JR脱線事故で生き残るも…ブログに記した罪悪感「わたしはただの形骸」25歳で自死した “犠牲者”
(2006年4月20日) 「4月25日はわたしの誕生日 誕生日だから助かったのか (中略) 正直なところ、とても複雑 わたしはなんで、生き残ったんだろ」 (2007年4月25日) 「この2年、色々とありましたが、それでも、記憶の区切りともいうべき頭の中にあるしおりは、2005年の4月25日に挟まれています。 何か思い出す分岐点であり、記憶の節目です。 (中略) 今でも、この事故で亡くなった方に、『何で、お前が生きているのか』と、問いつめられています。」
強まる虚無感「わたしは、ただの形骸だ」
遼太さんは大学を特例措置で卒業したものの、仕事に就ける状態ではなく、ピアノのレッスンなど以外は実家に引きこもる生活が続いた。 事故から3年目になると、ブログからは虚無的な感情が一層強くにじみ出るようになった。 (2008年4月25日) 「4月25日は、わたしの誕生日でもある。 しかし、わたしの年齢は3年前から変わらず止まっている・・・ 今のわたしには、この日、黙祷しかできない。 それ自体も、何になるのかと自問自答する。 無力だ。 そして空虚だ。」 (2008年6月7日) 「わたしは、ただの形骸だ。」 自らを「形骸」と表現した4か月後の2008年10月、遼太さんは自ら命を絶った。25歳だった。
専門家 “事故当日が誕生日 彼の苦しみを強めた”
「本当に脱線事故が、遼太さんの人生を変えてしまったというのは、彼のブログの一言一言からもよく読み取れるのではないかと思う」 トラウマのケアなどに詳しい専門家は、遼太さんが「生存者罪悪感=サバイバーズ・ギルト」を抱えていたと指摘したうえで、事故を経験した日が誕生日であったことが、彼の苦しみを一層強めたと分析する。 関西学院大学人間福祉学部 池埜聡教授 「生を祝福する、自分の命を祝う日と、何の落ち度もない多くの方々が命を奪われた、死を間近に感じる日が、同時に重なっている。生と死が一緒になり、否応なしに、自分の命って何なんだろうとか、生き残った意味って何なんだろうという問いを、すごく突きつけられたと思う。そこから答えを見出せなかったのかもしれない」
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