──なるほど?


 会話が途切れたのを機に通音術を解除したえいぜんは、ぼんやりと天井を見上げたまま低く呟いた。


「外套の出どころは、そこだったか」


 こぼれ落ちた声は、誰にも聞き取られることなく閉ざされた部屋の中に消えていく。


 泉仙省せんせんしょう泉部せんぶの休憩室。部屋そのものも外から結界で封印されているのか、空気の流れはおろか、呪力の流れさえ感じ取れない。


 そんな部屋の中に、永膳は寝かされていた。一応気を使ったのか、体は長椅子に横たえられ、掛布が一枚かけられている。


 もっとも、永膳の意識を刈り取ったうん長官は、こんなに早く術が解かれるとは思ってもいなかったのだろうが。


 ──まだまだ俺も侮られたもんだな。


 まあ、今はそれでもいい。その方が色々と動きやすいだろうから。


 ──薀長官だけではなく、軍部も都が置かれた状況に気付いた、か……


 涼麗りょうれいはうまく永膳を撒いたつもりになっているようだが、残念ながら永膳はそこまで愚かではない。


 何やら様子がおかしい涼麗が永膳から離れて単独行動を取りたがっていることは察していた。永膳によって軍部との関係をこれ以上こじれさせたくない薀長官が、自分を隔離してくるだろうことも想定済みだった。


 だからわざと策にはまったフリをして、涼麗を泳がせた。何があの『お人形』に自我を持たせたのかを探るために。


 元から涼麗が下げている佩玉には、永膳によって様々な細工が施されている。


 確かに涼麗は沙那さな屈指の退魔師だが、結界術ならば永膳の方が上手うわてだ。


 あの佩玉が涼麗の腰元にある限り、永膳は呪力的に隔てられていても涼麗の様子を手に取るように知ることができる。居場所が把握されていることも、会話が筒抜けになっていることも、涼麗が気付くことはないだろう。


「……」


 永膳は長椅子に寝転がったまま、片腕を真横へ伸ばす。そのまま呼び付けるように指先だけを曲げると、周囲の空気がユラリと揺れた。


 紅の燐光とともに蜃気楼の隙間から姿を現したのは、炎で形作られた虎だった。三頭の虎は永膳の指先にたわむれるように鼻先を擦り付けると、大人しくその場に尻を落とす。


 従順な己の式達に向かって、永膳はピッと指先を振ってみせた。


「探れ」


 さらに一言命じれば、煉虎れんこ達は現れた時と同様にスルリと蜃気楼の向こうへ姿を消す。


 永膳が使役する煉虎は、何も攻撃だけが能ではない。地脈に潜って移動ができる煉虎達は、密偵にもうってつけだ。


 その能力を駆使して、すでに永膳は誰よりも都が置かれた状況を把握している。


 ──この状況を作り出している呪詛師は単独犯。今は宮廷奥深く、皇帝の傍らに身を隠している。


 皇帝が泉仙省に非協力的なのは、すでにその呪詛師の方が皇帝の懐深くに潜り込み、寵を得ているからだ。


 熟した果実は、食べ時を過ぎれば内から腐る。今の沙那国政中枢部は、まさしく熟しすぎた果実だ。


 栄華を極めきった皇帝も、その周囲を固めた臣下達も、自分達が甘い汁を啜ることに必死で、国が傾いている状況になどこれっぽっちも関心を払っていない。


 享楽に目がくらんだ彼らにとって、現実を突きつけようとする存在は一律して悪で、害だ。


 だから薀長官の進言も、軍部からの苦言も、皇帝の耳には届かない。各地で上がる叛乱の狼煙も、軍部に投げておけばどうとでもなるとしか思っていないのだろう。


 恐らく呪詛師は、快楽を求め続ける彼らの望みを一手に叶えているに違いない。だからこそ皇帝は小うるさい泉仙省を遠ざけ、呪詛師を懐深くで重用している。


 それこそが呪詛師の狙いで、自分達が呪詛師の術中に囚われていることになど、気付くこともないまま。


 ──国が中心から腐るように、長い時間をかけて少しずつ毒を流し込む。さらに巨大な陣を都に敷き、都全体の地脈を陰に傾ける。都の外の気まで陰に傾いてんのは、都の気の均衡が狂った余波だな。


 恐らくくだんの呪詛師の狙いは、皇帝一族を末の末まで根絶やしにすることだ。都を丸ごと陰に沈め、そこから生まれる膨大な死を原動力として呪詛を執り行う腹積もりなのだろう。現状の仕込みを読んだ限り、ここまでに間違いはないはずだ。


 随分と気が長い仕込みだ。呪詛師は随分と執念深くこの国と皇帝を呪い落とそうとしているらしい。永膳が全体の仕込みに気付いた時には、もうすでに手がつけられないところまで事態は進行していた。


 もはや都全体が忌地……陰が極まった不毛の地に堕ちるのは時間の問題とも、呪詛師の気分次第とも言える。呪詛師が都全体に仕込んでいる陣を発動させさえすれば、いつでも呪詛は発動可能な状態だろう。それくらい、すでに都の気は陰に染まりきっている。


 そうでありながら呪詛師が呪詛陣を発動させないのは、こんな状況でも呪詛師を阻んでいる『最後の砦』とも言える守りが残されているからだ。


 ──四鳥しちょうが敷いた、守都陣しゅとじん


 平素、呪術的な側面から都の治安を守っているのは、泉仙省の退魔師達だ。


 だがその裏で、都という土地を恒久的に守るべく、四鳥が暗躍していることを永膳は知っている。特に四鳥の長が代々起点を担ってきた守都陣は、この場所に都が置かれた時から展開されており、あらゆる脅威からこの都を守り続けてきた。


 その守都陣が、最後の最後で呪詛の発動を阻んでいる。


 だが永膳はそこまで考えを巡らせてから、ふと考えを改めた。


 ──いや。守都陣だけならば、すでに突破されていてもおかしくはない。


 何せ守都陣は、呪詛師がこの国を呪い落とすことを決めた時には、すでに何百年にも渡って展開されてきた後だったのだ。呪詛師がその陣を破る算段を立てていないとは思えない。


 ならば何者かが、呪詛師への対抗策として別の陣を仕込んでいる可能性が高い。


 ──薀長官は、すいの分家の出だったか。


 翠家は四鳥の一角だ。分家の出とはいえ、薀長官には翠家との伝手ツテがある。守都陣の知識があり、当人も結界呪の名手である薀長官ならば、秘密裏に何かを仕込んでいてもおかしくはない。


 さらに厄介なのは、当代の泉仙省には貴陽きようがいるということだ。


 薀長官を軽くしのぐ結界呪の才を持ち、『歴代類を見ない』とまで称される天才後翼退魔師であるこう貴陽がこの一件に関わっているならば、いくら呪詛師の腕が優れていようとも突破は難しいだろう。


 もっともそれは、呪詛師側に協力者がいなければ、という前提での話だが。


 永膳は無言のままもう一度指を振ると、新たに一頭の煉虎を召喚した。その一頭に気だるく視線を投げた永膳は、低く命を投げる。


「探しだせ。連れてこい」


 その言葉に、虎は無言のまま一礼するとシュルリと蜃気楼の中に溶けて消えた。


 再び天井を見上げた永膳は、声を発さないままうっそりと笑みを浮かべる。


 ──丁度いい機会だ。


 全てを把握していながら、永膳はそのことを誰にも報告していない。泉仙省にも、皇帝にも、かく家を始めとした四鳥にも。誰にも伝えず己の胸の内に秘匿し、呪詛師を泳がせ、事態を静観してきた。


 全ては、己の理想郷の実現のために。


 ──全部焼き払っちまえば、鬱陶しいしがらみは全部消える。


 己を『次期当主』という役柄に押し込めようとする郭家も。目の上のたんこぶである泉仙省も。


 自分の手からあの氷牡丹を取り上げ、代わりに面倒なことを押しつけようとする存在を全部、全部。


 呪詛師が皇帝を滅ぼすついでに、この国を焼き払うついでに、全部一緒に焼き払ってくれればいい。


 そうすれば、自分が涼麗を愛でることに苦言を呈するやからは……鬱陶しいくせに今の自分では屈服させられない二大勢力が、綺麗に消えてくれる。


 そのためならば、沙那最高峰の後翼退魔師の位階を持ち、郭家当主次期最有力候補として名高い自分が、……守都陣とそれに付随した守りの破り方を一番知っている自分が、件の呪詛師に手を貸してやってもいい。


「ああ、違うか」


 二大勢力ではなく、新たな勢力が増えて、三大勢力になったのだった。まあ、みっつ目には、早々に消えてもらうつもりだが。


「浮気だなぁ? 氷柳ひりゅう?」


 少し目を離した隙に、いつの間にかあれの視界に入り込んでいた雛鳥クソガキ


 あいつもしっかり、徹底的に、叩き潰しておかなければ。


 その上で、あれに教え込んでおかなければならない。


「浮気者には、罰を与えなければ」


 お前は、ヒトの形をした虚無。ヒトに生まれついていながら、ヒトになりきれなかったモノ。


 お前はヒトの形をした氷の牡丹。


 そうること以外を、お前の創造主である自分は認めない。自分の傍以外に存在することも許さない。


 ──あぁ、でも。


「ヒトの真似事を覚えたお前の瞳が、絶望に割れるところを見るのは」


 その上で虚無に戻ったお前の瞳が、自分だけに向けられる様は。


 きっと今以上に美しく、永膳の心を満たしてくれるだろう。


 その未来を夢想し、わずかに満足の笑みを浮かべた永膳は、仮初かりそめの微睡まどろみの中に意識を溶かしていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る