別離

「最近、なーんかおかしい気がするんだよな」

「なーんかおかしいよね」


 ぼやきながら後ろへ飛び退すさると、相方も同じ瞬間に飛び退ってきた。


 特に打ち合わせたわけでもないのに、互いの背中がトンッと軽く触れ合う。


 視線は互いに正面を向いたままだから、相手がどんな状況なのかを見て確かめることはできない。だが相方が自分と同じように呪具を構えて正面を見据えているということは手に取るように分かる。


「斬っても斬っても終わらねぇっつーか」

「壊れちゃいけない部分がジワジワ削られてってるって感じだよねぇ」


 本来ならばまだ日は中天にかかっている時間帯であるのに、周囲は夕暮れ時のように陰っていた。その薄闇の中を、黒い反物を風に流したかのように瘴気がのたうち回っている。


 その眼下には、形を取りきれていない漆黒の影がうごめいていた。人にも獣にも見える影の中には、しばらく前まで本当に人間だった存在も含まれているのだろう。


 ──まるで地獄にいるみたいだ。


『緊急』と題された妖怪討伐の任で派遣された現場だった。いざ現在に到着してみれば、妖怪討伐どころか現場一帯が忌地いみちに堕ちていたというおまけつきである。


 最近はこんなことばかりだ。泉仙省せんせんしょうに帰投するなり『緊急案件』と題された現場にまた送り出される。


 ろくな休憩どころか、下手をすれば睡眠時間の確保さえ危うい状況だった。もう何日も自宅に帰ることができず、泉仙省でつかの間微睡まどろむだけの休憩で体をたせている。


 ──ジワジワと忙しさが増して、いつの間にか泥沼の火の車だった。


 今や都の中で忌地に落ちていない土地を探す方が難しい。恐らく止まらない暴動だけではなく、陰の気に命を喰われた人間も多くいるはずだ。


 泉仙省にとって、今の都の状況はもはや戦場に等しい。


 だというのに、相変わらず黒幕の尻尾が掴めたという情報は回ってこない。


 ──普段ふんぞり返ってるお偉いさん達は、一体何してやがるんだか。


 そんなことを考えながらも、慈雲じうんは手にした偃月刀を隙なく構えた。


「もしかしたら、一度四鳥しちょうを内偵した方がいいかもしれない」


 そんな慈雲の動きに応えるかのように、貴陽きようも呪扇を構えた腕をユルリと上げる。その動きが、接した背中の筋肉の動き方だけで分かった。


「どういうことだ?」

守都陣しゅとじんが破られてる可能性があるかも」

「破られてたら、さすがに長官かお前が気付くだろ」


 この都には、四鳥の各家の長が起点となって展開されている防御陣が存在している。


 都をありとあらゆる災厄から守るための陣が、呪詛師の思惑をも阻害している。だからこの状況でも都はギリギリ存続してきたという話は、かなり前に貴陽から説明を受けた。


 その機能を強化するために、うん長官と貴陽が四鳥に無断で陣を敷いたという話も秘密裏に教えられていた。


『僕と慈雲だけの秘密だよ』と年頃の娘が恋の話を囁くかのような風情で国の存亡を決めかねない機密情報を囁かれた時には、正直どんな顔をすればいいのか分からず反応に困ったものだった。今はそんな過去さえもが懐かしい。


「より正確に言うならば、破らないまま機能が上書きされているというか、乗っ取られている可能性が高いかもって」


 貴陽の言葉に、慈雲はチラリと貴陽を振り返った。対する貴陽は何かを見透かそうとするかのように、自分達の頭上へ視線を投げている。


「今の都は、まるで陰の気を醸造する壺の中みたいだ。ここまで状況が悪化してるのに、四鳥の動きもなければ、僕と長官が敷いた陣に負荷や反動がかかる気配もない」


 通常、陣が破られれば術者の手元には反動が返る。何かしらの原因で陣が機能しなくなっていれば、その負荷も伝わるはずだ。その反動や負荷で術者は陣が置かれた状況を把握している。


 だが貴陽曰く、感触から言って、薀長官と貴陽が敷いた陣は正常な起動を続けたままであるらしい。


 正常に起動しているのにこの状況はおかしい。ならば四鳥が展開する守都陣に何かがあったと見るべきだ。


 あるいは四鳥、薀長官、貴陽のいずれをも上回る結界呪の腕前を持つ誰かが、秘密裏に陣を突破したか、だ。


「お前の上を行く結界術師? んなもんいるか?」

「分からないじゃない? 世界は広いもの」


 慈雲の率直な賛辞を、貴陽は当然の評価として受け入れた。その上であくまで軽やかな口調のまま貴陽は言葉を返す。


 そんな貴陽の言葉に、慈雲はさらに考えを巡らせた。


「……少なくとも、ずっと暗躍を続けてた呪詛師じゃねぇな」

「だよね。僕もそう思う」


 黒幕である呪詛師当人にそれだけの腕前があれば、守都陣はとうの昔に突破されていたはずだ。薀長官と貴陽が暗躍する暇も与えられず、都は呪詛の渦に沈んでいたことだろう。


 ならば誰か第三者が呪詛師に加勢したと考えるのが妥当だ。


 ──誰か、ねぇ……


「……永膳えいぜんさんってさ」


 誰ならばそんなことが可能なのか、と考えた瞬間、一瞬意識の端を白衣びゃくえかすめたような気がした。


 まるで同じ光景が見えていたかのように、貴陽が前触れもなくその名前を持ち出す。


「どうして、涼麗りょうれいさんの単独行動を許したんだろうね?」

「長官から永膳には軍部接触禁止令が出ていた。一方涼麗には、軍部との伝令役が任されていた。単独行動になるのは必然だ」

「普段なら永膳さんがそれを許すとは思えないんだよね。何らかの手段を使って、涼錬さんに拒否させているはずなんだ」


 慈雲とて、その部分は理解している。口にした説明はあくまで建前でしかない。


 多分、貴陽は今、慈雲と同じことを考えている。


 ──永膳ならば、あるいは。


 かく家次期当主最有力候補にして、で最高位階を誇る後翼退魔師。結界呪の腕前だけで比べれば確かに永膳は貴陽に劣るが、それでも永膳の技量が他より抜きん出ていることに違いはない。


 郭家次期当主として、本来ならば当主しか知り得ない守都陣の知識を永膳が有していたならば。単独行動を望む涼麗にあえてお目こぼしを与えることで、自身が暗躍する時間を得ていたというならば。


 永膳にならば、できるかもしれない。


 泉仙省と四鳥が掴めなかった呪詛師の尻尾を捕まえることも。その上で呪詛師と手を結び、都を守るために展開されている陣の全てをすり抜け、乗っ取り、都をまるごと呪詛の坩堝るつぼにすることも。


 ──動機もあるし、な。


「それなら、涼麗さんは本物の『傾国』だったってことかな?」


 やはり同じことを考えているのか、貴陽はうっすらと笑みを浮かべていた。その顔に冷や汗が伝っていることまで分かってしまった慈雲は、意識を目の前に引き戻すと改めて偃月刀を構える。


「とにかく、ここの片付けが終わらねぇことには何ともならねぇな」

「だね」


 慈雲の言葉で、貴陽は意識を切り替えたのだろう。一度深く息を吸った貴陽が、バッと音を鳴らしながら呪扇を広げる。


「さっさと帰ろ、慈雲!」

「だな! 早く帰れたら多少寝れるかもしんねぇし!」

「僕はそれよりお風呂に入りたいっ!!」


 軽口を叩き合いながら、二人は再び前へ踏み込んだ。


 地獄が明ける気配は、まだ見えない。

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