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信じる者は儲かる

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    信じる者と書いて儲(信・者)かると言います。儲かるの字を見れば一目瞭然です。今日まで、誰もコトバがこの様な不思議を伝えているのか、考えようともしなかったのです。ただ、安易に生きて来たのです。

    だが、そうした話をすると、霊界否定論者から猛反発を受けます。神は信じる信じないで人を差別するのか。神は人間を差別する存在かと。
    おかしな話です。神など存在しない霊界など無いと主張しておいて、こうした話をするとムキになって喰ってかかって来られます。
    神など居ない。霊など無い。人は死ねば終わりだと主張されているのであれば、信じる者が儲かろうと儲かるまいと関係がない話です。

    では、こうした霊界否定論者はどうなっているのか?。実は簡単な話です。人は霊止と書いて、「ヒト」と言います。霊(ひ)止(と)なのです。霊を止めている肉体がヒトなのです。こんなことは日本神道を学ぶ者ならば常識です。

    霊界否定論者は、御本人は神など居ない.霊界など無いと主張されていますが、霊止(ひと)である以上、その人に幾体かの霊が取り憑いています。
    この取り憑いている霊は生前、神など居ない。霊界など無い。人は死ねば終わりだと思っていた者達なのです。で、肉体の死をもって霊となっても、自分が住んでいる世界が霊界で在ることすら認識していないのです。
    魂とは玉思惟であって、意識体なのです。ですから、人の身で有った時に、死後の世界は無いと意識していますと、死後の世界でもその観念を持ち続けていることになります。
    こうした霊は本当の霊界に進まず、この世の人間に懸かって、神など無い。死後の世界など無いという意識を植え付けて来るのです。

    私の住む土地は、大正九年に大本教信者であった方が、大本教の出口王仁三郎聖師がその方に教団に内密で、その土地を死守して欲しいと頼まれてそこに家を建てられた。
    だが、時は流れて子孫の代でお金に困って前の庭を売られた。そこに一軒の家が建った。そんな経緯も知らず、元の古い家を私の母親が買って住みました。

    その前の家の住人の方、私達が他に引っ越しすると、勝手に境界の敷地一杯まで増築して、私の母が持つ土地に接する裏口をつくり、ゴミを掃き出して来る。人の敷地を勝手に使う。私の土地内の境界のブロックの上に傘ブロックを積み、真ん中が土地の境界だと言い出す。

    この土地は神界の最重要地なので、豊受様から戻れとの命令で古家を取り毀して新築したところ、狭い土地なので私の車に勝手に増築した裏口のドアを開けて車にぶつけて来る。
    だが、こうした被害は私だけでなく、近所の柿を勝手にぼって、家人から注意されると持っているステッキで叩き、文句が有るなら警察に言え。だが、警察は相手にしないぞ。自分は警察関係者だと威嚇する。警察官では無かったのですが関係者です。

    私も困って豊受神様に相談したところ、あの者はあの土地を取ろうとする。土地を取られるではないぞで終わり。
    神様は頼りになるのかならないのか?。

    ある時、この男の魂が見えました。丸いのは丸いのですがその表面はしわしわ。表面は残っているのですが、中味が腐ってしまっていたのです。ある霊能者が見たところ、ミミズの姿。この男、死後はミミズの世界だ。
    腐った魂だから、どうでもいいと見ていました。

    だが、そんな男でも感心することがありました。朝な夕なに30分間ほど観音経を上げているのです。これには感心しました。

    その人が死んで、その後を連れ合いの奥さんが追うように亡くなって3年ほど後、私の前にその夫婦が立ち、私に向かって深々と頭を下げて来ました。
    ありがとうございました。この度、許されて本当の霊界に旅立つことになりました。救っていただきまして、ありがとうございますと言われる。

    私はこの人を助けた覚えがないので、私では無く。貴男が熱心に観音様を信仰されていたから、観音様が慈悲で救われたのですと答えて、本当の霊界に旅立つ夫婦を見送ったことがあります。

    腐った魂ですら助けられた観音様。信じる者は儲かるの話なのです。
    神仏の世界を見聞して来た者にとっては、こうした事例話はいくらでもあります。
    現世御利益で無くて、死後の世界での儲けなのです。

    悪党でも、神仏の存在を信じて参っている者には、不思議な助けが入ります。一方、いくら善人でも無神論者では一見すると天国の様な世界に進めても、それは本当の天国界ではないのです。

    本当の天国界に進むには、神仏の存在を信じる信仰心と愛善の行いが必要なのです。
    神を信じるは、宗教団体に所属することではありません。別に特定の宗教宗派に所属する必要はないのです。無宗派でもかまわないのです。
    何故ならば、人は生きている間は天帝の分魂を持っているからです。自己の中に、この世の閻魔(良心神)が居るからです。
    葬式の時の僧侶の御経だけでは、極楽浄土には行けません。

    宗教戦争は宗教家と呼ばれる人達が、教義(競技)を競っているのです。俺の方の教えが上だと。だが、どの宗教も人に内在する良心神(この世の閻魔)が解ってはおられなかったのです。

    だが、誰が信じる者は儲かるの言葉にしたのか?。
    そこには言霊神と呼ばれる存在が在るのです。

    神はコトバなりき。

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