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唯物主義と唯心主義 カンナガラ タマチハエマセ

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唯物主義と、その真逆である唯心主義が言われます。

唯物主義とは、物質のみが「真」の存在であるとする主義です。
従って物質とは別に独立した霊魂とか精神とか意識の存在を認めません。
当然にそこには神とか仏と呼ばれる存在もなく、人は死ねば終わりの考え方です。

意識は物質である脳髄の反映であり、霊視などはしょせん脳内産物の幻影とするわけです。
霊能者と呼ばれる者は、脳内で幻影を見て、まるでそれがあたかもある様な世界観を言うインチキ主義者と断定するわけです。
ですから、霊の話をするとそうした唯物主義者から攻撃を受けます。
もし、本当に神や霊が居るのならば、それを科学的に証明しろです。
唯物主義とは科学的説明の産物ですが、唯心主義は物質でない存在を語っているので科学的証明はあり得ないのです。
ですから、唯物主義と正反対の唯心主義があると、どちらも認識する必要があります。そうでないと、不毛の論議をしてしまいます。

見えない世界を見る人を一般的に霊感者・霊能者と言っています。
霊能者として看板を上げている方は、単なる霊感者を越えた存在です。
しかし、霊能者と呼ばれる人が言うことは100パーセントではありません。トップクラスの方で正解率は75パーセント前後と言われています。
で、当たらないから嘘だと決めつけてしまうのも早計です。

日本の神社の御祭神と呼ばれる存在をして、自分たち神をしても見通すことが出来ない世界が存在していると語られています。
霊能者がコンタクトする神と呼ばれる存在ですら、見通せない世界から来ることは、全ては解らないのです。
為に、神と呼ばれている方をして、自分たちが言うことも外してしまうと言われます。
高度の魂を持っている方に対する予言・予知的なことは神霊段階をしても、ことごとく外してしまうものなのです。

それは、神と呼ばれる方よりも、更に高次元世界が在ることになります。
すなわち、創造神と呼ばれる様な神の存在は、口に出して語れるような神ではないことになります。
私達の魂はそうした霊界を輪廻転生しながら旅をしているのであって、唯物主義に囚われてしまうことは感心できないとなります。

唯物主義に対して、唯心主義とは一切の存在は心(意識)が変現して現れたので有り、心が(意識とか精神とか魂を含む)が唯一の実在であるとする主義です。
お釈迦様の教えに形あるものは(物質)は必ず消滅するが、形のないもの(心)は消滅しないがあります。
魂は玉型の思惟であり思考で意識の総体です。ですから、物質的形がある肉体の消滅で消えるものではありません。
しかしながら、現在の宗教家は神仏を説いていても、唯物主義者になっておられる方が多くなって来ました。

古来からの仏教系宗教組織の中に、公然と死後の世界などは無いと檀家の信徒に説いておられる団体があります。では、その宗教が御本尊とする御仏そのものが存在しないことになります。
既存の組織の宗教家となって朝な夕なに御本尊を拝していても、御本尊は何も語ってはくれない。これだけ自分は拝しているのに何も語ってくれないから、神仏は存在しないと決めつけるのはあまりにも無謀です。
瀬戸内寂聴さんが、お供えの時に一度だけ仏像からありがとうの声が聞こえて来たと語っておられましたが、そんな体験すら積まない宗教家が大半なのです。
為か、仏教寺院の中には、人が死んだら葬式をする為だけの葬式宗教と化しているものも多々あります。

テレビ番組の霊魂否定派としてタレント松尾貴史さんがおられます。松尾さん自身は霊媒質なのか、時々霊や霊的現象を見られるようですが、常に妄想だ幻影だと自分で思い込むようにしておられると語っておられます。で、否定派の代表格で知られています。
持って生まれた霊が見える能力をお持ちで、自分だけでなく横の友達も同じ霊が見えたとなると、自己妄想で見えていたのではないと解るはずなのですが、肯定論派に所属すると、否定論派から科学的証明をしろと無理難題を言われるので、逃げておられるのかも知れません。

この唯心は「ユイシン」と言いますが、ユイシンの言葉にある漢字を振ることが出来ます。それは「惟神」です。
同じ「ユイシン」ですが、惟神は「カンナガラ」と言います。あるいは「カムナガラ」です。
言葉は漢字を振ることによって、同じ発音の言霊も意味を変えるのです。
この惟神の意味は、ただ神のみをという意味です。ですから、神ながら(神と同様の心で進む)でカンナガラと言います。
このカンナガラの精神だけを取り上げると「あるがまま」なのです。

しかし、この「あるがまま」の意味を間違えて、説いておられる方が多数出ています。
あるがままは、特別なことは何もしない(他の人を助けるなど)。自分好き勝手に、自分のやりたい放題をしていればいいのですと間違ってことを説いている方達が多数出ています。
このあるがままは、惟神のあるがままなのです。自分は万物の創造神を敬い信じていますので、全ては神のご意志に従います。自分をあるがままに使っていただいて結構です。その意味でのあるがままなのです。

私の従姉は寿司屋の女将をしています。当然に商売繁盛でお稲荷さんを祭っていますが、唱える言葉は「カンナガラ、タマチハエマセ(惟神 霊幸倍ませ)」。
このタマチハエマセ(霊幸倍ませ)は、自分は神様の御心に適うように身を任せていますので、自分が持っている玉思惟(魂)の幸が倍になりますようにと、神にお願いしているのです。

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