朝鮮で最後の審判が起きる前に出ると予言された【米】一字の教えの終了。

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     私は自分の身に起きた不思議な出来事に関して、隣市の稲荷神社の神主さんが御祭神と会話が出来ると知られていたので相談に行ったところ、その稲荷神社の御祭神で在る豊受姫から現在地に住む様に言われました。その時、豊受姫の御代(神の杖)をされていた伏見稲荷大社講務本庁三丹支部長であった砂澤たまゑ師は、あんな処に住んだらこの人は霊に殺されてしまうと豊受姫に反対されたのです。

     それに対して御祭神である豊受姫は【これは神界の問題であり。人間が関知する問題ではない。その神業は肉体を持たないで世に出ている私達の様な神には出来ず。肉体を持っているこの者以外には出来ない神業で、人が口にする問題では無い。】と告げられたがあります。

     その土地に住んで、よくぞ今日まで生きてこられたと思うような霊的体験を積んだと言えます。何時、霊に殺されて死んでいてもおかしくなかったのです。優秀な霊能者の方ならば、こんな土地に住んで居たら殺されてしまうと逃げて行かれたなのです。

     

     後で解ったことですが、その土地は世紀の大予言者として知られる大本教の出口王仁三郎聖師が、自分の直弟子にその土地には【みろく神業に使われるお宝が埋まっている。】と言い残された土地と角を接しており、その直弟子であった方が出口王仁三郎聖師の死後にその土地の所有者から許可を取ってショベルカーで掘り返したが何も出て来なかったがあります。

     私が住む土地も出口王仁三郎聖師が当時の教団の一部の信徒に、教団には内密でその土地を死守して欲しいと言われた土地だったと聞きました。その土地に住んだ後、私の家に邪神達が押しかけて来て、私に【神宝】を出せと迫ります。しかし私は【神宝】などは持っていません。

     その神宝とは出口王仁三郎聖師が予言の形で残されたとされる【みろく世で使われる無尽蔵のお宝。】の事柄であろうとは推察は出来ます。その付近一帯が本当の【金龍海とされる陸(あげ)の龍宮城】と呼ばれた一帯で、要は龍宮城のお宝に関する話だったのです。実際にその地では金龍の姿が見られるがあるのです。

     大本教神諭のお筆先には大本教は【龍宮館(やかた)】とする記述が出て来ます。みろくの世は永遠に嬉し嬉しの世と予告されていますが、その為には人民を食べさせる無尽蔵のお宝が必要になって来ます。岡本天明師の日月神示に見られる【働かなくても食べられる。】の原資と言えます。

     

    みろくの世は無尽蔵の龍宮のお宝を原資とする

     

    龍宮のお宝を吐き出すには、龍神の浄化が必要

     

     そうした【神宝】と呼ばれる物は、人が掘り返したら出て来ると言う様な事物ではありません。私達の目には見えない霊界の事物と言えます。ただその土地の一帯は霊能者によれば綾部の大本教の金龍池は型で有り。本当の金龍海と呼ばれる場所だと言われています。その一帯では霊能者と呼ばれる人達が金龍や銀龍や白龍の姿を霊視するがあります。しかし非常に汚れた土地で、太古の神々(現在の人類が出現する以前の神)の怨念が渦巻く土地とも言われています。

     私はこの地に住んで、私に懸かって来た霊からそれは今から約【三十五万年前】と告げられました。そうしたことが書かれている宗教書は大本教の霊界物語に今から【三十五万年前】に国常立尊様の御引退があったとする物だけで詳細は解りません。

     

     それほど重大な土地ならば何故に大本教が直接所有しなかったのか?。となりますが、豊受姫によればその土地はあまりにも汚れており、その土地を大本教を創った段階に活躍した神霊達にはその土地は清められなかった。そこに浄霊能力に優れた肉体の私に白羽の矢が立ったとなります。当時私が豊受姫から言われた【この神業は世に出て居る肉体を持たない神には出来ず。人としての肉体を持った神でないと出来ない。】と告げられた事柄に有ったのです。

     私が子供の頃、霊界から私を呼ぶ声はある神の名で私を呼びました。私はその神名で知られる魂の持ち主かと思いましたが、神霊界に修行に入り数人の霊能者から私はその神名の魂の持ち者だと告げられました。魂としてはそうなのかも知れません。だがその神の力は封印されており、私は一介の人としてこの世に降りて来ているのです。その私に告げられたのは【下座業】なのです。この世では【自分は泥の中に在っても、その泥池で花を咲かせなさい。】です。

     豊受姫によれば、その付近の一帯の土地が清めに清まれば、その土地は人類が未だ見たことも無い【創造神が天下る】場所に成るとまで言われます。それは大本教が告げた艮金神【国常立尊】様の名ではなくて【天帝】と呼ばれる、人類が未だ見たこともない創造神だと言われます。

     

     大本教の出口王仁三郎聖師は綾部の上野町に天の御三体の神様を祀る場所が出来たならば、綾部は【神の聖都】に成ると予言されたのですが、その場所は大本教が天の御三体の神様を祭る場所として平成に建立した神殿群の場所ではなく、令和六年に大本教が国からの払い下げで購入した土地と言えます。その土地は現在大本教によって整備されている最中ですが、その土地ではなくて出口王仁三郎聖師が本当の【金龍海】だと言われた一帯を指して言われたなのです。

     基本的に今の大本教に創造神と呼ばれる様な偉大な神の降臨が起きた時、それを受け止めるような素材の魂を持った人が居るかとなると、どこにも見当たらないが本当だと思われます。大本教は七代女子の教祖で続くと予言されていますが、その本家本元たる出口家の流れには既に七代目の女子も誕生しているのです。よって神仕組みとしの大本教はもう終わっても良いようになってはいるのです。

     

    人の肉体には魂の汚れを浄化浄霊する働きがある

     

    私の功績は、汚れた無数の神霊を無償で浄化した

     

     私がその土地に住むことによって起きた三年間に渡る大ラップ現象は、霊能者の方達によれば伊勢神宮の神でも出雲の大国主命様でも鎮めることが出来ないと言われた事象でした。それは私が自分の肉体をボロボロにする代償の元に何とか鎮めることが出来たのです。龍神浄霊とは桁外れに苦しいものです。私の肉体はもう限界に達したと言えます。その当時、一部の霊能者の方達からまたもやラップ現象が始まれば、もう貴男にも手が付けられなくなると警告を受けていました。それが始まりだしたとも言えます。もう私の浄化能力では及ばなくなって来ているです。

     私はある著名な霊能者の方から、貴男がこれほど苦労をされているのに、貴男の正守護神は貴男を助けようとしないで見殺しにしていると告げられましたが、この世に降りた以上は自分の道は自分で切り開くより道は無いのです。霊魂の浄化浄霊を抜きにして、神を知ろう。神を語ろうとする人は偉そうに言うだけで真実に目を背ける人と言えます。

     

     私は隣市の本屋で一冊の本を手にしました。スピリチュアル系の本です。その本をパラパラとめくっていて、ある文に引っ掛かりました。その内容は朝鮮半島に残されている予言として、最後の審判前、救世の為に【米】一字の教えが起きる。その米の教えが終わると、最後の審判が始まりだす。その【米】一字の教えに従った者達の上には天からの神罰は降りないが、そうではない者達の上には天からの神罰が降りる。その天から神罰が降りている最中に天に【白十字】が現れて、天からの神罰を受けている者達も最終的にはその【白十字】によって助けられる。とする不思議な予言文があったのです。

     それは朝鮮半島に残されていたとされる予言ですが、私自身首を傾げたのはたった一字の【米】の漢字で、どうやって救世の教えが出来る?。私は日本人でハングル文字は解りません。しかしハングル文字では無く漢字の話です。たった【米】の一字の漢字です。だとすれば、それはこの日本でも可能ではないかと考えたのです。

     

    【米】一字の漢字に【救世主】の役割が在る?

     

     たった一字の【米】の漢字に最後の審判から助かる【救世主】の役割の【メシヤ】があるとする予言は不可解ですが、その審判たる天罰の最中に現れるとある【白十字】は更に不可解な予言と言えます。しかし私の中には、その【米】一字に最後の審判の救世主たる役割があるとする予言は、私の胸に突き刺さったのです。大本教神諭は【この神は煮ても焼いても食べられる。】としました。それは【飯屋】かとなります。

     私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、【そなたは私が最後の審判に備えて、この世に降ろした中の一人である。】と聞かされて来たからです。ただ自分には五千万体もの龍神を従えていると言う霊能者は【あんたは天帝がこの世に使わした天使の一人だが、何の神力も持っていない。】と侮蔑して来られたように、私は天帝と呼ばれる神の存在を語れども何の神力も与えられていない者です。国常立尊様を追いやった反国常立尊派の神々と戦えるかとなると、私には無理だとなります。

     

    天帝の恐ろしさは、その降臨がないと解らない

     

     私に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、【私はそなたにこの神の力を何も与えない。為にそなたは力を持った者達からは侮蔑されるであろう。】と最初から告げられてはいるのです。私に何の力も与えないで見殺しにしていると言われる霊能者の方達の見立ては当たっていますが、そこには人智では語れないような神界の仕組みが存在するのでしょう。それは誰も天帝を見ていないからです。

     

     私の神霊界修業のお世話になったのは伏見稲荷山神界で、通常は【お狐さん】の世界です。伏見稲荷大社のお狐さんの偶像の一体は【稲の穂】を銜え、一体は【鍵の付いた巻物】を銜えています。私はその鍵が付いた巻物には何が書かれているのかと考えていました。当然、石像を見ていても何も解りません。

     日本では伏見稲荷大社の狐とは五穀の種を運んできた神使とします。日本のキリスト教の牧師ならば、自分達は創造神の一人御子であるイエス様を神と仰いでいるが、大多数の日本人は紙に書かれた文字や獣の狐などを拝んでいると言います。

     私にはそれがどなたか解りませんでしたが【イエスのパンの愛の教えは美味なれども、真ん中が無いドーナツ型のパンの教えであり。そなたはイエスの愛の教えを何一つ恐れてはいけない。仮に全人類が愛だ!。愛だ!。と言っても、そなた一人だけはイエスの愛の教えを乗り越えていかなければならない。】と告げられたがあります。それはイエス救世主論を否定するなのです。

     

     その当時の私はイエスの愛以上の教えが存在するのかと思っておりましたが、霊界で何度かイエスと覚しき霊に出会うと私の魂はイエスを叱責しました。キリスト教徒はイエスの愛の教えにしがみついていると、自己の良心神の存在に気づかず永遠の世とされる弥勒世には進めないことを知るではないのです。最後の審判の判定は【各自の魂の良心神】になるからです。

     私達はこの世では生きて行く為には【食べ】なければなりません。その為には命ある物も殺します。愛だけを言うのであれば、生きている動物を殺してその肉を食してもいけないはずなのです。イエスは食べる物を降らす奇跡を見せましたが、その規模が小さければ伏見稲荷山でも食べ物が降って来る奇跡の現出はありました。

     テレビでサイババの奇跡を見た人は、サイババが出した霊界の贈り物とされる時計にメイド・イン・ジャパンの刻印が打たれているのを見たでしょう。その時計は霊界で製造された物ではなく、この世で創られた時計です。その時計を運んだ存在は【龍神】と呼ばれています。イエスは龍神達を動かすことで人々に奇跡を見せることが出来たが正解と言えます。

     

    一時的に食物を降らすではなく、食物の種を運ぶ

     

     日本では五穀の種を運んだのは稲荷の白狐とされますが、アフリカの古代遺跡が残る一帯の原住民の間には【シリウス星から来た青狐が穀物の種を運んだ。】とする伝説があります。穀物の種を運んだのが白狐であれ青狐であれ、いったい誰がそうした【狐】達を動かして来たのか?。そこに【シリウス】星が出て来ます。

     日本における豊受姫伝説は天津羽衣を盗まれた豊受姫は天の星には帰れなくなり、丹後の比地真名井(比沼麻奈為)で人々に米、麦、豆作り、酒作り、お蚕を教えたとされます。豊受姫伝説ではその場所は峰山の比治山あるいは磯子山とされているのですが、大本教ではそれは綾部の大本教神苑内で禁足地とした【本宮山】のことであるとしたのです。その話を峰山の地に移したです。

     私が豊受姫から見せられた霊的光景では、豊受姫はシリウスと思われる星から金星を経由してこの地球上に降りたたれた天津神でないかと思われます。その最終地が【綾部】の本宮山であった模様なのです。綾部の古来名は【漢部(あやべ)】と言い、中国からの帰化人である【秦】氏達が住んだことから機織りの漢の民の【漢部】と呼ばれたのであって、その漢部の秦氏が京都府の桑田郡を通って京都の太秦に流れて伏見稲荷大社の元になったとする説もあります。

     

     この日本は古来より【言霊の幸はふ国】と言われて来ましたが、この日本で【言霊】の存在が言われるようになったのは大本教の存在からでしょう。その言霊は伏見稲荷大社の社家であった【荷田春満】からとされます。この荷田春満は伏見稲荷大社の横にある東丸神社の祭神として祀られていますし、伏見稲荷山における荷田社ともなります。

     また出口王仁三郎聖師とその荷田春満との関係が言われています。大本教神典の中に【国常立尊様の世の立替に白狐は下郎の役で奉仕する。】がありますが、国常立尊様と白狐との関係が解らない者には、このことは永遠に理解は出来ないのです。たかが【狐】だと思ってしまうわけです。

     

    狐が銜えた巻物は、稲の【米】と言霊との関係?

     

    大本神諭は【九つ花に咲く一輪の言霊】の経綸?

     

     大本教神論にはウシトラ金神国常立尊の仕掛けとして【三千年の月日】を費やしたとあります。その仕組みを調べれば仏教の祇園精舎の牛頭天王。モーゼも牛頭で四十年間の荒野のさ迷い。大本教の出口王仁三郎聖師が自分は素戔嗚尊の魂だと活動されましたが、素戔嗚尊を祭神とする京都祇園神社の牛頭演技。そうした内容を鑑みれば何かしらの大きな力が働いていたと解ります。そして日本神道の大本教から何故か仏教のお釈迦様の死後【五六億七千万】に現れるとされる【みろく】大神を出す演技がなされたのです。

     どうして日本神道の大本教は、仏教の【みろく菩薩】をみろく大神として世に出した?。

     

     

    大本教の【艮】に点(天)を付けると【良(ら)】

     

     私は言霊師の元で修行中に私の前に現れた大本教の出口なお開祖らしき霊から、【大本教はまな板の上の鯉。その鯉をどう料理するかは料理人の腕次第。】と告げられました。その時に一緒に出て来られた出口王仁三郎聖師らしき霊は何故か回教の宣伝使姿で、私に神はアラーだよと暗示されたのです。それを受け取った私は【ア門からラ(アモン・ラー)?】と感じたのですが、それが日本語のアイウエオの【ア】から始まる門から【ラ】に到る迄の【四十一】の道の意味とは思いもつかなかったのです。

     朝鮮半島に残されていた予言文。最後の審判前、救世の為に【米】一字の教えが起きる。たった一字の【米】の漢字にどうして救世主の役目が出るのだろうと思っておりましたが、日本語の言葉の仕組みにしか過ぎないと言われればそうなのです。しかし、これほど大仕掛けの仕組みとは思いもよらないことでした。

     モーゼは四十年間荒野をさ迷い。四十一年目、カナンの地に到る。イエスは四十日間荒野をさ迷ったとされますが、四十日間では【三十五万年前に御引退】の数字の組み立てが出来ないのです。それには神界時間で四十年間(この世の時間で三十五万年)が必要だったなのです。

     

    人の魂の核に内在する天帝は、良心の働きを司る

     

     私は子供の頃、旧約聖書の神からそなたの前世は悲劇の武将であったと告げられました。私の前世とは【源の義経】と呼ばれた悲劇の武将でした。私は奥州の平泉に行って泣き。吉野山に行って泣く。どうして平泉や吉野山で懐かしい懐かしいと自分が泣くのかと思っておりましたが、私の前世には源の義経と呼ばれた時期があり。何人かの霊能者の方達は私の背後に見たその【源の義経】の出で立ちには【日月】のマークが見られたと言います。

     

     西暦2011年10月12日から約十三年間以上に渡るブログ記事でしたが、この記事をもちまして【米】一字の教えの終了といたします。長い間ありがとうございました。

     私自身はもう年老いた老人で体力の限界を迎えました。このブログ記事は広告が出ない有料サイトに置いておりますので私の命がある間は、その料金の支払いが続いても記事が残るようにしておきます。

     私は老いてしまったのでもう一線で働ける身ではありません。が、この老体に鞭を打ってでも伝えなければならない様な事柄が出ましたならば、このブログに何等かの記事を載せることもあり得ます。これから先は、私にも何が起きて来るのか?。何も解らない事態に入って行きます。

     

     

     私が子供の頃に臨んだ旧約聖書の神と称する声は、【この地球の霊界は真実を降ろすと、それを利用する悪神達が横行しており、真実を降ろすことが難しい星である。為に嘘の内容の中に真実を少し織り込んで降ろす。神の神示とはまともに読んで正面から解釈してはいけない。何が真実で、何が嘘か吟味する能力が問われる。】と告げられましたが、深い洞察力を備えないと解らないことだらけなのです。

     洞察力を持てば【玉思惟】であり、洞察力が無ければ【玉恣意】となる。いくら説いて聞かしても、刹那心に溺れて自分の魂が磨けないを起こして、何度生まれ変わっても愚問の堂々巡りをしているとなります。

     

     

     

     

     

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    予言教団大本から出た謎の言葉【鏖殺】。世の立替論の背景には地球の【核】に異常があるのか?

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       私が子供の頃は旧約聖書の神と称する声が臨んでいて、この地球は魂の修学の場(天人の苗床)として私がこの星(船)を創ったと聞かされました。大本教からこの地球を創った存在は金龍の姿をした神で、その神名は日本書紀で初発の神と記載される【国常立尊】として出されました。その神が蛇霊に憑依された神々の反乱により、表舞台から退かれたことから【艮金神】と呼んだです。

       私に臨んだ霊はその国常立尊とは名乗らず、旧約聖書の神の呼称でしたが【天人の苗床で有る地球に住む人類の魂をこの地球と瓜二つの同型の新地球船に移し、永遠に嬉し嬉しの世に渡す。】と告げられたのです。その世界のことが一般に【みろくの世】と呼ばれているなのです。

       この地球を【船(号)】という意味は、この地球は自然に動いているのではなく、ある意思の元に人の目には解らない【霊的エンジン】が存在し、人類が神と呼んでいるところの神では無い神がこの地球船の【機関】の運航に携わっているのです。スピリチュアルだとこの地球がどのような形態のエンジンで動いているかの話はまず出て来ません。語ろうとしないのです。この地球を動かすエンジンの存在を考えないスピリチュアルとは不思議な存在と言えます。

       

      地球は船で、船には運行の期間や機関や帰還がある

       

       しかしそれはこの地球と呼ばれる星に住む人達からすると、新地球に移行するということは全員が肉体的な【死】を体験をすることになります。どうしてそんな体験をしなければならないのか?。その理由がよく解らないなのです。まして次元界等の存在は最近の話で、お釈迦様やイエスの時代には解らなかったことです。

       私は子供ながらその疑問を旧約聖書の神と称する声にぶつけてみました。するとその理由は【この世をよく観察していれば、自ずからその理由は解る。その終わりの日が何時かとは言えねども、確実に言えるのはそなたはその日を自分の目で見るだろう。】と言われます。

       

       私は伏見稲荷山神界で神霊界の修業のお世話になり、稲荷大神たる豊受姫に本当にそんなことが起きるのかと質問したところ、豊受姫は【その時期は何時とは言えねども、それは間違いなく貴男がこの世に生きている間に起きます。貴男はその時の光景を自分の目で見るでしょう。貴男はその嵐の中を突破されます。】と言われます。単なる肉体の死ではなくて、大本教が予告した立替の嵐の中を突破するです。

       そこに出て来る論理が肉体と魂とを結んでいる霊子(たまのこ)線の切断です。西洋神智学やスピリチュアルでは【シルバーコード】と呼んでいますが、必ずしも銀色の線とは限りません。で日本神道系の宗教ではその線のことを霊子(たまのこ)線と呼んでいるようです。この線を切断することで、魂と肉体とは別世界の生き物となります。

       仏教で説かれる輪廻転生とは肉体の生死の話では無く、魂と呼ばれる【永遠に生きることが可能な意識を持った生命体】を指します。魂が抜けた肉体は植物の様な生命体にしか過ぎず、永遠に生きるではないのです。魂が抜けた肉体はやがて腐って行きます。

       

      この世の人は霊魂たる存在の自分を理解出来ていない

       

      この世は魂の修行場で、天人を育てないと価値を失う

       

       だが今やこの世と呼ばれる世界は【天人の苗床】としての価値を失ったと言えます。今の世で天人に成るのは不可能な領域に入って来ています。誰もが自分勝手になって来たのです。神が定めた掟すら、もう考えようとする人も極端に減ってしまったのです。人は神によって生かされていると考える人は極端に減りました。何故に神が生命体を男と女に別けられたのか?。その意味すら無視されてしまった。霊界もゾンビの様な存在ばかりが増えているなのです。

       スピリチュアル標榜で【神は愛だから何をしても赦してくださる。】等と言っているのではなく、地獄界に降りてよく見分してから物事を言いなさいなのです。地獄とは神が神や霊に罰を与える為に創った世界ではなく、地獄的想念を持つ魂がその想念に相応しい世界を自ら創り出して、自業自得で落ちているだけなのです。地獄とはそうした霊が集まって創っている世界と言えます。

       

      宗教の間違いは、神が天国や地獄を創っているでは無い

       

       大本教の出口王仁三郎聖師が【天国に案内すると言いながら、地獄に案内している取次ばかり。】と残しておられます。自称救世主に導かれて地獄道(亡者道)を歩いている方達が多数見受けられるなのです。そうした自称救世主が案内するという天国界とは、その信徒達を奴隷とする自分の王国の話と言えます。

       

      自称救世主を拝んでも、自分の魂が磨かれるでは無い

       

      自分の魂磨きを言わない神達は、そのほとんどが邪神

       

       大本教霊界物語に【鏖殺】の言葉が出て来ます。この【鏖殺】とは【皆殺し】の意味ですが、私は大本教霊界物語を読むまでは、この【鏖殺】の言葉を知りませんでした。通常みなごろしは【皆殺し】の漢字を使います。どうして皆殺しに誰も知らない【鏖殺】の言葉が使われたのか?。その謎です。

       漢字学者でも、この【鏖】の漢字の意味はよく解っていません。この金は【鍋】で鹿肉を煮る程度の解釈しかないのです。鹿肉の鍋だから皆殺しでは言葉の意味が解らないとなります。

       魂は【丸い玉】で、玉(魂)と玉(魂)がぶつかれば、霊的な爆発音を出して閃光を放ち、その場が一瞬に光り輝きます。すなちわち魂の死は玉が砕ける【玉砕】です。魂を砕くならば話も解りますが、金鹿殺しでは意味が解らないなのです。

       大本教霊界物語は大本教の出口王仁三郎聖師を媒介者として霊界から降ろされた物語で、物語の筋は霊界が出したものです。出口王仁三郎聖師が霊界物語のそもそもの原作者ではありません。ほとんどの人が知らない漢字、意味が解らない【鏖殺】の言葉に秘められた意味は何か?。です。

       

       大本教が予告した世の立替論は【三千世界(全宇宙)一度に開く梅の花。開いて散りて実を結ぶ。】で、そこには全人類は肉体と呼ばれる魂の服を脱いで、魂と呼ばれる果実と成るが歌われています。その果実たる魂の種の中に【天神様と呼ばれる仁が在る。】のです。世の大立替と呼ばれる事柄は、この地球上の全人類は一度は【死】を免れないなのです。それ自体は聖書においても第一の死と第二の死として昔から予告されています。

       第一の死は肉体を持つ存在は全員が死ぬです。そして霊界で最後の審判と呼ばれる創造神による裁きを受けて、キリスト教ではイエス一人だけを主の御子と認める者達は永遠の神の御国(天国)に救われて、そうではない者達はその時点で霊魂そのものの命が終わるとする説です。そこにイエスの復活が説かれるなのです。キリスト教徒とはその最後の審判の日にイエスがこの世に降り立つと信じている信徒集団と言えます。イエス自体は霊的世界に関わればその存在を見る人達は居るでしょう。

       本当にイエス一人を主の御子と仰げば、仰いだ者は一人残らず神の御国(天国)に渡れるのであればそれはそれで良いとなります。しかし実際はどうなのかです。イエスにそれだけの力はありません。キリスト教では冥府の長官をサタン扱いにしていましたが、そこに【輪廻転生】が何故に起きたのか?。そこまで教えそのものが至っていないなのです。人は自分の魂を磨く為にこの世に降りたのであって、イエスを神として仰ぐためにこの地球に降りたではないからです。

       

      この【皆殺し】は、何故に鹿を殺す【鏖殺】のか?

       

      鹿と呼ばれる漢字に、何が秘められているのか?

       

       聖書でもその時は全員が死ぬと残されているのに、ほとんど日本人が見たこともない言葉の【鹿金】で皆殺しなのか?。その意味が解らないと言えます。しかもどうして古来よりこの世の終わりが言われて来たのかとなりますと、それは霊界に存在する映像にこの地球を動かすエネルギーが途切れる。すなわちこの地球が静止する映像があるのです。

       その時にはこの地球上を覆っている雲や空気がこの地球上から消え去るが起きます。そうなるとこの地球はこれまでのような肉体を持った人類が住める星とは違って来るのです。

       私は伏見稲荷山で神霊界に関わり、観音様から【観音経】を聞かされた時にその観音経の間にブレス(呼吸)が無かったことから霊には【空気】は必要無いと解りましたが、三次元世界に生きる生命体には【空気】は欠かせないのです。空気が存在しない世界とは三次元世界ではないのです。

       

       モーゼはユダヤ人を引き連れて紅海を渡り、【四十年】も荒野をさ迷い、【カナン】の地を目指しました。これは創造神が示された一種の【型】であり、そこに【41】にて神の御子と成る型が秘められたなのです。イエスは四十日間荒野をさ迷って悪魔を退けたことで、明けて【41】日目に主の一人御子に成られたではないのです。最後の審判とされる【火難】の中を行く。

       

      地球が静止する時、三次元を終えて四次元界と成る

       

      それ自体は魂の終わりでは無く、四次元界への道

       

       霊世界にはこの地球を動かしている地球の核エネルギーが爆発する映像があると言えます。もしそれが本当に起きたとするならば、その時の光景を見た魂にはその時の映像が魂の目に焼き付くことになります。それは魂に【トラウマ】を創り出します。それだけは絶対に阻止しなければならないのです。ただ多くの霊能者の方は、この地球の核に存在するエネルギーが核爆発する兆候は無いと言っておられます。多数の霊能者の意見が正しいのであれば、それは起きないのでしょう。しかし私はその映像を見たなのです。そこには【万一】があるのです。

       ただ一部の霊能者の方達は、この地球の核爆発は震度10と呼ばれる大地震を引き起こすと言われる方達もあるのです。地震の震度に10の値の数字はありませんが、霊的世界にはこの【10】の数字が出て来るがあるのです。仮にこの地球に震度10を意味する様な地震が起きるのか?。あるいはマグニチュード10もある大地震が起きるかは解りませんが、起きたとしたならばこの三次元世界は終了するともなります。

       

       日本神道界では【塵(ちり)】を嫌います。この【塵】も【鏖】にも【鹿】の字があります。塵は群れた鹿が走って出した土煙の様な微細な存在を指します。新築の家でも家に鍵をかけて留守にしていれば家の中に塵が積もっています。自分はこの世で何の悪行もしていませんと言ったところで、その魂には必ず【塵】的汚れが付着しているのです。

       何故ならばこの世は【土埃】を固めた様な世界で、誰かが土埃を舞い上がらせるとその塵は私達に懸かって来るのです。自分は何の悪行もしていませんは、自分の身に降りかかった【塵】の要素を忘れた発言にすぎないのです。

       

      魂も何もせずとも塵が覆う。魂は常に祓い清めがいる

       

      みろく世に渡るには、魂の汚れを全て取る鏖殺が要る

       

       予言教団。予告教団として数々の予言をして、その予言を的中させて来た大本から出された【鏖殺(皆殺し)】の言葉の背景には、この地球上では今の様な三次元人類が住めなくなるがあるのです。そこに【最後の審判】と呼ばれる事柄が起きて、永遠に嬉し嬉しの【みろくの世(567次元界)】に進む魂と、そうではない既存の荒廃した【みよいづ(345次元界)】の世界に残る魂との永遠の別れとなるが説かれているなのです。

       私の様に人類は【新地球に移る】と説いている者は今では少数も少数派になりました。もう壊滅状態です。それを告げた存在は【国常立尊(ウシトラ金神・閻魔大王)】と呼ばれる神なのです。黄泉の国の長官としては世に知られていますが、それは本当に悪神だったのか?。サタン(悪魔)であったのか?。なのです。その背景には何十万年にも渡る【神界闘争】があったのです。それを世に告げたのが大本教と呼ばれる宗教だったと言えます。

       

       

       

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      水晶魂?。これまでの魂ならば腐る。永遠の弥勒世には腐らない魂が必要!

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         世の大立替を宣伝した大本教から、みろく世に生きる住人には【水晶魂】が授けられると説かれました。それは大本教から予告された世の大立替論は、単なる世の立替論ではないなのです。創造神は土台から宇宙を造り変えるです。しかしそんなことは現実に可能なのかとなります。そこに大本教から宇宙開闢以来の【2度目の天の岩戸開け】が告げられたなのです。

         

        宇宙開闢以来の天の岩戸開け?

         

         私は子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と名乗る霊声から、【この日本の天岩戸開け神話は、その様な事実が在ったのでは無い。私が最後の審判を実施するにあたり、私が人民を使って創作させた物語である。そなたは何故に私があのような神話を創らせたのか?。その意味を紐解くが良い。】と告げられました。

         

         私は神霊界修行を稲荷大神である豊受姫にお願いしました。その豊受姫も私に日本神話の天の岩戸開け神話は、その様な事実が有ったのでは無いと告げられ。そこに在るのは西洋で語られる【最後の審判・火の審判の火】と、日本神話の天岩戸開けの【火】の関係です。実は同じ事柄の表現の違いと言えます。

         私は伏見稲荷山に関わって、当時の伏見稲荷大社の神官で豊受姫と会話が可能な神主さんはたった一人しか存在しておられませんでした。伏見稲荷大社は五座神で、中央は【豊受姫・白菊大神】です。どうして豊受姫と呼称される神霊と白菊姫と呼称される御神霊があるのか?。それすら伏見稲荷大社の神主は解っていませんでした。神主として実際に豊受姫、白菊大神を拝見すればその答えは簡単に解ります。田中社は大国主命で伏見稲荷山では【權大夫(ごんだゆう)】さんとも呼ばれていますが、何故に大国主命が權大夫さんと呼ばれているのか解っている方もほとんどないのです。だがこれも実際に見ることが出来れば解るのです。

         その稲荷大神五座の中で佐田彦大神は天孫降臨の案内役で知られた【猿田彦】であり、大宮能売大神は猿田彦の妻神とされる【天宇受売命】なのです。そこには【国常立尊】が仕掛けられた【天之岩戸開け】には、稲荷神界が深く関わっているなのです。

         

        創造神とは初めの神で終わりの神、終わりで始めの神

         

        人類が創造神と呼ばれる神に出会う時は破壊と再生時

         

         で、その土台はこの地球では無く、この地球と【瓜二つ】の高次元世界に存在する霊的な星で、これまでの人類が知ることが無かった世界になるです。それはスピリチュアル標榜者も含めて、次の世はみろく(567)と呼ばれる五次元霊界以上と見るなのです。スピリチュアル標榜でも過去に死んだ人達が霊世界で生きていることは見えていますし、霊世界の存在もある程度のことは解るのです。しかしみろく世の五次元霊界とはこれまでの私達が知る五次元霊界では無く、知ることがなかった五次元霊界と言えます。

         

         私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する霊声は、【人類がその新地球に移行しても何の違和感も感じない。見る風景もこの地球とまったく同じである。ただその星に住む人達とは、これまで自分が接して来たこの地球の人達とは限らない。自分の周りの人達がこれまでの自分の周囲の人達とは変わる。】と告げられたのです。

         これまでは自分が天人界から出て来て天人界に帰るとしても、それは天人界とこの世との間を往復していただけであって、この世はその天人界から【修学旅行】に出た様な時間に過ぎなかったのです。その天人界も地獄界も含めての根本的大立替なので、自分がどのような世界に入るのかが解らない面があるのです。自分が未来永劫に行く世界はこんな世界かと解った時には手遅れも起きるなのです。それはこれまでの自分の生き方の結果がその地位を決めるからです。

         大本教神諭に、その時は【上に行く魂。下に行く魂でごった返す。】とある様に上の界へ下の界へとドタバタなので、上に下にの人類の【大峠】とも言うのです。

         

         その永遠に嬉し嬉しの世界に今の地球に住む私達の魂を持って行くには、岡本天明師の日月神示(orひふみ神示)で明らかにされた【三四五(みよいづ)次元】界用の魂では、【みろく(五六七)次元】界用には適していません。

         魂そのものは、お釈迦様やイエスやモーゼで語られる高度の八次元霊界の存在もありますが、この三次元世界に即した魂では難しいのです。

         

        今の【三四五(みよいづ)】用の魂の欠点は、魂が腐る

         

        みろく世は、五六七次元界用の魂に誂える必要がある

         

         魂と呼ばれる漢字は【鬼が云う】であり、その鬼は節分の夜に炒り豆で【鬼は外】と追われていました。それが大本教基本宣伝歌に【節分の炒り豆にも花が咲く。】と宣伝された由縁と言えます。

         

         仏教に【輪廻転生】の教えはあるのですが、輪廻転生を起こす【魂】の漢字は鬼と云うになっており、それでは意味が解りませんでした。魂は【玉思惟(タマシイ)】でないと意味が解けなかったのです。玉思惟の【思惟】は深い洞察力で、これが【恣意】だと何をしても自由だという勝手な思い。自己中の人になってしまうのです。ただ思惟であろうと恣意であろうと、そこには【心】の漢字が使われるなのです。

         人の肉体の心臓に宿る魂は野球ボール玉程度の大きさの物で大人の手の平に乗る程度、肉体の心臓の部位に重なる形で宿りますので【魂は心】となります。そして霊(チ)の汚れを血(チ)に入れて心臓で浄化していたと言えます。スピリチュアルの神は愛だから何をしても赦してくださるでは霊(チ)の汚れの浄化を放棄してしまい、自分の魂を腐らせる方向に走るなのです。

         

        日本神道でチ(血)の汚れを嫌ったのは、チ(霊)の汚れ

         

         霊(チ)の汚れで黒くなった魂は、魂の【心棒】が徐々に腐り始めて、魂の真ん中に心棒を意味する【杭(くい)】が存在しなくなります。為に魂の【核(天帝の分魂たる直霊)】が無くなり、魂の真ん中が【空洞】になることで穴が開いた魂となってしまいます。この状態が【良心(天帝の分魂)】神が消えた状態で、悪魔(空く間)と呼ばれるなのです。別に反イエスが悪魔では無いのです。

         キリスト教が説くイエス一人が創造神の一人御子で、イエスを拝んでいない異教徒は地獄界に落ちるなどは、宇宙をひっくり返してもどこにも無いなのです。

         

        そこに魂に心棒(杭)が無くなったら【空く間】化する

         

        悔い(杭)改めることで、魂に新心棒(杭)が誕生する

         

         魂とはテレビの超常番組でよく写し出されているオーブ玉ではありません。オーブ玉は日本では【思念】とされており、思念玉はその思い(想い)を遂げると消えて行きます。古来より【この恨み、七代に渡って祟ってやる。】等が思念(死ねん)の玉なのです。で思念玉は目的が適うと満足して消えて行きます。そこに仏教の【供養】の概念があります。

         人はこの世に生きている時は誰しもは【思念】を放っています。それは【想念】とも呼ばれており、霊感を所持している人ならば誰かが自分に対して想念を放っていると、その人の顔が突然に見えたりする体験を積んでおられるはずなのです。その時、その人の顔は見えるでしょうが足元は見えない。世に幽霊と呼ばれる存在は顔は見えますが足元が見えないケースが多いのは、それらは魂では無くて【思念(想念)】だからと言えます。

         

        スピリチュアルも、みろく世は高次元界と説くが

         

        魂が腐らない【水晶魂】に代える話が出ていない

         

         大本教から、記紀神話の日本書紀では初発の神として記載される【国常立尊】様は悪業に厳しい神様であったので、蛇霊の囁きに毒された多くの神々から【悪神とか悪魔】とされてしまいました。多数決の原理で強制的に【東北】に引退させられたことから【ウシトラ(艮)金神】と呼ばれていると出された時、私は意外な感じを受けました。

         それは私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する霊声は、【全ての神達が束になってこの私に敵対したとしても、私は一体で全神々を倒すだけの力は有る。】と告げられたからです。全ての神を倒すだけの力を持った神が本当に【引退されたのか?。】と感じたのです。もしかするとこれらは【神芝居】の一環では無いか?。です。

         私が初めて伏見稲荷山に上がった時、伏見稲荷山での豊受姫は私の任務には創造神と呼ばれる神の存在を【言葉で宣伝する役目があり。その創造神は天帝と呼ばれる。その天帝に敵対する神達は如何なる地位の神で在ろうとも、その天帝に倒される。】と告げられました。天帝に勝てる神などは最初から無いと告げられたなのです。

         その時、全ての神達を倒すだけの力があるのに、何故にその力を隠し秘めて最後にならないと人類の前に出て来ないのか?。の疑問です。そこに【始めにして終わりの神】と呼ばれる意味があるのです。

         

        創造神と呼ばれる神が表に出る時は、この世の終わり

         

         大本教神諭には、艮(ウシトラ)には【牛虎】もあるぞよと出されましたが、この牛頭虎パンツの【鬼】こそ、国常立尊の大仕掛けと言えるのです。

         

        みろく世は永遠なので腐らない【水晶】の魂を必要とする

         

        水晶魂は【牛虎金神】でないと、創り出す事が出来ない

         

         単に【魂】と呼ばれる漢字に、どれほど深い意味が秘められていたのか!。仏教の開祖のお釈迦様の守護神は祇園精舎の【牛頭天王】ですが、旧約聖書のモーゼも【牛頭】の主とされています。そのモーゼによる【40年間の荒野のさ迷い】は、五六億七千万の【みろく(三六九)神】を日本語で解き明かす遠大な計画の元に存在したなのです。

         大本教霊界物語では、国常立尊の一厘の秘密たる御神宝は【シナイ】山に埋められたとしています。それは(シナイ山)明らかに【モーゼ】の話につなげてあるのです。大本教神諭は神三千年の仕組みと出しました。モーゼはシナイ山で、【この神以外の神を神と仰いではいけない。】と告げられたです。

         それは私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する霊声から、【この私を創造神と仰ぐ者は、一人残らずこの私が救う。】と告げられたことと同じなのです。別にこの私をキリスト教のイエスの様に拝む対象にするでは無く、一人一人の人が【国常立尊】に直に繋がるなのです。モーゼのシナイ山の話が解っているならば、イエスを拝めばでは明らかに話がおかしいなのです。

         日本古神道では早くから人の魂には【直霊(天帝の分魂)】が備わっていると説いており、天之御中主や国常立尊の御神名で天帝と呼ばれる神と繋がる道があることは出されていたのです。そしてその天帝の働きは【良心】神の働きであることも出されてはいたのです。それが【伊都能売】等の神名になっていたのです。ただそれはお釈迦様の悟りで有った【人には良心と呼ばれる神が内在している。】とまでは出せなかったのです。そのお釈迦様の悟りも【大乗】の教えに埋没してしまったなのです。

         

         大本教から出されたみろく世の【水晶魂】に関しては、一部の霊能者は【水晶魂】では肉体に入れるのは重すぎるのではないか?。また水晶玉の様な物質ならば落とせば割れてしまう。そうした危惧を言われます。

         今の世の人達の胎内に存在する魂とは非常に軽い物で、ほとんど重さが無い【気体】的な存在とは解っています。一種の【気球】玉の様な感じです。霊能者ならばその魂を自分の手の平の上に乗せて、魂に付着した汚れを【フッー】と自分の息で吹き清めるなどをしたりしておられます。この【フッー】と吹くは、魂の表面に着く霊的な塵汚れを拭くにつながるのです。

         

        魂の表面の汚れを常に祓えば、魂が腐る危険は減る

         

         大本教から宣伝された水晶魂、見た目でも【水晶の玉】に似通っており、重量が有るように見えるのですが非常に軽いのです。硬質玉の様な感じなので落とせば割れるのではないかという感覚を受けますが、やはり気球の様な弾む感じなのです。が、魂の表面は水晶玉の様な硬度を持っていて、表面は拭けば汚れは落ちて腐らない特色があるのです。すなわちみろく世用の魂は腐らない。魂の破砕から逃れる。為に永遠性を持った魂と言えます。

         今の人の中に入る魂は、蛇霊の【食い破り】が生じて、蛇霊が人の魂を食い破って人に成り済ますが起きていましたが、みろく魂にはそれは出来ないとなります。

         

        みろく世は永遠だは、魂が腐らない破壊されない

         

         そのみろく世に進む水晶玉の中には【白十字】が入った魂も存在しています。この白十字は不思議な見え方がします。常に見ている者の正面にその白十字が見えるなのです。この水晶玉そのものはこれまで何人者の人も見ておられますので、私一人だけが水晶魂の視認者ではありません。また【円球】だけでなく、各種の形をした水晶魂が存在しています。

         この水晶魂の授与には【龍神界】が深く関わって来ます。

         

        龍神界の乙姫様の【玉手箱】には、不老不死の水晶魂

         

         

        私は大本教からみろく世の【水晶魂】の予告がなければ

         

        ここまで真剣に説けなかったかも知れない

         

         

         

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        大本教が告げた三千世界(全宇宙)立替論は可能なのか?。

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           明治、大正、戦前の昭和に活動された希代の予言者出口王仁三郎聖師を出した大本教から発せられた予言の数々は的中して来ました。広島や長崎に新型(原子)爆弾が落とされて火の海に成るの予言が的中したことは知られていますが、特筆すべきなのは大正時代に現代のスマホ的な機器が出て来ることが予言されたことです。大正時代に現代のスマホの様な機器が予言できたことは、いったい何神にそんな予言が出来たかとなります。そこには底知れぬ力を持った神が存在するなのです。近い将来、何が起きるのかも全て把握済みと言えるでしょう。

           

          底知れぬ未来を見通す神が世の大立替を予言させた

           

           その大本教から出された最大の予言は【三千世界(全宇宙)の大立替】と呼ばれる想像を絶する予言と言えます。それは大本教の基本宣伝歌として、【三千世界一度に開く梅の花。開いて散りて実を結ぶ。】です。すなわちその立替とは【全宇宙】に及ぶ大立替と言う事柄ですが、それはどのような物なのかは解らないなのです。三千世界(全宇宙)の立替とは桁外れも桁外れの規模の事柄で、人の身で論じることが出来る者など居ないなのです。梅の花は人類に例えてあり、開いて散りて実を結ぶは肉体は散っても魂が残る意味です。

           大本教の出口王仁三郎聖師の本名は上田【喜三郎】で、大本教の神は喜(キ)三郎を改めて【鬼(キ)三郎】にする様に命じられたところ、鬼(おに)とはあんまりじゃで【王仁(おに)】三郎とした経緯があります。これは日本語による言葉の仕掛けだったのです。人の魂の核(格)には天神様と呼ばれる神とも成れる種(仁)が存在しているからです。それが大本教から出された【人は神の子・神の宮】の根拠論です。そして大本教神論の【人には神とも成れる魂が授けてあるにも関わらず。】です。同じ【直霊】の部分です。

           この【王仁(おに)】と大本教の艮(ウシトラ)の【鬼(おに)】との関連に気づかれた人は素晴らしいとなります。するとそこに【節分の炒り豆】が浮かび上がって来るのです。魂の核(円真)と閻魔大王の関係です。

           

          梅の種には天神様が眠る。その天神様は【仁】と呼ばれた

           

          各自の魂には【直霊】と呼ばれる天神様の分魂が眠る

           

            宗教の世界では【この世の終わり】とされる時が来ることを告げて来ました。私達日本人の大多数は仏教徒で、仏教では【正法・像法・末法】の時代を経てこの世は終わると説かれていて、その末法思想から日蓮聖人を初め多くの日本仏教の宗派の開祖が出られたとなります。

           ではその末法の時を書いた仏教の経典があるのかとなりますと、【月蔵経(大方等大集経の46~56巻の部分)】が言われています。その経典の中にその人類滅亡の危機的な状態から人々を救う救世主的存在が出るとして、お釈迦様の死後56億7千万を経て【みろく菩薩】の出現が予告されているなのです。そのみろく菩薩とは人々が忘れたお釈迦様の本当の悟りを告げて、人類を永遠に嬉し嬉しの世に渡す存在です。

           

           だがその話には誰しも疑問を持ちます。お釈迦様の死後正法・像法を経て末法とされる末法の期間は【1万年間】であり、その1万年間とお釈迦様の死後56億7千万年後ではあまりにも整合性が採れません。為に、この【56億7千万】の数字は実際の年月のことでは無くて、何かを【暗示】させる為の数字として【56億7千万】が出されていると考えられてはいたのです。

           そうした中で仏教の一宗派ではなく、世界的に見れば非常にローカルな立位置にある日本神道の一宗派として、丹波の片田舎綾部から【出口なお】と呼ばれる文盲の老婆に【ウシトラ(艮)金神・国常立尊】と称する霊の神懸かり現象が起き、そのウシトラ金神から56億7千万の【みろく大神】が語られるとなりました。そこに大本教神諭に告げられた、謎を解明させる為の【九つ花に咲く一輪の言霊の経緯(秘密or火水)】が予告されたのです。

           

           大本教神諭の明治31年旧11月5日付には【九つ花は誠から咲かせる花であるから、三千年の経綸を致した。誠の本であるから誠の人の世話で無いと、このお世話は出来んぞよ。】とあります。

           同じく大本教神諭明治31年旧12月26日付は、【出口直に明治25年に申してある事、この大望な経綸の致してあることを、世界に一人知りておる。誠の人はこしらえてあるから、この誠の人が出て来んと解らんぞよ。誠の人を西と東に立別けて御用がさして在るぞよ。この事解りて来たならば、三千世界が一度に開くぞよ。綾部に九つ花が咲いたならば、万古末代枯れぬ花であるぞよ。】があります。

           この誠の人とは出口王仁三郎聖師のことでは無いのです。私はこの西と東は出口なお開祖と出口王仁三郎聖師の二人のことで、綾部と亀岡で東西にしてあるのかと思っておりましたが、東西の意味が人々が考える事柄とは想定外なのです。これを解くには大本教から出された【厳霊と瑞霊】の意味まで理解する必要があったのです。この厳霊と瑞霊は、お釈迦様もイエスも理解出来ていなかった分野なのです。

           

           大本教から世に出された事柄は、大本教の基本宣伝歌にある【節分の炒り豆にも花が咲く。】と云う、炒られた豆に花が咲くと言う常識的にはあり得ない事柄を引き起こすなのです。

           私は霊界に入って驚愕したのは、当時2番目の師匠としていた言霊師の方が書いた絵画が衆目の人が見ている中で別の絵に変化したことです。霊界には【物質を変換】させる霊力が働くということです。それは炒られた豆でも物質を変化させて、まったく別の物にさせることを可能としているなのです。

           ただそうした事柄は日本神話の【天の岩戸開け】と呼ばれている事柄とも連動しているのです。日本神話における天の岩戸開けは西洋で語られる【最後の審判・火の審判】と呼ばれている事柄であり、その審判の後の世界を西洋では【神の御国】と呼んだなのです。この日本では【永遠に嬉し嬉しのみろくの世】と宣伝されていることとは表現の違いであり、別に内容が違うことが予言されているのではないのです。

           

          世の立替は、世界で予言されて来た事柄ではある

           

           この三千世界の大立替とは、新約聖書のヨハネの黙示録の第二一章には【わたしはまた、新しい天と新しい地とを見た。先の天と地は消え去り、海もなくなってしまった。また聖なる都。新しいエルサレムが、夫のために着飾った花嫁のように用意を調えて、神のもとを出て、天から下って来るのを見た。・・・・・・。】と有りますが、私は旧約聖書の神と称する声から【私はこれまでの世を終わらせて、永遠に嬉し嬉しの新しい地球に人類を移す。】と告げられました。

           そんな新しい地球。別地球の存在は天文学的にはあり得ない話です。そうした中でいろんな霊能力者の方達から、この三次元界の地球では無くて七次元界に霊的な地球が存在しており、その霊地球が五次元界まで降りて来て、この地球に居る魂で五次元界に達している魂達を、その新地球に移行させる創造神の遠大な計画があるを聞いた次第と言えます。

           そこに大本教や岡本天明師の日月神示に出された【五六七】を【みろく】と呼ぶ理由があるです。この高次元界に隠し秘められていた新しい地球に移行すると説いて来た存在の神は【国常立尊】で、その国常立尊を創造神として仰ぐ派の人達です。必ずしも大本教の信徒ではありませんが、出口王仁三郎聖師を大預言者として尊敬している者達と言えました。

           みろくの世とは新地球を前提としていますので、そうしたことを説く人達は【新地球派】とも呼ばれます。私もその一員とは言えます。しかし何時まで経ってもそれが来ないことから、今では新地球の存在を語る人達は居なくなって来たと言えます。

           

           私は大本教から出された世の大立替説に関して私が修行のお世話になっていた伏見稲荷の豊受姫にお尋ねしたところ、豊受姫は【その時期は何時かとは言えませんが、確かなことは貴方はその日を自分の目で見ることになります。】と告げられたがあります。

           五六億七千万の数字は大本教神諭予告【九つ花に咲く一輪の言霊の秘密の三六九】の数字を展開させたものであり、その答えは日本語に有るとなりますと、今の世は【七(質)の代】で次に来るのは【八(∞)の代】となるのです。それは喜びなので【㐂(よろこぶ)】で、令和七年七月七日頃、宇宙サイドに何かの現象があるともなります。

           

           

           

           

           霊的世界に関わりますと、この世の物理論は絶対とは言えません。霊世界に三次元の物理学は意味をなしません。この世の物理論は三次元世界と呼ばれる世界では通用しても、次元が違う世界で通用するでは無いのです。その最大の事柄として、この世の物質をまったく別の物質に変化させるがあるからです。それを説明する言葉はこの世には存在しませんが、それこそ大本教の基本宣伝歌である【節分の炒り豆にも花が咲く】です。が、中味的には【錬金術】的な意味合いと言えます。

           人が自己の肉体から自分の霊体を出した時、その霊体はこの世の物質を全て通り抜けることが出来ます。だが自分の意識が三次元世界にあると、壁にぶつかる。天井にぶつかるという三次元界の感覚で、その違いに驚くことになるなのです。

           またこの世では遠くに行くのに電車や飛行機や車を必要としますが、魂だけになれば遙かなる場に飛ぶことが出来ます。自在の魂であれば別にUFOに乗らなくても宇宙の遙かなる星にも飛べますし、この世でも離れた土地の様子を霊体で見聞すればそこには【千里眼】と称される事柄も起きて来るのです。

           

           私は肉体は自宅に有っても鍾馗神の案内で中国の盤古大神と呼ばれる御神霊に拝謁しました。盤古大神に関しては大本教霊界物語に国常立尊様御引退語、地上神界の主宰神に就かれた神とありますので高次元も高次元世界の存在と思われます。私は高次元界の存在とされるお釈迦様もイエスも見て来ましたが、誰しも魂は物質体で有る肉体を脱いで神霊界を見聞することも出来るなのです。それとは逆の下位の次元ではこの世の限られた場所に地縛されてその土地に留まり、幽霊と呼ばれる様な姿でこの世の人にその姿を視認される霊達も見るなのです。そこに仏教では再度この世に出してもらうには、来世門と呼ばれる【羅城門】の存在も説かれたなのです。

           

          何時までも幽霊の様な形で地縛しているのは辛いだろうで

           

          またもや人としての来世を授ける来世門の羅城が在った

           

           

           大本教から【ウシトラ(艮)金神】のウシトラには【牛虎】もあるぞよと出されましたが、牛頭虎パンツの【鬼】達が門番している【羅城門】を通るならば、羅王(別名閻魔大王)によって【来世】というまたもや人として出して貰える輪廻転生の道も開けていたとなります。

           私は子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声から、その旧約聖書の神を創造神と仰ぐ者達は一人残らずこの神が救うと告げられました。その旧約聖書の神はウシトラ金神国常立尊であり。キリスト教では冥府の長官をサタン扱いにしてしまいましたが、輪廻転生の来世門の【閻魔大王(羅王)】は同一の神の働きだと解るならば、大本教が予告した事象が絶対に起きえないとは言えないのです。

           

           大本教から各自の魂の総親魂と云うべき【本守護神】の存在が説かれ、そして自分の魂の中でも神上がりをしている【正守護神】が説かれ、個々の人を霊的に指導している【副守護神】が説かれました。一般的に言っている守護神・指導神・背後霊などは副守護神格の霊の話であって、蛇霊や狐霊の神を信仰しても自分の正守護神とか本守護神に結びつくではないのです。

           日本の新神道系の一部の宗教では自分の正守護神と同一化に入る【神人合一】論を説いてはおられますが、イエス一人を主の御子と仰いでいればとか、南無妙法蓮華経と唱えていればよいという話ではないのです。そこには他力本願ではなくて、自分の魂は自分で磨く【自力信仰】が必要となるのです。そこに大本教から【人は神の子・神の宮】も出されたと言えます。

           

           世紀の大予言者と言える大本教の出口王仁三郎聖師は大本教から出された【世の立替論】はこの宇宙開闢以来のことで、二度目の【天ノ岩戸開き】と告げられました。新約聖書のヨハネの黙示には幾つも七つの教会など【七の数字】が出て来ますが、それはこれまでの世が【七の世(代)】だったからです。日本神道では【神代七代】として来たなのです。

           大本教から出された【ダルマ大師として現れた】は、真理(ダルマ)の七転八起で物質の七(質)の世は終わり。精神世界の【八の世(代)】が開くなのです。八の世なので末広がりの意味を持つわけです。

           

          最後の審判とは、不信仰で神の怒りに触れたではない

           

          永遠の新時代に向かう立替論なれど、悔い改めが必要

           

           

           

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          漢字に違い。神の御国から一緒に追放された己の「み」と蛇の巳(み)。

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             私達日本人は【漢字圏】の住人で、日常的に漢字を使っています。私は鍾馗神の案内で中国で創造神とも天子ともされる盤古大神に拝謁して、大本教から出された神示には中国で創られた漢字が深く関わっている事実にぶつかりました。

             その漢字で自分のことを【おのれ】と言い【己(こ)】の漢字を使います。この己に似た漢字に【巳】があります。この巳はへび(蛇)を指します。他に巳と己の中間的な【已(い)】があります。この已も己と同様に「おのれ」を指します。この己の漢字も【み】と読まれます。

             

            己と巳の漢字の類似性?。誰も気づかなかったのか!

             

             私は霊能者と呼ばれる様な霊能者ではありませんが、霊能者と呼ばれる方達から高次元世界から降り立った魂で、貴方の前世はイエスではなかったのかと間違われる方もあります。私自身は三度ばかりイエスと思われる霊と遭遇して、少し会話はしましたが私の前世にイエスの時はありません。ナザレのイエスは私とは別の存在です。

             ただ私の霊的体験はバラモン教やヒンズー教の奥義書とされるヴェーダ典の中の【人の中に眠るコブラ蛇が目覚めて走り上がる時、その人は真理に目覚める。】の体験を積んでいます。その事柄から単なる宗教家の道では無く、真理(キリスト)とは何か?。その道を歩かされた者とは言えます。

             

             私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、【そなたが歩く道は、これまで誰も歩いたことが無い道で、そなたがその道を歩く初めての者であり。そなた以後にそなたと同じ道を歩く者は出ない。そなたをもって、その仕組みの道は終わる。】と告げられたがあります。で、どのような仕組みかと思っていたのです。

             私が紐解いた道は大本教神諭に予告された【九つ花に咲く一輪の言霊の経緯(秘密or火水)】ですが、これ自体は朝鮮半島に残されていた最後の審判前、救世の為に【米】一字の教えが起きると予告されていた米型で【369】の数字の仕組みの解読と言えます。英語のスリー、シックス、ナインでは解けないのです。

             私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声は、【世界の宗教書で私の教えは解らない。この国(日本)は私の教えが満ち溢れた世界で唯一つの国である。】と告げられました。大本教と呼ばれる宗教が先駆者と成って走らなければ、私とてこの言葉による仕組みは紐解けなかったと言えます。

             

            真理(キリスト)とは、人の肉体を持った者を指さない

             

            真理はロゴス(言葉)とされたが、言葉そのものの仕組み

             

             霊的世界に関わっていると、この世で人の身であった存在が死後に蛇霊化していることに多々出会います。そうした人の身であった者が死後に蛇霊化するは、霊能者の間では金権とか権力の欲望にまみれた者。また嫉妬や怨念や憎悪の者。男女間の色情から起きる言われて来ました。日本では娘道成寺の安珍清姫の物語で恋焦がれた清姫が蛇霊となったが知られています。それは単なる伝説ではなくて、実際に霊的世界に関われば人の蛇霊化は理解出来る話ではあるのです。

             日本では素戔嗚尊の八岐大蛇退治の神話が有名ですが、そうした事柄は霊的世界に関われば単なる神話では無いと解ります。霊界に起きた事象をこの世でも語っているなのです。

             

             大本教の出口王仁三郎聖師は霊界に【ミカエル】と云う名の天使長は存在していない。日本語の【省みる(かえりみる)】の言葉の意味だと残しておられますが、私は霊界修行の中でよく解らない【棒】に蛇霊が巻き付いており、その棒に蛇霊が巻き付かれた人は精神が狂うことから、その棒は【魂の心棒】だと解りました。この魂の心棒は【神の剣】とも成り。その心棒が光輝くと蛇霊が逃げるなのです。

             そこから私は【ミカエル】と云う言葉には、【巳帰る】が仕込んで有ると解って来たと言えます。

             

             

             

             

             素戔嗚尊の八岐大蛇退治の話に出て来る剣は【天叢雲剣(あめのむらくものつるぎのけん)】と呼ばれていますが、天が【カルマ(業)を取る(叢)】剣のことで、世に龍神と呼ばれる存在もぶつ切りにしてしまう霊剣のことなのです。

             この天叢雲剣とは、スピリチュアル標榜者の前に出て来て天使長ミカエルと名乗る様な霊が持っているような剣のことではないのです。すなわち蛇(巳)を帰らす【巳帰る】の剣と言えるでしょう。スピリチュアルでは自分に天使長ミカエルと称される方が多々あるようですが、天使長ミカエルと名乗って出て来る霊の剣よりも【素戔嗚尊】と名乗る霊が持つ剣の方が威力はあるとなります。

             日本ではその天叢雲剣は熱田神宮に祭られている剣とされていますが、熱田神宮云々ではないのです。人間界に模写されたレプリカの剣では腐ってボロボロになってしまいます。熱田神宮に祀る剣で踊るのではなく、人間が持つ剣ではなく素戔嗚尊たる魂を持った人が持つ霊剣を指しているのです。

             

             旧約聖書では人類の祖とされるアダムとイブは、蛇霊の囁きから神の御国(エデンの園)から追放されたとします。

             その聖書が意味することは

             

            人類は蛇を背負っており、天国に帰るには蛇霊を帰す

             

             私は霊界で修行当時は蛇霊に言向けをしてきました。その言向けに従ってくれた蛇霊は蛇の姿から脱却して麗しい天人姿で神の御国に帰るでした。

             キリスト教ではこの蛇霊の囁きで神の御国(エデンの園)から追放された人類の罪を【原罪】と呼び、イエス一人を主の御子と信じた者はその原罪を赦されて、神の御国に戻れるとしたなのです。それが事実論であれば、キリスト教徒は【輪廻転生】しないことになりますが、実際論としてはキリスト教徒も【輪廻転生】下の中にはあるなのです。

             そこにはイエス一人を主の御子だと拝していても、それだけを持って天国に行く門は開かれていないなのです。それはイエスに人の罪を被ってその罪を肩代わりするだけの権限に霊の浄化力も無かったからです。すなわち地獄閻魔庁の働きを【サタン】だと思ってしまったがあるからです。為にキリスト教は【冥府】の意味が掴み切れなかったのです。

             

             聖書の蛇の囁きは、日本の諺だと【邪の道は蛇】とも成るのです。よこしま(邪)の道に走るとその姿が【蛇霊化】するなのです。この手の話はインターネットで検索すれば落語の【松竹梅】に当たりますが、その落語がその原典ではありません。

             私が子供時代に大本教の節分祭に行くと、広場で演じられた狂言で【当家の長者はジャに成った。】と云うと、すると相手が【何のジャに成られた?。】と聞き返します。すると【当家の長者は蛇のジャに成られた。】と、蛇(ジャ)と長者の(ジャ)の言葉の掛け合わせです。

             その話の原典はお釈迦様の前世で修行僧の時、蛇霊と化した長者との説話にあった思われます。ただその説話となると、インターネット上で検索しても出ていないのです。インターネットは誰かが調べて出さないと存在して来ません。

             イエスの教えに金持ちが天国に行くのは針の穴に駱駝を通すようなものだがありますが、仏教でも長者(金持ち)の蛇霊化として説いているのです。そして霊界見聞して来ると、恨みや怨念だけでなくて金持ちが蛇霊に墜ちるが見聞出来るなのです。

             

            この世は【悔い改める】で、懺悔が天人界に戻る道

             

            スピの神は愛で何をしても赦されるは、地獄への道

             

             しかし、一度蛇霊化してしまうと簡単には悔い改めるが出来なくなってしまうのです。それは蛇霊化することで、蛇霊で三千年間修行すれば【龍】と成る霊力を得るからです。それが行者筋の龍神とは霊界で三千年の修行を積んだ大蛇霊。聖書では龍神とは霊界で年老いた大蛇霊とする話になるのです。  

             それは今の神霊界は【正義】等では無く、力の強い者が勝つ。【勝てば官軍。負ければ賊軍】の習いで、【霊界における力の支配による原理原則】が働いているからです。

             大本教霊界物語においては、蛇霊に囁きに毒された神々の多数決により国常立尊様の御引退が起きたことになっていますが、その国常立尊様が天の主宰神の座に復帰が大本教から予告されたなのです。今の地上神界の名目の主宰神は【盤古大神】となっているなのです。

             

            国常立尊様の御復帰は、反対派の蛇霊達と最終決戦

             

             この日本で大予言者としての実績を持たれた大本教の出口王仁三郎聖師は、霊界物語の第十三巻信天翁(アホウドリ)の中で、【この大本に現れた変性女子はニセ者だ。・・・・・・時節を待っていたならば、みのか尾張の国の中・・・・・・。】がありますが、この【みのか尾張の国の中】に、【「み」の終わり】の言葉が秘められているのです。

             

            巳の終わりか!。己の終わりか!。実の終わりか!

             

            西暦2025年は最後の【みの終わり】年に該当か!

             

             日本の霊能者は現状の神霊界は蛇霊や狐霊と呼ばれる神々の力が強いことを認識しています。その中でこれまでは蛇霊神として活動していた神が、霊界の流れに変化が起きたことから悔い改めたが出来た蛇霊神は天上界にと戻っていかれつつあります。残るのは悔い改められない蛇霊達となります。それは今の神霊界の働きは昔に比べると格段と弱くなって来ているのです。霊能者商売は楽でないとなります。

             そうした蛇霊達は霊的変化から自分の身を守る為に、自分が悔い改めるのではなくて蛇霊の憑依を赦す人。そうした肉体に入って、自己に関わる【難】を逃れようとしています。

             

            もう蛇霊に憑依されて邪の道に走りましたの抗弁効かず

             

             

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            この世で50年間艱難辛苦の苦しみも、霊界で500年間は神霊として生活保障!?

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               私達日本人の大多数は所属する宗派は違えども、お釈迦様が開かれた仏教徒と言えます。そのお釈迦様の教えの一つに【この世は苦界】があります。苦界の意味は広辞苑ですと【仏語として、苦しみの絶えない世界、人間界を言う。】となっています。普通は生死を繰り返して【流転(転生)】する世のことを指します。流転と呼ばれる生死を繰り返す事柄は【輪廻転生】と呼ばれる事柄を知った上での話です。

               しかし【苦界】の意味は【人間界】だけでは、意味がさっぱり解らないとなります。辞書に書いてあることは必ずしも正しくありません。それはその言葉の意味の原典が必ずしも明らかで無い場合、それがどの様な状況からその言葉が出たかが明らかではないからです。

               例えば【地獄の沙汰も金次第。】も辞書の解釈は、その原典と成る物を見ていないがあるのです。辞書の解説だけを見ていると閻魔大王と呼ばれる存在でも【金に転ぶ】と勘違いを起こさせます。それは日本昔話にある物語を見ていないからです。私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声から【この国(日本)は私の教えが満ち溢れた世界で唯一つの国で有る。世界の宗教書に私の教えは無い。】と告げられました。そして【私の教えは、この日本の昔話や民話や諺や童歌に入れてある。私の教えを知りたくば、日本の昔話や民話や諺や童歌から学びなさい。】と告げられたなのです。

               

               私が子供の頃には旧約聖書の神と称する声が臨んでいて、私に【人は生まれては死に、生まれては死にを繰り返している。】と告げて来られました。すなわち【輪廻転生】です。自称と言えども旧約聖書の神と称する声から【輪廻転生】の言葉が出て来たことは驚くことでした。しかしその人の魂は永遠の命では無く、腐ったりもする。魂を腐らせれば魂の命を終えると言われます。

               魂は永遠性を持って長い時間を生きることが出来るにも関わらず。この世の僅かな時間たる瞬時の【刹那心】に溺れてしまい、自己の永遠性の命を持った魂を腐らせてしまうのは実にもったいないことだと言われたのです。そのことを各自が理解していれば、この世の僅かな時間(刹那)に生じる心から自殺を謀ったりもしないはずなのです。この世での一時の苦に耐える力を養うことは、魂にとって大切なことだからです。魂を磨くという事は永遠性を持った魂の命を守る為で有り、その魂を磨くことは辛い作業でもあるのです。  

               要は、その苦しさから逃げるかどうかです。

               

              この世は魂を磨く場所と心得ていれば、忍耐も出来る

               

              僅かな時間の苦しみから逃げる為の自殺は神罰の対象

               

               旧約聖書の神と称する声は、その輪廻転生の世界の中で自己の魂を磨く場所として私が【この世】と呼ばれる世界を創ったと言われます。確かに仏教は【輪廻転生】の教えを説き、各自の魂を磨く場所としてこの世の存在を説いてはいます。この世とあの世です。死後はあの世に渡るです。この世は魂を磨く場所なので【苦界】と言えます。

               一部のスピリチュアル標榜者にみられる、この世は遊ぶ処ですの論は無いのです。しかしその為の魂の修行場であるこの世をいったい誰が創ったのか?。その言及が仏教ではあまりなされなかったと言えます。

               そこに、一部の霊能者は旧約聖書のエホバの神は【人間の魂を太らせて食べる為にこの世を創った悪神だ!。】等の説も見られます。そうした論者は、霊界の根本たる摂理、【魂は磨かないと腐る】が解っていないと言えます。私はスピリチュアルで語るエンジェル等は、つまんで泥池の中で修業して来いと一喝して泥池の中に落としてあげると言います。苦しみという泥水をすする体験をしないと解らないことがあるのです。

               私は子供の頃、旧約聖書の神と称する声から【私はそなたを社会の底辺に置く。社会の底辺を蛆虫のごとく這ってでも生きよ。】と告げられました。その時は蛆虫とは何事?。【蠅】に成って何の意味があるのかと思いましたが、言葉の道の【這え】は社会の底辺を歩かないと紐解けないようになっていました。そうした社会の底辺の体験を積んだ魂が天人や神と成って行くのです。

               この世での艱難辛苦に耐えた魂は天上世界(神の御国)に戻るなのです。この世を遊んで終われば、元の天上世界には戻れないのです。

               

              旧約聖書の神が人の魂を育てて磨く目的は何だったか?

               

              汚れを知らぬエンジェルは、泥池でも咲く白蓮では無い

               

               仏教の【南無妙法蓮華経】の意味は原語であるサンスクリット語では、【根は泥の中に有っても水面に汚れがない白蓮の花を咲かせる仏様に自分は帰依します。】の意味だったことが、最近の言語研究で解って来ました。南無妙法蓮華経の七文字がこの世を創ったではないのです。

               

              苦難を体験した魂で無いと、邪悪の勢力に潰されてしまう

               

               一部の宗教団体の背後には、人の魂を腐らせてそれを食べる存在もあるにはあります。それが俗に【悪魔に死後に自分の魂を食べさせる約束をすれば、今の世での願いや栄華を叶えてもらえる。】の話なのです。この世では悪魔に自分の魂を売る存在の方がいても、天は魂を悪魔に売る行為を止めているではないのです。この世は天国ではなくて、魂の修行修学の場だからです。この世に出ると、どの魂も自己責任の範疇になるからです。

               

              人は自分は願わないのにこの世に降ろされた者ではない

               

              そこに魂の総親神と自分の魂を磨く契約の示しが【禊ぎ】

               

               イエスの有名な教えに、【金持ちが天国に入るのは、針の穴にラクダを通すようなものだ。】があります。西洋のある文豪は牧師からそうした教えを受けて、金持ちだと天国には行けないと全財産を教会に寄進して本人は野垂れ死にをしたがあります。金持ちは天国界に行けないと云うのは表面から見た事象としてはそうなのですが、金持ちが原因で地獄界に墜ちるでは無いのです。そこにはこの世は【苦界】の基本の教えが抜けているのが見えるのです。

               宗教家や霊能者の中には神仏の存在と関わりながら、金、金、金に走って死後は地獄界に落ちて行かれた方達も多数あります。自分が祈っている存在は何物なのか?。何の目も向けていなかったなのです。そうした宗教家や霊能者の魂が死後の世界で蛇霊と化しているが見受けられるのです。そこに【蛇と金】の関係があるのてす。

               巳さん信仰をすれば金が入るとする信仰は事実です。そこに何故?。そうした疑問が抜けていたなのです。魂の玉思惟たる思惟を働かせず、玉恣意の恣意(自己中心主義)ばかりに走ると【蛇と金】の関係が読み解けないなのです。

               

              金銀財宝を山ほど積んでも、自己の魂が磨けるか?

               

              輪廻転生の世界には、魂の修行場(天人の苗床)が必要

               

               丹波の片田舎の綾部で発祥した宗教【大本】は、希代の予言者たる出口王仁三郎聖師を出して【この世は天人の苗床】を出しました。しかしこの世は天人の苗床で在っても、この世に生きたからで【死後は天国】が約束されているではないのです。天人と成る条件を適えないと天国界には行けないのです。

               

              天人の苗床で生きても、何の【苗】だったのか理解せず

               

              この世は天人の修行場なら、修行場には試練が存在する

               

               私は自分の身に起きた摩訶不思議な事件を起因として、その意味を知る為に多くの霊能者の元に走りました。そうした中で隣市の稲荷神社の神主をしておられた伏見稲荷大社講務本庁の三丹支部長で豊受姫の御代(台)であった砂澤たまゑ師に出会い、豊受姫から私の本守護神は地上神界では国常立尊。天上界では天之御中主と呼ばれる御神霊であると教えて貰いました。

               しかしそうした高い御神霊が自分の本守護神だからと言って喜べないのです。逆に自分になまじ高い御神霊が存在すると、苦労に苦労を強いられるのです。そこが天皇家や殿様の家に生まれ出ればそうした身分で暮らせるとは【真逆】の生活を強いられるからです。それは守って貰えるではなく、自分で這い上がらないと見捨てられるなのです。

               天之御中主と国常立尊の関連性は既に大本教から出されていますが、私が子供の頃に臨んでいた霊声は旧約聖書の神と称しておられました。その豊受姫から告げられたことから、私的には旧約聖書の神=国常立尊(ウシトラ金神)とが繋がったと言えます。そして私の背後に現れた閻魔大王と呼ばれる存在で、大本教から出された【この世の閻魔】の意味も解けて来たのです。

               大本教から出された【節分の炒り豆にも花が咲く】は、閻魔庁の門番たる鬼(牛頭虎パンツの存在)に節分の夜は【鬼は外】と炒り豆を投げつける行為に対してです。当然そこにはその鬼達は閻魔庁の使徒たる役人であることが解ってしている行為となるわけです。がほとんどの人は何の考えも無しでやっているです。それは創造神を追いやったとなる行為なのです。

               

               その豊受姫から、私は自分の父親を9歳で失い。父方の祖父の家を訪れることもほとんどありませんでしたが、その祖父の元屋敷には祠が存在しました。その祠には稲荷が祀られていたと言われます。私はその祖父の家で生まれたことから、生まれた時から稲荷神と関りを持っていたと豊受姫から告げられたなのです。

               その豊受姫は私が幼い頃に大病を患い、その時に二人の医師の一人は私の親に私が死ぬ覚悟をするように告げたと言われます。私は親から大病を患い医師から死を覚悟する様に告げられた話は聞いていましたが、二人の医師の内の一人からとは聞いてもいませんでした。

               私は神霊界に関わって、神霊には過去の事象は解ると知りました。私はスピリチュアルで盛んになった前世を見る商売人ではありませんが、私の守護霊団から人によってはその人が過去世で何をしたか!。その時にした罪の行為を見せられるがあります。その罪の重さ!。それは今の世の苦しみに繋がっており、可哀想だの概念では処理出来ないのです。今の世で過去世の罪を解消させなければ次の人生へと永遠に引きずるなのです。

               

              この世に居る者で、過去世の罪を負って居ない者はない

               

              閻魔庁の裁きに間違いが無いのは、全て記録にある

               

               その豊受姫は私に過酷な【試練】を与える仕組みをしたが、私の母親の守護神の力が豊受姫よりも上位格の神であったが為に、豊受姫が私に与えようとしていた試練を母親の力が阻害し、これでもか!。これでもか!。と言う試練を私に与えそこなったと嘆かれたと砂澤師から言われました。私を自殺寸前まで追い込む予定だったです。

               その時は豊受姫が自分より上位の神と告げられた神が何神かは解りませんでした。私の母親がこの世を去る前に、私の母親に出て来られた神が大本教から【豊国姫(坤金神)】の名で世に告げられた神霊だと解ったなのです。豊国姫であれば、当然に豊受姫より上位に当たる御神霊とは言えます。しかし私の母親の一生は苦労に苦労だったなのです。私の母親も大本教の出口なお開祖の様に【社会の底辺】を歩かされたのです。

               スピリチュアル標榜では無い一流の行者筋ならば、本来の神は御利益を授けるのではなくて、高い魂の持ち主にはこれでもか!。これでもか!。と云うほどの辛い試練を与えると言われます。その試練を受けている人から見れば、それは悪魔的存在と思われかねないなのです。

               

              本来の神は、高い魂の持ち主には苦難の試練を与える

               

              生半可の知識で神を語ると、試練を与えるは悪魔と思う

               

               大本教の出口王仁三郎聖師は、【天国に案内すると言いながら、地獄界に案内する取次ばかり。】と述べておられますが、スピリチュアル標榜で語る【この世は遊ぶ処です。魂磨きは辛いから止めましょう。良心の呵責は重いから捨てましょう。神は愛だから何をしても赦してくださる。】の論は、どこから出て来たのか?、単に霊が見えるだけの霊感者の言葉ならば、地獄界に案内されてしまうなのです。

               私の神霊界修業のお世話をして頂き豊受姫の御代であった砂澤師は、豊受姫の御代としての修行中、あまりの修行の辛さに2回も自殺を謀っておられます。しかし豊受姫の死なせはしない。自殺を謀っても無駄と解ってからは、どんなに辛いことも前向きで受け止めるになったと言われます。

               私も滝行中に受けた滝水の冷たさに脳が麻痺して来ましたが滝場から出ず、あまりにも辛い神霊界修行をおさらばして死ねると喜んだところ、その滝場に三つの光が飛び込んで来て、これは死なせて貰えないと理解した時、私の横で滝行の指導をしていた砂澤師が滝の水を切る水切りの術で私の体に滝水が掛からないようにされたがあります。その時の様子を見ていた伏見稲荷大社講の三丹支部の信者の方達は、私の体に滝水が掛からなくなった現象に皆さん驚いたと言われます。

               

               その砂澤師に滝場に飛び込んできた三つの光のことを聞くと、最初にこの滝場の御堂に祀られている観音様が飛び込まれ、次にこの滝場の守護であるお不動様が飛び込まれて、さらにどこの稲荷様かは解りませんでしたが伏見稲荷山から飛んでこられた稲荷様があり、貴方の身に異常が起きていると解って水切りの術を使って貴方に滝水が掛からないようにしたと言われます。

               その時の一行が滝受けをする前、その御堂から御経が聞こえてくるので砂澤師にいったいどなたがあの御堂で御経を上げておられるのですかと尋ねると、砂澤師はこの御堂は観音堂で観音様が祀られています。その観音様が私達の為に【観音経】を唱えて下さっているのですと教えて貰っており、観音さんとお不動さんと稲荷さんとの説明で、私も砂澤師と同様に簡単には死なせて貰えない運命だと理解したがあります。そして皆さんが神は光だと言う言葉にも納得したがあります。

               霊能者と呼ばれる方達の中には神は光で姿は無いと主張される方達もありますが、その神の光を人の姿で視認する。霊能力と呼ばれる物は各種あるなのです。

               

              世には神に生かされているが、試練を受ける魂もある

               

              その人に神が付いているかは、死に直面した時に解る

               

               私がお世話になった豊受姫の御代(台)であった砂澤師は、私に【この世ではどんなに辛い人生でもたかだか50年間程度です。その辛い修行の代償として、この世を去って500年間、神様の座に就かせて貰う。そのどちらが得かです。】と言っておられましたが、砂澤師は死後は豊受姫が主宰される稲荷神界の一員の神と成ることの約束がなされていました。

               この手の話は日本神道界では死後に神社の祭神として赴任する資格の【神位】を得る話で、大本教神論の【人には神とも成れる魂が授けてあるにも関わらず。】の神と呼ばれる位の話です。大本教霊界物語ではそうした資格を有する魂は【霊国】天使や住人と記載されています。この【霊国】の概念はキリスト教やイスラム教には無いと言えます。それはイエスの霊界での階級は、キリスト教徒が思うほど高くなかったがあります。

               しかし神様と呼ばれる地位に上がったとしても、またもや【人(霊止)】としてこの世に降ろされる。そこには岡本天明師の日月(ひふみ)神示における【天の岩戸】の岩戸は数字の【一八十】の意味だと解析された様に、神の位には【百八十】段という位が存在しています。仮に神と呼ばれる地位に上がったとしても、更にその地位を上げる為には【人として、この世に出る】必要があるのです。

               現代の霊学では天国と言っても第一天国(如来界)、第二天国(菩薩界)、第三天国(羅漢等)の界の存在が解っています。霊界のどこを見渡しても存在していないとされて来た天帝と呼ばれる存在は、既存の第一天国界よりも上界に存在していると大本教の出口王仁三郎聖師は明らかにされました。私が神霊界修行をお世話していただいた豊受姫は、天帝の御座所は豊受姫でも解らない界と言われます。

               

              神の世界とは、神と呼ばれる方達でも簡単には解らない

               

               日本の仏教で日本で神と呼ばれている存在でも【輪廻転生】は免れてはいないとして、仏教の菩薩よりも高い身分として【大菩薩】の称号を贈ったがあります。そこには神や仏といえども【輪廻転生】を免れないと見たわけです。

               

              輪廻転生は魂の地位を上げる為で、この世は苦界

               

              輪廻転生制度が終わると、その時点が魂の永遠の地位

               

               しかしこの世で50年間苦労すれば、500年間は神の位を得られるの数字に何の根拠があるのかとなります。私が伏見稲荷神界でお世話になっている当時、一割返しがありました。神霊から何かをして貰うと、そのお礼として約一割を差し出すです。それを踏まえると500年間は神の座にして貰うには、この世で50年間は艱難辛苦に耐えるともなります。

               

              人の魂に苦難を課した艮金神とは、悪神だったのか?

               

              甘やかして魂を腐らせる道を歩かせるのが神か?

               

               

               

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              ヨハネの黙示録。ハルマゲドンは起きえる事象か?。見え隠れする神界の最終戦争。

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                 丹波の片田舎の綾部から発祥した宗教【大本】から、ウシトラ金神・国常立尊の名の元に世の大立替が予告されました。そこに希代の予言者と言うべき大本教二代目教主補として出口王仁三郎聖師が出て、その予言の数々は的中しました。

                 それは神と呼ばれる存在は人の病気治しをしたり、稲荷神や巳さん信仰で知られる様な人に現世御利益を与えるだけの存在では無く、関東大震災の様な大地震の予知を始め広島や長崎に新型爆弾が落ちて【火の海】になる等の未だ来てもいない未来の予言がなされて当たる実証がなされました。大正時代に出された霊界物語には現代のスマホの様な機器の存在の登場も予告されています。

                 私の霊界修行の世話をして頂いた神は伏見稲荷山で【豊受姫】として祭られている御神霊でしたが、その御陰で御神霊も【四魂】によってその御神名が変わるなども教えて貰いました。その豊受姫は阪神淡路大震災や普賢岳爆発を事前予告。アメリカにおける世界貿易センタービル爆破のテロ(9.11事件)にまつわる霊界のある出来事に関しても事前に述べておられます。この世に大きな天変地異を含む大事件がある場合、その背後には必ず霊界の働きもあるのです。

                 古来よりこの世に起きる大災害や大事変の背後には必ず霊界の作用があるとする論はありましたが、それを語るだけの神の代位者(予言者)が居なかったと言えます。

                 

                力の有る神と力の無い神の差は、未来を見通せる力の差

                 

                霊界には未来を写す映像があり、未来の予測は出来る

                 

                 スピリチュアル標榜者の中には未来は決まっていませんと言う方達がありますが、霊界には未来に現れるであろうところの映像があります。予言者と呼ばれる人達はその映像を見て語っているのです。大予言者と言えた大本教の出口王仁三郎聖師は、霊界に現れた映像は必ずこの世に現れる。ただその映像が何年後に起きるのかが解らないと言っておられます。それが二千年後であれば、そこに予言の意味があるのかとなるのです。ただそうした霊界が見せる映像は、その規模では無く小さな泡程度の現象で終わることもあるなのです。

                 スピリチュアルと呼ばれる事柄に関わる人から出るものは、人の未来の恋愛運の様な事が主体で【人類全体の将来】を予言する様な話は出て来ません。同じ【霊的世界】に関わっていても、見ている霊世界がまったく違います。そこに【霊界次元】と呼ばれる事柄が存在して来ます。いくら霊界の映像でも高次元界からの映像で無いと、この世で起きえないと言えます。

                 

                 人は三次元と呼ばれる世界に生きて、通常の霊は死後は四次元界で生きます。五次元界位から神と呼ばれています。それが岡本天明師の日月神示に見られる【三四五(みよいづ)】の論理で有り。今日では霊界には第一天国界、第二天国界、第三天国界の存在が解っていますが、それは次元が違う世界となります。みろくの世とは霊界でも高度の【五次元、六次元、七次元】で構成される世界となるのです。三次元の肉体のままで入れる世界ではありません。

                 一部の霊能者の間ではキリスト教徒は第一天国界には進めていないと言う話がありますが、神は愛だと言う論理だけでは【如来界】とも言われる智惠が重要な第一天国界の天人の座には進みようが無いと言えます。この世で誰かを拝めば、自分に【如来の様な叡智】が付くか?。なのです。

                 

                人の恋愛を予言するのと地球の未来予言は次元が違う

                 

                 予言というジャンル(分類)だけで言うならば、よく耳にするのが新約聖書の【ヨハネの黙示録】が話題になります。このヨハネはイエスの使徒であったところのヨハネなのか、それとも別のヨハネなのか諸説あり、はっきりしません。ただこの日本ではそのヨハネは【四八音(ヨハネ)】の役割と理解する人達もあるのです。

                 大本教の神諭に出された【神三千年間に渡る仕組み】を考えるならば、その仕組みの中には当然イエスも有るとは言えるのです。それはヨハネの黙示録の反イエスの象徴として【666】の数字が知られていますが、世紀の大予言者として実績を発揮された大本教の出口王仁三郎聖師はその666を【みろく大神】として世に出されたがあります。

                 キリスト教のイエスと56億7千万の【みろく】神とは、相反する存在なのです。キリスト教の教義では冥府の長官は【サタン】扱いにされてしまいました。大本教からは【国常立尊は悪神として、世に追われた。】と出されましたが、【鬼門の金神は悪神】だとする人達も今も後は絶ちません。そこには【自分が犯した罪を償わない】ことを間違っていないとする勢力もあるということなのです。

                 

                今の霊界を見れば、勝てば官軍。負ければ賊軍

                 

                みろく大神(666)は反イエス?。するとイエスは何者?

                 

                 霊界には【天使の記章】と呼ばれる階級章があるとされます。霊界に存在する魂を次元格で見る時、神の高山(ピラミッド)の合目を次元格として語るがあります。その場合、十合目十次元が頂上神となりますので頂上神の存在は【白十字】で表現するとなります。日本語では【天(テン)】と【十(テン)】は連動しているのです。

                 幸福の科学の開祖であった大川氏は、お釈迦様とイエスとモーゼは神の高山論においては八次元格とされていることから、自分はその三体の魂の本体たる上位のエルで九次元格の魂だと称してデビューされました。有能な霊能者達は大川氏はそんな高次元の魂の持ち主ではなかったと見做します。後に大川氏は自分は十三次元だと称したことで、自ら自分は【ニセ者】だと白状したのと同じ墓穴を掘ったなのです。

                 有能な霊能者からは、お釈迦様やイエスや孔子や大本教の出口王仁三郎聖師の様な魂は八次元格の魂だったと言われています。弘法大師や日蓮聖人等も高い次元格の魂の持ち主であったなのです。一部の人達から救世主だと言われていた【五井野正(七次元よりの使者の著者)】博士やヨガで知られた【本山博】博士も自分は七次元格の魂だと自称されていたがあります。

                 

                 大本教の出口王仁三郎聖師は自分は素戔嗚尊の魂で救世主だと名乗りを上げて、後に大本に現れた変性女子はニセ者だと発表されると、巷には自分は素戔嗚尊の七次元の魂で救世主ですと名乗りを上げる様な人達も多数出て来られました。有能な霊能者の方達からは大本教の出口王仁三郎聖師の魂は七次元格ではなくて、素戔嗚尊の八次元格の分魂であったと見做されています。なのに何故に自分は【ニセ者】発表をされたのか?。そのことを知らない自称救世主の間では、自分は七次元格の素戔嗚尊の名乗りが多いと言えます。

                 大本教の出口王仁三郎聖師の救世主の演技は、世にニセ神達を炙り出す仕掛けでもあったなのです。そしてイエスは救世主では無かったことを教える為です。しかしそれは霊界は一柱の神が全面的に統括しているのではなく、多様の神々も存在している証なのです。そこには天帝と呼ばれる神の存在が霊界においてあまり見えないがあります。

                 

                 私は稲荷神界で【お狐さんや巳さん(蛇霊)】と関わって来ました。私の霊界修行のお世話を頂いた当時の師匠は伏見稲荷大社講務本庁三丹支部長であった砂沢たまゑ師で晩年に書籍を出され、その著本は当時伏見稲荷大社の信者が泊まる参集殿の売店で伏見稲荷大社の準公式本の扱いでお稲荷さんを説明する本として売られていたほどなのです。それは神主をしている者でも神霊の姿は見えないからです。

                 実践霊能者として有能だった砂沢師自身は【自分は神様は狐さんや巳さん(蛇)だと思っています。】と言っていた様に、現実の神霊界は蛇霊(巳さん)や狐霊と呼ばれる低次元霊界に属する霊に支配されているなのです。ただそうした狐さんとか巳さんは狐や蛇の姿を取るのではなくて、霊能者から見た時は人の姿で見えます。ただその人間のお尻から霊的な大きな尻尾が見えたりするのです。

                 

                 私はある霊能者から、貴方は神々の世界に教えをする為に高次元霊世界から降り立たれた高い身分の魂の方だが、この地球が所属する霊界とは低次元の霊世界で狐霊や蛇霊の力の助けが無いと何一つ動かせませんよと告げられました。この世は霊界における身分(天使の記章)だけでは動かせないのです。

                 私の元に【あんたは天帝に仕えるところのたかが一天使に過ぎない。何の神力も持ってはいない。そんな存在、何一つ怖くない。】と言って来られた方がありました。私が天帝に仕えるところの天使だと知っていても、何の神力を持たなければ私の言葉に従う御神霊など無いのと同じなのです。

                 私が初めて伏見稲荷山に上がった時、豊受姫の御代を勤めておられた砂沢師から豊受姫の言葉として、【貴方は言葉の神と呼ばれる貴き御方で、貴方の言葉による教えは天帝の詔(みことのり)と同様の物で、貴方が説く言葉の教えに従えないと言う神は如何なる地位の神で在っても天帝に反逆する神と見做さて、最後には処罰される。】と告げられました。今の神霊界とは、天帝が存在していてその力を振るわない限り天帝など【糞喰らえ】なのです。

                 

                 その言葉による教えとは、大本教神諭に予告された【九つ花に咲く一輪の言霊の経緯(秘密)】なのです。それは369の数字を持って【56億7千万】の秘密を解き明かす仕組みがなされていたと言えます。

                 

                 私は最初、どうしてこの地球の霊界はこれほど蛇霊が支配しているのかと思っておりましたが、聖書にある蛇霊の囁きで蛇と一緒に神の御国(エデンの園)を追放された人類で、この地球では人類と蛇霊の仲は斬っても切れない関係で成り立っていると解ってきました。

                 

                邪の道は蛇。人が神の御国に帰る為には巳を帰らせる

                 

                 

                 キリスト教では蛇霊の囁きで神の御国(エデンの園)を追放された人類とする事柄は【人類の原罪】とされ、イエス一人を主の御子と認めればその罪が赦されて天国界に救われると説いたなのです。為にイエスを主の一人御子と信じて拝していれば天国だで今日まで来た為に、逆に【真相に蓋がなされてしまった。】と言えます。

                 この日本は国常立尊の陰守護で国内にキリスト教を入れなかったことにより、キリスト教宣教師が先兵となる植民地国家にされませんでした。日本人のキリスト教信徒の一部は海外に奴隷として売られた事実があります。為に国内では狐さんや巳さん(蛇霊)信仰がかなり盛んで、巳さん(蛇霊)等を通じて霊世界を学ぶことが可能だったのです。

                 日本の神智学で愛ばかり言っているスピリチュアル標榜者は蛇霊の容器になっている者とされますが、何をしても神の愛で赦される。そうした教えが誤っていることに気づけなくなってしまうのです。

                 旧約聖書は悪の種を撒いた者は、その悪の果実まで刈り取りしないといけないとします。どこにも神の愛で悪が赦されるなどの記述はされてはいないのです。それが当たり前の教えなのです。ところがイエス一人を主の御子と拝んでいれば赦される。神は愛で、何をしても神の愛で赦されると説いている者達の本当の正体が何で在ったのかなのです。

                 

                私が見たのは蛇霊に唆された神霊も改心で天人に帰る

                 

                 それが旧約聖書だったのか新約聖書だったのかは覚えていませんが、【龍神とは霊界で年老いた大蛇霊】とあります。日本の行者筋では龍神とは何者かと尋ねると、霊界の海・山・川、あるいは火・山・川で各各千年。合計三千年間修業した大蛇霊だと言われます。その意味では聖書も日本の行者筋も龍神とは霊界で三千年間もの修業を積んだ老いた大蛇霊で有るとは解っているのです。

                 ところが大本教から龍神の多くは霊界の年老いた大蛇霊のことではあるが、そうでは無い龍神達の記述があり、蛇霊出身では無い龍神とは何か?。を追求していくと、そこに【流神】と呼ぶ言葉が出て来るのです。

                 巷で自分は七次元の素戔嗚尊の魂たる救世主で、自分には三輪山の五次元界の黒龍神が何百万騎も従っていると言われて来た方がありました。他に自分には六次元界の白龍神が何千万騎も従っていると言って来られる方もあります。この世での私の名前を言い当てるほどの霊力を持たれた方も居られましたが、それら龍神とは宇宙を造営したところの【流神】とは言い難いなのです。

                 

                 多くの霊能者や神々の世界を廻っても、世に【創造神】と呼ばれる神の存在はよく解りません。私は伏見稲荷山で神として崇められている蛇霊神の【泣く声】を聞いて来ました。いくら神と呼ばれて祀られていても、【蛇の身】に成った自分を嘆く泣き声です。蛇の身に変えられた自分を見た時、誰も嬉しくないでしょう。時には泣くでしょう。

                 

                神の存在否定は、狐霊や蛇霊から神の存在を見ていない

                 

                西洋の唯一神信仰は、逆に末端の多神の存在が解らない

                 

                 大本教から【三千世界(大宇宙)】の大立替が予告されたのですが、そんな途方もないことが起きるかとなったならば、人類の上にそんな出来事はこれまで一度も起きてはいないでしょう。そのことに関して大本教からは【宇宙開闢以来の出来事】と言い、第二の【天の岩戸開け】とも出されました。そして大本教霊界物語は蛇霊の囁きに支配された神々の多数決で国常立尊様は御引退された。その悪神達によって引退を強要された国常立尊様が、時節が巡って元の天の主宰神の座に御復帰される。】が説かれました。

                 その天の主宰神の座に御復帰に当たり、これまでの神霊達はそれを納得してそれに従うかとなりますと、それはあり得ないのです。反国常立尊としての旗印を表に出された神々は、最後の神界決戦に臨むなのです。これが大本教神諭に予告されたウシトラ金神国常立尊が邪神達の連合軍に負けたならば、その悪神達に従ってやると言う内容になっているのです。

                 

                 宗教の世界では一部にはなりますが【神界最終戦争】が述べられています。その多くは【善神と悪神】との戦いの二元論で意味は解りますが、スピリチュアルだと【光と闇】の戦いとします。しかし一部なりとも霊界見聞をすると光を放つが善で、闇が悪の定義はおかしいとなるのです。邪神とされる黒龍神等が霊界の太陽を創り出して、自分達が創り出した霊界の王国に信徒を導くをしています。光を放っているからそれが善霊とは限らないのです。

                 一般的には【闇は悪】だとされて来ました。それは地獄を見聞して来れば闇の世界だからです。しかしそれは【エネルギー】の有無の概念で見ると、多大なエネルギーを持つ存在は光を放ち、そうしたエネルギーを持たない存在は暗い世界に居るとなります。霊玉と霊玉がぶつかると花火の様な閃光を放ちます。音と共にその周囲が一瞬明るくなるのです。そこには【音波】が見られるのです。

                 

                闇の漢字は【門の中に音】。音は【日立】で光を創る

                 

                 スピリチュアルで語る【神界の最終戦争は光の天使と闇の天使の戦い】は、【善と悪】の概念では解らないと言えるのです。今の神霊界は天帝と呼ばれる存在は語られますが、その存在を見た神々や霊能者はほとんどおらず、よく解らないのが実態です。ただ今の神霊界は力の強い者が勝つ。勝てば官軍。負ければ賊軍の論理が支配してなのです。

                 

                天の岩戸開けと予告されて来た光とは何の光か?

                 

                宇宙造営に関わった流(龍)神達はどこに行った?

                 

                 大本教から【世の大立替】が予告されましたが、今の実態としてはそんな気配は見当たらないでしょう。しかし日本語に限られていますが言葉では完璧なほど仕組みがなされています。

                 そしてこれまでは霊能者と呼ばれていた人達を見るならば、これまでのような霊力を振るえなくなっています。多くの霊能者が店終いを起こしているなのです。その霊能者達の店終い。そこにはその背後に存在した神霊達の活動も消えているがあるのです。何かが起きようとしている前触れです。   

                 大本教から予告された【世の大立替】とは、国常立尊派と反国常立尊派の龍と龍とが最後の神界戦争としてぶつかる危険性が高いと言えます。遊んでいて【永遠に嬉し嬉しのみろくの世】等来るはずもないでしょう。

                 

                 私がお世話になった伏見稲荷山の豊受姫は【神界が神々の流す血で海と成りかねない。】とも述べられたなのです。

                 

                 

                 

                 

                 

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                魂は心臓に宿るが霊は肉体のどこに宿る?。霊は【チ】と発音し【血】に宿る。

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                   大本教から人は【霊(ヒ)止(ト)】と呼ばれる存在だと、世界の宗教に類が無い教えが出されました。

                   

                   私は中国の鍾馗神の案内で中国では創造神とも天子ともされる【盤古】大神に拝謁し、それまで盤古大神など聞いたことも無い神名だったので、それが如何なる神なのか知る為に当時高価であった大本教の霊界物語全集を買い求めて読みました。その中で盤古大神から日本の国祖大神国常立尊様に神界の主宰神の座が返還されるの予告に触れて、もしかすると漢字は中国からとされていますが、その背後には国常立尊様の遠大なる【神の計画書】の一環があるのではないかと感じたがあります。

                   それは私が子供の頃に臨んでいた旧約聖書の神と称する声が、【この国(日本)は私の教えが満ち溢れた世界で唯一つの国であり。世界の宗教書では私のことは解らない。】と告げられたことからです。日本語は漢字が無いと言葉の【感じ】が掴めません。そして霊界に現れる【光の金文字】の存在です。これは漢字が【象形文字】に起因していることから起こると考えられるのです。

                   形が無い霊的世界から【形・型】がある物質(三次元)世界の創作です。仏教には形がある物は滅びるが形が無い物は滅びないの教えがあります。【形を変えて在り続ける】霊界の存在です。科学はそこに実在する物質がないと実証出来ません。為に科学では神は解明できないとなります。

                   

                   この日本は古来より【言霊の幸はふ国】と呼ばれ、言霊と呼ばれる存在が語られて来ました。新約聖書にも【神は言葉(ロゴス)なりき】とありますが、西洋の場合はその言葉が【言霊】の概念とは違っています。私は伏見稲荷山神界で霊界の見聞のお世話になりましたが、現世御利益主義の稲荷神界を離れて【言霊の世界】に転じました。そして【言霊】とは何かと解った時、私がそれまで持っていた【神観】など吹っ飛んだと言えます。

                   

                  言霊が解ると、神は言で示し申すで概念が変わる

                   

                   この日本では創造神に関してはほとんど語られません。主に語られるのは天皇家の御先祖ともされる伊勢神宮の天照皇大神と呼ばれている存在です。そして出雲大社の大国主命様であったりです。創造神と呼ばれる存在は主に西洋で語られると言えます。ただそこには【想像】から【創造】に進む過程が説かれていません。英語だと想像は【イマジネーション】です。そして創造は【クリエーション】です。言葉が違っています。ところが日本語だと【想像主】は【創造主】に結びつけることが出来るのです。

                   そして神の御言(みこと)が、命(みこと)の意味を教えるのです。

                   

                  日本語の創造と想像は神の世界では同じ意味を持つ

                   

                  万物の想像主の御言(命)が万物を創造をした

                   

                   キリスト教が支配する西洋の英語で魂は【ソウル】です。精神は【スピリット】と呼ばれていますが、英語で魂はどのような物かが解る言葉はありません。ソウルでもスピリットでも【心】の事だとはおぼろげに理解は出来るのですが、【心は心臓】と言う言葉に結びついていないのです。

                   西洋における【ハート】も肉体の部位として【心臓】を語ってはいますが、もし魂は心臓に宿ると解っていたならば【心臓移植手術】は何を語るのか?。神に対する冒涜の危険性がもっともっと論議されてもよかったはずなのです。そこに霊(ヒ)止(ト)の意味が浮かび上がって来るのです。

                   

                   そして今や創造神が魂を男と女に別けられた意味すら理解出来ない左翼主義が蔓延ってしまいました。それは性差別ではなくて区別によるからです。私は一人の肉体に複数の魂が入っている【神罰】の存在を見て来ました。今や人類は【神罰】と呼ばれる存在すら無いと思い込んでいるのです。

                   

                  人類は創造神や神霊の存在を恐れなくなった

                   

                   創造神は人が人を捌く権限は与えておられません。ましてこの世の裁判官に神の施策を判断する権限などは無いのです。魂の地獄行きを判断する裁判官は全て神なのです。神位を持つ資格者なのです。そこに魂を地獄に落とすも地獄から助けるのも神の権限と言えるのです。それをキリスト教の牧師やイスラム教で司祭と呼ばれる者達が神の代位者として行使する権限など元々無かったなのです。

                   イエスに何の権限があるのか?。なのです。閻魔大王をサタン扱いにして、物の道理が通るのか?。なのです。大本教は神がこの世の閻魔として現れて【善と悪とに立て別ける】と大宣伝をしましたが、スピリチュアルの【神は愛なので何をしても神の愛で赦される。】とする存在ではないのです。

                   

                  魂は心臓に宿るならば、心臓移植手術は出来たか?

                   

                   イエス一人を主の御子と信じていれば天国だとか、アラーの神は偉大なりと言っていれば良いでは、魂は【輪廻転生】をしていることが解りません。命とは何か?。そうした理論に発展しないのです。

                   私は日本人の大多数は仏教徒であり。仏教徒の子たる私に旧約聖書の神と称する声が臨んだことを訝しく思っておりましたが、その旧約聖書の神と称する声が私に告げられた【この国(日本)は私の教えが満ち溢れている世界で唯一つの国である。】と言われた内容は、この日本に生まれ出ないと創造神とされる旧約聖書の神が理解出来なかったからだと思われます。

                   

                   私自身は霊界に関わって信じられないような光景を見て来ました。それは大本教霊界物語では遙かなる古代のエルサレムに展開していたユダヤ人とは、今のユダヤ地方に住む人達のことではなく、現代では日本人として生まれ出ている魂の者達であるの光景です。まさに大本教霊界物語に記載されている様な光景が出て来るのです。

                   私は伏見稲荷山を通じて霊界修行に入りましたが、日本神道の世界に入って驚いたことは日本神道とは【旧約聖書の世界】かと思う様な世界なのです。日ユ同祖論も起きていますが、今の人種の時代ではなくて過去に【水の大審判】と呼ばれる裁きがあり、それよりも古代の光景と言えます。

                   鍵を握るのは大本教霊界物語に記載された国常立尊様は【三十五年前に御引退】とされる三十五年前の出来事なのです。しかしその内容は霊界からでないと解らないとなります。

                   

                  何故、日本神道の世界とは旧約聖書の世界なのか?

                   

                   このブログでは過去に幾度か魂の写真を出していますので写真は出しませんが、日本語だと魂(タマシイ)は【玉型の思惟か恣意】の意味だと理解が出来ます。思惟は仏語で【考えを巡らすこと。思考して判断する。】ですが、恣意は【気ままとか自分勝手】な思考や行動をする人に使う漢字となります。明治25年丹波の片田舎の綾部で出口なおと呼ばれる文盲の老婆にウシトラ金神と呼ばれる神の神懸かり現象が起きました。

                   そのことに関して一部の学者筋は自分の様に賢い者に神が懸からず、文盲の様な老婆に神が降りるのはおかしいと発言される様な方もありますが、それは神の世界のことをほとんど知らない人達の発言なのです。どこの大学で魂の存在を説いているのだとなります。イエスにしても魂を理解していたとは言い難いなのです。

                   自分が賢いと思っている様な人は神の偉大さが理解出来ません。大本教からウシトラ金神に【艮】もあれば【牛虎】もあるぞよと出されましたが、それを理解された方は今日まで一人も存在しなかったでしょう。

                   私は言霊学に触れて言葉の仕組みに気づきましたが、それは子供の頃に旧約聖書の神と称する声が私に告げられた【この国(日本)は私の教えが満ち溢れた世界で唯一つの国で在る。】と聞かされていたことと、この日本は古来より【言霊の幸はふ国】と言われて来ました。その【言霊】とは何かが解った時、とんでもない【神の計画書】の存在が解ったのです。

                   

                   通常の肉体を持った人のタマシイは野球ボールかソフトボール程度の玉の大きさで、人の手の平の上に乗る程度の物です。下記の写真は人の魂ではありませんが霊玉です。肉体を持つ人の魂はその写真に写る霊玉程度の大きさと言えます。

                   私の魂を見た霊能者の方は、貴方の魂は瑠璃玉の様に見えたと言われます。そうした魂の者も居れば、魂の表面がドス黒く汚れて毛物を発祥し、臭い匂いを放っている魂の持ち主もあるなのです。スピリチュアル標榜者の中には【魂磨きは辛いから止めましょう。】と発信される方達がありますが、魂磨きは辛いからと言って疎かにすると魂の表面は汚れて来世は毛物(獣)の世界に進むことになるのです。

                   

                  そこに人の顔をしていても、魂は毛物の人も出る

                   

                   

                   

                   人の肉体に宿る魂は野球ボールとかソフトボール程度の大きさでも、神社に鎮座する御神霊の玉ともなると直径で数メートルもあったりするなのです。大本教から国常立尊と呼ばれる神の存在が出されましたが、霊能者と呼ばれる方達の中ではこの日本列島はその国常立尊の金龍神たる大地で、その金龍神の長さは二千キロに及ぶとも言われています。

                   その論理がスピリチュアルでもこの世に出て居る肉体の魂の大きさをスポイトの一滴の水の分量だとすると、自分をこの世に出した本体たる魂の大きさはコップ一杯の水程度の分量の大きさとするなのです。人の肉体に宿る魂は野球ボールやソフトボール玉程度の大きさだとしても、スポイトの一滴の水と仮定するとその本体たるコップ一杯の水を【正守護神】、更にその上の段階として甕の中の水に例えてもよい【本守護神】があるわけです。

                   

                  人の肉体の中の魂の大きさは、人の心臓程度の大きさ

                   

                  肉体を持つ人の魂は、肉体の【心臓】の部位に宿る

                   

                   

                   

                   

                   

                  人の本守護神や正守護神の存在は、自分の魂の本体で

                   

                  神の存在がピンキリなのは、魂の大きさが違う

                   

                   

                   もし自分がキリスト教社会に生まれていればイエス一人が創造神の一人御子だとする絶対思想を植え付けられたり、イスラム教社会に生まれ出ればアラーの神は絶対だの思想を植え付けられたりしてしまいます。魂と呼ばれる存在に対しても間違えて行くでしょう。まさか魂が玉型の【深い思考力の思惟(しい)】か【自己中・自己本位主義の恣意(しい)】かで、死後の霊界での行く先を判断しているとは考えもしなかったのです。

                   

                   

                   大本教から今は退いている意味を指す【艮(ウシトラ)金神】、魂を【鬼(牛頭虎パンツの牛虎)と云う】で、日本語で紐解く言葉の仕組みがなされていたとは誰しも知ることではなかったわけです。魂は出口王仁三郎聖師の【鬼】ではなくて【王仁】でも解る様になってはいますが、【霊】に関しては解らなかった面があるのです。

                   

                   大本教から【霊】を【チ】と発言するが出されました。

                   

                  霊は、肉体を持つ人の身では【血】の中に宿っている

                   

                   霊は血に宿り!。霊(チ)の穢れは心臓(心)で浄化される。そこに霊魂は自分の【チ】の穢れを浄化する為には【肉体】を持っ必要性があったのです。

                   

                  日本の古神道における血の汚れとは、霊の穢れ!

                   

                   大本教の出口王仁三郎聖師は、自分と出口なお開祖は旧約聖書に予告されたキリスト(真理)登場前に現れると予言された男女二人の大預言者であると述べておられますが、大本教と呼ばれる宗教が起きていなければ誰もキリスト(真理)を読み取ることは出来なかったのです。

                   ただ人はその真理(キリスト)とはイエスの様な自分が救世主だ式を名乗る人のことだと思い込み、大本教神諭予告にある【九つ花に咲く一輪の言霊の経緯(秘密)】の様な物とは誰も考えなかったなのです。

                   

                   世中に魂は玉形の思惟か玉形の恣意だと解る人も出ておられますが、さすがに霊(チ)は肉体の血(チ)のことでもあるとまでは誰も解らなかったことなのです。

                   キリスト教系の一派であるエホバの証人は【汝、他人の血を食べることなかれ。】の血を肉体の血と思ったようですが、これは【汝、他人の霊(チ)を食べてはならない。】とは理解出来なかったなのです。血は入れ替わりますので、別に輸血を禁じたのではないのです。西洋の言葉では霊(チ)を血(チ)とお同じ【チ】で括る様なことまでは理解出来ないのです。それは日本で日本語が解る人でも、そこまで智(チ)は回らなかったのです。

                   

                   大本教から【世の大立替】が予告されましたが、みろくの世の到来とは霊魂を浄化する為の三次元世界に肉体を必要とはしない世界になるのです。それは天人とか神様達の世界と言えるでしょう。

                   

                   

                   

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                  一枚の写真が霊界の真相を語る。体主霊従と霊主体従の二人の自分。

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                     下記の写真は、某テレビ局で放映された一枚の写真の映像の場面です。その写真に写った光景とは、一人の男性からその男性の霊体(幽体)が離脱して行く様が偶然に撮られたもので非常に希有な写真と言えます。そもそも霊を写真に写すのは非常に困難で、不可能に近いことからです。条件がそろわないとこうした霊写真は無理なのです。

                     一瞬見ると、黒っぽい服装をした二人は一卵性双生児が写っているのではないかとなりますが、この黒っ-ぽい服の二人は双生児ではないのです。実は一人なのに写真には二人も居る様に写ったとされるものです。霊能力者からすると肉体から出た生霊(いきりょう)がたまたま写ったもので、そこにまるで実在している人の様に見える一瞬が偶然に写真に撮られたなのです。

                     神社に祭られている御神霊を光だ!。光だと言っておられる霊能者の方も世にはありますが、その光も人の姿で視認することも出来るのです。不動明王と呼ばれる仏が現出すると、その火が熱くて熱くて体中から汗が噴き出します。そうしたことは体験した者のみが知るなのです。しかしそうした事柄は写真には撮れていない為に、人に信じて貰えることが少ないと言えます。霊と呼ばれる存在はその人に見えるか見えないかであって、霊の存在否定することが正しいのではないのです。

                     

                     世に霊界の真相はほとんど知られていない為に、

                     

                    宗教団体の中には信徒を地獄界に導く教団も数知れず

                     

                    されど閻魔庁は、この世で騙されるも学びの範囲と見る

                     

                     私は生霊(いきりょう)と呼ばれるこの世に肉体を持った人の生霊と幾度も遭遇し、自分の元にその霊体が訪ねて来て会話をしたこともあります。それほど長い時間そこに居るでは無く短い時間で瞬時に消えてしまったりするので、今のは生霊(いきりょう)だったのかと解るなのです。生霊は幽霊の様な見え方ではなくて、そこにその人が居ると錯覚するほどクリアーに見えます。

                     誰かに想念を飛ばされるとその想念を飛ばしている人の顔が見えることは霊的世界に関わる者には知られていますが、想念の場合はその足元までは見えません。よく言われる【幽霊】の多くは想念で【思い(想い)】を持っていることから【思念】の表れで、その想いを遂げると満足して消えて行くなのです。想念で見える霊とは違い、霊能者や霊感者に貴方をどこどこで見たと言われる生霊は、死後の世界で生きて行く自分の本当の姿と言えます。

                     

                     人は死後の霊界に渡った最初の頃はこの世で生きていた当時の姿をしていますが、霊界での次元が上がるに連れてその姿は変わります。死後数百年経ってもこの世を去った時の姿をしている霊は霊界での進歩が無いと言えます。死ねば誰でも行く四次元界では無く、神界に上がれば神たる自分の姿が出て来ます。

                     そこに新日本神道系の宗教からは【神人合一】が説かれ、大本教からはこの世は天人の苗床。【人は神の子・神の宮】論が出されました。神人の段階に進めない霊の霊界での通常の姿は、再度この世に生まれ出るまでは生きていた当時の姿となるのです。

                     

                     

                     サングラスを掛けて靴を脱いでいるのが肉体で、立っているのが霊体(幽体)。生霊はそこに本人が居るとしか見えないのです。

                     

                     昔の人はこうした写真で【生霊(いきりょう)】の存在を見ることはありませんでした。その意味ではお釈迦様もイエスも真実を解き明かし、他の人に霊を説明することは困難を極めたと言えます。

                     私は魂たる自分が肉体から離脱して霊界を見るとか指導守護霊に従って雲の上に載る等の体験をして来ましたが、魂と霊体(幽体)と肉体の三位一体を説明するには自分で創った作図で説明するより方法は無かったなのです。  

                     

                     

                     

                     死後に肉体から霊魂が抜けて霊界に渡るのも、肉体はこの世で動いていても霊魂は別の世界に渡っているも、基本原則はこの図の様なことになるのです。

                     

                     人の肉体は魂と霊体(幽体)と肉体の【三位一体】で成り立っています。私は霊能者と呼ばれる様な霊能力は保持していませんが、普通の人の目には見えない神仏の存在を見て来ました。一番見て来たのは私の霊界修業は伏見稲荷大社講でお世話になった関係上、伏見稲荷山神界の主宰神たる豊受姫に稲荷神界の神々達。それに付随した白狐達や龍神。それに仏界の如来とか菩薩とか明王と呼ばれている仏達の霊です。さらに仙人や天狗と呼ばれる神仙界の存在です。

                     人が死後は霊として生きていることは信じるとか信じ無いの問題ではなく事実なのです。ただその証明は非常に困難なのです。困難だからと言って、死後の世界など無いと言い張る人の軍門に降るわけにはいかないのです。そうした人達はどれほどこの世で功績を積んだことで天国界に入れても最上天国界には進めません。

                     

                    創造神の存在を否定して最上天国界は無理なのです

                     

                    低次元界の霊に従って真実に蓋をして何になる?

                     

                     宗教界で説かれる神仏霊は、この世の肉体を持たないので【死霊(しりょう)】に分類されます。私達が信じる神や仏と呼ばれている存在はお釈迦様やイエスを仏や神として拝んでいるのと同様に、過去にこの世に出た存在がほとんどなのです。それに対して、この世で肉体を持っている霊は【生霊(いきりょう)】と呼ばれています。その肉体が神的存在になると【生き神】様と呼ばれたりするわけです。

                     この世に住む私達は誰しも肉体に【内なる人】を持ちます。この世に住む肉体の肉の漢字が【内なる人】となることで解る様に、肉体を持つことが内なる人を肉体に持つのです。特に牛肉には人の想念が入り込んでいて牛肉を食べると霊的浄化で下痢を引き起こすがあります。私は龍神と呼ばれる存在の浄霊を自分の肉体がすることで死ぬほどの苦しみを幾度か味わいましたが、人の肉体にはそうした霊魂の穢れを浄化する働きがあるのです。

                     

                    霊が肉体を必要とした背景は、肉体には浄化力がある

                     

                     霊が肉体を保有したのは、そこに穢れた霊魂の浄化浄霊をする働きの意味があったからです。魂が自分が授かった肉体に浄化浄霊をする能力が無い時には、浄化浄霊に優れた能力を持つ肉体に【憑依】して、自己の魂の穢れを取ろうとするがあります。それが霊媒者と呼ばれる能力者が出る要素と言えます。

                     霊媒者は成長するまで、穢れた霊の憑依を受け続けて苦しむがあるのです。

                     

                    生霊と死霊の違いは、この世の肉体を保持しているか

                     

                    肉体はこの世を終えると死すが、霊魂は霊界にと帰る

                     

                     大本教から【霊主体従】と【体主霊従】が出されました。この写真で解る様に肉体の自分と霊体で現れた自分。この二人の自分が解っていないと理解が難しいのです。霊主体従とは、自分の肉体内に存在する霊界で生きる霊魂の指図に肉体たる自分が従っている場合です。一方体主霊従とは肉体に入っている自分の霊魂の命令に肉体が従わない場合です。肉体の【我】に霊魂たる自分が従属されることなのです。

                     私と生霊とが会話した内容は、その肉体が必ずしも知るではないのです。それは肉体と肉体に宿る霊とではその心の持ち方が違っているがあるからです。肉体には肉体固有の【自我】が有り。肉体の自我が強いと自分の霊魂の指示に従わないが起きるのです。肉体には【欲】が強く働き、魂にはその【欲】を阻止しようとする働きがあるのです。すなわち自己の中に【唯物論】的思考と【精神論】的思考が在ると言うことなのです。

                     西洋の精神学において【自我】の概念が誤っているのは、イエス一人を絶対的な主の一人御子とする概念で神を理解しようした為に【生霊(いきりょう)】の存在が解らずに誤った学問を創り出したと言えます。その点、未だ仏教の方が【真我】という存在に目が向けられたと言えます。ただ学問的に【真我】を追っても、肉体の自分と霊体の自分の存在が解らないと【真の我】は理解出来ないでしょう。

                     

                    キリスト教の欠陥は、霊主体従。体主霊従を知らない事

                     

                     私が子供の頃は旧約聖書の神と称する霊の声が臨んでいましたが、その声は私に対して【神界の御用をするのは肉体のそなたには非ず。そなたの魂が神界の御用をするのである。肉体のそなたはバカを演じていればよい。】と告げられました。別にバカを演じているのではなくて先天的な【おっちょこちょい】で、豊受姫と会話が出来る豊受姫の分魂の方に私のことを聞いて貰うと【あれは希に見るおっちょこちょい。】と言われた程ひどいのです。おっちょこちょいの先走りで失敗するです。

                     この世では高い魂の者を降ろすと、その魂が活動する前に抹殺する邪神勢力が存在します。私に臨んだ旧約聖書の神と称する霊曰く。イエスは旧約聖書の神と称する神の御子ではないが、別の高い御神霊の子で千年級の神の子と呼ばれる千年に一人程度の素材でこの世に出て来る高い魂の持ち主だったと言われました。そうした高い魂の持ち主はこの世で活動する前に邪神達に抹殺されるがあるのです。

                     イエスは人類の罪を背負ってローマ帝国により処刑されたのではなくて、イエスが所属した霊界では無い別の霊世界の存在の力によって処刑されてしまったなのです。日蓮聖人は処刑される直前、神霊の力によって処刑されるから逃れることが出来ました。自分が出た出身霊界の守りが弱いと、敵対する勢力によって命を取られるがあるのです。また神霊界には【お試し】と呼ばれるものもあり、神人として成長する前にそのお試し(この世での誘惑)で潰されるもあるのです。

                     

                     が、その魂の肉体が愚鈍とか馬鹿で有れば命までは狙われることはないのです。その最たる存在と見なされるのが大本教から告げられた【みのか尾張の国から現れる誠の女子】と予告された魂で、邪神達に見つかるとその肉体は邪神達の攻撃に晒されると言われて来たのです。為にこの女子の存在は【秘中の秘】に属しているとされます。邪神達は見つけしだい、その存在の抹殺を図るからです。為にその存在に関してはよく解らないが起きているのです。

                     霊能力者と呼ばれている人達の中ではこの女子が白山菊理姫の魂の持ち主とも噂され、その白山菊理姫とはどのような神なのかが追い求められているがあるのです。

                     

                     キリスト教社会に生まれるとキリスト教によりイエス絶対主義を植え付けられますので霊界の真相が解らず、イエス一人を主の御子と信じていれば天国界では、霊主体従・体主霊従の論理すら出て来ないとなります。また西洋でミカエルとかガブリエルと称して出て来る霊もそうです。霊界の子細をほとんど語ろうとしていないなのです。

                     大本教の出口王仁三郎聖師は、霊界にミカエルと言う名の天使長は最初から存在していない。省みるの言葉の意味だと残しておられますが、そこには人類が知らない歴史が存在するのです。

                     

                     人は誰もが肉体の命が終われば【死】にます。肉体はそれで終わりなのです。しかし写真を見れば肉体と同じ姿をしている自分が写っています。それが霊体(幽体)と呼ばれるもので、魂と合わせて【霊魂】と呼ばれているわけです。この霊体と魂が死後の世界たる霊界にと渡るのです。

                     

                    みろくの世(神の御国)は高次元界(五六七)で

                     

                    この世の肉体のままでは高次元界には住めません

                     

                    肉体の死を恐れず、魂の死は恐れる必要がある

                     

                     その時、その魂と霊体は自分がこの世で生きる為の肉体を使って、この世でどれだけ【学んだか?】が問われるのです。その為に魂はこの世と呼ばれる【三次元世界】に体験・経験をする為に降りたのであって、スピリチュアルに見られる【この世は遊ぶところです。】で遊んでいた様な魂は、その罰として地獄界と呼ばれる様な世界に墜ちるのです。その判定にスピリチュアルで出て来る天使と称する程度の霊の次元格では閻魔大王の判定に口を挟むことなど出来ないのです。

                     何故ならば、

                     

                    天人とは穢れを知らない天使で無く、海千山千の体験者

                     

                    泥をすすり、艱難辛苦に耐えて人の痛みを知るのが天人

                     

                     スピリチュアル標榜だと、泥をすすり。艱難辛苦に耐えるなどは間違った精神論だと言って、そうした神を否定するでしょう。大本教から出された国常立尊様は悪神として神界の主宰神の座から邪(蛇)霊に憑依(囁き)された神々の多数決によって追放されたとする経緯には、【苦(9)に堪えないと身に禄(6)が育たない】が解らない神達による間違った大義によるのです。

                     どこにも創造神たる神の存在が見当たらないでは無く、天帝と呼ばれる神が存在しておられるとする世界まで誰も昇ろうとしなかったなのです。

                     

                     

                     

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                    来年は【みろくの八十吉?】。神の存在を忘れた大多数の人達と、そうでない人の総仕上げ

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                       つい先日、私にある言葉が降りて来ました。その内容は【来年はみろくの八十(やそ)吉の年である。】です。

                       

                       来年はみろくの八十(やそ)吉の年で在る?。一瞬何の意味かと思いましたが、ある事柄を思い出しました。私は大本教が演じた神芝居の意味を解説をしていますが、大本教の神芝居には謎の場面が多いのです。その一つは大本教出口なお開祖に、二代目教主補であった出口王仁三郎聖師がみろく大神様その方であると降りた神示です。

                       その件は終戦後、出口王仁三郎聖師が自分がみろく大神様はニセ者演技の型で、本物は昭和20年に下生したと言われたことです。ただ、このことは余り世に知られておらず、それが語られたは無いようです。

                       

                      昭和20年の終戦の後に弥勒下生が起きた?

                       

                       大本教が演じた神芝居の内容は、大本教神諭に予告された【九つ花に咲く一輪の言霊の経緯(秘密or火水)】を紐解くならば、みろく神(マイトレーヤ)とは肉体を持った人間が演じることそのものがおかしいとなるのです。ただ大本教神諭には九つ花に咲く一輪の言霊の経緯(秘密0r火水)は、たった一人の【誠の者】にしか紐解けないと予告された事柄でもあるのです。それは誰でも紐解ける様な物では無いなのです。そんな事柄が万人に理解出来るか?。となります。

                       

                      何故に邪神達のことを、八十(やそ)曲津神と言った?

                       

                       大本と呼ばれる宗教から世の立替論が起き、何故に【五十六億七千万】の数字で知られる【みろく菩薩】を【みろく大神】とする内容が説かれたのか?。そもそもお釈迦様の弟子に弥勒菩薩に該当する弟子などは最初から存在しておらず、古代ペルシア地方に存在した光と司法のミスラ神(ミトラ教の神)を仏教が中央アジアに広がる過程で仏に取り込み、弥勒菩薩とされた事は現代では解っています。

                       サリン事件を起こしたオーム真理教の教祖松本智津夫(麻原彰晃)などはそうした事実を知らずに、自分の前世はお釈迦様であったと自称して、弟子の上祐史浩をマイトレーヤ(弥勒菩薩)に仕立て上げて多くの人を欺して地獄界へと導いたなのです。もし、お釈迦様の弟子に弥勒菩薩などは最初から存在していなかった。そうした事実に気づいていたならば、多くの被害者を生む事も無かったとなります。

                       私が子供の頃、旧約聖書の神と称する声が臨んでいて、その声は私に【拝火教】を学べと告げて来ました。インターネットが無い時代、その拝火教を知るということは至難の業でした。まして綾部の様な田舎では大きな図書館も整ってはいません。だがインターネットの時代となって、私にも【拝火教】が少しは解るようになったと言えます。特に大本教神諭予告【九つ花に咲く一輪の言霊の秘密】から、拝火教に関わる【ミ】【ス】【ラ】の【言霊】と【九つ花】から【369】の仕組みが解って来たと言えます。

                       

                       私が子供の頃に臨んで来た旧約聖書の神と称する霊声は、【この国(日本)は私の教えで満ち溢れている世界で唯一つの国で有る。私の教えを知るには外国の宗教書を必要としない。】と告げて来られたがあります。この日本の国の言葉でしか紐解けない仕組みとは、神と呼ばれる存在が仕組みに仕組んで来ているとなります。

                       

                      何神かが、五六億七千万のみろく神を仕組んだ!

                       

                      大本教の神は、三千年前から仕組んで来たと告げた

                       

                       丹波の片田舎の綾部から発祥した大本教の神諭で、ウシトラ金神国常立尊が【日本語で神仕組み】をしたことは解りますが、日本書紀に創造神としてその名が記載される【国常立尊】を【ウシトラ(艮)】金神として、【三千世界(全宇宙)一度に開く梅の花。開いて散りて実を結ぶ。】と【節分の炒り豆にも花が咲く。】等の大宣伝が何故に大本教から為されたのか?。となります。

                       しかもそこには【ウシトラ金神国常立尊】の神名だけでなく、仏教においてお釈迦様の死後五六億七千万年を経過して、お釈迦様の本当の悟りはこうだったのだと告げると予告されて来た弥勒菩薩を【みろく大神】として世に出したがありました。この大本教が出したみろく大神は【五六七】大神とも世に言われて来ました。それは単に仏教に残された五六億七千万を【略】した数字なのか?。です。

                       

                      日本神道の大本教が仏教の弥勒菩薩を神として出した?

                       

                       大本教において、二代目教主補であった出口王仁三郎聖師による救世主は【素戔嗚尊】とする演技がなされましたが、素戔嗚尊のみならず出口王仁三郎聖師が【みろく大神】だとする神示が出口なお開祖に降りて、出口王仁三郎聖師がされた演技には素戔嗚尊役とみろく大神の役が重なるがありました。

                       しかし誰が考えても仏教のみろく菩薩を日本神道の素戔嗚尊と同一神と見做すことは無理筋と言えます。そしてどうしてそれが三千世界(全宇宙)を統括するところの天帝的存在の【みろく大神】と言えるのか?。意味がよく解らないでしょう。ただ出口王仁三郎聖師は大予言者としての実績を誇られたことから、大本教の背後にはそうした神が関係する神霊団が存在しているとは考えられたなのです。

                       

                       大本教霊界物語の第十三巻に収録される信天翁(あほうどり)において、出口王仁三郎聖師の魂は素戔嗚尊でも救世主役は【ニセ者】であったと発表されました。それによって巷には自分が本物の【みの尾張の女子】と名乗る人達が続出しました。しかしそうしたニセ者達が続出したことにより、今の霊界には本当に天帝と呼ばれる神の姿が見当たらないと解って来たと言えます。天帝たる存在が解らないことから、自分が本物だと名乗って来る存在の神も輩出するです。

                       が、それのみにあらず。出口王仁三郎聖師は自分が演じたみろく大神も【ニセ者】であったと発表されたのです。そして本物の【みろく下生】は昭和二十年に起きたと告げられたがあります。大本教の出口王仁三郎聖師は単なる霊能者ではなく、大宗教家であり、大預言者であり、大予言者と言えました。予言者と預言者は意味が違います。預言者は神の言葉を降ろす者です。予知の予言が出来ても神の言葉を降ろすではないのです。

                       

                      本当に昭和二十年に【みろく大神の下生】が起きた?

                       

                       この昭和二十年に【みろく下生】が起きたとする説は、出口王仁三郎聖師以外にも世界にはありました。極東で火を意味する国に出たとする説です。特にフィリピン説が有力視されていました。フィリピンはキリスト教の国なので、そうした説も出たようです。だが【火】を意味する国が【日本】と見る向きはなかったと言えます。

                       イギリスのシェア・インターナショナルのベンジャミン・クレームなどはその存在がマイトレーヤ(弥勒菩薩)だとして、昭和20年にヒマラヤ山で光で合成された人物が世界教師等と主張していました。そのマイトレーヤだと主張する人物の写真が雑誌ムー等では何度か取り上げられたがあります。

                       しかしそれは五十六億七千万の数字に何の根拠も持たない存在で、大本教神諭が予告した九つ花を紐解くならば日本語による言葉の仕組みで【五十六億七千万】の数字の根拠が出て、みろくではなくて【369】の数字の演出であることも解ります。

                       しかし大本教から出されたのは【369】ではなくて、キリスト教では反イエスの象徴として説く【666】の数字を【みろく】大神として出したのです。666が反イエスを示す数字であることは理解出来ても、どうして【みろく】は【反イエス】なのか?。そこまでの理解が出来なかったなのです。

                       

                      人類はキリストとは、言葉で無く人と思ったがある

                       

                       日本神道界では日本書紀も古事記にも【八十過津日神(やそまがつひのかみ)】が出て来ます。厄災を司る神です。その禍を直す神として【神直日(神直毘)と大直日(大直毘)と大本教から強く打ち出された伊豆能売(伊都能売)】神が有り、これらは人の魂の円真(核)の部分の働きと言えます。この八十禍津日神を単に邪神を意味する【曲津(まがつ)】神で片付けて来たはありましたが、私が不思議に思ったのは何故【八十(やそ)】の数字の言葉なのかです。

                       日本の辞書を調べますと、その八十(やそ)は単に数字の多いを意味することだと載っています。確かにこの日本では八百屋や八百万(やおよろず)の神で数の多さを表現する言い方をしますが、八十だと単に数が多い意味とは言えないのです。私が感じたのはその八十(やそ)にはキリスト教の【耶蘇(イエス)】の言葉を秘めているのではないか?。です。

                        私が子供の頃にどなたかは解りませんでしたが【ナザレのイエスのパンの愛の教えは美味成れども、真ん中が無いドーナツ型のパンの教えに過ぎない。】と告げる声があり、その時はその穴空きパンの意味がよく解りませんでした。しかし魂の存在を学んで行くと各自の魂の円真(核)は天帝からの分魂(直霊)で、人の【良心】の働きを司ると言われて来たなのです。

                       全ての人には魂が有り。その魂の核は天帝からの分魂ならば【人は全て神の子・神の宮】で有り、イエス一人が神の御子説は間違った教えと言えます。スピリチアル標榜者に見る神は愛だから何をしても赦されるだと、良心神の教えは説けないのです。

                       

                      キリスト教の別名は耶蘇(やそ)教で、八十(やそ)教

                       

                      真ん中の存在を説かないと、真ん中が無いドーナツ型

                       

                       邪神と呼ばれる存在の魂を見ると、魂の【真ん中】が抜けているのです。この穴が開いた魂の存在は多くの霊能力がある人に視認はされていますが、それが何故なのかを解説する者が世に居なかったなのです。

                       

                      イエスは40日間荒野をさ迷って、41日目に主の御子?

                       

                       モーゼは40年間荒野をさ迷いましたが、イエスはたった40日間のさ迷い。それで悪魔を退けたと言えるかです。大本教から【人は神の子・神の宮】説が出されましたが、そちらの方がどれほど正しいのか知れないのです。どうしてイエスは【41】日目で、自分一人が主の一人御子等と称したのか?。

                       

                       

                       

                       

                      大本教神諭予告、【九つ花に咲く一輪の言霊の秘密】

                       

                      真ん中の【41】位に、核神の【言霊】が秘められる

                       

                       

                       

                       大本教神諭予告。九つ花に咲く一輪の言霊は大本教が出した素戔嗚尊の【ス】の神論ではなくて、日本語のアイウエオの第41番目の【ラ】の言霊の漢字で【良・羅】の意味を語らせることだと知って驚いたしだいです。私の前に出て来られた出口王仁三郎聖師と思われる霊が、私に神は【ア門ラー】と謎を掛けて来られたのは日本語による言葉の仕組みと言えども、よくぞここまで仕組みに仕組んだ神が在ると言えます。

                       

                      今は神代【七代】で、七度も0の霊界が立った

                       

                      九✕九の九つ花は、霊界で81✕7つの0が立った

                       

                       仏教で説かれた56億7千万の【567(81✕7)0000000(七回の0の霊界)】は、すなわた全神々を束ねることが出来る神の存在を証明する為の日本語による言葉上の仕組みなのです。それがこの日本では【国に常に立つ御言(みこと)】となるのです。

                       

                       岡本天明師の日月神示には【悪も抱き参らせそうろう】がありますが、誰もその意味は理解出来ないでしょう。悪は悔い改めないと良心神とは結びつきません。悪と良心は相反する物だからです。だが悪も悔い改めることによって、良心神と一体化して行くのです。

                       もし悪を排除するだけであれば、その魂は大きくも磨かれもしないのです。自分の魂の中に入った悪を改心(悔い改め)させて、魂そのものを成長させる。オセロゲームにおいて黒地も白地に変える。将棋では敵の駒を捕獲出来れば自軍の駒となる。

                       

                      人の魂は正道を行く良心神と厄災を招く八十の働き

                       

                      自己の魂の【身禄】を創るには、善と悪とを一体化

                       

                       出口なお開祖に降りた出口王仁三郎聖師が【みろく大神】であるとした事柄も自分は【ニセ者】の演技であった。みろく下生は昭和20年に降りたと言われたことは、それは数字の秘密を隠した演技であったと言えます。

                       

                      昭和20年の、1945+80(ヤソ)=2025

                       

                      369(みろく)の仕組みの完成は、令和7年

                       

                       誰が見ても、AIの発展を除いてこの世はにっちもさっちも行かないようになって来ました。人には肉体が有って、何かを食べないと生きていけない仕組みになっています。いくらAIの世の中になっても、AIが人が食べる食物を与えてはくれないのです。作物を実らせることも出来ないのです。そこには神を意味する【火(か)水(み)】の働きが要るからです。

                       この地球が置かれた今の気候は世界各地で大洪水や大干ばつ起こしていますが、それだけではなく肉体を養う食事の元となる作物が高温で実らない。野菜も出来が悪くなって来ました。動物の世界も山に食べる物が無くなりつつあり、熊や猪も鹿も山から降りて来ています。海では魚が消えつつあります。もう人類も動物も食べる物に事欠く赤信号が点っているのです。

                       

                      AIでは人の肉体を養う作物の【実】が創れない

                       

                       神は火(か)水(み)として、自然界のエネルギーを保って来たのです。しかしこの地球に起きている気象の高温化は、単に気象温度が高くなったではなく【食】の問題を孕んでいて、神と呼ばれる存在に祈っても気象温度は落とせないのです。人類を飢え死にさせる問題にと発展するのです。

                       

                      今の世に出る御神霊は、どなたも気象に対処が出来ない

                       

                       私は自分に臨んだ神から人類はこの地球では無くて、この地球とまったく同型の瓜二つの高次元界に存在する新地球と呼ばれる星に移ると告げられた一人です。その時にはいくら神でも、そんなことが出来るだろうか?。と疑っていましたが、言葉の仕組みとしては凄い仕組みをされた神が在ると解って来ました。そしてこの地球が人類が住む星としては適さなくなったことです。

                       

                       ただその神は、今は引退を示す【艮(ウシトラ)】状態なのです。

                       

                       

                       

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