季節は、巡る。


 そこに誰がいても、いなくても。


涼麗りょうれい


 自分を呼ぶ声に、涼麗は白衣びゃくえを翻しながら振り返った。佩玉が下げられていない腰元は、以前よりもフワリと装束の裾を翻させる。


「そろそろ新人が挨拶に来る。用意はいいか?」

「……私は、別にいなくとも」

「んもぅ! またそんなこと言っちゃってさぁ!」


 真新しい浅青色の装束を纏った慈雲じうんの傍らから、これまた真新しい淡紅色の装束を纏った貴陽きようがピョコリと顔を出す。装束は変われども、同朋二人の腰には以前と変わることなく、紫水晶に鳥兜と三日月が彫り込まれた色違いの佩玉が揺れていた。


「『救国の退魔師』、なーんて呼ばれちゃってるてい尊師が挨拶を受けなくて、誰が代表で挨拶を受けるていうのさ?」

「……揃って四位の下に昇進した猛華もうか比翼ひよくがいれば、それで十分だろう」

「まーた俺達、揃って汚れが目立ちそうな装束になっちまったもんだよなぁ」

「昇進に対してそんな感想抱くの、せんせんしょうの中でも慈雲だけだよ」


『本来なら四位って長官相当の位だよ?』と指摘する貴陽に、慈雲は『これ以上厄介事を押し付けられる立場になるなんて勘弁してくれよ』とゲンナリした顔を見せる。


 そんな風にやいのやいのと言い合っている間に、結局涼麗も二人に押し流されるように歩き出していた。


 大乱が終結して、半年。季節は草木の芽吹きも麗らかな春。


 今日は大乱後初めて、泉仙省に新入りを迎える日だった。


 ──確か、退魔師としての素質を持った、他部署所属の人間であったと。


 あの大乱では、あまりにもたくさんの人間が死んだ。都に住まう民だけではなく、王城に仕官していた人間もだ。


 特に全面的に解決に走り回った泉仙省がこうむった痛手は大きく、人員補充を含めた体制の立て直しは急務と言われている。己の昇進に眉をひそめた慈雲だったが、恐らく近いうちに次官補として泉仙省の運営に携わることになるだろう。


 そもそも、状況がきな臭くなる前から、慈雲には次官補昇進の打診が来ていたのだ。それを『現場仕事が忙しい』だの『問題児どもの見張りが大変』だのと蹴り続けていたのだから、今回の人事では確実に昇進させられる。慈雲と貴陽が揃って一足飛びに四位の下まで位が上がったのはその布石だ。


 ──結局、永膳えいぜんは。


『問題児ども』という言葉にふと、涼麗の脳裏に白衣びゃくえが翻る。


 涼麗と揃いの装束に身を包んでいた、涼麗の対であり、絶対君主。


 永膳の亡骸は、結局今をもっても見つかっていない。正門前の激戦地跡は徹底的に捜索がされたが、それでも装束の端切れひとつ、佩玉の欠片かけらの一片さえも発見されていなかった。


 黄季が放った『死の託宣』によって呪詛陣が破壊された時に術の返しを受けた可能性もあれば、『炎水えんすい白虹びゃっこう』で全てが反転された瞬間に余波を受けた可能性もある。


 そうであるならばむくろは残されていないだろう。永膳をしてでも、あの規模の力を受けてしまえば無事であるとは思えなかった。


「……」


 永膳に対して、思うところがないわけではない。むしろ永膳と袂を分かつことになってから半年、ずっと複雑な内心を心の内で持て余している。


 だがそれ以上に涼麗の心に折に触れて思い起こされるのは、あの窮地をともに切り抜けた青年のことだった。


 ──息災だろうか。


 大乱が終結してから、黄季おうきとは顔を合わせていない。


 噂によれば、らん将軍は軍部から姿を消したという。


 ──混乱に乗じて、身を隠したのだろう。


 黄季は、鸞一族に対する人質として軍部に仕官させられていると言っていた。だから死ぬまで皇帝を裏切れないとも。


 その皇帝は消えた。仕官が黄季の本意ではなかったのだとすれば、大乱直後の混乱は身を隠すのにうってつけだっただろう。


 むしろそこでしか黄季は軍部を抜けられなかったはずだ。黄季当人は『こんなに大変な時に、皆を放り出してそんな無責任なことはできない』と言い出しそうだが、黄季を慕っている部下達は喜んで彼を軍部から叩き出したことだろう。


 何せ自分に追従死させないために、出陣させられると分かっていながら自軍の大半を他軍の応援に回していたような将軍だ。今度は自分達が将軍を自由にするのだと、旗下が一致団結して動くのも当然のことだろう。


 ──ふみくらいは、出しても許されるのだろうか。


 そんな風にバタバタしていたから、涼麗は黄季の行方を知らない。


 自分が本気になれば、居場所を探し出して会いに行くことも、文を送ることもできるだろう。だがそれをしてしまっていいのか、黄季の迷惑になるのではないだろうかという躊躇ためらいがあって、涼麗はいまだに動き出せずにいる。


 ──何はともあれ、穏やかに過ごしていてくれるならば……


「さて、ここだ」


 そんなことを考えていたら、ポンッと慈雲に背中を叩かれた。ハタと我に返りながら何事かと慈雲を見上げれば、歳上の同期はニヤニヤと笑いながら涼麗を見下ろしている。


「今日から出仕してくれるやつは、お前の相方最有力候補でな」

「は?」

「そうそう。だから涼麗さん、しっかり挨拶してね」


 さらに反対側から貴陽も口を出す。


 そんな二人に、涼麗は分かりやすく顔をしかめた。


 ──私の相方?


 自分で言うのも何だが、己は沙那さな最高峰位を誇る退魔師だ。永膳が姿を消した今、涼麗が単独で頂点に立っていると言っても差し支えはない。


 そんな自分に、中途採用されたド新人が相方にあてがわれるとは何事か。実力も経歴も、涼麗に吊り合う人間など、今の沙那には誰もいないだろうに。


「まぁまぁ、そう難しい顔すんなって」

「ぜぇ〜ったいに気に入るから!」


 涼麗の不満は、余すことなく顔に出ていたのだろう。


 だが涼麗に対して臆することを知らない二人は容赦がない。涼麗が我に返った時には、貴陽が扉を開け放ち、慈雲が容赦なく涼麗の背中を突き飛ばしていた。


 ──こんな時までお前達は……っ!


 腹が立つほど息がピッタリな猛華比翼を恨んでも、もはや時間は巻き戻らない。


 涼麗はつんのめるようにして、新人が待機しているという部屋に踏み込んでいた。


「……っ!」


 これでは格好もつかない、どうしてくれる、と背後に恨みを飛ばしながらも、涼麗はひとまず顔を上げて室の中に視線を走らせる。


 そしてそのまま固まった。


「本日より、こちらでお世話になることになりました」


 そこにいたのは、小柄な青年だった。


 中途採用と聞いていたから年がいった人間が来るのかと思っていたが、随分と若い。新人無位階を示す黒袍が違和感なく身に馴染んでいる。


 というよりも、そこにいたのはよく知っている人物だった。


 その人物は拱手とともに涼麗を出迎えると、はにかむように笑う。


「『軍部五大将軍』鸞紫藍しらん改め、『泉仙省新人退魔師』、ばん黄季おうきです」


 その、今更な自己紹介に。


「……っ!」


 涼麗は何かを口にするよりも早く、黄季の元に駆け寄っていた。




  ※  ※  ※




「驚かせてすみません。慈雲さんと貴陽さんから、先に説明されているものだとばかり」

「何も聞いていない。そもそもいつの間にそんな親しい間柄になっていたんだ」


『慈雲さんと貴陽さん、なんて』と涼麗が心もち頬を膨らませると、黄季は分かりやすく苦笑を浮かべる。


 卓についた二人の前には、柔らかな湯気が上がる茶と、花の形をかたどった干菓子が並んでいた。


 どちらも現状では入手に値が張るものだ。わざわざこれらを用意していたということは、猛華比翼も一応、涼麗に黙ってことを進めていたのを詫びる気持ちはあるらしい。


 ──黄季が淹れてくれた茶の方が美味しい。


 そんな諸々の不満をジトッとした視線に込めると、黄季は唇を湿らせるように茶を含んでからゆっくりと口を開いた。


「実は俺、あの後わりとすぐに軍を除隊になりまして」


 黄季の説明によると、大乱後の混乱に乗じて、黄季の存在は軍部から抹殺されたらしい。


『鸞紫藍ほどの大物をどうやって』と涼麗は首を傾げたが、当の黄季も『どうやったんでしょうねぇ?』と首を傾げている辺り、本当にわけが分からないまま軍部から叩き出されたのだろう。恐らく副将である安湛あんじんと、密偵である榮斎えいさいがここぞとばかりに暗躍したに違いない。


「ひと月後には、実家に帰ることができました。しばらくはゆっくりさせてもらっていたんですけども」


 実家の家族も、喜んで黄季を迎え入れてくれたらしい。八年間の空白を埋めるように、家族はここぞとばかりに黄季を甘やかしてくれた。


 しかし、問題はそれから先のことである。


「軍をクビになってしまった以上、新たな働き口を探さないといけないわけなんですが」

「クビ」

「うちの実家、町道場なんですけども。を頼って職を得ると、どこに行っても前職を覚られそうな気がしてならなくて」

「前職」


『八年間も大変な思いをしたのだから、お前はしばらくゆっくりしていなさい』と家族は口を揃えて言ってくれた。


 しかし黄季は八人兄弟の末弟だ。長兄はすでに妻を迎えていて子供もいる。次兄が結婚して家を出ているとはいえ、実家が大所帯であることに変わりはない。周囲の好意に甘えてのんべんだらりとしていられるような心境にはなれなかった。


 暇に慣れていないというのもあり、黄季は早々に仕事を探し始めた。


 実はやれそうな仕事はそこそこに見つかったのだ。父と兄が営んでいる道場の手伝いにも呼ばれたし、大商人である次兄の婚家の隊商護衛にも呼ばれていた。狩人として肉や毛皮を狩り、害獣を退ける役割も果たしていた。四兄の応援として酒家街の用心棒の仕事も多少していた。


 若年ながらも軍部の頂点まで登り詰めた対人能力と武芸の腕前で、黄季はどこでも可愛がられ、重宝されていたという。


 しかし、誰もが黄季の戦果を前にすると顔を引きらせ、首を傾げた。


『ここに来る前は何をしていたの?』『その武芸の腕前は一体……?』『まだお若いよね?』と。


 まさか『前職は軍部五大将軍で、その時名乗っていた名前は鸞紫藍です。ゆえあって軍部をクビになりました』と正直に答えるわけにもいかない。黄季は毎回愛想笑いで誤魔化していたらしいが、それにだって限界はある。


「身バレを防いで武芸の世界で生きていくのは無理だなぁって思い知ってしまって。でも俺、武芸以外で取り柄ってないし」


 そんな風に今後の身の振り方について頭を悩ませていたところ、鷭家に客がやってきた。


 それが猛華比翼であったという。


「今なら祓師寮の卒業生や呪術師の家の出じゃなくても泉仙省にすんなり入れるから、退魔師にならないかってお誘いをいただきまして」


 確かに今、泉仙省は大々的に人員を募集している。


 何せ泉仙省自体が少なくない痛手を負っているというのに、次点で即戦力となれるはずであるちょうもほぼ壊滅している。


 退魔師というものは、生まれながらの才とそれなりの修行を必要とする特殊職だ。人材をどこから確保してくるかということに、うん長官を始め、泉仙省上層部は頭を悩ませていた。


 ──そこで出された案が、『退魔師としての素質を持つ人間を見つけたら、職歴に関係なく積極的に勧誘する』というものだという話は、確かに聞いてはいたが……


 黄季には退魔師としての素質がある。それはあの戦いを通して涼麗も知っていた。『剣弓けんきゅう武神』と呼ばれた武芸の腕は、捕物現場でも確かに役に立つだろう。むしろ黄季ほどの腕前があれば、退魔術を使えなくても気迫だけで妖怪を斬り伏せられる可能性さえある。


 何よりすでに黄季には、あの呪詛陣を破壊する決定打を打ったという実績がある。世間一般では涼麗のみが『救国の』と冠されているらしいが、それを言うならば黄季の方こそその称号を戴くにふさわしい。


 猛華比翼はそんな黄季にいち早く目をつけ、行動に出たのだろう。


 さらに言えばあの二人のことだ。黄季を『ただの退魔師』として泉仙省に招いたわけではあるまい。


 あの二人が黄季を泉仙省に招いた、一番の目的は……


「渡りに舟だと思って、お話を受けることにしまして。退魔術の基礎基本的な部分は、ここ数ヶ月でお二人からミッチリと……」


 涼麗はスッと背筋を正すと、真正面から黄季を見据えた。涼麗が纏う雰囲気を変えたことに気付いたのか、言葉を止めた黄季もピシリと背筋を正す。


「はい」

「私を『氷柳ひりゅう』と呼ぶのは、私の相方だけだ」


 涼麗が唐突に切り出した言葉に、黄季は一瞬キョトリと目をしばたたかせた。


 そんな黄季に構うことなく、涼麗は言葉を続ける。


「私はお前に『氷柳』の呼び名を預けた。これからも、回収するつもりはない」


 その言葉に、黄季は涼麗を見つめたまま大きく目を見開いた。


 真っすぐに涼麗を見上げた黄季の瞳には今、涼麗だけが映り込んでいる。


 その光景に、なぜかひどく胸が満たされるような心地がした。


「私の後翼は、鷭黄季で固定だ。異論はないな?」

「え。俺、まだ初歩も初歩の退魔術がやっと形になったくらいのド素人なんですけども」

「私がしごく。問題ない」


『受けるのか、受けないのか』と涼麗は雰囲気で黄季に迫る。


 その圧を察したのか、一度唇をわななかせた黄季は、キュッと唇を引き結んでからフワリと笑みを広げた。


「はい」


 春の木漏れ日のような。


 その笑顔を向けられただけで、世界からの祝福を一身に受けたような心地がする笑みを、黄季は惜しむことなく涼麗に向けてくれる。


「承知いたしました、氷柳さん」


 その上でスイッと、黄季は拱手を涼麗に向けた。その所作だけが、身なりに似合わずキレと貫禄にあふれている。


 そんな落差さえもが、黄季らしいと思えた。


「これからもどうぞ、よろしくお願いいたします」

「ああ」


 涼麗は無意識のうちに、満足の笑みを広げていていた。


「末永く、よろしく頼む」




 後に蒼波帝そうはていと号される皇帝の御代の始め、泉仙省に『師弟にして相方』という稀な一対が生まれた。


対舞ついぶ鳳凰』の名で広く世に知られることになる一対は、後々の世まで長く広く護国の象徴として語り継がれることになる。



 だがそんな未来のことなど今は知らない二人は、ただ間に茶と茶菓を挟んで、いつの日かと変わらない、穏やかな時間を享受するのだった。



【鴻鵠は氷華を求めない 了】

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