この門扉を前にするのは、数年ぶりのことだった。


 主家の屋敷であり、かつて自分が暮らしていた場所でもあるかく家本邸の前に立ったりょうれいは、門扉を見上げると無表情から若干目をすがめる。


 ──静かすぎる。


 その違和感に、ジリジリと警戒心が募っていくのが分かった。


 同時に、自分をここに派遣したうん長官の声が耳の奥に蘇る。


『涼麗、折り入って頼みがある』


 珍しく永膳えいぜんが涼麗に何も言わずに出かけていて、猛華もうか比翼ひよくは任務で不在。


 完全に涼麗が一人になっていたところに、薀長官は声をかけてきた。


『郭家の様子を、探ってきてはくれんか』


 その言葉に涼麗が無言で瞳をしばたたかせると、薀長官は涼麗を見据えたままスッと目をすがめた。


守都陣しゅとじんの機動に、疑問点がある。永膳の立ち回りにも、な』


 その短い説明だけで、涼麗は郭家内偵の任を引き受けた。


 確かに、内偵要員として涼麗以上の適任者はいないだろうと思ったから。


 ──守都陣、か。


 四鳥しちょうの長、四人を起点に展開されている守護結界の存在については、何かの話のついでに聞いたことがあった。


 特殊体質ゆえに都の地脈を己が身ひとつで正確に把握できる涼麗は、実際にそれがどんな形で構築され、機能しているのかも感覚として理解している。


 涼麗の感覚で言えば、守都陣の機動に異変はない。その部分で言えば、薀長官も、結界呪の名手である貴陽きようも同じ見解であるという。


 だが都が置かれた状況を思えば、そのこと自体が異常だとも言える。その上で四鳥のどの長もだんまりを決め込んでいるという現状は、どう考えても不自然だ。


 ──薀長官が出した式文には、当主であるしゅくぜん様の筆跡で返書があった。しかし。


 返書は、代筆で誤魔化すことができる。筆跡を真似ることも、何なら当人に偽書を書かせることだって、裏に呪術師が潜んでいるならば可能だ。


 ふみのやり取りだけで疑惑が晴らせないならば、直接乗り込んで己の目で見て確かめる他に手段はない。


 涼麗は腹をくくると、閉ざされた門扉を押して中へ踏み入った。


 泉仙省せんせんしょうに出仕を始めてしばらくの後、永膳は諸事情あってこの屋敷から独立して居を構えている。涼麗は有無を言わさず永膳と同居させられたから、ここ数年この屋敷を訪れた覚えはない。


 だがそんな涼麗でも、今の屋敷の状態には違和感があった。


 ──無断で屋敷に立ち入ったというのに、誰も姿を現さない。


 ここは四鳥が一角、郭家の本邸。すなわち、呪術師一族が暮らす屋敷だ。屋敷の内外には数え切れないほど呪術的な守りが施されている。


 無防備に涼麗が立ち入ったことなど、屋敷の住人には筒抜けのはずだ。だというのに誰も応対に出てこないなどあり得るはずがない。


 良く言えば永膳の小姓であり護衛役。悪く言えば永膳をたぶらかした魔性の男。


 それが郭家から見た『てい涼麗』という存在だ。


 どちらの意味でも、郭家は突如単身で現れた涼麗を無視はできない。先触れのない来訪の意味を問いただすべく、本来ならば涼麗が屋敷の門前に立った時点で誰かが応対に出てきたはずだ。


「……」


 警戒心を引き上げながら、涼麗は屋敷の奥へ向かって歩を進めた。


 目に映る屋敷に異常はない。各種結界も、涼麗が知る限り変わることなく機能している。


 だがやはりどれだけ歩を進めても、人の姿だけがなかった。郭家の人間はおろか、使用人の一人さえ姿が見えない。


 人が集まりそうな場所をひとつひとつ回っていった涼麗は、叔膳の執務室が無人であるのを確かめると一度足を止める。


 ──いつから、こんな状況だった?


 屋敷内に争った形跡はなかった。ならば一族郎党、使用人まで揃っていずこかへ雲隠れしたのかという話になるが、そういった気配もない。


 長期の不在を想定して屋敷の中を片付けた気配もなければ、貴重品もそのまま残されている。屋敷の中は、あくまで日常の気配を留めたまま、時を止めていた。


 そう、時が止まっている。


「…………」


 グッと一度奥歯を噛み締めた涼麗は、屋敷の中で唯一まだ見回っていない場所を目指して歩を進め始める。


 場所は知っていたが、今まで立ち入ったことはない場所だった。涼麗がそこに近付くことに郭家の人間は良い顔をしなかったし、永膳もそこに涼麗が近付く必要性はないと言っていたから。


 ──もはや、何かがあるとしたら、あの場所しかあるまい。


 屋敷の裏手。郭の血を引く人間しか立ち入りを許されない場所。


 広大な屋敷の奥深くに、その建物はひっそりと構えられている。


 郭家の祠堂。累代の祖霊が眠る場所だからこそ、『永膳を狂わせた』と言われている涼麗は決して近付くことを許されなかった。


 足早に祠堂の前まで進んだ涼麗は、朱塗りの扉に手を置く。立ち入りを禁じられていた場所に土足で踏み込もうとしている事実に対しては、特に何も思わなかった。


 意識は捕物現場に突入する前のそれだった。緊張で一段冴えた意識に感情と呼べるものはない。鏡のように凪いだ心境のまま、涼麗は扉に添えた手を介して中の気配を探る。


 涼麗の感覚をもってしても、中に異常は見つからない。


 そのことを改めて確かめた涼麗は、グッと一度奥歯に力を込めてから祠堂の扉を勢い良く開け放つ。


 その瞬間、涼麗の鼻先を生臭い空気が横切った。


「おやぁ、随分と遅かったなぁ」


 同時に、極限まで押し込められていた陰の気が、火柱を上げるかのように爆発する。


「っ!?」

「しかしまぁ、踏み込んできたのが、まさかぬしとはなぁ」


 涼麗は反射的に後ろへ飛び退すさっていた。扉の前にしつらえられていた階段を一足に飛び降り、体勢を低く保ったまま懐から抜いた匕首ひしゅを構える。


 そんな涼麗に対して、祠堂の中で待ち構えていた人物は特に動きを見せなかった。


 外に解き放たれたことにより、濃度が下がった瘴気の向こう側。


 本来ならば郭家累代の位牌が並べられているはずの場所に行儀悪く片膝を抱えて座り込んでいた老翁は、ボロのような僧衣を揺らし、腕に抱え込んだ錫杖を鳴らしながら愉快そうに声を上げる。


「ここまで郭の小僧の予想通りとは。いやはや、恐れ入る」


 その言葉に、涼麗は思わずギリッと奥歯を噛み締めた。


 ──やはりこれは、永膳が……!


 薀長官が自分を内偵役に指名した時から、漠然と予想できていたことだった。


 当代郭家当主である郭叔膳を害せるとしたら、永膳をおいて他にない。


 永膳は叔膳の実の息子であり、次期当主だ。涼麗への執着を貫き通すために郭本邸を出奔し、以降ろくに顔も見せに来ていなかった永膳が帰ってきたとなれば、誰もが喜んで永膳を屋敷の中に招いただろう。


 叔膳自身も永膳に多少の警戒心を持ち合わせていたとしても、血族外の人間を相手にする時ほどの警戒は抱いていなかったはずだ。永膳はすんなり叔膳と対面を果たしただろう。


 郭家を守るために展開されている術式は、永膳に牙を向けない。さらに言えば次期当主である永膳は、郭家に展開されている術式に誰よりも精通している。守都陣についても、いずれ家督を引き継ぐために詳細を教えられていたはずだ。


 永膳にならば、たやすくできたのだ。


 守都陣を乗っ取ることも。その上でそれを周囲に覚らせないことも。


 動機だって、あったのだ。


『汀涼麗』という、永膳の全てを狂わせる動機が。


 前々から永膳は、郭家も泉仙省も目障りな存在だと感じていた。今の永膳にとって、己の思惑を阻める存在たりえるものは、その二者しかいないから。


 今、都の裏で蠢いている強大な呪詛を用いれば、国のついでに郭家も泉仙省も潰せる。そのことに永膳は気付いてしまったのだろう。


 ──だが恐らく、永膳がこんなことに踏み切った一番の要因は……


氷柳ひりゅうさん】


 一瞬、耳の奥に、あの柔らかな声がよみがえったような気がした。


「……貴様が、全ての黒幕である呪詛師か?」


 その全てを噛み締めた上で、涼麗は低く声を上げる。


 そんな涼麗に対し、老僧はニンマリといやらしく笑った。


「いかにも」


 しわがれた声で答えた老僧は、ユルリと床に足を下ろした。己の足で立ち上がった老僧は、ジャラリジャラリと錫杖の遊環ゆかんを鳴らしながら、一歩一歩祠堂の入口へ近付いてくる。


わしの名はめい寧伴ねいはん。この国と皇帝の血筋を恨みの炎で燃やす者」


 寧伴が腰掛けていた後ろには、位牌の代わりにズラリと生首が並べられていた。


 遠目かつ瘴気越しでも、涼麗にはそれが郭家の主要な面々の首であることが分かってしまった。血の気が完全に抜けきった生首は、切り落とされた首の傷口からすでに腐敗が始まっている。


 ──太刀傷。


 その切り口が、恐らく大剣によるものだということも。ならばそれを成したのは、郭家伝来の大剣を得物にしている永膳自身であろうことも。


 全てを分かってもなお、涼麗の頭は冴えていた。


 ──この場で私が成さなければならないことはふたつ。


 目の前のこの男を滅殺し、この場にわだかまる陰の気を根こそぎ浄化すること。その上で意義を書き換えられた守都陣を破壊すること。


 それ以外のことは、それらを成してから考えればいい。


「っ!」


 涼麗は左手の中に滑り込ませていた柳葉飛刀を無音の気合とともになげうつ。老僧の足元を狙った飛刀は、錫杖に阻まれることなく狙った通りの場所に打ち込まれた。


 その飛刀からフルリと白銀の霊気が立ち昇る。霊気は間髪をれずに鎖の形を取ると、瞬時に老僧の体を戒めた。


 それを視覚で理解するよりも先に感覚で把握した涼麗は、右手で匕首を構えたまま前へ飛び出す。


 ──この場に留まっていた以上、この術式はこいつを核にして起動している!


 どれだけ複雑な陣であろうが、規模が大きい陣であろうが、基本は同じだ。一番重要な核を砕かれれば、術は形を保っていられない。


 そして大概の術式は、行使者こそがその核となる。


 涼麗は一切躊躇ためらうことなく、寧伴の心臓に匕首を叩き込んだ。その上ですれ違うように祠堂の中へ飛び込み、床を滑るように体を反転させながら印を切る。


「『夜明けのあけは日のやいば 闇を断ち切るの刃』」


 浄祓呪を紡ぐ声が聞こえたのか、寧伴はユルリと涼麗を振り返る。


 その瞬間、涼麗の背にザッと悪寒が走った。


「……っ!?」


 冥寧伴は、わらっていた。致命傷を受けていながら、心底嬉しくて仕方がないという笑みを顔一杯に広げていた。


 寧伴のシワに埋もれた唇が、ニンマリと吊り上がったまま音もなく動く。


『我が悲願、ここに成就せり』


「……っ!!」


 ──ハメられた……!


 とっさにそれが分かっても、紡ぎかけた呪歌を止めることなどできない。突き立てた刃をなかったことにはできない。


 己がこの呪詛師の罠にかけられたのだと今更気付いても、涼麗が寧伴を滅する流れは止まらない。


 一瞬、涼麗の唇が躊躇いに動きを止める。


 その隙を見計らったかのように、ドロリと寧伴の姿が崩れた。トプンッと粘度が高い液体のような音を立てて崩れた寧伴の体は、そのまま祠堂の床に吸い込まれると即座に陣を描き始める。


「っ!?」


 漆黒の線が縦横無尽に走る様を見た涼麗は、本能的に祠堂の外へ向かって駆け出していた。


 寧伴の体から抜け落ちていた匕首を拾い上げながら外へ飛び出す。背後を気にしていられる余裕はなかった。途中で地面に向かって飛刀を擲ち、指のひと鳴らしで結界を展開する。


 その陰に、体を滑り込ませた瞬間。


 祠堂は漆黒の瘴気とともに爆発し、連動するかのように都のどこかで派手な爆発音が轟いた。

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