JR脱線事故で生き残るも…ブログに記した罪悪感「わたしはただの形骸」25歳で自死した “犠牲者”
甚大な災害や事故で、直接的に命を落としたわけではないが、その後の身体的・精神的負担などが原因で命を奪われるケースを「関連死」や「遠因死」という。 大災害の場合は、「災害関連死」が法的に定められている一方、大事故で生じた関連死や遠因死には明確な規定があるわけではなく、その悲劇が伝わることは少ない。 脱線事故で時間が止まり、虚無感と罪悪感に苦しみ最期を迎えた遼太さん。彼も、脱線事故の「犠牲者」ではないか___ 筆者は、池埜教授に難しい問いを投げかけてみた。
「生きたくても生きられなかった乗客106人と、自分で人生に終止符を打った人はやっぱり違うという考え方は、おそらくあると思う。一方で筆者などは、遼太さんも脱線事故の犠牲者と言っても差し支えないと、個人的に思っているが、そのあたりは教授はどう考える…?」 池埜教授は40秒近く考え込んだあと、こう答えた。 「 “自ら死を選んだ” というふうによく言われるが、私は、“自ら死を選ばざるを得なかった” という表現の方が正しいのだろうと思う。“自分から命を絶つと選んだのだから、(直接的な死とは)違う” その心情もよく分かるが、その言葉で全てが語られるのは、彼の苦しみを、ある意味すごく誤解している所があるのではないか」
母親が息子を偲んで植えた “八重桜”
遼太さんの唯一の肉親だった母親は、息子を偲び、宝塚市の自宅に遅咲きの八重桜を植えていたが、2021年に亡くなった。JR西日本に対し、“事故現場の追悼施設にも桜を植樹したい”と要望していたが、実現することはなかった。 自宅は取り壊されたものの、その八重桜だけは兵庫県三田市の山あいに移された。取材班が4月22日に訪れると、晴天の下、可憐な花が咲いていた。まるで、4月25日の訪れを告げているかのようだった。
取材を終えて
脱線事故に遭わなければ、遼太さんは京都の大学に通い続け、社会に羽ばたき、そして毎年自らの誕生日を素直に祝福することができていたはず…。やるせない想像が尽きません。未曾有の事故がどれだけ多くの人生を翻弄したのかを、まざまざと突きつけられる思いがします。 事故自体の風化が急速に進む中で、遼太さんのように間接的な形で亡くなった“犠牲者”は、より一層忘れ去られていくという残酷な現実があると思います。少しでもその現実に抗い、遼太さんのような “犠牲者” もいたことを社会の記憶に留めたい。そして、二度とこんな理不尽極まりない事故を起こさないという決意を新たにしたい___。取材を終え、その思いを改めて強くしました。 ※この記事は、MBSニュースとYahoo!ニュースによる共同連携企画です。
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