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Conversation

5月11日は私の誕生日ですが、昨年の5月12日は京都大学での最終講義でした。京都大学百周年時計台記念館で行ったのですが、学内向けに告知をすることは許されず、ほとんどが外部の方々でした。京都大学の教員の参加は藤井先生一人だったと思います。学生もわずか十数名でした。それでも、外部の人に向けてではなく、京都大学や京都大学の学生に向けた最終講義をしました。今、映像を見返してみても、京都大学の先生や京都大学の学生に聞いて欲しかったと思います。特に最後のまとめの部分は、今の大学の先生や学生に特に伝えたかったことでした。京都大学を追放されたのですが、私は研究室の再建に成功しつつあります。もちろん、学生もいないわけで、一人で研究の再スタートになるのですが、最後に楽しく研究できるはずだった10年、そして、もっと遡れば、2007年頃から国と戦うことになって奪われた18年を取り返したいという思いは、今、とても強くあります。しかし、今後、すんなりと研究に専念できるかというとなかなか難しいものがあります。新型コロナウイルスは人工であり、コロナ禍はプランデミックであった可能性が高いのです。mRNAワクチン推進も異常で、未曾有の被害をもたらし、mRNAワクチン接種がほとんど行われなくなった今も、人々が大量に死亡するのは止まる兆しを見せません。それなのに、大学は異常事態を見過ごして、のうのうと自分の好きな研究をしていれば良いという態度です。いや、私のようにこれはおかしいと声を上げる人間を疎んじ、虐め倒し、そして追放する始末です。私の怒りは今も収まることはありません。自分の好きな研究ができる世の中に早く戻って欲しいのですが、そのように思う研究者が大学にはいない。私はいつまで戦い続けたら良いのか。私の夢は早く世の中がまともにもどり、私が好きな研究を安心してすることができる日を取り戻し、そして最後に本当にやりたかった研究を存分にして、もう一度、京都大学の百周年時計台記念館で、最終講義を行うことです。私はまだ夢の途中なのです。本当にやりたかったことを京都大学では最後までやれなかった。しかし、このままで終わりたくない。そんな思いで生きています。まだまだファイティングスピリッツは燃えさかっています。41歳と言ったのは、冗談ではなく、自分はまだ41歳という思いで頑張るのだという決意です。41歳であれば、65歳の定年まであと24年あります。これくらいないと私の研究は満足な形で完結しないでしょう。いや、それでも全然足りないくらいです。それなのに、まだ世の中、特に日本は、まともな世界に戻る兆しが見えず、私が研究だけにパワーを集中する状況ではない。皆様からの誕生日おめでとうというメッセージはもちろんとてもありがたいのですが、それとともに、一緒に戦って早くまともな日本に取り戻したいのです。それも一気呵成に取り戻したいのです。7月12日の京都コンサートホールでの京都生命科学研究所の第1回総会はその第一歩となるものです。ここで終わるのではないのです。ここから反撃が始まるのです。