私が神霊の世界に修行に飛び込んで、かれこれ30数年になります。その間にはいろんな体験を積んで来ました。
そうした修行の中で、おかしなことに気付いたのです。それは、神々には良心が無いでした。神々に愛はあるが、良心が無いのです。
神と呼ばれる存在は、良心が無い存在なのか?。
私は神は誠と正義の権化と思っていたので、その謎に悩みに悩みました。
この謎を解き明かさせたのは、大本教神諭予告、九つ花に咲く一輪の言霊の経綸でした。
この九つ花そのものは、みろく(369)で告げる「ラ」神論なのですが、神に当てはめると天之御中主様になります。この369(みろく)の仕組みだけでは「ラ」神論から一歩も抜けられません。
これは、大本教が出した「艮(ウシトラ)」金神に、「牛虎」もあるぞよで意味が解りました。牛虎とは魂のことなのです。
日本神道の一霊四魂説では、この一霊(直霊)は天帝の分魂で、肉体の死と同時に天に帰還するが、直霊が帰還した後の魂に残るのは四魂のみとされているのです。
すなわち、神々の魂の中には四魂はあっても直霊(天之御中主)が存在しないので、どの神様も愛の方であっても、良心(直霊)神が存在しないのです。
だが、それだけではラ神論と良心神は結びつきません。
大本教の出口王仁三郎聖師が出された〇の中に小さな黒丸の記号は、漢和辞典を調べますと「良」の源字となるものなのです。「ス」神ではなかったのです。
また、大本教神諭、この神はこの世の閻魔として現れる。この世の閻魔とは、良心のことです。
私が良心神を説きだしたのは、かれこれ20数年前になります。当時は大本教を相手に綾部の町に新聞に全戸配布の解説文を10回にも渡り配布しました。
それに対して大本教さんも宣伝使が同様に新聞の無料の全戸配布紙で、大本教神諭の「いろは47士」でやっけてやると返して来たものです。いろはの47士では、良心神は出せないのです。
が、私は一介のサラリーマンで一回の発行に17万円前後もかかり、お金が飛んで行きますので10回で終えました。
インターネットの時代になり、ホームページで神言会を立ち上げると同時に、ヤフーの東洋哲学輪廻転生の板で、良心神を説いておりました。
その時のハンドルネームは「てんてん」で、その名であの方かと思われる方があるかも知れません。
だが、板は霊界否定論者のアラシの場となって、撤退したしだいです。
自分に神や天使が臨むと言う人達が、神は愛だ!。光だ!と言っていても、良心神を言われないのは、他の存在から教えられているからです。外在神と呼ばれるものです。外在神では愛とか光になってしまいます。
愛は動物にも存在しており、動物神でも愛は言います。光は、火借りで火を借りていることで、神は光だけでは正神とか邪神すら判定が出来ません。邪神が見せる光に騙されている方も多々あります。
瞬間の光は、このプログにも書きました霊界の太陽の光とは違います。
GLAの主宰者である高橋信次師は一霊四魂の直霊が良心を意味する神の働きだまでは説かれました。が、良心神と断定出来なかったのは、成長の家の流れでも成長の家の谷口雅春開祖は綾部の大本教で学ばれた方でして、当然に大本教は学ばれたのでしょうが大本教神諭予告の九つ花の解読が出来なかったからなのでしょう。
大本教神諭予告九つ花は、大本教において出口なお開祖派とされる神道天行居の友清歓真さんに、ある神が九つ花を教えられて発表されたものなのです。そこに、「ラ」神論と天の真柱神・天之御中主様の存在が出されました。しかし、ラ神論だけで、ラ神論が良心神論には結びつかなかったわけです。
私は曹洞宗が発行した小冊に、お釈迦様の悟りは慈愛とかではなく、人には良心と呼ばれる神が内在していると説かれたのであると書かれた文章を見た時、小躍りしました。
どうして、369(みろく)の仕組みが良心神になっているのか?。それは、神が仕組んで来られたからだと理解出来たからです。
こんなこと、人間の手では出来ないことだからです。
しかし、ほとんどの仏典が慈愛としている中で、良心神だったと残っていたものもあったのだと驚きました。
私はそれらから天帝の存在を見たではなくて、コトバの仕組みで天帝の存在を信じる者です
人に内在する良心神、それは天帝からの教えなのです。
良心神の存在が解き明かされるまでには、多くの先駆者がおられたわけです。
まず、先駆者さん達に敬意をはらいたいと思います。
神はコトバなりき。

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そうした修行の中で、おかしなことに気付いたのです。それは、神々には良心が無いでした。神々に愛はあるが、良心が無いのです。
神と呼ばれる存在は、良心が無い存在なのか?。
私は神は誠と正義の権化と思っていたので、その謎に悩みに悩みました。
この謎を解き明かさせたのは、大本教神諭予告、九つ花に咲く一輪の言霊の経綸でした。
この九つ花そのものは、みろく(369)で告げる「ラ」神論なのですが、神に当てはめると天之御中主様になります。この369(みろく)の仕組みだけでは「ラ」神論から一歩も抜けられません。
これは、大本教が出した「艮(ウシトラ)」金神に、「牛虎」もあるぞよで意味が解りました。牛虎とは魂のことなのです。
日本神道の一霊四魂説では、この一霊(直霊)は天帝の分魂で、肉体の死と同時に天に帰還するが、直霊が帰還した後の魂に残るのは四魂のみとされているのです。
すなわち、神々の魂の中には四魂はあっても直霊(天之御中主)が存在しないので、どの神様も愛の方であっても、良心(直霊)神が存在しないのです。
だが、それだけではラ神論と良心神は結びつきません。
大本教の出口王仁三郎聖師が出された〇の中に小さな黒丸の記号は、漢和辞典を調べますと「良」の源字となるものなのです。「ス」神ではなかったのです。
また、大本教神諭、この神はこの世の閻魔として現れる。この世の閻魔とは、良心のことです。
私が良心神を説きだしたのは、かれこれ20数年前になります。当時は大本教を相手に綾部の町に新聞に全戸配布の解説文を10回にも渡り配布しました。
それに対して大本教さんも宣伝使が同様に新聞の無料の全戸配布紙で、大本教神諭の「いろは47士」でやっけてやると返して来たものです。いろはの47士では、良心神は出せないのです。
が、私は一介のサラリーマンで一回の発行に17万円前後もかかり、お金が飛んで行きますので10回で終えました。
インターネットの時代になり、ホームページで神言会を立ち上げると同時に、ヤフーの東洋哲学輪廻転生の板で、良心神を説いておりました。
その時のハンドルネームは「てんてん」で、その名であの方かと思われる方があるかも知れません。
だが、板は霊界否定論者のアラシの場となって、撤退したしだいです。
自分に神や天使が臨むと言う人達が、神は愛だ!。光だ!と言っていても、良心神を言われないのは、他の存在から教えられているからです。外在神と呼ばれるものです。外在神では愛とか光になってしまいます。
愛は動物にも存在しており、動物神でも愛は言います。光は、火借りで火を借りていることで、神は光だけでは正神とか邪神すら判定が出来ません。邪神が見せる光に騙されている方も多々あります。
瞬間の光は、このプログにも書きました霊界の太陽の光とは違います。
GLAの主宰者である高橋信次師は一霊四魂の直霊が良心を意味する神の働きだまでは説かれました。が、良心神と断定出来なかったのは、成長の家の流れでも成長の家の谷口雅春開祖は綾部の大本教で学ばれた方でして、当然に大本教は学ばれたのでしょうが大本教神諭予告の九つ花の解読が出来なかったからなのでしょう。
大本教神諭予告九つ花は、大本教において出口なお開祖派とされる神道天行居の友清歓真さんに、ある神が九つ花を教えられて発表されたものなのです。そこに、「ラ」神論と天の真柱神・天之御中主様の存在が出されました。しかし、ラ神論だけで、ラ神論が良心神論には結びつかなかったわけです。
私は曹洞宗が発行した小冊に、お釈迦様の悟りは慈愛とかではなく、人には良心と呼ばれる神が内在していると説かれたのであると書かれた文章を見た時、小躍りしました。
どうして、369(みろく)の仕組みが良心神になっているのか?。それは、神が仕組んで来られたからだと理解出来たからです。
こんなこと、人間の手では出来ないことだからです。
しかし、ほとんどの仏典が慈愛としている中で、良心神だったと残っていたものもあったのだと驚きました。
私はそれらから天帝の存在を見たではなくて、コトバの仕組みで天帝の存在を信じる者です
人に内在する良心神、それは天帝からの教えなのです。
良心神の存在が解き明かされるまでには、多くの先駆者がおられたわけです。
まず、先駆者さん達に敬意をはらいたいと思います。
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