「いい? とにかく時間がない。一度しか説明しないから、よく頭に叩き込んで」


 泉仙省せんせんしょうの中は、いつにも増して人気ひとけが薄かった。誰もが現場対応に出払っている中、『問題児にして切り札』と言われている自分達と、うん長官しかこの場には残っていない。


四鳥しちょうが展開していた守都陣しゅとじんは今、機能が反転されて瘴気を醸造するための呪詛式として機能してる。そこに今まで都中に蔓延はびこっていた陰の気が重なって、蠱毒の壺の中と化しているのが今の都の状況だ」


 話し合いの場を仕切っているのは貴陽きようだ。貴陽と向き合った慈雲じうん涼麗りょうれいは、無言のまま貴陽の言葉に耳を傾けている。卓についた薀長官がそんな三人を見守るような配置だ。


「守都陣の規模が大きすぎる上に、守都陣に流れ込む陰の気の強さが尋常じゃない。だから正面から守都陣を破るっていうのは、現実的じゃない。ここまでは分かるね?」

「ああ」

「そうだな」

「だから、僕と長官が秘密裏に展開していた付与結界を使って、現状を打破したいと思います」


 宣言とともに、貴陽は手元に広げていた地図を二人に示した。都の全体図が記された地図の中には、何点か朱墨で印がつけられている。


「守都陣は四鳥の長を起点に展開されているっていう話だけど、実はもうひとつ起点があるんだ」


 貴陽の指先がトンッ、トンッ、と地図の上を滑る。


 指が置かれた先は、いずれも四鳥の本邸が置かれた場所だった。王城を囲むように配置された四邸を示した指先は、最後に王城の上に置かれる。


「その最後の一点が、皇帝陛下だよ」

らん軍密偵が、伝えた話にいわく」


 不意に薀長官が口を開く。三人が揃って視線を向けると、薀長官は固い表情のまま言葉を続けた。


永膳えいぜんが密かに、皇帝陛下の謁見を賜っておったらしい。……それが叶っておる時点で、皇帝陛下の御身にはすでに細工がなされておったと見て良いじゃろう。現に盗み聞いてきた会話には、随所に不可解な発言が散見しておった」


 ──鸞軍の密偵、か。


 薀長官からもたらされた情報に、涼麗はスッと目をすがめた。


 かく家に入り込んでいた呪詛師の発言からも、永膳と呪詛師の共謀はもはや明白だ。


 その証拠に永膳は今をもって泉仙省の面々の前に姿を現していない。涼麗や貴陽で行方を追えないということは、永膳が意図的に探索を拒絶し、雲隠れしているということだ。後ろめたいことがなければ永膳がこんなことをするはずがない。


 同時に、黄季おうきが自分の密偵に永膳の動きを見張らせていた、その情報を真っ先に泉仙省に回していたという事実に、胸の奥が微かに痛んだような気がした。


 ──お前は、一体いつから、この流れが読めていた?


「僕と長官が勝手に仕込んでいた陣だけども」


 一瞬、思考が今この場所で展開されていることから乖離する。


 そんな涼麗の思考を引き戻したのは、いつになく鋭い貴陽の声だった。


「反転陣なんだ。名前は『炎水えんすい白虹びゃっこう』」

「まさか反転された守都陣を、さらに反転させるってのか?」


 貴陽の短い言葉だけで、相方である慈雲には貴陽の考えが読めたのだろう。腕を組んだ慈雲は顔をしかめたまま眉を跳ね上げる。


 そんな慈雲の言葉に、貴陽はあくまで軽やかに頷いた。


「まぁ、そんなとこ」

「無茶苦茶にも程があるだろ」

「いや、案外勝算はあるんだ」


 貴陽はもう一度地図に指先を滑らせる。今度指先が示したのは、都を囲う城壁だった。


「呪詛師は元々、都の形そのものを使って呪詛陣を描いてた。その呪詛陣は、泉仙省の長年の暗躍で所々破壊されてる」


 都の外周をひと回りした貴陽の指先は、最後にまた王城の上に置かれる。 


 さらにピンッと地図上の『王城』という文字を指先で弾いてから、貴陽は顔を上げた。


「その呪詛陣の遺構と、都を囲う羅城、さらに王城を使って、『炎水白虹』は描かれてる」

「つまり、すでに陣は展開されていて、今もなお無事ってことなんだな?」

「そういうこと。永膳さんも呪詛師も、僕達が敷いた陣の存在には気付いてなかったみたいだね」


『そこは僕達の方が一枚上手うわてだったってわけ』と、貴陽は愛らしい顔に不敵な笑みを浮かべた。その笑みの中には腹黒策略家な貴陽の本性が多分ににじんでいる。


「『炎水白虹』は、通常状態だと、守都陣の力を補佐する形の働きを示す。だから今は、瘴気を醸造する動きを加速させちゃう形になってるんだけども」


『それはマズいのでは』という言葉が一瞬口を衝きかけたが、涼麗は反射的に唇を引き結んだ。


 こんな笑みを浮かべている貴陽が、この状況を予測していなかったとは思えなかったから。


「でも、『炎水白虹』の真価はそこじゃない。『炎水白虹』は、守都陣が破壊された時に、新たな起点をこちらの任意で設定して、守都陣の機能を代替えさせることを目的として作り上げたものなんだ」


 案の定、貴陽は得意げに言葉を続けた。


 その意味をとっさに理解できなかった涼麗は、思わず小首を傾げる。対して慈雲は真っすぐに貴陽へ問いをぶつけた。


「つまり、こっちにとって都合のいい、新しい守都陣を展開する下地が整ってるってことか?」

「そういうこと。守都陣の起点をひとつでも破壊して、こっちが指定した起点を『炎水白虹』に認識させれば、その瞬間に発動可能だよ」


『炎水白虹』は反転陣だと貴陽は口にした。


 起動すれば都を満たした陰の気は反転され、陽の気に変わる。あれだけの陰の気が一気に陽の気に変われば、それだけで都の浄化は完了するだろう。


 起点がこちらの任意で設定できるということは、陣の解除もこちらの意思で自由にできるということだ。浄化が完了した後に陣を解除しておけば、やがて気は周囲の気と混ざり合い、陰でも陽でもない中性に戻っていく。


 つまり『炎水白虹』さえ起動できれば、泉仙省側にも勝機はある。


 しかし貴陽の発言には、大きな矛盾が生じていた。


「正面から守都陣を破るというのは現実的じゃない。そう言っていなかったか?」


 涼麗は静かにその矛盾を口にした。だが貴陽は揺らがない。


「『正面からは』ね。真裏からの一点集中ぶっち抜きで、突破できそうなところが一ヶ所だけあるんだ」


 貴陽は真正面から涼麗を見据えた。口調は軽やかだが、表情は真剣そのものだ。


「狙うは皇帝陛下だ。ただし、真正面から乗り込むことは難しい」


 確かにそれは、一理ある。


 守都陣の起点を担っていた四鳥の長は、いずれも永膳と呪詛師によって害された。首が置かれたそれぞれの四鳥本邸は強力な忌地いみちと化しており、涼麗達でさえおいそれとは近付けない。


 だが、最後の起点である皇帝は状況が違う。


 恐らく何らかの細工はされているだろうが、皇帝はまだ生きている。生きたまま、呪詛陣と化した守都陣の起点を担っている。今の状況で皇帝を亡き者にしてしまえば、確かに『起点を破壊する』という要件を満たすことができるだろう。


 だが相手は皇帝だ。


 周囲が忌地に落ちていなかろうが、そもそも簡単に近付ける相手ではない。この状況でもなお、……いや、こんな状況だからこそ、殺意を以て近付くことなどできはしないだろう。


 だがこんな発言をした以上、貴陽はその対策だって考えているはずだ。


「では、どうやって」


 その確信を以て、涼麗は貴陽に問いを向ける。


 そんな涼麗の声に、コクリと貴陽が空唾を飲むのが分かった。


「『死の託宣』」

「っ!?」


 短く告げられた言葉に、涼麗は思わず息をむ。


 そんな涼麗から考えるすきを奪うかのように、貴陽は言葉をまくし立てた。


らん紫藍しらんになら、できる。どれだけ距離が離れていようとも、鸞将軍の一射は必ず的を射止めるもの」

「っ……、相手は、王城奥深くにいる皇帝だぞ? 戦場とは話が違う」

「つまり、皇帝の頭上を守る建物がなくなれば、条件は同じってことだろ?」


 この期に及んで貴陽が自分に何を求めているのか察した涼麗は、思わず貴陽から視線をらす。


 だがそんな涼麗のささやかな逃げさえ、猛華もうか比翼ひよくは許しはしない。


「破壊と整地なら俺らの得意分野だ。なぁ、貴陽?」

「うん。得意中の得意だよね、僕達ね」

「お前達……っ!!」

「あのね。涼麗さん個人のためとか、お遊びとかでこんな作戦を立てたんじゃないんだよ? 本当にこれが最適解で、作戦実行には鸞将軍の協力が必要なんだ」


 地図を折り畳んだ貴陽は、真剣なまなざしを涼麗に据えた。紫水晶を思わせる瞳に映り込んだ涼麗は、分かりやすく困惑を顔に浮かべている。


 その感情の見えなさ加減を『等身大のお人形』と揶揄やゆされてきた自分が、随分と人間らしい表情を見せていた。


「軍部と泉仙省が協力するきっかけを作ったのは、涼麗さんなんでしょ? だったらその責任、最後まで果たしてよね」

「……しかし」


【あの夜、あなたに出会わなければ良かった】


 あの時、自分の手を、黄季は振り払った。涼麗の言葉には従えないと、黄季はキッパリと涼麗を拒絶したのだ。


 黄季は恐らく今、課せられた命を果たすべく前線に身を投じている。そんな死の覚悟を固めてしまった黄季に自分が今更何かを言ったところで、その言葉が届くとは思えない。


 ──私が、何を言っても、黄季は……


「お前が一番怖いことは、黄季殿に自分の言葉が届かないことなのか?」


 最後の時を思い返した瞬間、涼麗の心は重く沈む。


 だがそんな涼麗の物思いを断ち切るかのように、慈雲が声を上げた。


「それは、黄季殿がこのまま死んじまうことよりも、恐ろしいことなのか?」


 その言葉に、涼麗は目を見開くと顔を跳ね上げた。視線の先にいる慈雲は、厳しい顔で涼麗を見据えている。


「お前が永膳の支配を振り切ってでも手を伸ばした相手なんだろ? たかが一度拒否されただけで、諦めちまっていいのかよ?」


『むしろお前、諦めきれるのかよ?』と、慈雲は言外に続けた。


 その言葉に、思わず涼麗は目を見開いたまま、まじまじと慈雲を見つめる。


 ──そうだ、私は……


 今まで、黄季が涼麗の言葉をないがしろにしたことは一度もなかった。拙い言葉をいつも柔らかく受け止めてくれて、言葉になりきらない思いまで全部掬い取ってもらっていた。


 本当に、あの瞬間だけだったのだ。涼麗の言葉が、黄季に届かなかったのは。


 そのことにひるんで、諦めた。そんな自分がいなかったのかと問われれば、涼麗は完全に否とは言えない。


 だって自分は今まで、そんな状況に接したことなどなかったのだ。


 否定されても足掻き続けたいと願うことも。相手の考えを変えたいと思ったことも。どうしても自分の思いを相手に伝えたいと叫んだことも。


 全部全部、黄季が初めてだった。


 だから涼麗には、足掻き方が分からない。


 ──だが、ここでこのまま、全てを諦めてしまったら……


 このまま涼麗が諦めてしまえば、黄季は確実に死ぬだろう。


 死んでしまえば、そこで終わりだ。終わってしまった時点で、足掻くことも、叫ぶことも、意味をなさなくなる。終わってしまった時間も命も、二度と取り返すことはできない。


 ──だが、どうすれば私の言葉は、黄季に届く?


「『逃げろ』って言葉に頷いてもらえなかったなら、『じゃあ一緒に戦ってくれ』って口説き文句を変えてみりゃいい」


 思わず涼麗はグッと奥歯を噛みしめる。


 そんな涼麗の内心の変化が分かったのか、慈雲は不意にこの状況には似つかわしくない砕けた笑みを浮かべてみせた。


「それでもダメだったら、さらってこいよ」

「かっ……?」

「軍部で玉砕戦に使われるくらいなら、いっそこの大乱が終わるまで泉仙省に監禁しとこうぜ」

「……は?」


 慈雲らしからぬ、……どちらかと言えば貴陽が口にしそうな言葉を、慈雲は軽やかに涼麗に向けた。


 そんな慈雲に思わず絶句する涼麗を尻目に、貴陽が瞳を輝かせる。


「いいねー、それ! あの子、退魔師としての素質ありそうだし。こんなところで死なせるのは心底惜しいもんねぇ!」

「涼麗の相方には、永膳よかあいつの方が似合いだろ。仕込んで涼麗の相方にしようぜ」


 ──……何を言っているんだ、お前達は。


 この局面でそんな冗談が出ることも信じられなければ、その冗談で盛り上がれる精神も理解できない。



 涼麗と黄季のやり取りを知らないならばまだしも、この二人には状況共有のためにあの場でのおおよその流れを伝えている。


 その上で『作戦実行のために捕まえてこい』だの『説得できなかったら攫って監禁』だのと、どんな精神をしていれば口にできるのだろうか。


「あのね、涼麗さん。僕達が何者なのか、忘れちゃったの?」


『そもそも黄季が今いるのは、恐らく最前線の激戦地だぞ? その現場に掻っ攫いに行けとは、私に死ねと言っているのか?』と思わず無表情に戻った顔の下で思った瞬間、だった。


 表情を正した貴陽が改めて涼麗を見上げる。そんな貴陽の隣に並んだ慈雲も、不敵な笑みとともに言葉を並べた。


「俺達は退魔師だ。民の心の闇を払い、安寧を保つ者」

「術は人の心を惑わすこともあれば、救うこともあるんだよ」


 その言葉に、息が詰まる。


 脳裏に蘇ったのは、記憶の中にある穏やかな光景だった。


【有ると思えば有り、無いと思えば無い。有っても無いと思えば無く、無くても有ると思えば有る】


「涼麗さんの腕前を以てすれば、書き換えることもできるんじゃない? 死に向かおうとしている、あの子の運命を書き換えることもさ」


【涼麗さんは、沙那さなで最高峰の腕を誇る退魔師の一人なんですから】

【きっとできるんじゃないかなと、思うんですよね】


 貴陽が口にした言葉は、黄季が向けてくれた言葉そのものだった。


 あの穏やかな、涼やかな風の中で。自分にかけられていた『氷柳ひりゅう』という呪縛を書き換えてくれた言葉。


 それとまったく同じ言葉を、貴陽が口にしていた。


 その腕前を、今度は黄季に使ってみせろと。


 ──有っても無いと思えば無く、無くても有ると思えば有る。


 思えば、理不尽なことこの上ないではないか。


 黄季は涼麗の存在定義を書き換えるにふさわしい言葉をあの時口にしたのだ。だというのに、言葉の力を操る本職にある涼麗の言葉は、黄季の存在定義を書き換えられていない。


 自分は黄季からの思いを余すことなく受け取っているというのに、自分の思いは黄季に受け取ってもらえなかった。


 自分自身にかけられていた呪縛と、黄季を雁字搦めにしている枷、両者は何が違うというのか。根本が同じであるならば、涼麗に黄季を救えないいわれなどあるはずがない。


 自分の矜持は、このまま黄季が呪縛に巻かれて果てる未来を許すというのか。


 黄季によって芽生えた己の心は、こんな状況を受け入れられるというのか。


 ──答えは、


 考えるまでもなく否だ。


「……心は決まったようじゃの」


 不意に、今まで黙っていた薀長官が声を上げた。


 静かに立ち上がった薀長官は、パンッと一度手を打ち鳴らす。それを合図に長官室の扉が開かれ、見慣れない男がスルリと入り込んできた。


 無駄のない動きで片膝をついた男は、背格好と髪色が黄季によく似ている。そんな男が纏う装束にはところどころ血がにじんだ破れ目があり、その下には包帯の巻かれた肌が見え隠れしていた。


「鸞軍密偵、榮斎えいさいと申します」


 男は膝をついたまま、涼麗達を見据えて名乗りを上げる。


 恐らく彼こそが、黄季の命を受けて永膳と皇帝の密会の様子を探り、泉仙省に伝えたという密偵なのだろう。


「彼がお前さんを鸞将軍の元まで導いてくれる」


『なぜ彼が今もここに?』と涼麗は疑問を込めた視線を薀長官に投げる。


 対する薀長官は必ず問われるだろうと思っていたのか、涼麗達三人が声を上げるよりも早く事情を口にした。


「こうなるだろうと思うておっての。永膳に手酷くやられた傷を癒やすと同時に、案内役として待機してもらっておった」


 薀長官の言葉尻にはわずかな嘆息の気配が混じる。


 その嘆息の中には、永膳の暴挙に対する怒りと、涼麗を無謀な作戦に送り出すことへの不安、さらには重傷を負っていながら戦場へ舞い戻ろうとする目の前の男への呆れも含まれているのだろう。


黒鸞こくらん将軍は、私を泉仙省に派遣することで、己の死地から遠ざけたつもりだったのでしょうが」


 薀長官の言葉に、榮斎は細く声を上げた。囁くような声音は微かにしか耳に届かないのに、不思議と紡がれる言葉は聞き取りやすい。


「私とて、鸞将軍旗下の軍人。無二の主を戦場に残したまま、おめおめと生き延びるつもりはございません」


 言葉とまなざしに覚悟を見た涼麗は、男へ向かってひとつ頷いた。さらに慈雲と貴陽を流し見れば、二人も即座に頷き返す。


 その上で貴陽は、ふところを漁ると手のひらに収まる大きさの水晶玉をよっつ取り出した。


「『炎水白虹』の必要起点は四点。僕、慈雲、薀長官、涼麗さん。その四人でいいよね?」

「ああ」

「起動可能になれば、この水晶玉で分かるから」


 そのうちのひとつを貴陽は涼麗の手のひらの上に落とした。澄んだ水晶玉は、見た目からの印象通りにヒヤリとした感触を涼麗に伝えてくる。


「あとは、これ」


 さらに貴陽は薀長官を振り返ると、視線で何かを訴えた。その合図に首肯で応えた薀長官は、どこからともなく長弓と一本の矢を取り出すと、それを手に涼麗との間合いを詰める。


「まず涼麗さんは、鸞将軍と一緒に皇帝撃破をよろしく」


 水晶玉を懐に収めた涼麗は、薀長官が差し出す弓と矢を受け取った。


 弓はいたって普通の弓だが、矢は握りしめた瞬間、内包された強い力を感じた。恐らく貴陽と薀長官が守都陣の起点を破壊するために何らかの術を込めた特別製だろう。


 ──鸞紫藍ならば、この一本で十分、ということか。


 その重みを確かめるように一度矢を握りしめた涼麗は、弓を背に負うように体を通すと身を翻した。機敏に立ち上がった榮斎が、そんな涼麗を先導するかのように先に立つ。


 ──黄季。


 救う、などという御大層な言葉を、決して自分は口になどできない。


 ただ、伝えたいことは、今も変わらずこの胸の中にある。


 だから。


「私が行き着くまで、決して死ぬな」


 小さく声に出された言葉は、今はまだ戦場の黒雛には届かない。


 それでも涼麗は、祈りの言葉を声に出さずにはいられなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る