【私の夫婦同氏・夫婦別氏論】
日本は古くから妻と妾の峻別があった。しかし、今の民法や戸籍法は妻妾が曖昧で混乱が起きている。
妻→夫婦同氏、相続権あり、家事育児義務あり、出産義務なし、夫の扶養義務あり。
妾→夫婦別氏、相続権なし、家事育児義務なし、出産義務あり、夫の扶養義務なし。
歴史的には、養老律令の戸令応分条という法令で、8世紀に妻と妾の違いが法定されました。
律令制は明治維新まで続き、だからこそ「征夷大将軍」など律令制の令外官があり、日本を66ヵ国にわけてそれぞれに「守」がいたわけです。
武家や公家が領地を持ったのも根拠法は743年の墾田永年私財法です。
一般人まで私有地を認められると、夫婦の力をあわせて開墾し、田畑という財産を持ちました。
しかし、不動産登記制度がない場合、土地の所有権を主張するにはどうしたら良いか。
それが「苗字」です。
土地の名称(後には屋号)を自らの名称とした。
ここで、妻も開墾労働をしたわけですから、土地の所有権になりました。
もし、夫婦別氏ならば、その土地の所有権を主張できない。
なので、農家一般から夫婦同氏が始まり、
商家の屋号もそれに習い、三井家などは婿をとって夫婦同氏にして発展したわけです。
新田氏や足利氏も、開墾した土地の名称を苗字にしたわけですが、
ここまで大規模な開発をすると、妻の労働力は不要になります。
人を雇い小作人にすれば良いからです。
また、土地の防衛戦争に女は役立たずです。
ここから土地の維持に女が無関係となり、武家では妻をとらなくなったわけです。
(もちろん、立花誾千代など、女領主に婿がきて夫婦同氏になる例もありました)
妻→庶民の配偶者(同氏、相続権あり)
妾→貴族の配偶者(別氏、相続権なし)
という運用が続き、明治維新になります。
明治維新で身分階級の違う結婚が認められたため、
明治政府は、
妻は夫婦同氏(明治8年12月8日太政官指令)
妾は夫婦別氏(明治9年3月17日太政官指令 但し夫家相続して妻に昇格したら夫婦同氏)
を定めたわけです。
この「妾から妻に昇格」というのも江戸時代は新井白石が禁止していましたが、
明治維新によって解禁されたものです。
日本は明治維新によって国民皆兵など国家総力の時代になるため、
労働力にならない妾の存在は、近代化にとって邪魔になったのです。
加えてキリスト教の欧米から野蛮だと批判され、
福沢諭吉ら当時の言論人も「学問のすすめ」に「妾は獣の所業」と書き、厳しく批判し、
実際に人口過剰でハワイ移民、南米移民をしている社会背景もあり、
妾を記載した「明治5年式戸籍」から妾を全て排除した「明治19年式戸籍」にリニューアルし、現在に至ります。
ただ、妾は本当に不要なのか?それを考える視点がひとつあります。
継子問題です。
例えば、いま旧皇族の復帰が話題ですが、
旧皇族全員の共通祖先の伏見宮貞致親王は、妾の子として生まれ、民間人となり、村の鍛冶屋をしていました。
しかし、ほかの異母兄弟が全員死亡し、伏見宮が無くなる危機となり、
急遽、鍛冶屋から呼び戻され、皇族復帰をしました。
妾とは、「予備」の役割を果たすのです。
なので、私は皇室も妾が必要だと考えます。
昭和天皇が妾不要論を仰ったのは、その当時は皇族が妾を沢山娶り、
沢山子どもができて宮廷費を圧迫していた財政上の理由です。
実際、華頂宮はそれで皇族を辞めています。
今のように皇族の数が少ない、という話とは全く違うのです。
皇室の伝統(明治天皇も大正天皇も妾の子)と、西欧の伝統(一夫一妻)、
どちらが大切か保守ならばわかることでしょう。
明治天皇の妾たちはもちろん夫婦別氏であり、相続権がありません。
しかし、妾の柳原愛子が大正天皇を産んだのです。
現在の夫婦別氏論は、「妾に財産をよこせ」という、日本の歴史にない実にふざけた話です。
ここまで読み、日本の戸籍法と民法は次のように改正すべきというのが私の持論です。
妻→夫婦同氏、相続権あり、妻が産んだ子は相続権あり、労働義務あり、夫に対する扶養義務あり、出産義務なし(任意)
妾→夫婦別氏、相続権なし、妾が産んだ子は相続権なし(ただし父親が認めれば有り)、労働義務なし、夫に対する扶養義務なし、出産義務あり。
江戸時代、庶民の配偶者はおかみさんと呼ばれ、武士の配偶者が奥様と呼ばれた理由は、寝室(奥)から出てこない、つまり一切の家事育児義務が無かったことによります。
伝統と慣習に合致した法制度がいま必要です。
みなさんの考えをリプライで教えて下さいね!
私が書いた『われ、目覚めよ!』はこのテーマを更に詳しく書いています。
amzn.to/43aly4e
写真は港区役所前の私です!
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