。私達人間が神と同様と言われる意味は、神のような知識を得たことなのです。私達はその知恵のおかげで、動物と違った進化を遂げて来たのです。神の世界から、蛇(へび)と一緒に降りて来る必要があったのです。
    その代わりに、私達は善悪を判断する能力が問われるのです。それに対して責任が生じたのです。
    自分は「己」です。蛇は「巳」です。己(おのれ)と巳(み)。「み」の言葉の意味は「身」にもつながります。
    しかし、知恵という存在は、正邪の判定をしないのです。例えば、悪人の中には悪知恵で頭が回ると形容されるように、凄い悪知恵を出す方があります。詐欺師にかかれば、コトバ巧みに騙されてしまいます。そうした悪知恵を防止するのが、良心神の働きなのです。
    で、魂の心棒である良心神に蛇が巻き付くと、人の良心はその働きを止めてしまうのです。
    この蛇(巳)を帰らせることを【巳帰る】と言うのです。最後の審判でミカエルは蛇の尾を踏むと言われていますが、蛇の尾を踏めば、蛇はびっくりして飛んで逃げて行くでしょう。巳帰る。

    私が子供の頃に臨まれた声は、私は旧約聖書の神で有る。私の書は旧約聖書ではあるが、旧約聖書は秘め書であり暗号のようなもので、そのままに読むと意味が解らなくなる。
    この日本は私の教えが満ち溢れた世界で唯ひとつの国であり、私の教えを知るには外国の書(聖書も含む)を必要とはしないと告げられたのです。
    私はそれが本当に旧約聖書の神であったのかは判断が出来ません。
    しかし、日本は言霊のさちはふ国。日本に満ちあふれているのは、ことだま。言葉の仕組みです。
    そのコトバの仕組みで判断しています。

    大本教神諭には、この仕組みに三千年かかったとあります。
    日本という国、日本語を考えれば3000年ぐらいかも知れません。

    神はコトバなりき。

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